捨てるか、拾うか
ふと、清影が立ち止まる。
いきなり止まられたので不思議に思って見上げると、清影は眉をひそめていた。
「君、やはりあの男に特別な感情があるのでは?」
「またそれ? ないわよ、ちょっと心配してるだけ」
「それにしては、妙に気にかけているように見えますが」
「あの人、失恋したばかりだから放っておけないの。それこそ最初の頃は、後を追う勢いで落ち込んでいたし」
「そんなもの放っておけばいいでしょう。自分で選んで死ぬなら彼の自由です」
「もう、どうしてそんな酷いことを言うの? ……あー、分かった、嫉妬でしょ。私が誠二さんと仲良くしてるから拗ねてるんだ?」
桔梗にとってはほんの冗談だった。この言い方をすれば清影が突っかかってこなくなると考えた。
しかし、清影はあっさりと肯定する。
「そうですよ」
黙ってしまったのは桔梗の方だった。
「…………え?」
「言ったでしょう。鬼の恋は一生ものです。君や誠二は恋を忘れられたかもしれませんが、俺はそうもいかない」
清影は体ごと振り向き、繋いだ手をぐっと引き寄せた。驚く桔梗をじっと見つめながら、低く囁く。
「責任を持って、一生俺を飼ってください」
いつもと変わらぬ無表情のまま言うものだから、どう反応していいか分からない。唖然とする桔梗に、清影は薄く笑って付け加えた。
「というか、外堀りは既に埋めているので時間の問題でしょうね。君のご両親は、俺のことをとても気に入ってくれているようですし」
涼しげに言ってのけた清影は、桔梗の手を引いてまた歩き出す。
確かに、あの事件以来、両親の清影溺愛っぷりは異常だ。なんせ娘に全面協力して自分たちの命を守ってくれた存在である。最近は家の力仕事もよく手伝ってくれているし、外でも先生の寺と縁のある宮大工に弟子入りし、鬼との争いで壊れた寺の補修で稼いで家賃を家に入れてくれている。清影曰く、離れの壁を直した時から、修繕には少し興味が出ていたらしい。
顔が熱くなってきて、桔梗は思わず清影の手を振り解いた。
最後まで桔梗のことを裏切らず、一緒に戦ってくれた清影にほんのわずかに恋心を抱いてしまっていることは自覚している。
けれど、関係を発展させるつもりはなかった。ずっと一緒にいたから心が勘違いしてしまっているのだと自分に言い聞かせ、あくまでも仲の良い居候の鬼と人、という距離感を保とうと考えていたのに、まさか清影の方からそれを崩してくるとは思わなかった。
「ちょっと……待って。あなたは私に恋をしているってこと?」
「どうやらそうらしいです。初めてのことなので確証は持てませんが、君が俺の夢のために命を張ったあの日から、俺は君に他の人間には抱かない特別な感情を抱いている」
「待ってよ、私結婚を破談にしたばかりよ? あなたのことは信頼しているけれど、そうすぐに次の男なんて考えられない。すっかり自分一人で生きていくつもりだったし……」
「すぐに結婚しようと言っているわけじゃありません。一生飼えと言ってるんです」
「結果的には同じことでしょ! 私の気持ちを置いてきぼりにしないでよ」
言い争いながら、小さなガス灯に照らされた駅に辿り着く。
遠く、汽車の低いうなり声が聞こえてきた。鉄の車輪がレールを擦る音が、ひときわ鋭く冬の空へ弾ける。
冷たい風に乗って、煤の匂いと、石炭の焦げた香りがふわりと鼻先をかすめた。
汽車が到着し、桔梗はぐるぐると頭を悩ませながらも車両へと歩き出した。
先に車両に乗り込むが、清影は付いてこない。
「確かにこれでは、君に無理やり言い寄った藤山家の次男と同じですね」
振り返るが、清影は、ホームに立ったまま動かなかった。
「……何してるの? 早く乗らないと発車するわよ」
清影は静かに手を差し伸べた。そして、穏やかに、しかしどこか真剣な声で告げる。
「選んでください。俺を一生飼うか、ここに置いていくか。君が自分の意思で」
列車の発車を告げるベルが、冷たい空に鳴り響く。
捨てるか、拾うか。
時間がない。
こんな状況で選択を投げかけるなんて、狡いと思った。
短時間での究極の選択を迫られているというのに、心の奥にはほんのわずかな迷いもないことに気付く。桔梗の中には、もう答えがあるのだ。
「……ばかね」
小さく呟きながら、桔梗は清影の手を、しっかりと握り取った。
汽車の扉がきいと音を立てて閉まる寸前、桔梗は清影を引き寄せるようにして、中へと導く。
「あなたのために死んでもいいと思った時点で、私はきっと、あなたのことを捨てられやしないんだわ」
汽車が、低く唸るような音を立てながら震えた。次の瞬間、鈍い金属音とともに車輪が軋み、重たそうに動き出す。
車両の窓から駅の灯りが後ろへ流れていく。
桔梗と清影は隣に並び、互いの温もりを確かめるように寄り添っていた。
細かい雪が舞い蒸気に溶け、そして夜空へと消えていく。
桔梗の新しい人生が、進み始めた音がした。
【完結】
明治死に戻り令嬢の鬼恋奇譚 淡雪みさ @awaawaawayuki
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