9月 福沢 叡作
『先輩、私達の作っているアレに、名前を付けないのですか?』
『そうだな……人類が不死という叡智を賜るという意味を込めて…【
『!それいいですね。しれっと私と先輩の名前も入ってますし…』
『…ふ。我ながら素晴らしいネーミングセンスだろう?』
っ、誰だ!!…はぁ。あの時、メイドに装してたガキか。先月は世話になったな…ふん。まさかこの地下実験場にまで侵入されるとは…後でセキュリティチェックをしておくとしよう。
先に言っておくが、未だに九九も6の段までしか分かっていない馬鹿女なら居ないぞ。アレは訳あって今は出張中だ。用がないならさっさと帰れ。特別に今回だけは不問にしてや…
この培養槽の中身が気になるのか?どうせ言っても無意味だろうが、これはあるウィルスを殺す薬で…おっと。勝手にボタンに触るなよ。まだ試行錯誤の最中なのだ。
ほら帰った帰った…我輩はお前みたいなガキに付き合っている暇がない程に忙しいのだからな…んん?
おい、ここは公園じゃないんだぞ!!走って逃げるな!!!!遊びたいのならせめて場所を変えろ…っ!?馬鹿…奥には……
▽△▽△
先輩は変人だけど…とってもいい人です。
医大の隅にあるボロボロの第156研究室で、机に突っ伏して死人のように寝ている先輩の黒髪をいじっていると…先輩の目がゆっくりと開いた。
「もう…朝か。っ、薬品は!?我輩の…まだ、冷却室に入れっぱなしに!!!」
先輩の慌てふためく姿をもう少し側で見ていたいけど、私は懐に入れていた密封された細長いフラスコを見せてあげた。
「これですよね?先輩が寝ている間に、私がちゃんと出しておきましたよ!」
「け…経過はどうだ?」
私が後輩だからなのか、安堵の表情を必死で隠しながら、冷静に務めようする姿が見ていて可愛らしい。
「先輩の仮説通り、結合反応が出ています。」
「これで…」
「また一歩全身…ですねっ!」
「ああ!!そうだな、思えば………あ。」
先輩は両目をパチクリとして、軽く咳き込んでから、やっとフラスコから視線を外して私を見つめた。
「んん…そろそろ飯にするか?」
「はい!」
……
私と先輩は成績はとても優秀ですが、国からの援助が全くなく、いつだって研究室の維持費で精一杯のとっても貧乏な生活を送っています。
なにせ先輩の研究題材が、無垢な子供の妄想だと馬鹿にされるような、誰も期待していない…
『不老不死の探求』…なのですから。
……
「美味いか?」
私は既に先輩が食べた半分(よりもちょっと多い)カップ麺を啜って、うんうんと頷いた。
「ならいい…ん?失礼。」
ゴミ捨て場のスクラップから作ったらしい先輩のスマホが鳴って、先輩は私を残して出て行ってしまった。
「……。」
毎度の事ながら間接キス…だと思うと少しだけ役得なのかもしれないなと思いながら、スープを飲み干していると、暗い表情をした先輩が戻って来た。
「な、なあ…」
「……?」
何かを言いかけようとしたが、黙って研究資料に目を逸らしてしまった。
「先輩は私の恩人です。何か出来る事があれば…」
「お前は気にしなくていい。もう…やめ時なのかもしれないな。」
「…?」
……
「以上が、経過報告になります。」
「素晴らしい。この調子で頼んだぞ!」
「…はい。」
この国の偉い人達が去った後、発表を終えて息をつく先輩に温かいお茶を差し出した。
「ん…悪いな。」
「それを言うなら、ありがとうなのでは?」
「…あ、ありがとう。」
あの日から先輩は変わった。自分のしていた研究をきっぱりと辞めて、他の研究や実験を始めた結果がこれだった。
「最近、近所に新しく出来たレストランがあるんだ…行ってみるか?」
毎回のように研究成果が目覚ましいのもあり、今では研究所暮らしではなくなり、上層部からは引っ張りだこにされる忙しい日々。
「あ…私、次の研究資料をまとめる作業が残ってて。」
「むむ。我輩も手伝おうか?」
「何度も言ってますけど、これは適材適所です。先輩が整理整頓が苦手な事…私、知ってますからね?」
「ぐっ…また明日会おうっ!」
空気が悪くなったのを感じたのか、会議室からそそくさと逃げ出す小心者な先輩の背中を見て、クスりと笑いながら…好きな人に嘘をついた事への罪悪感で胸が少しだけ苦しくなった。
………
……
…
ずっと違和感はあった。先輩があれだけ汗水垂らして頑張っていた不死の研究をそんなに容易く捨ててしまった事に。
「……」
そんなある日の事…先輩があの日。何を言おうとしてたとかや、何を私にやらせようとしていたのかを…第156研究室の資料の整理をしてる時に偶然知ってしまった。
【
「……っ。」
ならどう実用化させるか。それは…たった一つの単純かつ非人道的行為で解決出来る。だから実験の事よりも、私の事を優先してくれたのだと分かった時はとても嬉しくて…でも同時に悲しくなった。
『…ここで朽ち果ててる暇があるなら、我輩に付き合え。丁度、代わりの助手が欲しかったんだ。成功すれば、お前みたいな戦災孤児もいなくなるかもしれない…素晴らしい研究だぞ?』
ゴミ捨て場で拾われた時から、側でずっと見て、いつしか私は一度決めた事を貫き通す…そんな先輩の事が好きになってしまったから。
「ねえ……先輩。」
私がいなくなったら、泣いてくれますか?
…
……のせいだ。
昨日の逃げてしまった事への言い訳をどうしようかと考えながら第156研究室の扉を開けた我輩は、そこで考えるのをやめて、茫然と立ち尽くしていた。
(この薬品の匂い……まさか)
我輩はゆっくりと自分の椅子に満足そうな表情を浮かべて力なくもたれかかった彼女に近づいて、机に置かれた実験用具や薬品が入っていたであろう注射器…資料を手に取って、全てを察した。
……のせいだ。
【
気がつくと、机にあった実験器具や資料が床に散乱していた。ガラス片が刺さり血が滴る両手を握って歯を食いしばる。
「………」
彼女の我輩に対する並々ならない想いには気づいてはいた。だが…初めて会った時に決めていた事だろ。
ザザッ
(身寄りのない戦災孤児…なんて都合がいいんだ。暫くは我輩の助手としてコキ使って、いずれ出来る【
悲しむな。悲しむな。悲しむな。
『お前。名前は?』
『名前……私、その…』
(今まで…壮絶な日々を送って来たのだろうな。)
『ならお前は今日から————だ。』
『福沢…嬉しい。ありがとうございます!』
(単純だな。我輩に利用されるとも知らないで。)
『ゴミ捨て場から出よう。それから服も買わなくては…おい、置いてくぞ。』
『あ…はい!』
悲しむな。悲しむな。悲しむな。悲しむな。
『っ、この液体は常温保存しておけと言わなかったか!?』
『ご…ごめんなさい…!』
『これでまた最初からやり直しだ…チッ。我輩はもう寝る。責任を持って、お前1人で朝までにこの段階まで進めておけ。』
『…はい。』
5時間後
(全く眠れん。流石にあれは言い過ぎたか。)
『またこれも。ううん…めげちゃダメ。頑張らないと。少しでも拾ってくれた先輩の為に…』
(……ふん。)
『おい。進捗はどうだ?』
『ひゃっ!?もしかして…聞いてましたか?』
『……!お前、』
『試しに冷却してみたら思いの外、さっきよりも研究が進んじゃって…』
(偶発的とはいえこの歳で…より磨けば、我輩を超える逸材になれるかもしれない…惜しいな。)
『いいや、よくやった…後は我輩がやっておく。お前はもう寝ていいぞ。』
『でも、私…』
『お前は非公式とはいえ、我輩自慢の助手だ。故に、休める時にはしっかりと休んでおけ。』
『先輩の…自慢の…助手。はいっ!!私、もっともっと勉強とか頑張ります!!!』
悲しむな。
……悲しむな。悲しむな。悲しむな。悲しむな。悲しむな。悲しむな。悲しむな。悲しむな。悲しむな。悲しむな。
これで良かったんだ。長年の研究よりも、彼女ともっと一緒にいたかった…なんて気づかない間にそんな感情が芽生えてしまったが故に、定期報告の時に、研究を依頼した人物にこの研究を辞めると伝えた結果、破綻した。それだけの話なのだろう?
「……っ。」
彼女の下腹部が大きく膨れ、僅かに躍動するそこに…人類の希望が詰まっている。
——娘の様に想っていた彼女と世界平和。選ぶ猶予すら…神は我輩に与えてはくれなかった。
当たり前か。無垢な彼女を実験に利用しようとした我輩に泣く権利はない。死んでしまった以上、弁解する機会も永遠に訪れない。
「ならば、せめて…その献身を無駄にする訳にはいかないな。」
我輩はスマホを取り出して、一度は拒絶した依頼人に連絡を取った。
▽△▽△
…驚いたかね?だから奥には行くなと言ったのだ。人の話はちゃんと聞け。これは一般常識だが、案外しない奴の方が多い…魂にでも刻んでおくのだな。
あのポットの中にいる人物について聞きたい…ハッ。プライバシーの侵害で訴えてやってもいいんだぞガキが。しかし…あの馬鹿女に教えないと約束できるなら言ってやってもいい。ガキには別に隠す必要もないからな。
即答か…すぐに物事を判断出来るガキは嫌いじゃない。ならこちらも教えてやろう。彼女は我輩の…おっと失礼。
チッ…帰り道を間違えた馬鹿女の所為で急用が出来た。詳細は後日にでも…ん?何だその目は。せめて彼女の名前くらいは教えろ?
名付けた奴は知らないし、決して我輩が自慢する事でもないが…
——素晴らしいネーミングセンスだろう?
了
エンディングリスト 蠱毒 暦 @yamayama18
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