第34話 シタルが教えてくれた
私は、なおしばらくのあいだラメラスを睨みつけていた。ラメラスは顔を引きつらせながらも言葉を失っているらしく、ふだんは流暢な弁舌が発揮されることはなかった。むろんそれは、木刀の打撃によるダメージが大きすぎたことにもよるのだろうが。
私は踵を返し、シタルに向き直った。しゃがみ、口元に手を近付ける。確かに息はある。
「シタル……立てるか」
訊いても無駄だとはわかりながらも、訊いていた。当然ながら、返事はない。
私は根元からぽっきり折れた木刀をほうり捨てると、シタルの汚れた頬にふれた。それからその体の下に腕を差し入れ、抱き起こした。背中におぶさり、腰を上げ、踵を返す。
そばの地面に突き刺さっているミスリル製の剣を引き抜き、ズボンとベルトのあいだに差し込む。飛行魔法を発動し、ふわっと上空に浮かび上がった。
高く上がり、南西方面へと目を向ける。
平原の中、緩やかにうねる道の先に、セントミリアム孤児院がぽつんと小さく見えた。静かである。その空に竜の影はなく、爆音のたぐいが聞こえてくることもない。
(むこうも終わっているか……ずいぶん派手に暴れ回ったようであるな、ミレージュラよ)
私は苦笑を洩らし、孤児院にむかって飛んでいく。
本来ならば命を落として当然の攻撃を食らったシタルの体への負担を考え、あまり速度は出さなかった。ゆるゆると、飛行を続ける。
(魔王メディウス13世としての願いではない、か)
シタルをおぶって飛びながら、私はまた苦笑を洩らしていた。
(自分でも気づかぬうち、冷静さを欠いていたのか……私としたことが、あんなに大声で……まあ、意識を失っているシタルの耳に届いたとは思えぬが……)
しかしほんとうにそう言い切れるだろうか、とも思う。体を動かせず、目も開けられぬほどのダメージを負っていたとしても、意識がまったくなかったとまでは断定できない。そしてもしそうであれば、シタルは私の正体を知ってしまった可能性もある。私こそが魔王メディウス13世――シタルが最終的に討とうとしている最大の敵だという、真実を。
シタルがはっきり目を覚ましたのを、途中で察知した。彼女がかすかに顔を動かしたのだ。
言葉を待ってみたが、彼女は何も言わなかった。一度は私の背中から離していた顔を、またもたせかけるようにした。そのまま、じっとしていた。
鼻を啜る音が聞こえてきたのは、なかばほどまで飛んだところでだった。
シタルの肩の震えが、背中に伝わってくる。
「シタル」
私は、正面の空へ視線を向けたまま声をかけた。「泣いているのか、シタルよ」
だが、返事はない。
「おまえは助かったのだぞ、シタル。なぜ、泣く」
やはり、返事はない。
と、思ったが、
「……くや、しい」
喉の奥から声を絞り出すようにして、言った。
「くや、し、い……くや、しい……」
「悔しい……で、あるか」
「……強く、なった……そう、思って、た……のに……」
最後のほうで声を震わせ、言葉を詰まらせる。
「ラメラスは魔王軍幹部直属の魔族である。先代の頃には参謀として軍略に携わりもした男……烏合の衆とはわけがちがう。代替わりして参謀を解任したとはいえ、奴の実力が落ちたわけではない。歯が立たずとも無理はあるまい」
私なりに慰めたつもりだったが、効果の程は定かではない。シタルが何も言わないので、なおさらわからない。
しかし私が気にすべきはそこではなかった。ふと思い返してみれば魔王軍の内情に詳しすぎるような感じがするし、加えて「代替わりして参謀は解任した」などと、まるで当事者であるかのような発言であった(いや正確に言うなら私はまぎれもなく「当事者」なのであるが、問題なのはそれを伝えている相手がそのことを知られてはならない人物だという点だ)。
「い、いや……噂で聞いた話だがな」と慌ててごまかす。
「強く、なりたい」
少し間を置いてから、シタルはそう言った。
「負けたく、ない……今、よりも……もっと、もっと……強く、なりたい……」
そこまで言って、また少し間を置いてから、
「マオー……あなた、みたいに」
私は、それには答えなかった。
孤児院が近づいてくる。外に誰か出ていればわかる、というぐらいの距離であったが、庭に人影はない。思えば朝食がまだであったな。皆、もう済ませたであろうか。見た目にたがい大食いのミレージュラが「戦のあとは腹が減るぜよ」などと言いながらふだんの二倍も三倍も食べていなければいいが。何しろ、あそこの食料には限りがあるのだから。
「……マオー」
シタルが、ふと私の名を呼んだのは、ゆるゆると高度を下げ、孤児院の門の前に降り立った、その時であった。一歩を踏み出したのとほぼ同時に、その声を聞いた。
「なんだ」
ゆったりした足取りで門を通過しながら、私は応える。
「私、の、……な……」
「な?……名、か」
「シタ、ル……」
シタルはそこで、少し間を置いて、
「シタ、ル……シタル……レシ……ハーキュリー……」
「……そうか」
「私、の、ほんとう、の、名……」
シタルは最後にまた、そう繰り返した。
シタル・レシ・ハーキュリー。
そうか、と思う。正直なところ、最初に思ったのはそれだけであった。そうか――ただそう思っただけだ。不思議に驚きがない。何らの感慨もない。そうか、と、私はただそう思ったのだ。最初にシタルが勇者レシの一族なのではないかと疑い、名簿を確認してちがうと知ったがしかし私はそうである可能性をどこかで捨てきっていなかったのかもしれぬ。
あの時点で、シタルが真実の名を誰にも伝えていないという可能性にまで思い及んでいたわけではない。だが、――今にして思えば、ということではあるが――それはじつに単純な方法である。素性を隠すための、この上ない単純な方法である。私とてそうだ。これからのち新しく孤児院の名簿を作るとすれば、そこに記載されるのは「メディウス13世」ではもちろんなく、「マオー」という、偶然の産物に近い今の私の名だ。人間の少年としての名だ。そしてこれを目にしたところで私が私だと気付く魔族は、まず一人もおるまい。
シタル・レシ・ハーキュリー――
シタルは伝説の勇者レシの一族であった。
先祖に勇者レシを持ち、歴史をさらに遡れば神話の勇神ベルデの血を引くとされる神の一族。
彼女の図抜けた戦いのセンスも、迸らんばかりの才気も、それで説明がつく。ラメラスの魔法攻撃を受けて深手を負いながらも絶命には至らなかった、耐久力も。
そして、いつか彼女が口にした、魔王(私)と戦う理由――「定め」という、その表現についても。
「定め……か」私はぽつりとつぶやいた。
シタルよ――
背中にシタルをおぶったまま、私は心の中で語りかける。
決めたぞ、シタルよ。今、決めた。
私は、おまえを強くしてやる。どこまでも、どこまでも、強くしてやる。その長き鍛錬の道に、私は徹底的に、最後まで付き合ってやる。
思えば私はおまえを鍛えてやっていながら、どこかで迷いやためらいがあった。
おまえが強くなることに対する、おまえを強くすることに対する、迷い、ためらいだ。
いつか私自身が対峙することになる、その時のことを案じ、憂いてのものではない。そんなわけがあるまい。自惚れるんじゃないぞ、シタルよ。
私が案じ、憂いていたのは、おまえの身だ。
強くなればなるほど、おまえは先へ進もうとするだろう。そして、さらに強い相手と戦うことになるだろう。おまえが辿り着かんとしている境地に至るためには、それは必定だから。
私は、それを懸念していたのだ。おまえが強くなればなるほど、そして目標への道のりを邁進すればするほど、おまえはより厳しく険しい闘争の渦中に身を投じることになる――それは、とりもなおさず、おまえが命を落とす可能性が高まることをも意味する――
私は、それを案じ、憂いていたのだ。
だから迷い、ためらっていた――このままこの娘を鍛えてやって良いものか、と。
だが、今、それが消えた。
正確に言えば完全には消えておらぬのかもしれぬ。しかし少なくともおまえを鍛え、強くしてやることに対する迷いやためらいはない。
レシの一族である以上、おまえはいつでも魔族から命を狙われる可能性がある。今はまだ魔族側に発覚してはいないだろうが、それもいつまで続くかわからぬ。あるいは先のやり取りから、ラメラスが何かしら感づいた可能性も捨てきれない。彼の口から他の幹部、たとえばルギ=アンテあたりに情報が伝われば、奴もこれを捨て置いたりはしまい。
だからだ、シタルよ。だから、私はおまえを鍛えてやることに決めたのだ。
いつ、どんな強敵と対峙することになったとしても、おまえがおまえの身を守れるように。
たとえそれが、いつか私を討つ、そのための力として欲されたものなのだとしても。
そして、実際に――およそ考えにくいことではあるが――その力が私を討つことになろうとも――
なぜなら、シタル……私はおまえに死んでほしくないからだ。生きていてもらいたいからだ。
だから魔族に殺されぬよう、とことん鍛えてやる。
それが、おまえの悔し涙に対して私が応え得る、唯一の誠意というものであろう。
ただ、それはそれとして――
(約束は約束だぞ、シタルよ。まさか忘れてはおるまいな。私のもとで修行の果て、みごとじゅうぶんに強くなれたなら、師弟関係は解消だ。私のトモダチになってもらうぞ。そして、その時には大勢できているであろう私の他のトモダチと、皆でワイワイ遊ぶのだ。ふむ……じつに楽しみである)
それにしても……何やら猛然と腹が減ってきたであるな。腹を括ったからであろうか。
シタル、おまえはどうなのだ?
――返事の代わりのように、ぐうぅ、という音をかすかに背中に聞く。
私は小さく笑いを洩らし、肩を揺らした。
ほら見たことか。朝飯も食わずに派手に動き回るからである。
「いじ……わる」
シタルが低く、ぽつりと言う。
構わんさ。生きているんだ、腹が減れば腹も鳴るだろう。
まずは食事にしよう。朝食の時間は過ぎているが、ヘレナのことだ、皆で待っていてくれているかもしれぬ。あるいは済ませてしまっているかもしれないが、それなら二人で食えばいい。朝食の残りがまったくない、などという悲劇はいくら何でもあるまい――ミレージュラが無茶なドカ食いさえしていなければ、だが。
薄い塩味の青臭いスープ……硬くてパサパサしたパン……安価な肉のソーセージ……
なぜであろうな。あんなものを、今、私は強烈に欲している。
薄い塩味の青臭いスープ……硬くてパサパサしたパン……安価な肉のソーセージ……
『でも、美味しい』
そう――初めて共にテーブルを囲んだ日、おまえが教えてくれたことであったな。
魔王陛下のトモダチ探し ジロー @jun1374
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