蓬楽島見聞録
佐倉島こみかん
蓬楽島見聞録
学会の都合で中国に出かけて、小さな農村に通りかかった際に、農作業をしていたおじいさんが倒れた現場を目撃した。
急いで車を停め、そこに駆け寄って医者であることを伝えれば、周りに居合わせた人は私を倒れた人の元に通してくれる。
症状と周りの人の話から熱中症だと判断し、幸いなことにすぐ近くにあった清流に浸かってもらいながら体温を下げ、ちょうど持ち合わせていたスポーツドリンクで水分補給をさせながら救急車を待った。
救急隊員が来る頃には意識も大分回復してきたが、予断を許さない状況だったのでそのまま病院に行くことになり、処置の話を伝えて引き継ぐ。
ひとまず良かったとそのまま去ろうとしたら、居合わせた人たちから甚く感謝され、お礼をしたいからと言われて引き留められた。
しかし、私には仕事があってすぐに発たなければならなかった。
とはいえ、おじいさんの経過も気になったので、宿泊先のホテルの電話番号を伝えて、その場は村を後にした。
翌日、学会からホテルに戻ると、フロントで昨日の村から電話があったことを告げられ、再度電話を掛け直してもらった。
話を聞くと、昨日のおじいさんは実は村長で、初期の処置が良かったおかげで大きな後遺症もなく回復したので、是非私を村に招いてお礼がしたいという。
無事でよかったことを伝え、お礼を受けるほどではないと言っても全く譲らず苦笑した。
まあ学会の後は少し観光でもしようと思っていたので、明後日ならうかがえると伝えたのだった。
先日は作業着のまま畑に倒れて土に汚れていたおじいさんは、今日は涼しげな白の開襟シャツにゆったりとしたベージュのズボンを着て身綺麗にしている。
招かれた家は歴史を感じる平屋で、厚い謝辞と共に美味しいご飯とお酒を頂いた。
このもてなしがお礼だと思っていたのだが、おじいさんは食事の最後になって、お礼に「蓬莱山」のモデルになった場所への通行許可書は要らないか、と言うのである。
「『蓬莱山』というと、仙境の一つですよね。元になった場所があるのですか」
驚いて尋ねれば、おじいさんは満足そうにニヤリと笑った。
おじいさん曰く、この村から南にしばらく行ったところに海のように大きな湖があり、その中に浮かぶ島が蓬莱のモデルとなった島だというのだ。
インターネットやSNSが発達したこのご時世、そんな場所があれば観光スポットとして話題になってもおかしくなさそうなのに、そんな島があるとは聞いたことがない。
聞けば、そこは昔ながらの生活を守っていて、電子機器などの持ち込みが禁止であるという。
国が世界遺産登録を打診した時ですら拒んだらしい。
写真も動画も撮影禁止、更に島内のものも持ち出し不可という徹底ぶりで、『この人なら言いふらしたりしない』という人にしか来島の許可が出ないらしい。
この村の村長は代々、来島許可を出すことを認められているそうで、諸手続きの方法を教えてくれた。
曰く、『行くか行かないかは自由だが、行きたくなったらこの手続きで行けるよ』とのことである。
眉唾物の話かと思って聞いていたが、話を聞き進めると、思いのほか必要書類が多く、制度的にしっかりしていて、嘘というわけでもなさそうだ。
とても興味深い話だったが、日本で取り寄せないといけない書類もいくつかあるようだ。
また今度まとまった休みが取れたときに来たいのだが、すぐ行かなくても大丈夫か尋ねる。
村長さんはそれを聞くと、何故かとても嬉しそうにして、問題ないからいつでもおいでと、その場で許可証をくれた。
私は、たぶん来年の春頃になると思うと伝えて、その日はまたホテルへと戻ったのだった。
ようやくまとまった休みが取れたのは、翌年の春先のことである。
例の蓬莱山のモデルになった島、「
村長さんに再会した時も大変歓迎され、村長さんの息子さんの運転で蓬楽島のある湖まで送ってくれた。
山奥の道なき道のような細い悪路を四駆で進んで、うっそうと茂った緑の中を抜ければ、パッと目の前が開けて、海と見紛うばかりの湖が広がる。
面積を知っているものに換算すると琵琶湖の倍の大きさで、その湖の中央に、小高い山をもつ島が浮かんでいる。
山の上の方は山水画で見るような黒々とした岩肌で、七合目辺りまでは深い緑が覆っていた。
山の中腹から白い飛沫をあげる流麗な滝が流れているのが見えた。麓は桃か桜か分からないが、白みがかったピンクの花が至る所に咲いている。
よく晴れた青空の下で、深碧に澄んだ湖水のきらめきと共に見るその風景は、それだけで一幅の掛け軸のようだった。
私が呆気に取られていると、息子さんは笑いながら私の肩をたたいて、漁船のような小型の船に乗るよう促し、島まで運転してくれた。
蓬楽島の船着き場には小さな東屋があって、中国の古い絵付けの陶磁器で見るような、長いひげを生やし、結髪でゆったりした着物を着た中年の男性が座っていた。
仙人みたいだと密かに驚きながら桟橋を渡ってその東屋へ行くと、おそらく入島管理者であるその男性は、よいしょ、といった風情で立ち上がって、パスポートと許可書を見せるよう言った。
柔和な顔立ちと口調で、禁止事項の伝達や事前に伝えた滞在日数の確認をされて、宿泊先の案内と島内の案内図もくれた。
ここまで連れてきてくれた村長の息子さんとも何やら雑談してから、入島管理者さんは、ついておいで、と言って島の中へ向かっていく。
私はここまで連れてきてくれた村長の息子さんへお礼を言い、迎えもよろしくお願いしますと伝えて、小走りで管理者さんを追いかけた。
入島管理者の男性は
宿泊先は島長の家だそうで、少し歩くけどいいかな、と穏やかに聞いてきた。
この島は、車やバイクなどの乗り物も持ち込みが禁止されていて、徒歩以外の手段は島内で買われている馬か驢馬らしい。
時間を聞けば十分くらいで着くとのことだったので、ほっとして大丈夫ですと答えた。
ちょうど春先で、島の中は薄紅の桃の花が咲き乱れ、柔らかな緑の葉が芽吹いたばかりの木々や、素朴な春の草花があちこちに生える中を歩く。
時々すれ違う人たちは、やはり宋然さんと同じような着物姿で、皆にこやかに私に挨拶をしてくれた。
それだけでもう、本当に別世界に来たかのように感じられた。
道は土がむき出しになっていて、アスファルトや石畳で舗装されていないが、丹念に固められていて歩きやすくはあった。
家々は瓦葺の平屋が多く、家の庭先で鶏が歩いていたり、ヤギや驢馬が繋がれていたりと牧歌的だった。
島長の家は、瓦葺の平屋の建物だった。
歴史は感じるけれども、他と比べて特別豪華なわけでもない普通の一軒家、という風情である。
宋然さんが玄関先で声を掛ければ、仙人みたいな白髪の小柄なおじいさんが出てきた。
宋然さんを見たときも仙人みたいだと思ったが、長くて白い眉毛や、お団子にした白髪や、真っ白な長い髭を見ると、宋然さんの十倍くらい仙人っぽかった。
彼が島長だそうで、名前を
温かく歓迎してくれた白さんは、娘さん夫婦も呼んで客間と思しきところでお茶と月餅を振舞ってくれて、ついでに再度、島内での注意事項について話してくれた。
月餅は中身が白っぽい餡と塩漬けにした玉子の黄身が入っていて、美味しい。
餡は蓮の実の餡らしい。小豆とは違った風味で、ほくほくした触感のしょっぱい玉子との相性がよかった。今は時期ではないけど、6月ごろになると、島の南側にある蓮の群生地でとても綺麗に花が咲き、その後に出来る蓮の実で作るのだと教えてくれた。
私が注意事項を神妙な顔で聞いているのを見て、白さんは「まあ、許可証をもらえた人なら、そんなに気を張らなくても大丈夫だから」と笑って付け加えた。大らかな人のようだ。
その後、白さんの娘さんだという私より少し年上と思われる中年の女性が、私が泊まる部屋に通してくれた。
部屋はこぢんまりとした板張りの部屋で、机と椅子が一脚ずつと、清潔な寝台が窓際にある。
風呂とトイレの場所も案内してくれて、夕飯はどうするか聞かれた。
小さな島だが、食堂兼飲み屋が一軒あるという。
島長の家で食べるなら、今日の夕飯はご飯と川魚のスープ、鶏肉の煮つけ、山菜の炒め物になるらしい。
せっかく観光に来たし、家族のお食事を邪魔するのも悪いと思ったので、食堂に行ってみますと伝えると、さっき宋然さんに渡された地図を指さしながら、行き方を教えてくれた。
そして、二軒隣に
「外国人が住むこともできるんですか」
「かなり制限がありますけど、条件を満たせば可能ですよ。博さんは野菜を作ったり、手先が器用だから農具や家具の修理をしたりしてくれるんです。日本人が来るのは久々だから、是非会いたいって言っていましたよ」
そう説明されたので、ありがたくそちらを訪れることにした。
斎藤さんはこぢんまりした家に一人で暮らしている六十代の男性だった。
「いやあ、初めまして、斎藤です」
「こちらこそ、初めまして。大木と申します。まさか、日本人が住んでいるとは思いませんでした」
握手しながら私達は話した。
博さんもこの島らしく唐代のようなゆったりした着物を着て、髪は結っている。
ひげは伸ばしていないようだった。
「あはは、そうですよね。定年後に妻と旅行で訪れたときに感動して、住みたいと思いまして。妻が亡くなったのを機に、色々な条件を満たしてこちらに移住しました。もうこちらに来て六年になります」
斎藤さんは鷹揚に笑いながら答えた。
「そうでしたか。こちらでの暮らしはどうですか」
「晴耕雨読とか悠々自適とか、まさにそんな感じですよ。煩わしい世間から隔絶されてのんびりしていますね。何せ自然が本当に綺麗なので、その移り変わりを見ているだけで楽しめます」
斎藤さんは楽しそうに言った。
「ここまで来るのは大変だったでしょう。お疲れではありませんか」
私を気遣うように、斎藤さんは尋ねる。
「大丈夫です。柳白さんの家で月餅を頂いて、少し休ませていただいたので」
「ああ、柳白さんのおうちの月餅、美味しいですよね。私も昔、頂きました。では、是非ご案内したいところがあるんですが、よろしいですか」
「ええ、お願いします」
早く連れていきたくてうずうずした様子の斎藤さんに、私は笑って頷いた。
連れていかれた先は、島に渡る前に見えた滝から流れてくる川だった。
「おお、これは……すごい透明度ですね」
水深はかなりあるらしい川で、そのせいで澄み渡って美しい青色に見える。
私達が歩いてくるのに気づいて、水辺に居た真白い大きな鳥がバサバサと飛び立っていった。
「今、鳥が飛んで行ったところなんて、漢詩の一節みたいでしたね。『江は碧にして鳥は
「
私が感動しながら言えば、それを受けて斎藤さんは嬉しそうに言った。
「最近晴れていて、濁っていないのでいいタイミングでした。ほら、竹取物語で
斎藤さんは楽しそうに言った。
確かにはるか昔、教科書でそんな描写を読んだことがある気がする。
「なるほど。言われてみれば確かに。飛沫がすごいところは銀色にみえなくもないですしね」
「もうちょっと日が傾くと、光の加減で金色に見えますよ。あとでもう一度来ましょうか」
「いいんですか、ではお願いします」
斎藤さんに言われて頷いた。
「ではそれまで、桃の花の綺麗なところに行きましょう。近くに美味しい中国茶を出すお茶屋さんもあるんです」
「わあ、いいですね」
斎藤さんに言われて、私達は川を後にした。
桃の花の名所までは歩いて十五分くらいだった。
「これは、圧巻ですね」
テニスコート二面分くらいが、全て桃の花で埋め尽くされていた。
カメラがあれば撮りたかったが、あいにく電子機器は持ち込み不可なので手元にない。
「ここは果樹園なんです。観賞用の花桃ではないのですが、ここまで沢山咲いていると見事なものでしょう。夏になると、とても甘くて美味しい桃が取れるんです」
「へえ、それはまた夏にも来たくなる話ですね」
こんなに綺麗な自然の中で桃を食べたら、さぞかし美味しいに違いない。
「許可証に期限はないので、また夏に来たらいいですよ。ご案内します」
「わあ、いいんですか。でも、休みが取れるかなあ」
私は苦笑しながら答えて、桃園を眺めた。
「ではそろそろ、お茶屋さんに行きますか。ここの桃を作っている方が、副業でやっているお店なんです」
斎藤さんに案内されて、私は近くの茶屋に向かった。
茶屋は桃園から少し坂道を登った所にあり、眼下には桃園が見える。
茶屋のご主人は、せっかくだからと桃園が見える席に案内してくれた。
中国茶らしい中国茶を飲むのは、実は初めてだった。
ご主人が茶壺、茶海、茶杯とお湯を移しながら淹れる様子は実に手際良い。
烏龍茶と緑茶の間くらいの色をしたそのお茶を、日本の湯呑みより二回り程小さい茶杯で口元に運べば、緑茶に近い爽やかな香りがした。
渋みが少なくさっぱりとした飲み口のお茶は、上品な甘みも感じられる。
「今日のお茶は白茶ですね」
「白茶、ですか。初めて聞きました」
斎藤さんが一口飲んで言うので、聞きなれぬ名前に聞き返した。
「緑茶や烏龍茶と違って、製茶の過程で揉む工程がない、弱発酵系のお茶です。日本ではあまり流通しないですね」
「そうなんですか、珍しいものを頂けてラッキーです」
斎藤さんに言われ、笑って答えた。
お茶を飲みながらあれこれ話していると、日が傾いてきた。
「そろそろいい時間ですね。川に向かいましょう」
「ああ、もうそんな時間ですか。行きましょう」
店を出る時にお会計をしたが、非常に安くて少し心配になった。
斎藤さんに聞けば、大体の家はほぼ時給自足で、大抵、近所と物々交換すれば普通に食べる分には困らないらしいので、お金はあまりなくても問題ないらしい。
川に着けば、夕日になる手前の傾いた日差しが水面に反射して、黄金色に輝いて見えた。
「おお、これは凄い。こんなに色が違って見えるとは思いませんでした。確かに金色の川ですね」
「凄いでしょう。実は、もっと凄いものもありますよ」
斎藤さんは、楽しそうに続ける。
「もっと凄いもの?」
「蓬莱の玉の枝ですよ」
斎藤さんがにんまり笑って言うので、目を見張った。
「蓬莱の玉の枝というと、かぐや姫で出てくる『根は銀、枝は金、
「そうです。まあ、それの由来になったと思われる植物なんですが」
「ああ、そういう事ですか。びっくりしました」
斎藤さんの言葉に納得して、笑って答えた。
「朝早くでないと、それらしい様子が見られないんですが、良かったらご覧になりますか。ご案内しますよ」
「是非お願いします。早起きは慣れているので」
あの有名な蓬莱の玉の枝だ、どんなものか是非見てみたい。
そうと決まればと、私達は島に一軒ある食堂兼飲み屋で早めに食事を済ませ、私は島長の家に戻った。
家に戻ると、島長のご一家もちょうど食べ終わった所らしかった。
風呂を沸かしたので入ってくると良いと薦められ、有難く一番風呂を頂戴した。
五右衛門風呂のような風呂で、島長の息子さんが火を炊いてくれたらしいので、上がってから丁重にお礼を言った。
自動湯沸かし器に慣れた人間からすれば、途方もない労力に思える。
また、上水道が通っていない関係でお湯は井戸から汲んでいると言われたので、入る時もなるべく節水するよう気をつけて入った。
一応、環境の観点から下水道の方は通っていて、島の北側に処理場があるらしい。
お風呂場にある石鹸は手作りだそうで、少し泡立ちにくかった。そして、髪も身体も石鹸で洗ったのは久しぶりだ。
幸い軋みを気にする程の長さもないので、問題なかった。
島には、電気が通っていないので、日が落ちたら灯籠や蝋燭で灯りを採るという。
居間に集まっている島長一家の団欒に混ぜていただいたので、色々話を聞いた。
「私はこの島に訪れる許可を頂きましたが、どのような基準で許可が出るのですか」
「私欲がなく、他者のために動けて、この島にさほど興味がなく、約束やルールを守れる人だよ」
島長の白さんはゆったりした口調で答えた。
「貴方は熱中症の
白さんの説明に、確かに当てはまるな、と思う。
「この島は世の中のしがらみから逃れて、穏やかに過ごしたい人間が暮らしている。沢山儲けを出す、というような観念からは遠い所なんだ。現代の利器がなくて不便な生活だと思われるかもしれないが、ここでは時間に追われる必要がないので、ゆっくりやればいい。自然を愛で、土地で取れるものを食べ、昔ながらの生活をして、自然や人を大事にして暮らす。そういう場所なんだよ」
白さんの説明はとても感慨深く、頷きながら聞いた。
この島では、余所者の私にも皆にこやかだが、そういう穏やかな性情の人ばかりなのだとしたら納得がいく。
美しい自然に囲まれ、穏やかな人達が暮らすこの島は、金の川や蓬莱の玉の枝はなくとも楽園──つまり蓬莱山そのものかもしれないと思った。
明日の予定を聞かれたので、朝、蓬莱の玉の枝のモデルになった植物を見に行く予定だと伝えたら、ちょうど時期だから良かったねぇと言われた。
白さん達の朝食の時間より大分早く家を出ないといけなかったが、行って帰って来る頃にちょうどいい時間だから一緒に食べようと誘っていただき、お礼を言った。
個人経営の内科医とはいえ、九時過ぎというと下手するとまだ仕事をしている時間だ。
そんな時間に布団に入るのは新鮮な気持ちだった。
四時半起き出来るか心配だと伝えたら、白さんが農作業でその時間には起きているので、起こしてあげるよ、と気さくに言って下さったので、有難くお願いした。
昨日は、かなり歩いたので心地よい疲れと共にすぐ眠ることができ、白さんに起こしてもらった時もすぐ起きることが出来た。
約束通り起こしてくれた白さんにも丁重にお礼を言った。
家の裏手の井戸水を汲んで顔を洗えば、早朝はまだ少し肌寒い。
その空気と井戸水の冷たさが、頭を冴えさせてくれた。
部屋に戻って身支度を整えてから、白さんに出かけてくると伝え、約束の朝五時十五分ちょっと前に、斎藤さんの家の前に着いた。
「おはようございます。昨日は眠れましたか。朝起きるのも大変だったでしょう」
斎藤さんから心配そうに言われたので笑顔を返した。
「おはようございます。いやもう、ぐっすりでした。朝は白さんが起こしてくれたので大丈夫でした。こちらこそ、朝早くから大変でしょうにありがとうございます。よろしくお願いします」
「ええ、では、行きましょう」
斎藤さんに促されて、歩き出した。
斎藤さん曰く、今日は島にそびえる蓬楽山を三合目まで上るらしい。中腹にある滝から流れてくる川の川沿いに、蓬莱の玉の枝のモデルとなった蓬楽小梅という植物があるらしい。生えるには近くに清流が必要な希少種生で、むやみに採るのは禁止されているのだという。
山は少し霞が出ているが、視野にはそこまで影響なかった。上るにつれて少しずつ空が明るく白んできて、麓の様子が見えてくるのも美しかった。
「着きました、ここです」
「おお、昨日の川も綺麗でしたが、ここの川も趣がありますね」
昨日の見た川の上流らしいが、昨日見た場所より浅く、青さをたたえるほどの深さはない。
それでも、川底がはっきり見えるほど澄んでいて、飛沫をあげながら木々に囲まれた川を下る様はいかにも清流といった感じだった。
「ありました。これですよ」
朝日がちょうど差し込むタイミングで、斎藤さんが蓬楽小梅を見つけて手招きしてくれた。
「なるほど、これは確かに金と真珠のように見えますね」
葉にも枝にもうっすら柔毛が生えており、黄色っぽい葉と枝に生えたその柔毛に細かい霞の粒がつくと、それが朝日に反射して金色に見えるのだ。
実の方も確かに大ぶりの真珠大で、黄味がかった白の皮には真珠のような偏光の光沢があるように見える。
「この実も面白いですね。真珠のように少しピンクや緑のような光沢が感じられるのは、どうしてでしょうか」
「皮の表面に油分があって、霧や霞で皮に水分がつくとそっちに溶け出すんです。それが真珠のような光沢になるそうです」
私が聞けば、斎藤さんは教えてくれた。
「なるほど、これは面白いですね。根も銀色に見えるんでしょうか」
むやみに採ってはいけなくて根は見られないので、尋ねれば、斎藤さんは首を振った。
「根は灰色がかった白色です。干して乾かすと光沢が出て、針金のように丈夫になるんです。昔は家具や農具の留め具によく使われたそうです」
「ははあ、丈夫さと加工のしやすさもあって銀みたいということなんですね」
架空の植物の由来を知れて、とても面白かった。
蓬楽小梅以外にも周辺の植物を色楽しんだ後、その場にあった苔むした倒木に腰掛けて、斎藤さんが持ってきてくれたお茶と、自作だという青梗菜の漬物を頂いて少し休憩した。
私も何もないのは申し訳なかったので、カバンに入れていたチョコレートを出して一緒に食べた。
「チョコレートなんて、久しぶりです。ありがとうございます」
斎藤さんは嬉しそうに言って、ゆっくりとチョコレートを味わった。
「あの、日本が恋しくなったり、不便さを感じたりは感じませんか」
失礼かと思ったが気になったので私が聞けば、斎藤さんは目を細める。
「多少不便ですが、もう慣れました。それに、ここから出られないわけでもありませんので、恋しくなったら日本に行けばいいだけです。それに杜元さんの村から1時間くらいバスで行ったところに日本食が買えるお店もありますしね。いつでも行けると思うとかえって行かないですが」
斎藤さんは、笑いながらあっさりと答えた。
「まあ、確かにそういうものかもしれませんね」
私も近所に新しくできた料理屋に、何時でも行けると思って行かないまま、気づいたら潰れていたこともあったなと思うと、案外そういうものなのかもしれない。
帰ってから、白さんの家で魚の入った粥、青菜と大根の炒め物、目玉焼きを頂いた。
今日の昼には帰ることになっていたので、少しだけ名残惜しかった。
白さんご一家と斎藤さんが、帰りに船着き場まで見送ってくれた。
「また是非、今度は桃が取れる時期に来てください。島中いい香りで、まるで桃源郷みたいですよ」
「もしかしたら、それもここがモデルかもしれませんね」
斎藤さんが言うので、私も笑って答えた。
蓬楽島見聞録 佐倉島こみかん @sanagi_iganas
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