第33話 一閃

 ポートクレイクまではあっという間であった。早朝ゆえ、まだ人けもまばらな町の上空を飛び、マイヤー町長の屋敷へ向かう。

 途中で、何度か爆音を聞いた。ドゴンッ、ドゴォン、と――


(シタル……ラメラスと戦っているのか)


 ほどなくして、マイヤー町長の屋敷が見えてきた。

 と、次の瞬間――屋敷の北側の壁が内側から破壊された。白い壁が嵌め殺し窓のガラスごと吹き飛ばされ、放出された光線と共にガラスや壁の破片が宙を舞った。

 その、無数の破片の中に、一つの影がある。

 破片に塗れながら吹っ飛ばされ、力なく落ちてゆく――


「シタルっ!」


 人影はシタルであった。

 シタルの体はゆっくり弧を描いて落下してゆき、そして、地面に叩きつけられた。

 回転しながら落ちてきたミスリル製の剣が、地面に突き刺さった。


 横たわるシタルのそばに、私はふわっと舞い降りる。 

 屋敷の庭、数メートル先で、シタルが倒れている。横向きに倒れ、ぴくりとも動かない。

 見れば、服のあちこちが破れ、血が滲んでいた。焦げついているのは、今の光線を食らった時のものだろう。

 屋敷の壁の穴から、何者かが出てきた。すうっと舞い、ゆっくり降下してくる。

 屋敷の正面に、静かに舞い降りた。シタルを挟んで、私と向き合う形だ。


「おや……陛下ではありませんカ」


 ラメラスであった。右手に彼の剣を持っている。


「ラメラス」


 私は、なかば呆然としていた。体の底が、しんしんと冷えてゆく感覚がある。


「早朝から招かれざる珍客がありましてねエ……その相手をしていたところですヨ。なに、もう終わりましタ。アレギュレートをもろに浴びましたかラ、すでに息はないでしょウ」


 アレギュレート――高熱の光を放つラメラス得意の攻撃魔法である。彼の言うように、もしこれが直撃したのならシタルは生きてはいまい――

 見たところ、ラメラスには怪我という怪我はないようだった。右の袖と肩口のところが切れ、紫色の血が滲んているのは、シタルの太刀によるものだろう。だが、それとてかすり傷に過ぎない。シタルの善戦は見て取れるものの、目に見えて大きなダメージというものは、なさそうである。 


「この娘が……おまえに挑みかかったのか」

「そうでス。いきなり執務室に駆け込んでくるなりワタシに剣を向け、覚悟、とただひとこと言うなり、かかってきたのですヨ。やれやれ、爽やかな朝の目覚めが台無しダ」


 ラメラスは言うと、目を細めて横たわるシタルを見下ろした。


「薄汚れた身なりからして、町娘ではありますまイ。おそらくセントミリアム孤児院からやって来たのでしょうネ。困窮する孤児院に対する憂いか、扱いへの不服か憤懣か……ただでさえよく理解できぬ人間のすることである上にひどく無口で、ろくにものも言わぬゆえ、わかりませんガ……まあ、今となってはどうでもいいことでス」

「おまえの言うとおりだ、ラメラス……彼女は、セントミリアム孤児院の娘である」

「おや。ご存じなのですカ、陛下。では、ひょっとしてこの娘に剣技を教えた者もご存じなのではありますまいカ?」

「剣技を教えた者……」

「魔力補正をかけたワタシの相手ではありませんでしたガ、大した腕前でしたのでネ。この娘に剣技を教えた師のような人間がいるのであれバ、看過するのは得策ではなさそうでス。早急に始末するに越したことはありませんのデ。潜在的な脅威は早くに除く――陛下のお父君も再三おっしゃっていたことですヨ」


 潜在的な脅威は早くに除く――そうだ、父上が繰り返し繰り返し言ってきたことだった。それが、戦乱の世を生き抜く一つの常套手段であり、最適解だ、と。

 だが、今は戦乱の世ではない。

 そのはずだ。

 私が終わらせた――勇者を打ち倒すことで。

 そうであるはずだ。


「……竜を動かしたのか、ラメラス」

 

 私は訊いた。


「ああ、あれですカ。べつに今日でなくても良かったのですがネ……薄汚い小娘の不躾きわまりない態度に、ワタシも少しばかり頭に血が上ってしまったようでス。クックッ。まあ遅かれ早かれ実行に移す予定ではありましたかラ、同じことですがネ」


 と、その時、「う……」と、かすかにうめき声がした。

 シタルの手が、その指が、ぴくと動く。


「生きて……いル?」


 ラメラスは、わずかに目を丸くしていた。ふだん驚きの感情をあまり露わにしない奴としてみれば、めずらしい反応である。


「馬鹿な、アレギュレートには致死量の魔力を込めたはズ……並みの人間が耐えられるわけがありませン……無意識に魔力量を誤った……? いや、そんなはずはなイ……この娘、いったい……」


 つかのま、驚きの差したまなざしを横たわるシタルに向けていたラメラスであったが、まもなくふっと真顔に戻り、剣を握る手に力を込めた。

 つかつかと、シタルのもとへ歩み寄ってゆく。


「ふ……ワタシとしたことガ、何を無駄なことヲ。考えても仕方ありませんネ。今度は首を落として差し上げましょウ……そのほうが確実に死ねるでしょうかラ」


 そう言って、剣を振り上げた。


 全身が冷え込んでゆくような感覚――先ほどから私が感じていたものであるが、しかし同時に、その冷え冷えとする体の芯、その奥底に、煮え立つような、滾るような――「何か」が、発生しているのを感じていた。

 それは静かに、しかしとてつもない熱を湛えて、じわりじわりと上昇を続けていた。

 そして、ラメラスが剣を振り上げた時、――まるで堰が壊れたかのように、一気に突き上がり、迸った――私の中で。


 ラメラスの剣の切っ先が天を突くよりも速く、私はその間合いに入っていた。握った木刀が、一閃――横に空気を裂きラメラスの頸部を撃ち抜いた。


「かはアッッッ!」


 木刀は魔力によって強度を高められていたはずであるが、それでも衝撃に耐えきれず、根元から砕け散る。

 確かな手応えとともに、ラメラスが横に吹っ飛ぶ。地面に叩きつけられ、転がり、転がって、敷地の端で仰向けになった。


「へ……へい……か……何……ヲ……ご乱……心……カ……」


 喘ぎあえぎ、ラメラスが口を動かす。かろうじて頭をもたげてはいるが、まともに体を動かすこともできぬらしい。


「私は乱心などしていない、ラメラス……いたって冷静である」


 私は静かに言った。


「その上で、貴様に告ぐ。ポートクレイク管理者の任を辞し、即刻、部下たちを連れて町を出よ」


 ラメラスが、横たわったまま、痙攣したように肩を揺らした。


「クク……ク……ク……何ヲ……戯言を……ワタシに、アナタの命令を聞き入れる義務など、なイ……よく、おわかりのはずでス……」

「これは命令ではない。願いだ」

「願いだろうガ……何だろうガ……同じことでス……ワタシに対する指示や命令ハ……陛下よりも、ルギ=アンテ様のものが優先され――」

「わかっているッ!」


 私は声を荒らげてラメラスを遮った。


「良いか、ラメラス! これは魔王メディウス13世としての願いではない! 貴様がポートクレイクに駐留することを望まぬすべての者たちの願いとして、声として、要求する! 繰り返す、部下を連れ、即刻町を出よ! 聞き届けられぬのであれば実力行使も辞さぬ!」

「グ……」


 私は、なおしばらくのあいだラメラスを睨みつけていた。ラメラスは顔を引きつらせながらも言葉を失っているらしく、ふだんは流暢な弁舌が発揮されることはなかった。むろんそれは、木刀の打撃によるダメージが大きすぎたことにもよるのだろうが。

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