第27話 コーディネート

 まもなくポートクレイクに着く。私とミレージュラにとっては、約一か月ぶりに戻ってきた、ということだ。


「さて……私はちょっと野暮用があるゆえ、ここでいったん別れ――」


 広小路を歩きながら口を切ったのであったが、


「あっ!」


 ――ミレージュラが突如として上げた声に、言葉を遮られた。


「な、なんだ、いきなり……」

「今、閃いちゃったぜよお! シタルと二人で行くつもりだったんだけどさ、マオーちゃんも一緒においで! せっかくだしさ!」


 見れば、これは名案、とばかりに顔を輝かせている。いったい何事だ。


「話が見えてこぬ。おいでって、どこへ行くと言うのだ」


 戸惑いながら訊いた。


「いーからいーから、ついてきて! シタルも、行くよっ!」


 そう言って、右手で私の腕を、左手でシタルの腕を、それぞれ掴み、引いて歩きだす。


 連れて行かれたのは、「理容店」であった。人間には髪を切り、整えることを専門で生業とする者たちがいると聞いたことがあるが、まさにその店である。


「み、ミレージュラ。こんなところへ、いったい何を……」

「ダイヤの原石、磨いてやろーと思ってさっ」


 そう嬉々として言うミレージュラの視線の先には、ぽつんとたたずむシタルの姿がある。


「もったいないんだよ、この娘。素材はすんごくいいのに手入れが雑だから、魅力が最大限に引き出されてない。あたしとしちゃ、ほうっておけなくてねー」

「それは結構だが、私はなぜ連れて来られたのだ?」

「もうずいぶん髪切ってないでしょ、マオーちゃん。長すぎるから、切ってもらいな。それでさっぱりしちゃって。いい機会でしょっ」


 確かに、私の母上譲りのサラサラ銀髪は肩まである。しかし、これは私にとってはデフォルトだ。さらに伸びてくれば従者に切ってもらっていたが、このぐらいの長さはふつうである。敢えて今、切らねばならぬとは思えない。


「マオーちゃんさあ、外見で損してる気がするんだよねー。なぁんかとっつきにくいっていうかさー。そんなに長く髪伸ばしてる男の子、いないもん」

「し、しかし……」

「しかしもかかしもないっ! いいからっ!」


 シタルと合わせてなかば無理やり店内へ連れ込まれた。ふわっと何かの香料のかおりが鼻をつく。いらっしゃい、といういくつかの店員の声。

 壁には三つの大型鏡が並び、そのむかいに椅子がある。右端の席には年配の男がいて、髭を当たってもらっていた。店員の案内で、隣二つに私とシタルがそれぞれ座らされ、どちらにも年配の女の理容師がついた。


「お兄さん、今日はどうします?」


 私についた、やけに化粧の濃い理容師が訊いてくる。


「ああ、いや……」

「とにかくさっぱりさせちゃって!」


 代わりに答えたのはミレージュラだ。


「で、こっちの子はー……そうだなあ、二センチぐらいかなー。あまり短くしすぎないでね。全体的に鋤いて、癖に逆らわず自然に流す感じでお願い」

 シタルの青い髪に緩くふれ、いろんな角度から眺め回しながら注文する。


 抗いがたい波に呑まれる心地、というのか、もはやされるがままである。私は勇者を倒した魔王であり、はっきり言ってとても強い。その私が、こうまで徹底した無力感を味わわされようとは。

 二人の理容師が、私とシタルの頭の上で巧みに櫛とハサミを動かし、毛をカットしてゆく。見惚れるほど巧みなハサミ捌きである。チョキチョキチョキ、と小気味好い音が店内に響く。


「お兄さん、前髪はどうします?」


 途中で理容師に訊かれた。 


「そうだな……あまり短くしすぎないでもらいたい。額がなかばほどまでは隠れる長さで」

「はぁい」


 私の額、前髪の生え際近くには左右に一つずつ、直径五センチほどの白っぽい斑がある。私は地肌がそもそも色白ではあるが、それよりもさらに白い班。言わずもがな、かつて角の生えていた場所だ。間近でよく見なければわからぬていどだし、気にするほどのことはないのかもしれないが、見せずに済むのならば見せないに越したことはない。


 施術時間は三十分ほどだっただろうか。料金は先に外へ出ているミレージュラがなぜか払ってくれていたので、「ありがとうございましたー」との店員の声を背中に聞きながら、店をあとにする。


「おーっ、いいじゃんいいじゃん!」


 店先で待機していたミレージュラがまず食いついたのは、当然のことながら、私――ではなくてシタルのほうだった。軽く寂しさを覚えながらも、うしろを歩いてきていたシタルを私も眺める。ろくに手入れという手入れもされずに乱れていた鮮やかな青い髪が全体的に整えられ、じつにさっぱりした印象だ。彼女の端整な顔立ちが、これまで以上に映えている。


「いいよ、シタル! すっごい可愛い! 綺麗! いいね!」


 べた褒めだ。シタルを正面から眺め、毛先にふれたり軽くいじったりなどしながら、我がことのように嬉々としている。そこまで喜ばしいのか? 女というものはよくわからんな。しかしそんな称賛の雨を浴びながらも、シタルは顔色一つ変えていない。ただ、目の前ではしゃぐミレージュラの視線を追うように、その黒目がちの瞳を動かしていた。


「ねえ、マオーちゃん、いいよねえ?」

「うむ。じつによく似合っている」


 私も精一杯の賛辞を送ったが、シタルの顔色はやはりぴくりとも動かない。喜んでいるのか、迷惑がっているのかがわからぬ。よもや後者ではあるまい、とは思うが。


「あれれれれー、そう言うマオーちゃんも!」


 そこでようやくミレージュラが私のほうへ関心を移してくれた。やっとか、とほっとする。待ち望んでいたぞ、ミレージュラ。このまま放置状態だったらどうしようかとひそかに心配していたところである。いくらなんでもそれは悲しすぎるからな。


「そう褒めてくれるな」

「いや、まだ何も言ってないけど?」


 いかん。あまりに強く待ち望みすぎていたためか、フライングしてしまったようである。


「でも、いいねー! さっぱり爽やかおっとこ前ちゃん!」

「そう褒めてくれるな」


 私は同じ反応を繰り返す。他に言うべきことが思いつかなかったからだが、ふと、シタルの視線に気づいた。まっすぐ私を見ている。

 あくまで持ち前の無表情であり、そこには取り立てて感情の動きと呼べるようなものは見て取れない。じっと、たとえば壁の傷を探してでもいるかのように、無機質なまなざしを注ぎ込んできているだけだ。


(シタル……おまえについて、一つ、わかったことがある)


 シタルの瞳を見返しながら、私は考えた。


(おまえの瞳に、その奥底に静かな炎が宿るのは、唯一、剣を振っている時だけだ。私と向かい合い、ひたむきに剣を振ってくる時……その時だけおまえの瞳には熱を帯びた魂のようなものが宿り、底光りするのだ)


 私はその光を美しいと感じてきた。そして同時にこう思う――皮肉なものだ、と。その輝きが、よりによって将来、私を殺さんとする強い意思によって放たれているものだとは。


「ねえ、シタル、いいよねー」


 同意を求められたシタルが、いくらか間を置いてからではあるが、初めて反応らしき反応を示した。まっすぐ私を見つめたまま、右手の人差し指を、私の顔に向けてくる。

 そして、ただひとこと、言った。


「こっちのが」


 ――ありがとう、シタル。おまえなりの賛辞だというのはわかるぞ。人様に……いや魔王様に人差し指を向ける不躾には、この際目を瞑ろうではないか。

 さて、ミレージュラ、気は済んだか。それでは私は野暮用に――と言いかけたところで、「もう一軒!」との声に遮られた。

 もはや乗りかかった船だ。むろんミレージュラの強烈な吸引力に引きずられている感は大いにあったものの、もはや抗う気も起きず、ついて行く。


「いったい何だと言うのだ」


 ずんずん先へ先へと進んでゆくミレージュラの背中に声をかけた。


「ここで終わらせちゃーもったいないっ。美少女とイケメンを、さらに美少女とイケメンに!」

「何だと」


 連れて来られたのは、洋服屋であった。店内には長い竿が渡され、ハンガーにかけられたさまざまな服がずらっと並べられている。

 ちょいと待っててねー先にマオーちゃん仕上げちゃうから、とミレージュラがシタルに言って私の腕を引き、店内を練り歩く。並べられた服へしきりに目を凝らし、めぼしいものを手に取っては矯めつ眇めつし、私の体に当て、チェックする。ううむ、なんという真剣なまなざし。これほど真剣なミレージュラの顔は、そうそう見るものではない。おそらくあの勇者一行との決戦の時でさえ、こんなに引き締まった顔つきはしていなかったのではないか。思い返せば戦いの最中にも「にゃっはははは」などと楽しげな笑い声が聞こえてきていたものだ。きわめて重要な一戦のさなかに何を笑っているのだ、気でもふれたのかとあの時は思ったものだったが、そういうわけではなく――


「……マオーちゃあん?」


 ふと我に返ると、目の前にミレージュラのジト目がある。


「な……何だ」

「なあんか失礼なこと考えたりしちゃってなあい?」

「……ふっ。馬鹿な」ギクッとしながら言う。


 ミレージュラは、なおしばらく私の顔を疑わしげに眺めていたが、まもなくもとの真剣な面差しに戻った。服の物色が続く。

 上下のトータルコーディネートにかかった時間は、ざっと十分ほどであった。


「うん! いいじゃんいいじゃん! 我ながらセンスいいわあ!」


 私はそう嬉々として叫ぶミレージュラの横で、店内の壁際にある姿見の前に立たされている。

 なんだ、これは――それが、率直な第一印象であった。


 私は白いシャツを着て、赤い蝶ネクタイをし、上に黒いベストを羽織っている。カーキ色の七分丈のズボンはサスペンダーで吊り下げられていた。


 なんだ、これは……

 これでは……これでは、まるで……


 まるで人間の少年ではないか!


「今までよりグッと親しみやすくなったよ、マオーちゃん!」


 隣で一緒に姿見に映る私の姿を眺めながら、ミレージュラが満足げに言った。


「そ、そうなのか……そこらへんの判断が、私には今一つできかねるが」

「これで、お友達、ぐっとできやすくなると思うよ!」

「そうか……これで、私にも……」


 すまない、ミレージュラ。心配り、痛み入る。


 続いてシタルの番であった。ごめんねー待たせちゃって、と、所在なさげに店内に並べられた服を眺めるともなく眺めていたシタルにミレージュラが声をかけ、彼女を連れて店の奥へ行く。

 私は先に会計を済ませ(さすがに自腹である)、外で待機した。

 思えば父上は待たされるのを好まぬお人であった。待ち時間が発生するとすぐにイライラしだし、待たせた配下に怒号を浴びせたものである。

 その血を引いてか、私も父上ほどではないにせよ待たされるのがあまり好きではない。そういうわけでミレージュラとシタルを待つのはだいぶ骨が折れた。腕組みをしながら欠伸を噛み殺し、(まだであるか)と店内へ目を凝らす、というのを何十回繰り返したかわからぬ。私の時に比べてずいぶんと時間がかかっているな。シタルが女だからだろうか。


「お待たせーっ!」


 やがてミレージュラの声が聞こえてきた時、私は何かもの凄く大きな職務を一つこなしたかのような達成感と、ほっと安堵する気持ちを胸に抱えていた。


「では、行くであるか」

「ちちち、ちょっとちょっとマオーちゃん!」


 踵を返した私の背中に、ミレージュラが慌てた様子で声をかけてくる。 


「何であるか」

「何であるか、じゃないよっ! そりゃないでしょーっ。見てやってよ、シタル! プレゼンツ・バイ・ミレーちゃんバージョン!」


 言われて私は、同じ体勢のまま、おざなりな目をシタルへ向ける。

 その目がシタルから離せなくなり、しかもかしこまったように体ごとそちらへ向けざるを得なかったのは、偏にその姿の変貌ぶりによるものであろう。

 シタルは首元のすっきりしたエメラルドグリーンのプルオーバーを羽織り、膝上ぐらいまでのプリーツスカートを穿いていた。足元は、あちこちがほつれた草履から、薄茶色のブーツに替えている。

 こうまで化けるものか――と、私はその目覚ましいシタルの変化に圧倒され、言葉をなくしたままその姿を眺めていた。じつに美しく、そして愛らしい。


「ねーマオーちゃんっ、どーお?」


 ミレージュラがシタルのうしろに立ち、その肩に両手を置いて訊いてくる。シタルは相変わらず無表情ながら、私をまっすぐ見ていた。


「みごとである」

「みごとおぉ?? 女の子のファッションに対する誉め言葉としてソレってどうなのよ?」

「……まずかったであるか」

「他に、こう、素敵とか綺麗とか可愛いとかさあ」


 ミレージュラとしては不服のようだが、私としては賛辞を贈ったつもりである。しかし当のシタルはとくに反応を示さず、両腕を軽く広げ、みずからの着衣を眺めている。


「……動きにくい」

「そりゃー今まで着てたやつに比べればねー」

「戦いにおいて、不利」

「今は戦わないからっ! さ、行こっ」


 見れば、一緒に購入してきたのだろう、ミレージュラは大きめの布袋を肩から提げていた。どうやら中に私とシタルの身に着けていたものが入っているらしい。自身の腰のバックルにシタルの剣を結わえ付けている様は、さながら可憐な女魔法剣士といったところか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る