血の雨が降る

亜咲加奈

おらぁ、知らねえど。

 始業五分前、天井から吊り下げられた「観光課」のプレートの真下で電話が鳴る。

 白井が受けた。相手は、ここ天東町出身で今年三月に東京にある私大を卒業して観光課に配属された田代直哉だ。

「課長につないでもらえますか。祖母が今朝、亡くなったんです」

 白井は課長の稲葉のデスクに転送する。

「おはようございます。ええ……それは大変だったね……。そう、前から通院していたの……。夏祭りのことは心配しないでいいよ、家庭優先で。お葬式の予定とかわかればまた連絡ください」

 受話器を置き、稲葉は観光課職員の面々を見ながら告げた。

「田代くんのおばあさんが亡くなった。明日は田代くん抜きでやることになるんで、白井くん、シフト変更とかお願いしていい?」

「承知しました」

 白井はすぐさま業務用のデスクトップパソコンの画面に向かい、マウスをクリックする。

 声をひそめて白井は稲葉と加辺に言った。

「一番の反対者がいなくなりましたね」

 加辺が白井をにらむ。

「そんなことを言うもんじゃないよ」

 稲葉が水筒を口に運び、一口飲んでから言った。

「田代くんのおばあちゃん、うちに話しに来たあと、体を壊したらしいね」

 二十年ほど前に近隣の町村と合併し、面積だけは都市部に並んだ天東町であったが、高齢者は増え、大学に進学した若者は戻ってこず、三つあった小学校のうち一校は一昨年度廃校になっている。

 しかしコロナ禍をきっかけに、この町がもつ豊かな自然を目当てに移住者が増えた。移住してくるのは単身者だけではなく、小学生や就学前の子をもつ家庭も目立つ。そこで町は、これまで開催してこなかった夏祭りを企画したのである。

「おかしらさまだっけ、あのおばあちゃんが言ってたの」

 白井は言って、キーボードを叩く。

 昨年七月の、妙に肌寒い日の午前十一時、田代ツヤは当時大学四年生だった孫の直哉に運転させ、隣人二人と共に観光課を訪れた。窓口に声をかけたのは田代直哉である。

「すみません、夏祭りのことについて、祖母たちが言いたいことがあるみたいで」

 加辺と白井、稲葉が対応した。

 田代ツヤは加辺たちに低い声で告げた。

「夏祭りなんかやっちゃなんねえ。おかしらさまが怒って、血の雨が降る」

 白井は応接室のソファーに背中を預けたまま尋ねる。

「おかしらさまとは何ですか」

 ツヤがしわとしわの間に埋もれた小さな両目を大きく開く。

「おめえさん、おかしらさま、知らねえんきやあ」

 ツヤの隣に座る八十代くらいの男性がつぶやく。

「どうせよそから勤めに来てるんだんべ。だから知らねえんだっぺや」

 ツヤは右手を上げて窓の外を人差し指で示した。

「おらほうの山に神社があるだんべ。そこにおまつりされてる武士さ」

 稲葉がうなずく。

「聞いたことがあります。確か、落武者が暮らしてたんですよね、あの山の上に」

「そうさぁ。えれえ崖だんべ。そこに隠れてたった。ほんで食うもんがねえから里まで下りて来るんさ。畑ぇ掘り起こして勝手に芋だの取ってくもんだから、里の衆は食やあされねえ。ほんだからその武士が畑に来た時を見計らって家ん中へ連れ込んで、酔いつぶれたところを首ぃ取っちまおうって話になったんだと」

 言い終え、息つぎをし、ツヤは続ける。

「里の嫁ごたちが、酒ぇ出して、お酌して。ごちそうこしらえて、食わせて。あとは布団に放り込んで嫁ごたち総出で相手して。そんで眠りこけたところを庭に引きずり出して、男衆が斧で、首ぃ取ったんさ」

 八十代くらいの男性の隣に座った女性が言う。

「そしたらその年の夏祭りん時、血の雨が降ったんだと。つぐ年もまたつぐ年も、決まって夏祭りの日に降ったんだと。だからここの嫁ごは休めねえ。楽ができねえ。祭りができねえんだから。たたりなんだんべ、その武士の。だから神社作ってまつったんさ。はぁ悪さするんじゃねえぞって」

 先ほど口を開いた八十代くらいの男性が言葉を続ける。

「たたりがあるんだから、夏祭りなんかやっちゃなんねえ。はぁ今からでも中止にしらっさい」

 ツヤが白井の目に自分の目を合わせた。

「これでわかったっぺや。夏祭りなんかはぁやめらっさい」

 白井は声を立てて笑いだした。

「よくできた作り話ですね」

 ツヤが唾を飛ばす。

「だぁからほんとなんだって」

 白井がタブレット端末の画面をツヤたちに向ける。

「血の雨が降るとか、ありえないですよ。馬鹿馬鹿しい。確かにその神社は実在しますね。地図サービスにもコメントがある。町の文化財でもありますね。でも落武者が隠れていたなんて記述は看板にはないですし、首をまつっているなんて一言も書いてないですよ」

「そこじゃあねえ。もうひとつあるだっぺや、小せえおやしろが」

 白井がタブレット端末の画面に指を滑らせる。

「摂社のことですか。写真はないですね」

 八十代くらいの男性が吐き捨てる。

「ツヤさん、だめだ、話にならねえ。全然聞く耳持たねえんだもの。はぁ帰るんべえ」

 男性の隣に座った女性がツヤに言う。

「そうだよう、ツヤさん。あたしらは行かなきゃあ済む話なんだから」

 ツヤは顔を下に向け、上目づかいで白井、加辺、稲葉に言った。

「おらあ、知らねえど」





 夏祭り会場は、町の運動公園だ。

 広い敷地内に体育館や陸上競技場があるだけでなく大きなアスレチック遊具も設置されているため子供連れが県内外から遊びに来る。大手検索エンジンが提供する地図サービスでの評価も高く、投稿されたコメントも好意的なものがほとんどだ。

 公園の芝生にはキッチンカーが並び、地元飲食店も数多く出店している。

 観光課でSNSのアカウントを複数作成して準備の様子を発信した。地元のラジオ番組や国営放送の地域ニュースにも白井が自ら出演し、宣伝した。その甲斐あってか、開始一時間前から車が続々と運動公園の駐車場に詰めかけている。公園に隣接する町立小中学校の校庭や町役場の駐車場も開放したので、そちらにも車を詰め込んでいる。

 芝生広場に設置したステージ上では町民が発表する予定だ。町立小学校の高学年児童たちのマーチング、町立中学校の吹奏楽部の演奏、そして町民有志による民謡、ダンス、合唱。

 開会宣言まであと五分。

 白井はマイクの電源を入れる。

 河川敷で花火が上がった。

 白井がマイクを握り、普段より高い声を出した。

「皆様、ご来場くださいまして、誠にありがとうございます。ただ今より、第一回天東町夏祭りを開催いたします」

 来場者から、本部席に座る役場職員から、拍手が起こった。

 白井が笑う。

 その時加辺は見た。

 運動公園の入り口から、鎧武者が馬に乗って駆けてくるのを。

 鎧武者には首から上がなかった。

 鎧武者は刀を抜き、加辺に向かう。

 刀が横になぎ払われる。

 白井の目の前で加辺の首が飛んだ。

 頭部をなくした加辺の首の付け根から血が吹き上がる。

 血の雨が降る。田代ツヤが口にした言葉を白井はまた聞いた。

 加辺の首は星のない空を放物線を描いて落ちていく。鎧武者はその首を追いかけ片手で受け止め、自分の首に据えた。

 鎧武者は本部テントに馬首を向ける。

 職員たちが逃げる。長机が、パイプ椅子が、テントの支柱が蹴られ、倒される。

 加辺の顔で笑いながら鎧武者は職員を追い回す。

 来場者たちが我先に駐車場に走る。

 加辺の顔をした鎧武者は逃げ惑う職員たちの首を次々と刀で斬り飛ばす。その中には稲葉の首もあった。

 血しぶきが舞う。

「だからゆったっぺや」

 田代ツヤの声が聞こえる。

 白井はあたりを見回すが、彼女の姿は見当たらない。

 加辺の顔のまま、鎧武者は来場者の群れに突進した。刀を振るう。次々と首が舞い上がる。そのたびに血が暗い空に飛び散る。

「血の雨が降るって」

 ツヤの声はどこから聞こえるのだろうと考えていた白井はふと、昨日受けた電話で聞いた田代直哉の言葉を思い出した。

「祖母が今朝、亡くなったんです」

 田代ツヤの声が聞こえる。

「おらぁ、知らねえど」

 鎧武者が白井に、ゆっくりと近づいてくる。

 白井は動けない。

 白井の前で馬を止め、鎧武者は加辺の顔で目を細める。そして言った。

「待タセタナア」

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血の雨が降る 亜咲加奈 @zhulushu0318

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