第32話 勇み足

 ミレージュラとの話を終えると私は木刀を手に外へ出て、例の木のところへ向かった。じっとたたずんで待機していたシタルに、私はまず尋ねた――話を聞いていたのか、と。するとシタルは少し間を置いたのち、小さくうなずいた。


「そうか……だが、心配はいらぬ。かならず私が何とかする。少し時間はかかるかもしれぬが」


 かならず、などと保証してしまったが、もちろん実際には保証などない。ルギ=アンテが私の命令を聞き入れてラメラスをポートクレイク管理者から解任してくれるかどうかなど、わからぬのだ。


(ルギ=アンテの居城であるバスティア島の鬼岩城キュプロスフィーリエまで、船で悠長に赴くゆとりなどない。飛行魔法で全力で飛ばして、約一週間……交渉にどれぐらい時間がかかるかわからんが、往復の移動だけで半月は見なければならぬ。果たして間に合うか……)


 その間にラメラスが動かなければいいが――私はそれを何より案じていた。


 しかし、私がほんとうに懸念し、警戒するべきなのは、そのことではなかった。私はシタルをもっと注意して見ているべきだったのだ。彼女をもっと理解し、その心へ思いを馳せるべきであったのだ。


 同じ晩、夕飯のあと、二階の部屋へ向かう途中の廊下でミレージュラと二人、シタルに呼び止められた。私とミレージュラは足を止め、振り向いた。シタルは廊下の先、階段から上がったばかりのところに立っていた。


「マオー……ミレー……もし」


 と、シタルは切り出した。


「もし、私が、戦うなら……二人……私と、一緒に、戦える」


 魔王メディウス13世(私)を討つ、と宣言していた印象があまりにも強く、私もミレージュラも、そのことを言っているのだと思った。いつか自分が魔王と戦う時に共に戦ってくれるかと、私とミレージュラに尋ねているのだ、と。

 だから――、


「すまんな、シタル。このあいだはつい話の流れで協力するなどと言ってしまったが、それはできぬ。私は事情ゆえ、おまえと共に戦うことはできないのである」

「ごめーん! あたしもちょっと、厳しいかなあ……」

「……そう」


 シタルの顔色に、変化はなかった。これ自体は、例によって、と言うべきだろう。幻滅や落胆や失望――そういったものは、少なくとも表情から傍目に読み取れる形では現れなかった。むろん、実際になかった、と言うこともできたかもしれぬ。そもそもシタルが私やミレージュラに戦力としての期待をしていなかったとすれば(戦力の大きさとしてではなく、協力を得られる可能性として、という意味だが)、それが叶えられなかったからとてさほど気落ちする必要もあるまい。そして、それはシタルならあり得そうに思えた。魔王(私)と対峙するに当たって、彼女はそのぐらいの覚悟はしている――そう思えた。


 しかし私はとんでもない思い違いをしていた。シタルは魔王(私)との対決の時の話をしていたのではなかったのだ。



 翌朝早く、ドアがノックされて目が覚めた。訪問者の当てはなかったが、出ると、ヘレナであった。めずらしいことに、そのうしろにナタリーが待機している。何やらひどく心配そうな顔をしていた。


「ごめんねマオー、こんな早くに……シタルが」


 切迫の体で切り出したのはヘレナだ。


「何っ? シタルがどうしたのだ」


「いないの、部屋に」


 そう続けたのはナタリーだった。


「二人で朝ごはんの配膳の準備があるから、いつも少し早めに厨房に行くの……でも、いつも私より早いシタルが来てなくて、おかしいなと思ってお部屋に行ったら、いなくて」


 ほとんど泣き出さんばかりで、見ているだけで憐れみの情が掻き立てられる。

 ナタリーはそのあとヘレナを呼び起こし、建物の中と言わず外と言わずあちこち探し回ったが、結局、シタルの姿はどこにもなかったという。

 不穏な気配を察知したのは事実であった。二人を連れて私も彼女の部屋へ向かった。ドアを開けると、なるほどもぬけの殻である。


「……早朝の散歩に出た、というわけではないのだろうな」


 そうであってほしい、との願いから出たセリフであった。そんな楽観的な希望的観測を抱くのは愚かなことだと言わんばかりに、ヘレナがぶんぶんかぶりを振る。


「ちがうと思う……見回りと言って勝手に外へ出ちゃうことはあったけど、食いしん坊のあの子が朝食も採らずになんてどう考えてもふつうじゃない。それに、覚えてるでしょ、ついこのあいだあれだけきつく叱ったばかりだもの」


 ついこのあいだ、というのは、私とミレージュラと三人でポートクレイクへ赴いた、その時のことである。マイヤー町長との話を終え、孤児院へ戻った私は、外まで響き渡るヘレナの怒鳴り声を耳にすることとなった。中へ入ると、玄関口に並んで立って縮こまっているシタルとミレージュラを、ヘレナが真っ赤な鬼の形相でどやしつけていたのである。また勝手に外へ出て! ミレーもミレーだよ! ここにいるならここのルールを守りなさいっ!

 ――横を素通りしようとした私も「マオー、待ーちーなーさーい」と低い声で呼び止められ、三人揃って叱られたのが記憶に新しい。

 確かにヘレナの言うように、あれだけ怒号を浴びせられたばかりで、たかが散歩のために約束や決まり事を破るというのはいささか考えにくい。何かしらよくよくの理由や事情だと見るのが妥当というものであろう。

 続くナタリーの言葉は、その考えを裏付けるようなものであった――


「私、たまにシタルとお部屋で話すから知ってるんだけど……ないの」


 と、その人差し指を窓辺へと向ける。


「あそこに……シタルの剣……」

「な……何」

「いっつも、あそこに置いてあるの……ここに連れられてくる時に持っていたっていう、剣。それが、ないの……なくなってるの」

「だ、だけど、見回りじゃないとすると……」


 心配げな声を出すヘレナの顔は青かった。

 その時、かすかに何かが聞こえ始めた。外からだ。悲鳴?――ちがう。ギャアギャアと、何か鳴き声のようなものが、複数――どころではない。大量に。

 窓辺に駆け寄り、外を見る。それはすぐ確認できた。東の空に、無数の黒い影がある。朝日を逆光に、数えきれないほどの影が羽ばたき、こちらへ接近してきている。

 竜であった。竜の大群が孤児院へとぐんぐん迫ってきているのだ。


「ああッ――」


 うしろでヘレナとナタリーが短い悲鳴を上げるのが聞こえた。


(ラメラス……竜を動員したのか!)


 私は踵を返した。空を愕然と見上げたまま動けずにいるヘレナたちを残して廊下へ出る。とそこで、部屋から出てきたばかりのミレージュラと鉢合わせした。起き抜けらしく、いかにも眠そうにあくびと伸びを同時にしている。


「もうっ、朝からうるさいっつーの、あいつらあ」

 

 と、いかにも不快げに眉間にしわを寄せた。


「やりやがったなあ、ラメラスの野郎」

「問題は竜だけではないぞ、ミレージュラ。シタルがいないようなのだ」

「へっ!?」


 それで目が覚めた、というように寝ぼけまなこを目を丸くする。


「おそらくラメラスのもとへ向かったのだろう。先日の私たちの話を聞いて、何とかしなければ、と……すまぬが準備してくれ。二人で竜の群れを一掃する。魔族に対して敵対行動を取ってしまうことになるが、緊急事態であるゆえやむを得ん。然るのち、私は速やかにポートクレイクへ――」

「準備なんか必要ないよー、マオーちゃん。あたしはいつでもオッケーだよー。それと」


 そう言って、人差し指を向けてくる。


「あいつらを相手にすんのはマオーちゃんじゃない」

「何?」

「竜の群れ風情にマオーちゃんとあたし? にゃはは、余剰戦力ってもんだよー、それは」

「し、しかし」

「しかしもかかしもないっ! マオーちゃんはシタルっ!」


 ぴしゃりと言われ、二の句が継げなくなる。だが、ミレージュラの言うことはもっともなことであった。いくら大群とはいえ、中位以下の竜相手に私たちが二人がかりで挑む必要はない。


「……すまぬ、ミレージュラ。悪いがここは任せたぞ」

「ふふーん……任されちまったかあぁ……最終兵器にしちゃあ出番が早かったねーえ」


 にんまり笑いながら、窓の外を眺めた。



 ミレージュラと、心配げにするヘレナとナタリーをあとに、出発する。いちおうの備えとして何か武器を、と思うが、考えてみれば武器と呼べる武器など木刀ぐらいしかない。厨房には複数本の包丁が常備してあるのは知っているが、切れ味は木刀より上でも射程が短すぎる。それならば木刀のほうがいくらかマシであった。私の魔力を宿せば、なまじの刀剣などよりもはるかに優れた武器になる。

 木刀を片手に孤児院を出る。玄関から飛行魔法を発動した。ぐんぐん上昇する。

 見ると、一番乗りがすでに孤児院上空にいた。三匹のワイバーンだ。


「ほう。ずいぶん早いではないか」

「ギャアアアアッ」「クキャアアアッ」――口々に吠えている。

「こんなところで火炎球を放たれても敵わぬ」


 私は魔力を木刀へ移送する。竜の群れを壊滅させれば明確な敵対行動として捉えられてしまうだろうが、襲ってきた数匹を撃退するぐらいなら問題あるまい。

 木刀が輝きだす。私は腰を捻り、木刀をうしろへ引いて、


「フェルツェル・バインド」


 横薙ぎに振ると、刃に移送された魔力が光の刃となり、円状に放たれた。喰らったワイバーンたちの体がまっぷたつになり、連中は悲鳴を上げる間もなく黒い粒子となって消えた。


「あーあぁ、せっかくの人のおもちゃをさあ~……」


 不満げな声に振り向くと、ミレージュラであった。飛行魔法で私と同じ高さまで上がってくる。ワイバーン三匹を先にやられたのがよほど不服らしく、あからさまに仏頂面をしていた。


「今にも火炎球を放ちそうな気配だったのでな。だが、おもちゃならまだ嫌というほどあるのだからいいではないか。……それ、噂をすれば」


 ワイバーンよりも一回り、いや二回りも巨大な竜影。レッドドラゴン――飛行をメインとすう竜の中では最大級のやつだ。中位までの竜の中では耐久力がもっとも高い。


「ゴアアアアッ!」


 猛るように吠えてきたレッドドラゴンに向かって――


「ナメんじゃねエェッッッ!!!」


 怒号とともに掲げられたミレージュラの腕に合わせるように、下から上へ紅蓮の竜巻が巻き起こる。ゴウウッ、と唸りを上げ、あたりに激しい熱風を撒き散らしながらとぐろを巻く巨大な炎の柱となり、それがレッドドラゴンを丸ごと焼き尽くしていった。


「にゃっはははははあァ……」


 灰となり跡形もなく散ってゆくレッドドラゴンを見上げながら、ミレージュラが笑う。

 私は顔を引きつらせずにはいられなかった。


「み、ミレージュラよ……ここは任せた、との言葉に二言はない……二言はないが、下には孤児院がある……それだけは、ゆめゆめ忘れぬよう……くれぐれも、頼んだぞ」


 そうとだけ言い残し、方角を定め、飛んで行く。魔力の消耗は厭わず、全速力を出した。

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