花火

鐘古こよみ

紅へ


 お前に手紙を書くのは初めてのことだ。俺は普段、文章など書きつけない男だから、気の利いた言い回しなどできないし、思いついた端から書く。読みづらいだろうことは最初に断っておく。


 まず、お前との因縁が始まった、あの一件から書き始めることにする。幼稚園の年長組で、打ち揚げ花火の絵を描いた時だ。


 先生に黒い画用紙を配られ、俺は張り切っていた。お前も知っての通り、俺は金崎かなざき煙火えんか店の長男だ。大正時代から続く老舗の跡取りとして、花火の絵で誰かに負けるわけにはいかない。


 悩んだ末に、八重芯変化菊を描くことにした。一番芯は黄、二番芯は紅、一番外側の親星は緑で、先端が紫に変わる。デザインが決まってしまえば、作業はあっという間に終わった。


 圧巻の出来だという自信があった。何しろ、打ち揚げ前の玉の大きさまで想像しているのだから、色とりどりの放射線をただ描き殴っているだけの連中と、同じレベルであるはずがない。


 鼻の穴を膨らませて称賛の言葉を待っていたわけだが、実際に先生や友達の大絶賛を勝ち取ったのは、べに、お前だった。


 お前はあの時、画用紙いっぱいに、色鮮やかな冠菊かむろぎくを描いていた。花火大会でフィナーレを飾ることの多い、あの冠菊だ。しだれ柳と呼ばれることもある、あの冠菊だ。上空で大きく開いた花弁がすぐに燃え尽きず、煌めく無数の線を引いて地上まで落ちてくる、あの冠菊だ。


 あれをお前は、ありったけの色を使って描き上げていた。

 青や紅や黄や緑、ピンクや水色や紫に染め上げられた絵を見て、俺は愕然とした。なぜなら、そんな冠菊は存在しない。


 花火の色は何を燃やすかで決まる。火花がスーッと尾を引いて落ちてくる様子は、燃焼時間の長い木炭を過剰に使うことで実現させたものだ。木炭は暗い橙にしかならない。

 昭和の終わりにようやく、チタンを混ぜた金の錦冠菊が誕生し、その後アルミニウムを使った銀冠菊が開発されて、今ではそれが主流になっているが、当時も今も、色とりどりの冠菊は存在しない。


 それを描いたのがお前でなければ、驚きはしても、憤りを感じたりはしなかっただろう。

 だが紅、お前は端島はしま一族の娘だ。

 端島本家の当主は代々花火好きで、金崎煙火店のメインスポンサーでもある。

 お前が生まれた時、うちの父親は端島の大旦那から注文を受けて、紅色の花が三重に咲く尺玉を揚げたそうだな。

 花火師は赤を赤と言わず、紅と呼ぶ。未だに尺なんて単位を使っているのと同じく、江戸時代から変わらない慣習だ。紅、お前の名がそれと関係ないとは、俺には思えない。


 端島一族は、うちが全ての段取りをつける地元の花火大会に毎年協賛し、いつも有料のいい席に陣取っている。

 冠菊が好きだとお前が言うのを、聞いたことがある。

 花火名まで知っている子供など、そうはいない。それなのに、無頓着な色遣いをするから、腹が立ったのだ。

 そんな色彩で描きたいのなら、他に相応しい花火はいくらでもある。なぜわざわざ冠菊を選んだのだ。


「変な色!」


 俺は席を立ち、お前の画用紙を指差して、そう叫んだ。

 お前は唖然とし、他の子も先生も同じ顔をしていたが、一番初めに先生が我に返って、俺に拳骨を喰らわせた。


 あの時の俺は何も知らなかったが、お前は当時、周りの大人から絵の才能を見出され、天才扱いされ始めていたらしいな。

 端島の歴代当主は美術品コレクターでもあり、後に自前の端島美術館を開いた。美術業界に伝手も多く、見込みのある若者の売り出し方は心得ていただろう。


 類い稀なる色彩感覚を大絶賛されて育ちつつある天才少女の絵にケチをつける大馬鹿野郎は、俺くらいだったんじゃないか。

 紅、お前はあの時、しばらく経ってからようやく「意地悪!」と言って、炎のような目で俺を睨みつけたな。


 戦いの火蓋が切って落とされたわけだが、それは俺だけが沼地を陣地としてずぶずぶ沈んでいくような、実に一方的な戦いだった。小学校へ上がり学年が進むにつれて、お前は地域で知らぬ者のない有名人になっていった。


 毎年の学校代表として作品が選出され、絵画コンクールで入賞するのは当たり前。新聞にもたびたびインタビュー記事が載り、〝花火の少女画家〟というキャッチコピーがいつの間にか定着していて、俺の神経を逆撫でした。

 お前の描く絵は人物も建物も風景も、現実とは違う鮮やかな色味が加えられ、花火の色を反射するようだったから、そんな風に言われたのだろう。


 お前には、老舗の呉服屋を生地製造と染色のグループ会社に育て上げた、端島の美的感覚が受け継がれていた。

 俺には、花火師の血が受け継がれていた。

 お前が芸術家扱いされるたび、江戸の職人から脈々と引き継いできた火の技を何かの踏み台にされたかのようで、癪だった。


 俺はお前の絵に「変な色!」と言い続けた。

 校長室前の廊下に額入りで飾られたナントカ大臣賞の絵を指差して言った時には、校長に見つかって拳骨を落とされた。

 お前が学校の最高権力者まで味方につけていると知り、俺はますます闘志を燃やしたものだ。


 お前が中学高校と、地元の公立校に進んだのは意外だった。

 天才少女なら気取った私立に行きそうだが、聞けば端島は地元の繋がりを大事にするそうだな。

 とはいえ、中学時代のお前のことはほとんど知らない。相変わらず絵画コンクールで入賞を果たし、学生ながら画廊を借り切って個展を開くことになったとか、そこで絵が売れたとか、威勢のいい話が聞こえてはいたが。


 高校がたまたま芸術科コースのあるところで、そこにお前が在籍すると知った時には驚いた。

 その頃になると俺たちには全く接点がなかった。あのまま互いのことを忘れても良かったはずなのに、お前は再び俺の前に現れた。


 高三の夏休み直前、蝉の声がうるさかったのを覚えている。

 久々に顔を見せたお前について来いと言われ、放課後の教室で帰り支度をしていた俺は、何故かのこのことついて行ったのだ。


 行き先は美術室だった。引き戸を開けた途端、妙に獣っぽい刺激臭が鼻を衝いたのを思い出す。

 窓際にイーゼルが置かれ、そこに一枚の絵が乗っていた。


 冠菊だった。


 相変わらず現実と違う、色とりどりの筋を引く鮮やかな絵だ。

 今にも燃える匂いが漂い、煙が辺りに立ち込めそうなほど、それは本物の花火に見えた。

 さほど大きい絵だったわけではない。それでも俺は夜空を仰ぎ、立ち尽くす自分に明るい光が降り注ぐ幻影を、一瞬見た。


 この絵をどう思うかお前に訊かれ、何故こんな色で描くのかと、俺は訊き返した。

 私にはこう見えるからだと、お前は言った。その時に聞いた話を、記憶の限り書き出してみる。


 風景も建物も人も、昔から全てがこの花火のように見える。

 絵に描けば大人たちが芸術的だと言うので、そんなものかと思っていたが、やがて本当に人と見え方が違うらしいとわかってきた。

 しかしその話をしても、天才の一言で片付けられてしまう。芸術的な感性があると誉めそやされる。

 私の絵を変と言い続けてきたのは、金崎誠吾、あんただけだ。

 あんたは、私がわざと変な色で描いていると思っている。でも違う。私は見たままを描いている。

 事実が伝われば、この二つの評価は逆転するのか。

 芸術とはそんなものか。

 絶対的な美は存在しないのか。


 俺は、お前が何を言っているのか、理解できなかった。

 お前も俺に、わかってもらおうとしたわけではないだろう。

 黙り込んだ俺に、今までの絵をやめると、お前は言った。

 その前に、私が見た冠菊はこうなのだと、あんたに伝えておく。

 あの炎のような目で俺を見て、お前はそう言ったのだ。


 お前が夏休み中に海外へ留学し、そのまま高校を辞めたことは、二学期に入ってから知った。

 以来、名をふっつり聞かなくなった。

 俺は大学へ入り、卒業し、花火師になった。

 結婚し、子供が生まれて、家業を継いだ。

 今じゃ孫も生まれ、立派なジジイだ。


 先日、久々に端島本家から、打ち揚げ花火の依頼をもらった。

 その時、数十年ぶりにお前の消息を聞けた。

 あの夏、お前は本当に絵を描くのをやめ、戸惑った両親から海外留学を勧められたそうだな。

 渡航し、現地の美術学校で学び、日本に帰らなかった。

 点々と住まいや職を変え、別名で作風の違う絵を描いた。

 それは黒や藍色だけを使って描かれた、ほとんど色のない静かな世界だったと、端島美術館の館長を務める姪御さんが教えてくれた。


 凍死したお前の遺体は、古い貸倉庫の中で見つかったそうだ。

 ストーブもパンの一片もない殺風景な場所に、巨大なカンバスや画材類が溢れ、強張ったお前の手には絵筆が握られていたとか。

 病で死期が近いと、知っていたのか。だから病院へ向かうのではなく、追われるようにカンバスへ向かったのか。

 馬鹿なことをと俺は思うが、お前にとっては違うのだろう。

 最期まで手掛けていた作品は、絵の裏にしたためてあった遺言の通りに、端島美術館の一室に展示されたぞ。

 遺言にはなぜか、俺の名も書いていたな。遺作を見せるようお前が希望していたと聞き、俺は先日、端島美術館へ行ってきた。


 綺麗なところだった。広い庭園と洒落たレストランがあり、建物は白く明るく、国内外のいろんな芸術家の作品が置かれている。

 お前が遺した日本画の連作のために、専用の部屋が造られていた。

 <花火(遺作、未完)>というのが、作品名だ。


 部屋の中は薄暗く、夜のように青い。五十メートル走ができそうな細長い空間で、お前が死ぬまで描き続けていたという一枚が、最奥に掲げられている。

 両側の壁を埋めるのは長大なカンバスだ。それは最初、全て藍色の空に見えたが、照明の暗さに目が馴染むにつれて、そればかりでないことがわかってきた。

 空とほんの僅かな濃淡で区別された、群れ成す人影。

 進むにつれて人影は大きくなり、自分の背が縮んでいく錯覚に陥った。

 薄闇を一方向に進む人の群れ。その中に小さな自分がいる。その風景をどこかで見た覚えがある。


 ああ夏の夜だと、俺は思い出した。


 下駄を履いた小さな足。土手から吹き上げる川の匂い。

 花火の支度に忙しい両親に代わって、俺の手はいつも従妹の姉ちゃんが引いてくれた。周囲の人影は皆、花火大会へ行くのだ。

 むしむしとした生ぬるい風が、浴衣の生地を肌に貼り付かせて、余計に汗を広げていく。いつの間にか蚊に刺されたくるぶしが痒い。

 人が多いねと、姉ちゃんが呆れたように言う。うちの花火を見るためにこんなに人が集まっているのだと、俺は自慢に思う。

 道の脇にぽつぽつ、屋台の明かりがあった。大きな虫がぶうんと唸って頭上を飛ぶ。りんご飴、綿あめ、かき氷。物欲しそうに眺めていると、早く行かないと始まっちゃうよと、急かされる。

 集まった人たちが思い思いにシートを広げ、腰を下ろす。人影が低く、空が広くなる。俺も座る。尖った石が尻に刺さる。

 前方は遮るもののない土手だ。少し下った辺りに有料席があり、水上花火なんかはそこからしか見えない。湿った草と水の匂いが川岸から運ばれてくる。川向こうには打ち揚げ場があり、両親と職人たちはそこであくせく働いている。

 開始のアナウンスが流れ、皆が拍手をした。

 その拍手が静まる頃、突然、最初の銀竜が夜空へ昇る。

 花火玉の上昇を知らせる笛の音。視線を集める白い軌跡。


 描かれているのはそこまでだった。

 俺はいつの間にか、最奥の壁に飾られた絵の前にいた。

 馬鹿みたいに口を開けて、本当の夜空がそこにあるかのように、喉をいっぱいに反らして。


 白い軌跡の先にあるのは藍色の、深い闇だ。

 花火が始まる瞬間の、期待を湛えた闇だ。

 夏のぬるい夜風に満ちた、懐かしい闇だ。



 紅。お前の作品の再評価ってやつが進んでいるらしい。

 端島紅はなぜ色彩を捨てたのか、生涯をかけて何を表現しようとしたのか、謎に包まれた天才少女画家の人生ってやつが、世間の関心を捉えたらしい。

 俺が美術室で聞いたあの話をすれば、みんな喜んで飛びつき、あれこれ分析してお前の抜け殻をほじくるだろう。

 お前の遺言になぜか俺の名があったので、実際いろいろ訊かれたが、俺はお前の理解者ではない。答えられることなど何もない。


 ただ一つ、世間の奴らに言いたいことがある。

 あの絵は未完ではなく、完成品だと俺は思う。


 この手紙は追悼の花火玉に貼って打ち揚げる。


 金崎誠吾



<了>

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花火 鐘古こよみ @kanekoyomi

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