第30話 マオーの懸念
正面、数メートル離れた先に、シタルがいる。
ミレージュラに見繕ってもらったお洒落な服装ではなく、いつもの動きやすい服装で、これまたいつもの木刀を片手に仁王立ちをし、無表情に、しかし瞳には例の揺らぎのない光を宿し、私を見据えていたが、まもなく体を動かした。
木刀を両手に持ち替え、腰をやや落として態勢を低くする。軸足をうしろへ下げ、私に対して斜めに構え、木刀をうしろへ引いた。
「来い」
私は言う。手にした木刀は下げたままだが、問題はない。これでも今のシタルの速度に反応できるのはわかっていた。
シタルが地面を蹴る。一足飛びで間合いに入り、矢継ぎ早に木刀を振った。
縦横無尽に空気を裂く剣戟を、私は片手の木刀で受け止め、受け流し、弾き返し、捌いてゆく。
カッカッ――カカッカッ――カァンッカンッカンッ――カッカカッ――
木刀と木刀がぶつかり合う軽妙な音が鳴り響く。
(みごとだぞ、シタル。じつに速い)
シタルの太刀を感心しつつ捌きながら、私が思い出していたのは、ミレージュラと三人でポートクレイクへ赴いた、あの日のことであった。理容店、洋服屋、レストランと梯子し、二人と別れて町長の屋敷へ向かい、ラメラスと会った、そのあとのことだ――…… …
ラメラスとの話を終え、屋敷を出た私は、彼がポートクレイク町長マイヤーとその妻を屋敷から追い出していたという話を、ふと思い出したのである。べつだん収穫を期待していたわけでもないが、頻繁に町を訪れることができるわけでもなし、どうせなら話を聞いておくか、ぐらいの軽い気持ちであった。町役場でゴードンに会い、マイヤー夫妻が転がり込んだという彼の息子の住居の在り処を聞き出した。その足で、訪問したのだ。
到着まで三十分はかからなかった。手狭だと聞いていたからてっきり平屋かと思っていたが、実際はそうではなく、庭付きの二階建ての建物である。彼の息子に子が何人いるのか知らぬが、年配の夫婦一組ぐらいの収容余力はありそうに見えた。
玄関に出てきたのは息子の妻で、私が名前を名乗り、セントミリアム孤児院からやって来た旨、マイヤー町長に用がある旨を伝えると、すんなり通してくれた。案内されたのは客間のテーブルである。席に着いたまま私を出迎えたマイヤー町長は、人の好さそうな六十絡みの男であった。屋敷を財産ごとラメラスに奪われたというからひどく憔悴し、顔に不幸を滲ませているのかと思っていたが、そのような様子はなく、柔和に応対してくれた。
「今日はまた、ずいぶんとお客さんに恵まれた日だな」
開口一番、マイヤー町長は言った。
「私以外に客があったのか」
「小一時間ばかり前までここにおったよ。おまえさんと同じく、セントミリアム孤児院から来たシタルだ。もう一人、連れのエルフの娘さんが一緒だったが」
エルフの娘さんというのはミレージュラのことだろう。すれ違いになったようだが、私が来る前、二人で訪れていたということか。シタルにしてみればマイヤー町長は故郷の村からセントミリアム孤児院に連れて来てくれた恩師である。町に来れば会いたくもなるだろう。
息子の妻が椅子を勧めてきたが、断った。長居するつもりはなかったからだ。
「話というのはその、シタルのことなのだが」
私はさっそくそう切り出した。
「おまえがあの娘を村から引き取ってきたと聞いている。その村というのはどこであるか」
「およそ子供らしくない話し方をする子だな。それに、初対面の大人を『おまえ』呼ばわりとは……尊大というか、傲岸というか、高慢というか、横柄というか……ふ、ふ」
マイヤー町長はおかしそうに笑いながら誉め言葉らしきものを並べ連ねてくれた。
誉め言葉――で、いいのだろうな、これは。ん? どうなのだ……?
「ムバール大陸南東部に位置するケシミール山……その山奥の村、ミスティス」
その地がある場所へ目を向けようとするかのように、部屋の窓越しに遠目をしてマイヤー町長は言った。
「それが、シタルのいた村の名だ」
ミスティス――聞いたことのない村であった。もっとも、正直なところ私は人間の居住区域に関する地理に明るいとは言えず、知らない町村だらけなのだが。
「その時の話を聞かせてもらおう」
ふむ、と小さくうなずいてから、マイヤー町長は話し始めた。
「勇者一行が敗れて魔物の活動が活発化する前、わしはムバール大陸各地を巡り、諸事情からみなしごとなった子供を見つけてはセントミリアム孤児院へ引き取るという活動をおこなっておった。五年前のその日、山道を行く馬車の上で、わしは遠く闘争の音を聞いた。武器同士がぶつかり合う音、爆音……急がせた馬車で辿り着いたのは、魔族の手に落ちる寸前だった山奥の小さな村、ミスティスだった」
「落ちる寸前だった? 落ちてはいなかったのか」
「二人の生き残りがいなければな。幼い娘、シタルと、その保護者を名乗った男だ」
「シタルの、保護者……」
「うむ……馬車で山を下りる途中で息を引き取ってしまったがね」
マイヤー町長は声を沈ませた。
「名前は聞かなかったが、シタルの叔父ということだった。魔族の攻撃を受けて瀕死状態で……一刻も早く町へ入って手当てを、と思ったが、結局間に合わず……」
そう言えば、なぜ魔王メディウス13世(私)を倒そうと思っているのかと尋ねた時、シタルは「誓った」と答えた。故郷の皆と、そして叔父上に、と――。
マイヤー町長に村から引き取られてくる時、一緒にいた男が叔父――シタルが魔王打倒を誓った相手というわけか。そして故郷の皆というのは、その時に殺された、かつて生活を共にしていた同胞たち……。
「シタルはどういう状態だったのだ?」
「それが驚くべきことに、まったくの無傷でな」
やや声を潜めて言うマイヤー町長は、わずかに目元をこわばらせている。
「一人だけどこかに匿われていたのだと、わしはあるいはそう思ったかもしれん……傷だらけで横たわる叔父の傍らに座す幼い彼女が返り血を浴び、その手にミスリル製の剣が握られていなければ」
ミスリル製の剣――今なおシタルが使用している剣だ。ポートクレイクに来る途中で見せてもらった、あの剣……幼少期より使っていたのか。なるほど、年季が入っているわけだ。
「シタルが浴びていた返り血は人間のものではなく、紫色の魔族の血だった。そして剣にも同色の血が付着しておった。おそらく叔父と二人で戦ったのだろう。村民の遺体に混ざって転がっていた魔族の死体のほとんどは、シタルが手がけたものなのだろう」
「だろう、というのは、あくまでおまえの推測ということか」
「ああ、そうだ。今でこそ多少は話すようになったが、当時のシタルは事件の影響からか、まったくと言っていいほど口をきくことができなかったのでな。彼女の叔父もまともに話せるような状態ではなかったし、実際に確認したわけではない」
「魔族は撃破されたのであろう。他の村人はなぜ一人も助からなかったのだ?」
「これも推測だが、おそらくシタルは叔父とともに村を離れていたのだ。山奥で剣の修行にでも励んでいたのかもしれん。二人が戻ると村はすでに襲撃に遭ったあとで、魔族たちが略奪のために居残っていた」
なるほど、と話が見えてくる。村の惨状を目の当たりにしたシタルは、義憤に駆られたか逆上したかはわからないが(シタルの性格からすると前者のように思えるが)、手にした剣で魔族たちに果敢に挑みかかっていった、というわけか。
「その戦いで叔父は致命傷を負って命を落とし、シタルだけが生き残った、と」
「おそらく」とマイヤー町長はうなずいた。
幼少とはいえシタルに稽古を付けていたぐらいだから、それなりの剣術の持ち主ではあったのだろう。だがその叔父は死に、シタルは生き延びた。
襲撃した魔族がどのていどの手練れであったのか、はっきりとはわからないが、重要拠点や大都市ならともかく山奥の村を中位以上の魔族が襲ったとは思えぬ。戦略的に攻め込んだわけでもなく、ほとんど行きがかりのような襲撃だったのだろう。それなりに数はいたにせよ、単体では大した連中だったとは考えにくい。
だが、それでも、剣術の心得のある人間が絶命するほどの激しい戦いではあった。その戦いで、シタルは生き残ったのだ。
マイヤー町長は、最後にこんな話を聞かせてくれた――
「さっきも言ったようにシタルの叔父は瀕死だったが、山道を馬車に揺られながら、息も絶え絶えに口にしていたよ――シタルが自分たちの一族の中でも稀に見る資質の持ち主であること。このまま精進すれば、今まさに魔王メディウス13世に立ち向かわんとしている勇者の片腕になり得る才気が潜んでいること。あるいはいつか、勇者と共に魔王を打ち倒し、人の世を取り戻す一翼を担えるかもしれないということ――大切に育ててやってくれと、最後に言い残し、彼は息を引き取ったのだ……」
(なるほど)
――私にむかって木刀を振ってくるシタルを眺め、その太刀を捌きながら、私は腑に落ちる心地だった。
(幼少の頃より剣技の才は発芽していた、ということか。シタルの叔父とやらも、姪の資質を見抜く炯眼は確かだったということだ)
とはいえ、叔父の話の中にあった勇者はすでに私の手で葬り去られている。叔父が予想したような「勇者の片腕」には、シタルはなれなかった。資質はじゅうにぶんにありながら師に恵まれず、間に合わなかった、ということだ。
そのシタルは今、私という師を得た。そして日々鍛錬に励み、目覚ましい進歩を遂げ、日進月歩、成長を続けている。
『レシの血筋を絶やさねば、いつまた第二、第三の勇者が現れないとも限らない――』
ラメラスの言っていたことが、ふと頭をよぎった。
(そうなった時には……私のもとで強くなったシタルが、その勇者の片腕として私と対峙することにもなり得る、というわけか……)
今でこそ「勇者の片腕として」などと考えることもできるが、じつのところ私はマイヤー町長との対話を終えたあと、シタルがレシの一族なのではないかと疑っていた。シタルの叔父がマイヤー町長に言い残したセリフの中の、「自分たちの一族」という表現――それを耳にしてからだ。
そこへ加えて、剣術の稽古のさなかに嫌というほど見せつけられてきたシタルの才気やセンス、強靭なフィジカル――およそ常人の水準を逸したそれらは、あるいは彼女の体を流れる血に起因するのではないかと思わせられるほど驚異的なものだったのだ。
だから、疑っていたのだ。シタルはレシの一族なのではないか、と。叔父の言った「一族」とは、つまりそういうことなのではないか、と。
しかし、結論から言えばそれは私の妄想にすぎなかった。あの日、ポートクレイクから孤児院へ戻った私は執務室へ赴き、名簿の写しを見させてもらっていたのである。
「シタルのフルネーム? ハーキュリーだよ。シタル・ハーキュリー」
シタルの名簿上のフルネームを確認させてほしいと頼むと、ヘレナは不思議そうにしながらそう言ってきた。
「シタル・ハーキュリー」
私はつぶやくようにオウム返しし、
「だが、名簿を作成したのがおまえというわけではあるまい。写しがあるなら確認させてくれ」
「ん……そりゃまあ、いいけど。シタルがどうしたっていうのよ」
言いながらも、机の引き出しから名簿の写しを取り出した。
もし、シタルがレシの一族であれば、それが発覚した時点で魔族に命を狙われる身となる――名簿に連ねられた名前に目を通しながら、私はけっこうな緊張感を味わっていた。
シタルの名を見つけるまでに、それほど時間がかかったわけではない。
シタル・ハーキュリー / 女 / Age 15 / 出身・ミスティス
その名を目にして、どれだけ安堵し、全身のこわばりがほぐれたことであろう。ヘレナを疑っていたわけではないが、明文化された形で私の予想ははずれだとはっきり知らされたことで、懸念は杞憂に終わったのだ。
念のため他の子供たちの名前も一通り確認したが、名前の中に「レシ」を含む者は存在しなかった。かくして懸案事項の一つは完全に消えてくれたのだった。
「……今日はここまでにしておこう、シタル」
私がバックステップで距離を取って言うと、シタルはぴたと動きを止めた。最後までフォームの乱れはなく、息もほとんど上がっていない。大したスタミナである。
「じつにみごとな成長ぶりであるな」
シタルは私の賛辞には反応せず、両手で握っていた木刀を片手に持ち直し、一度だけ下へ振った。ひゅん、と鋭い音が鳴り、雑草がそよぐ。何を言うでもなく、表情にも変化はない。
たまにはこの娘が(かすかにでも)喜ぶ顔が見てみたいものだが――いつかそんな日が訪れるだろうか? あるいは彼女がじゅうぶん強くなり、約束どおり晴れてトモダチになれた暁には、ということになるのか――
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