第31話 ある昼下がりの談話

 孤児院の子供たちの中に「レシの一族」はいなかったが、しかしそう安心してもいられない。レシの一族として魔族に狙われる子供はいなくても、このセントミリアム孤児院自体が危機に陥っているのである。竜に焼き払わせるつもりだと、ラメラスははっきりそう言っていた。もとが寄宿舎というだけあってこの孤児院は決して小規模ではないが、奴が竜を動員すれば、十分とかからずに一帯は焦土と化すだろう。

 何としても止めなければ――そう思っていた。子供たちを逃がせばよい、という簡単な問題ではない。ここがなくなれば、子供たちは行き場を失ってしまう。

 私が孤児院で常時待機し、襲撃に来た竜を退治する方法も一案としてあった。しかしもしそんな真似をすれば私は魔族に敵対行動を取ったことになり、ラメラスのみならず魔族全体との関係性が面倒なものになってしまう。たまたま鉢合わせた数匹のワイバーンを相手にするのとはわけがちがうのだ。ラメラスが動かした竜を殺せば、魔族に対する敵対行為になる。おまけにそれが人間や彼らの施設を守るためだったと発覚すれば、なおさら厄介だ。

 究極のところは私みずからラメラスに制裁を、という案も、同様の理由から立ち消えた。これが通常の理由からであればべつだん問題はない。私は魔王として配下を罰した――ただそれだけのことであり、それ自体は現役時代にも数え切れぬほど繰り返してきたことである。

 問題なのは、今回の件に関しては、いかなる手段を取ろうとそれが「人間のため」ということになってしまうという点なのであった。それこそが問題をややこしく、かつむずかしくしている根幹に他ならない。

 私は魔王を辞めるつもりもなければ魔族を辞めるつもりもない。魔族であることもメディウスの一族であることも私の誇りであり、この立場を崩す気は毛頭ない。

 その一方、人間の側にあまり不都合が生じるのも看過できぬ。私の最終的な目標は「トモダチをたくさん作ってワイワイ遊ぶ」ことであり、そのためには彼らの生活基盤にあるていどの安寧と平穏を維持してやる必要があるからだ。

 魔王としての立場を守ることと、目標のために人間たちを守ること――私はこの二つのあいだでせめぎ合い、揺さぶられているのだ。前者に寄りすぎれば後者は成立しないし、後者に寄りすぎれば前者は崩落してしまう。――おお、なんと難儀な!



 その日、シタルに昼食後の稽古を付けたあと、私はいつものように自室に引きこもり、ベッドに仰向けに横たわったまま悶々と思索を巡らせていた。

 ドアがノックされたのは、そんなさなかのことだ。

 訪問者はミレージュラであった。私の許可に応じて入室してくると、彼女はドアを腰で押して閉めた。弾みをつけてドアから離れ、部屋の中ほどまで歩いてくる。

 私はベッドから体を起こし、座り直した。


「どうしたのであるか?」

「マオーちゃんさあ……なーんか一人で抱え込んじゃってるでしょー?」

「え」――鋭い。「い、いや……」 

「魔族がレシの一族を探して皆殺しにしようとしてる。ポートクレイクから帰ってきてから、マオーちゃんに聞いた話。ひっでー話だけど、でもそれだけじゃないんでしょ。他に何を言ってたんよ、ラメラスの野郎は。正直に話してごらーん?」


 ミレージュラの言葉からもわかるとおり、私は名簿の件については彼女に伝えていた。ポートクレイクから孤児院に戻った、その晩のことだ。勇者の再誕を防ぐため、レシの一族を根絶やしにせよとの命がルギ=アンテから出されたということ。ラメラスが名簿を要求しているのはそのためであること。

 だが、ラメラスが孤児院を焼き払うつもりでいることは話していなかった。何かの拍子で漏れ伝わり、子供たちを恐怖に陥れかねないことを案じてのことだ。

 しかしこうしてわざわざ私を訪ねるという積極性を見せ、しかも他にも懸案事項があるとまで見抜いている相手に、これ以上隠し事はできまい。というより、彼女になら話しても大丈夫だろう。何しろ、一見軽々しく見えるがミレージュラは意外に口が堅く――


「……マオーちゃあーん? なあんか今ぁ、失礼なこと考えたあ?」

「え? い、いや」


 くっ……またも鋭い。


「……おまえの察したとおりだ、ミレージュラ。ラメラスから聞いたのは、名簿の件だけではない。奴が画策している恐るべき内容についてもだ」

「何よー、画策してることって……」


 私は包み隠さず話してやった。聞くうちに、ミレージュラの顔が紅潮してゆく。眉根にしわが寄り、目尻が吊り上がって三角目玉になった。


「な、な、な……なんちゅーことを、あいつ……」


 ミレージュラは歯噛みをせんばかりに怒りを露わにする。


「そんなことしたら、みんなは……」

「うむ……それゆえ頭を悩ませているのである。いくら何でも子供たちが焼き殺されるのを黙って見過ごすような真似はできまい。私としては――」


 と、そこで勢いよくドアが開けられた。ノックもなしにいきなり、だ。

 新たな訪問者はシタルであった。


「シタルっ!」


 私は思わず声を上げていた。「お、おまえ……」

 シタルはドアノブに手をやったまま、隙間から顔を覗かせていた。いつもの無表情で、私をじっと見ている。


「……稽古」


 彼女は、つかのまの沈黙のあとで言った。「の、時間」


「そ、そうか」


 壁掛け時計に目をやると、実際、一日で最後の夕方の稽古の時間であった。どうも考え事に費やした時間が長すぎたようである。そんなに経っていたとは思わなかった。

 先に外へ行っているよう言うと、シタルはすんなり従った。


「……聞こえていたであろうか」


 ドアが閉められると、私はミレージュラに言った。


「たぶんねー」

「感情表現が希薄きわまりないゆえ、わかりづらいな。まあ、そんなのは今に始まったことではないが」


 シタルを疑うような真似はしたくないが、ドアの外で聞き耳を立てていることを想定し、私は声を低めていた。

 ミレージュラもまた声のトーンを落として喋れるようにするためだろう、つかつかと歩み寄ってきて、私の隣に腰かける。ベッドがふわと揺れた。


「それで、どーするつもりー?」


 実際、声のトーンを落としてそう訊いてきた。


「明日にでもルギ=アンテに会いに行くつもりである。現状、ラメラスに対してもっとも影響力を持つのがルギ=アンテだからな。奴に命じ、ラメラスをポートクレイク管理者から解任し、撤退させる。それが一番確実な解決策であろう」

「あいつがすんなり従ってくれれば、ねー」


 まさにそのとおりだった。

 私か父上か、派閥のどちら寄りかが今一つ判然としなかったルギ=アンテではあるが、父上よりも私に寄っていた、という印象は少なくともない。かといってラメラスのように全面的に父上寄りだったかと言うとそうとも言えないのがむずかしいところである。いずれにせよ、自分がやろうとしていることにとって不都合な指示や命令であれば、たとえ私からのものであってもすんなり聞き届けるような相手ではない――それだけは、確かなことだ。たとえ会えたとしても、交渉は必須であろう。否、交渉の難航が免れない、とさえ言えるかもしれぬ。


「あのさあマオーちゃん……何ならあたし殺っちゃおうか?」

「!?」


 いきなりの大胆発言に、度肝を抜かれる。


「や、やっちゃおうかって、おまえ……」

「立場とか都合上、マオーちゃんが同族に簡単に手出しできないのはわかるよ。けどあたし関係ないし、いいっしょ。ラメラス嫌いだし、口論の果てにブチギレてやっちまったって感じで。まあマオーちゃんの許可がもらえれば、の話だけどねー」


 私はしばらく呆気に取られたようになっていたが、まもなく気を取り直した。


「馬鹿な……魔族間の問題を、盟友とはいえダークエルフに委ねられるか。これは、私と配下の問題である。私が何とかしなければならぬ」

「……意外とカタブツなんだよなあ」

「それに、おまえの魔力は危険すぎる。気分がノってくると見境がなくなることも長年の付き合いからわかっている。町一帯を焦土にされても困るからな」

「そぉんな真似しないってばよー。ご飯食べたり買い物したりしたっしょー。あたしだってあたしなりに人とか町とかに愛着あるんだべやあ」

「それはそうだろうがな。だが、おまえはここぞという時まで控えだ」

「人を最終兵器、みたいに言わんといてー」

「そのようなものである」

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