第29話 画策するラメラス

 料理屋を出ると私は野暮用がある旨を告げ、ミレージュラたちと別れた。野暮用の内容をむろんミレージュラは把握しているが、シタルは知らない。ラメラスに会いに行くと言っても何も仲良しこよしするわけではないものの、魔族とのつながりを知られたくはなかったので詳細は説明しなかった。おそらくそれを承知の上での計らいだろう、シタルを連れてミレージュラが向かった先は町長の屋敷とは反対の方角であった。

 ミレージュラよ、おまえの心遣いと機転にはつくづく助けられる。おそらく将来、良き妻になるであろうな。



「ア・ハ・ハ!」


 ラメラスが父上の派閥の魔族の中でもとくに無礼なのは百も承知だが、まさか顔を合わせるなり高笑いで迎えられるとは思わなかった。

 彼は前回と同じように執務室の机にむかって腰かけていた。私は屋敷の内外にいた魔族たちに「待て。人間の子供がラメラス様に何用か」などと引き止められるたびに「よく見よ。私は魔王メディウス13世である」と伝えて納得してもらいつつ進み、部屋に入っていったのである。そんな私を一目見るなり、奴はいきなり笑い声を上げたのであった。


「いったいどういうつもりでス、陛下、そのなりハ! どこの人間の子供が入ってきたのかと思いましたヨ! 角を取ってしまったことといい、その格好といい、本気で人間にでもなるおつもりですカ、ア・ハ・ハ!」

「そういうわけではない。格好については気にするな。こう言っては何だが以前のなりよりも評判がいいのである。おまえには信じられんかもしれんがな」


 評判がいい、と言ってもミレージュラとシタルの二人からだけ、ではあるが。

 それにしてもこの男、前回の一件から無礼度が増したのではないか。じつにけしからん話である。


「評判、ねエ。まあ、いいでしょウ。それにしても、まだこちらにいらっしゃったとはネ。とっくに町を出たものとばかり思っていましたガ」

「大きなお世話というものである。私がどこでどれだけすごそうが、おまえには関係あるまい」


 厳密に言えば町で過ごしていたわけではないのだがな。


「それはまあ、そうですガ……しかし、本日はいきなりどうされたのでス、陛下。もうワタシに会うつもりはないとおっしゃっていた身ダ、それが再びみずからここを訪れるなど、よくよくの事情でしょウ」

「お察しのように、よくよくの事情である。単刀直入に言おう。おまえはポートクレイクの町役場やセントミリアム孤児院に名簿の提出を命じたそうだな。何が目的だ?」

「ほウ……どこでそれをお聞きになりましたカ」

「質問返しはやめてもらおう。相手が父上ならば、下手をすればその首がないぞ」

「フ……ここで亡きお父上の威光を持ち出しますカ」

「おまえが父上の信奉者だからだ」

「率直ですねエ」


 ラメラスは、薄笑いを浮かべた。


「すでに名簿を入手した今、黙秘する理由はありませン。ワタシたちは人を探しているのですヨ、陛下」

「人を? 誰を探しているのだ」

「勇者――ですヨ」


 ラメラスの言っている意味がわからず、私は薄く眉を顰める。


「陛下。アナタは初代メディウスを打ち破った人間の名をご存じですカ。聖剣ホーグリュクを使いこなし、魔族の支配する暗黒の楽園エヴィリピアから人の世を取り戻した人間の若者の名を。のちに人々から勇者と称えられ、後年に至っては『伝説の勇者』として語り継がれるようになる人物の名を」


 いきなりの質問に、私は赤子扱いされたような心地を味わわされる。

 かつて世界を支配し、異種族を恐怖と絶望のどん底に陥れた我らが始祖、初代メディウスを打ち破り、のちに人々から勇者と称えられるようになる人間の若者。

 その名を知らぬわけがない。

 レシ――それが、その者の名だ。伝説の勇者レシ。


「そう。レシ。ワタシたちはそれを探しているのですヨ、陛下。正確に言うなラ、レシの一族の生き残りを、ネ」

「レシの一族の生き残りを……何のためだ」

「殺すためですヨ」


 ラメラスの返答は早かった。


「レシの一族の生き残りを見つけ出し、皆殺しにし、勇者の血筋を根絶やしにする――それこそガわれわれのしようとしていることでス。そのために名簿を要求しタ……名前に『レシ』を含む者を見つけ出すためにネ」

「……血がつながっているというだけで、魔王軍に敵対も宣戦もしていない彼の一族の者たちまで殺害しようと言うのか」

「陛下、アナタはお若い。それゆえいろいろと世の中についてわかっておられないこともおありのようダ。おまけに勇者打倒という未曾有の大快挙を成し遂げたことで、我ら魔族は今、有史以来初の大きな転換期を迎えていル。戸惑うのも無理からぬことかもしれませン」


 ラメラスは、肘を机に乗せ、両手を顔の前で組んだ。


「かつて王族メディウスは代々王座を世襲し、世界の支配権を得ようとしてきタ……それを阻んできたのはいつでもレシの一族の者でス。レシの一族は邪神ルフセルサークを打ち倒した神話の勇神ベルデを祖先に持ち、聖剣ホーグリュクの潜在能力を最大限に引き出すことのできる特殊な血を持ツ。その血の力にメディウス一族はいつも葬り去られてきタ」

「そのぐらいのことなら私も知っている。それがレシの一族を根絶やしにする理由か」

「そうですヨ。あなたは勇者を打ち破っタ。それは素晴らしくみごとなことですガ、一族が生き残っている以上、潜在的な勇者は存在し続けるのです。その血を持つ者がいる限り、我らにとっての脅威は皆無になったとは言えませン。レシの血を引く者の中から、いつまた第二、第三の勇者が誕生しないも限らないのでス。その尊き血に眠る太古からの呼びかけに応じ、我こそはと立ち上がり、魔王、つまりあなたヲ打ち倒そうとする輩がネ。それゆえ勇者の血筋そのもの、言うなれバ禍根を絶つ。それこそガわれわれのしていることなのでス。おわかりですカ」

「いくらなんでもやりすぎではないのか、それは……」


 私は苦々しい思いに駆られながら言った。


「クックッ……何をおっしゃるのでス、陛下。やりすぎですト? アナタは勇者を何だと心得ておられル? まさか、フィジカルと技量において秀でただけの一人の勇敢な闘士でしかないなどと、そう思っておられるのではありますまいナ?」

「ちがうのか。私の認識はそうであったが」

「とんでもなイ! それは勇者に対する過小評価というものでス、陛下。勇者とはただ単に聖剣ホーグリュクを扱うことのできるとくべつな血の持ち主というのでもなけれバ、人間たちを代表して魔王に挑まんとする戦士というのでもありませン。なるほど勇者は人々にとって救世主となりうる存在ダ。しかしそれだけではなく、勇者とは人々の希望であり、戦意の象徴なのでス。勇者が魔王に挑まんとしているというそれだけで、人々は勇気を掻き立てられ、奮起し、立ち上がり、明日に、未来に、生きル希望の光を見出だすことができるのですヨ。つまり! よろしいですカ、陛下――」


 ラメラスの声が高くなりつつある。


「勇者とは人々にとって希望と絶望とを隔てる分岐点なのですヨ! 勇者が存在することにより人々は希望を胸に抱き得る一方、勇者の不在が彼らを絶望させル! そこにこそ勇者の意義があリ、われわれがほんとうに警戒すべきなのはその点なのでス! そこにこそ勇者の跡を継ぐ者を出現させてはならない最大の理由があるのでス! 勇者がいれば、人々はまたわれわれと戦おうとするでしょウ。それだけは何としても避けねばならなイ。おわかりですカ、陛下! 人間たちを絶望の淵に立たせ、戦意を持たさずにおくためにこそ、勇者の血筋を絶やさせねばならないのですヨ!」


 めずらしいほどに熱のこもった口ぶりで、一気に畳みかけるようにしてそこまで喋ってしまうと、ラメラスはふっと口をつぐんだ。

 ただ、私を見据えるその瞳には熱が残留し、ぎらぎらしているようだ。


「……そこまで大それたこと、いくらなんでもおまえの主導でおこなわれているわけではあるまい。ルギ=アンテの指示か」

「そのとおりですヨ。レシの一族を探して根絶やしにせよとの命をルギ=アンテ様は各地の魔族にお出しになられタ。つまり今や世界規模でレシ狩りが始まっているというわけでス。アナタが諸国漫遊などと称した気ままな旅に出、政務から離れていたあいだにネ……クックッ」


 レシとは初代メディウスを倒し、暗黒の楽園エヴィリピアから人々を解放した一番最初の勇者の名前ではあるが、彼の血を引く者たちはその偉業を称え、一族の誇りとするため、代々伝わる古い名として「レシ」を名乗っているという。

 ラメラスが名簿を提出させたのは、町民の中から名前に「レシ」を含む者を見つけ出すためだった。その者を殺し、勇者の血筋を絶やすために。

 それが、今、世界中で進められている――。


「即刻やめよ」


 私はめまいのような感覚に襲われながら、低く言う。「……などと命じたところで、おまえは聞きはすまいな」

「むろんでス、陛下。ワタシの直属の上司であるルギ=アンテ様の命は、陛下の命に優先する。先に約束して頂いたとおり。だが陛下、そんなことを命じる必要がどこにありますカ。これは巡り巡ってアナタご自身のためではありませんカ。新たな勇者が現れた場合、彼らが最終的に目的とするのは他ならぬ、アナタの首なのですヨ」

「それは、そうだが……」


 だが、私はまだ魔族に明確に敵対も宣戦もしていない者たちを、勇者の血筋というだけで皆殺しにすることまで望んではいない。それは種族の権利を勝ち取るための戦いではなく、ただの虐殺ではないか。

 ――こんなことを主張したところで、目の前にいるこのラメラスという男にはとても通用しないのだろうが。


「用件が、もう一つある。ポートクレイクの北東……セントミリアム孤児院……おまえがそこの予算を大幅に削り、さらに減らす腹積もりでいると聞いた。これはほんとうか」


 私はラメラスの説得をあきらめ、話題を変えた。

 ラメラスが、組んだ手のむこうでかすかに眉をそびやかした。


「これは驚きましたねエ。まさか陛下の口から孤児院の話題が上るとは思いも寄りませんでしたヨ。あの施設に回される予算を削ったのは事実ですガ、しかしそれがいったいどうしたと言うのでス。陛下にどのような関わりガ?」

「そ、それはだな……」


 トモダチを作るためにそこに入り浸っている、などとまさか伝えるわけにもいくまい。かといって、他にラメラスを納得させられるような理由など思いつかない。


「私とどのような関わりがあろうと、そんなことは問題ではない。予算を元に戻すことはできぬのか」

「できませんネ。町の外にあるとはいえ、あそこもポートクレイクの一施設ダ。ここの管理を任されたワタシの管轄下にあるのですから、ワタシがしたいようにさせて頂ク」

「だ、だが……おかげで子供たちは満足な食事ができず、備品も不足しがちなのだ……と聞く。あ、あくまで聞いた話だがな……哀れだとは思わぬのか」

「哀れ?」


 ラメラスの顔から一瞬、表情が消える。つかのま私を眺めていてから、ふっと笑う。


「どうも、先ほどからアナタのおっしゃっていることがわかりませんネ、陛下。同じ魔族と話しているとはとうてい思えませんヨ。たとえば、そうですねエ……アナタ一人だけ他の魔族とはまったくちがう方向を見ているような――そんな感覚と申しましょうカ」


 そう言って、ラメラスはくっと喉を鳴らした。そして続けた。


「人間を憐れむ必要がどこにありますカ。他の種族に同情する必要がどこにありますカ。世界は今や我ら魔族の支配下にあるのでス。この地は我らのものなのでス。人間を含めた異種族は、言うなれば我ら魔族からこの地の居住権を借りているに過ぎなイ。優先すべきは我らの意向ですヨ。そのために異種族に不都合が生じようと、知ったことではありませんねエ」


 ラメラスは、顔の前で組んでいた手をやおら解いた。片手を下ろし、もう一方の手だけを机に残す。


「こんな常識をアナタにお話ししなければならないとは、甚だ不本意でス、陛下。本来ならばアナタが率先してそのような方針を打ち立て、魔族を引率し、邁進して頂きたいものだったのですガ」


 わざとらしく溜め息交じりに言った。


「私は確かに勇者を倒した。それが魔族の権利を得るためであったことも否定せぬ。しかし勇者亡き今、人間を含めた異種族の不幸を望んだりはしていない」

「まあ、そうでしょうネ。エヴィリピア創設に着手するつもりがないというのは、つまりそういうことでしょうかラ」


 ラメラスは分別顔をしている。


「ルギ=アンテ様は嘆いておられたガ、ワタシに言わせればそれは陛下の自由です。だが――いや、なればこそ、我らの活動に妙な口出しをするのは差し控えて頂きたいものですネ」

「いや、言うべきことは言わせてもらう。私はおまえたちの王だからな」

「それは、どうでしょうカ」

「何っ――」


 思わず声が上がった。ラメラスが私を上目で見据え、笑む。


「エヴィリピア創設を辞退した時点で、アナタは実質的に王座を降りた――そのように解釈する幹部の方々もおられるようですヨ。エヴィリピア創設は全魔族の夢であり目標であり、王の指揮の下、築き上げるべき終着地点……これを放擲して、なお王を名乗るなど言語道断、とね」

「何を言っている……エヴィリピアなど関係ない。私は魔王であり、おまえたちの――」

「肝心なのは、それを他の魔族たちが認めるかどうか、ということですヨ。とくにルギ=アンテ様を含め、他の幹部の方たちがネ。聞いた話では、陛下は目的地までの道のりの途中で政務を放棄して逃げ出した裏切者だと、そう捉えている方もおられるとか」

「私が、裏切者だと」

「おっと、ワタシを睨まないで頂きたい。ワタシがそう言っているのではないのですかラ」


 ラメラスが肩を揺らしている。


「そうそう、セントミリアム孤児院の件でしたネ。陛下が何を意図してそんな話を持ち出してきたのか存じませんガ、何も心配はいりませんヨ」

「何が心配いらないと言うのだ。伝えたはずだ、あそこの子供たちは満足な食事も採れず……」

「そんな心配をする必要はないと申し上げているのでス、陛下。あそこはまもなく更地になル。ワタシは竜たちにあの施設を焼き払わせるつもりですのでネ」

「なっ――何ッ!」

「邪魔なのですヨ、身寄りのない人間の子供たちを預かる施設など……まったく無駄、無益ダ。我らに何ももたらしはしなイ、むしろ費用がかさばるばかりでス。どのみち運営が成り立たなくなるまで予算は削るつもりでしたかラ、同じことですヨ。子供たちが飢え死にするか焼死するか、ただそれだけのちがいでス。クックッ……」

「なんということを……」

「空腹に喘ぎながらじわじわ衰弱し、死んでゆくより、竜の炎に焼かれて死ぬほうが、いくぶんマシなのではありますまいカ。それはさぞかし熱くて苦しいでしょうガ、なに、そう長く続くわけでもなイ。過ぎればどうということはありませんヨ。人間のことわざにもあるではありませんカ、喉元を過ぎた熱さはどうとやら、とネ……クックッ」

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