第28話 町での昼餐

 ちょうど昼を回っていたため、途中で料理屋に入った。店員の案内を受け、窓際のテーブル席に腰かける。私の向かいにミレージュラとシタルが並んで座った。


「なんでも頼みなー。あたし奢っちゃうぜよ」

「そうか、それはすまぬな」

「ちがうちがう! ちがうよマオーちゃん! あたしシタルに言ったんだよっ」 


 メニュー表をシタルのほうへ押しやりながら、ミレージュラが顔の前で手を振っている。


「ていうかあたしのぶんはマオーちゃんの奢りだから!」

「え……そうなのか」

「忘れたのっ? 船であたしのハダカ見たじゃん!」

「う。そ、それは……」


 確かに事実である。事実ではあるが、なんということを公の場で大声で言ってくれるのだ、と私は動揺し、焦りの視線を店内に巡らせる。それなりに他に客はいたが、さいわいその目がこちらへ向けられることはなかった。

 ほっと、安堵する――

 だが、それもつかのま、正面のシタルの視線にぶつかった。


 断っておくが、シタルの顔にはとくに感情と呼べる感情を読み取れるような表情の動きはなかった。つまり、無表情であった。不審も譴責も軽侮もない。いつもの、もはやなかば彼女のトレードマークともなりつつある無表情なのであった。たとえば彼女が見ているものが、私の顔ではなく、私のうしろの壁にかけてある絵画なのだと言われても、なるほどそうかとうなずけるであろう。まあ、たとえ壁の絵画であるにせよ、もう少し表情に動きらしきものがあってもおかしくはなさそう――いやむしろ、そちらのほうが自然という気はするが。


「ち……ちがうぞ、シタル」


 私は慌てて、そして反射的にそう口にしている。先述のようにシタルの顔には取り立てて言うほどの感情の動きはないにもかかわらず、だ。いったいどうした、私。何を狼狽えている。


「ちがうううぅ??? 聞き捨てならないなーマオーちゃーん……なぁにがちがうってのよー? あたし何かまちがったこと言ったあ?」


 反応したのはミレージュラである。


「い、いや……まちがってはいない……まちがってはいないが……ちがうのだ」

「何がよー?」

「つ、つまり……私はべつに裸を見ようと思って見たのではない……わかっているはずだ、ミレージュラ……ノックもせずにドアを開けたのは悪かったが、よもやおまえが着替えの真っ最中だなどとはつゆ思わず……つまり、あれは一種の突発的なアクシデントだったのだ」

「だから許されるってのー?」

「そ、そうは言っていない……ただ、意図的に見ようと思って部屋を覗くのと、そうではなくたまたま見てしまったのとでは、雲泥の差があるということだ」

「ハダカを見たことに変わりはないけどねー」

「そ、その言い方も、おまえ、何とかならぬか……ハダカとか言われると、なんだかまるで素っ裸のことのようだが、実際にはおまえは着替えをしている途中で、ちゃんと下着は身に付けていた。何も一糸まとわぬ姿を目にしてしまったわけではないのだから……」

「すっぽんぽんじゃなかったけどさー、ハダカはハダカじゃーん」

「それは、そうかもしれぬが」

 私は語れば語るほどド壺に嵌まるような気配を感じ、ミレージュラの説得をあきらめ、シタルに向き直る。


「と、とにかくシタル、そういうわけだから……誤解はしないでもらいたい」


 シタルは、無反応だった。相変わらず動きのない顔で私をじっと見ていたが、まもなくその視線を、手元のメニュー表へと落とす。倣うようにして、私もメニュー表を手に取った。

 理解してもらえたのだろうか。それが気がかりだ。気がかりで仕方ない。シタルの淡泊な反応では、確証を持てない――少なくとも安心して眠れるぐらいには。

 私はきのこのデミグラスソースハンバーグを、ミレージュラは大盛りスパゲッティナポリタンを、シタルはたっぷりチーズのオムライスを注文する。ドリンクは女子たちはソフトドリンクだったが、私はハウスワインを注文した。


「それにしても、人間の食文化というのはじつに豊潤なものであるな。目で見て楽しく、食べて旨い」


 私はナイフでハンバーグをカットしながら言った。

 思えばトモダチ作りのターゲットに人間を選ぶ理由の一つとして、その豊かな食文化というものをミレージュラは挙げていたが、大いに納得である。魔族の世界にもむろん料理はあるが、人間の料理ほど芸が細かくはない。塩コショウして焼くだけとか、ブツ切りにしてスープにぶち込むだけといったように、だいぶざっくりしたものばかりだ。


「しっかし美味しそーに食べるねえシタル。見てて気持ちがいいぐらいだわあ」


 そう言って、ミレージュラがフォークに巻き付けた大量のスパゲッティを口に入れる。同感である。シタルは顔立ちだけを見るとスプーンでちょっとずつ口に運び、小動物のように小切れに咀嚼しそうなイメージなのであるが、実際には山のように掬って口いっぱいに頬張り、一心不乱にもぐもぐやっているのである。

 ただ、そんなシタルの隣でミレージュラも口いっぱいにスパゲッティを頬張り、やはりもぐもぐやっているのではあるが……おまえは仮にもダークエルフの女王だというのに、口の周りがケチャップで真っ赤ではないか。まあ隣のシタルの口の周りもデミグラスソースで真っ黒なので、下品な食い方においてはどっこいどっこいではある。品よく食べているのは私だけだ。


「マオーちゃん、口の周りソースだらけ! べたべたやんけ!」


 口の周りをべたべたにしたミレージュラに指摘される。



「シタル。訊きたいと思っていたことがあるんだが」


 私がそう切り出したのは、軽く歓談しながら食事を終え、サービスとして運ばれてきた食後のコーヒーを飲んでいる時のことであった。三人とも、もちろん口のまわりのべたべたはちゃんと拭き取って綺麗にしている。

 私はこれからラメラスに会いに行かねばならず、そもそもそれがポートクレイクを訪れた一番の目的であったにもかかわらず、ミレージュラに買い物のコーディネートに付き合わされた。そのせいでけっこうな時間を食っていることもあり、あまりのんびりもしていられない身でもあったが、どうしても尋ねておきたいことがあったのだ。


「おまえは、なぜ魔王(私)を倒したいのだ?」


 そう訊いた瞬間、場の空気が変化したのがわかった。わずかに硬く、重くなった。コーヒーを口へ運びながら私を見ていたミレージュラが、ちらとシタルへ目をやった。

 私に向けられていたシタルの視線が、つとテーブルに落ちる。


「……誓った」


 彼女は、そう言った。


「誓った……わた」


 私を、と言いかけたのを慌ててとどめ、


「魔王(私)を倒すことを、か」


 シタルが小さくうなずく。


「誰に誓ったのだ?」

「……叔父上……そして、故郷の、皆」

「故郷の」私はぽつりと言った。


 セントミリアム孤児院へやって来たばかりの頃、シタルについてヘレナから軽く聞かされている。ポートクレイク町長のマイヤーが、魔族に滅ぼされた山奥の村で、一人でいたところを引き取り、連れて来たのだという。

 おまえの故郷の村は魔族に滅ぼされたらしいな――口にすべきかどうか、迷いがなかったわけではない。だが、私は口に出していた。

 シタルには動揺のようなものはなかった。少なくとも傍目にそれを確認することはできなかった。顔を翳らせたりもせず、いつもの無表情のまま、小さくうなずいた。


「ならば、私怨ゆえでもあるのではないのか?」

「……ちがう」

「だが、おまえの家族はその時、皆殺しにされたのではないのか」


 シタルはそれには答えなかった。


「大それたことだ。魔王(私)を倒すなど、ふつうの人間が思いつくようなことではない。有史以来初めて勇者一行を破った相手だぞ。今や世界を支配下に置く魔族たちの王だ。おまえが卓越した剣技の資質を有しているのは認めるが、それにしてもあまりに荷重ではないのか」

「……定め」


 問いに答える代わりにシタルはそう言った。視線は相変わらずテーブルに落とされたままだ。

 定め、と私はわずかに目を細める。


「勇者が、敗れた時……誓った。魔王を討つ、と……魔王メディウス13世を、かならず討ち、魔族から人の世を、取り戻す、と……叔父上に……故郷の、皆に」

「それがなぜおまえの定めになるのだ、シタルよ」


 シタルは答えない。


「はっきり言って、勝算は限りなく低い。皆無だと言っても良いぐらいである。魔王(私)には、きわめて強力な配下が大勢控えている。奴のもとへ辿り着くより先におまえが命を落とす可能性のほうが、はるかに高い。おまえは死ぬのが怖くはないのか」

「……怖くは、ない」


 その言葉に嘘や虚勢はなさそうだった。


「私が、怖いのは」


 と、続けた。


「怖いものがあると、すれば……打ち倒すべき敵を前に、力が及ばないこと……死、ではなくて、それが怖い。無力、非力、脆弱……私が恐れているものは、それ……想像しただけで、怖い。だから」


 とそこでシタルは、テーブルに乗せていた手を、緩く握った。


「だから、私は、強くなりたい……もっと、もっと……」


 そして、視線を上げ、私を見た――あの、芯のある、まっすぐな、美しい光を宿した瞳で。


「だから、マオー……あなたの力が、必要」

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