眠れない夜のルーティーン

脳幹 まこと

今の世の中ってエアコン前提過ぎるよな?


 餅を喉に詰まらせて〇んだ友人はよく「この世の不幸の八割は枕の高さが合わないからだ」と言っていたが、実際、俺は不幸だったし、枕は致命的なほど俺の首にフィットしなかった。

 東の方角に向けて罵詈雑言を吐き散らかすのが俺のモーニングルーティーンで、その内訳には干上がりそうな気温を冷房なしに凌がなければならない苦しみや、そんな貧乏な状態から更に絞り上げようとする税金への憎しみに混じって、大体寝違える苛立ちもあったのだ。推しという存在がなかったら、今ごろ俺は生きていない。だが、推しがいなければ生きずに済んでいたわけだから、俺は彼女を憎み、損害賠償を求めても良いはずなのだ。


 そういうわけで今夜も中指を立てながらグッナイしたわけだが、ものの映画一本分すら寝られない。やれやれ寝るのにかかった時間よりも短いじゃんか。雇われバイト感まるだしの掛け時計は適当な時間を示しているが、いつもの通りだとすると、まだまだおやつの時間なのだろう。

 立ち上がってノミみたいに小さい冷蔵庫から適当な清涼飲料水を持ってくる。首が痛え。肩がこっている。100均で買ったモミオ君たちの〇体を抜けて、しみがそこらについた敷き布団の上に糖質入りペットボトルをほうる。ふたが緩かったみたいで、白濁した内容液をどばどばとぶちまける。

 取り急ぎ、全力でボトルの腹を蹴り飛ばす。口から放物線を描いて漏れ出る体液を眺める。渾身の力で叫んでもいいが、壁が0.02ミリしかない賃貸でやるのは自○行為だ。俺は自分をやべえやつだとは自覚してるが、どの程度やばさが周りに伝わっているかはっきりしない。夜はただでさえ○にたくなってくる。出したいだけ出してスッキリした様子の1.5リットルのやつを鷲摑みにして二度と開かなくても良い覚悟でふたをしめた。


 こんな様子ではダメだ。また仕事で本気が出せなくなる。本気じゃないからで十五年もやってきたのだ。そろそろ焦る。まわりの奴らはとっくに見限っているが、俺は自分の本気を信じている。推しだって言っていた。「苦労してきただけやり返せた時に気分が良くなる。だから今は最高だ」って。彼女は定期的に荒れていたが、そういう忖度のない部分に惹かれたのだ。

 彼女の動画を見てパワーアップしたほうがいいかもしれない。びしょびしょになってしまった敷き布団が乾くまでの辛抱だ。それができたら寝る。起きた時にいつになっているかは、ロシアンルーレットということだ。そうなったら善は急げだ。スマホを持ってきて暗がりでつける。ゲーム実況でもいいし、ライブでもいい、耳かきでもいいし、仲間とのトークでもいい。救急箱にたくさんモノが入っているのを見て目を輝かす子供のようなものだ。どれを見たっていい。どれを見たってきっと満足だ。


 どれを見たって――


 突然、虚しくなりはじめた。スマホの電源ボタンを長押しした。

 彼女は今何をしているのだろうか。二年前の最新動画では、まだ彼女は最高だったはずだ。仲間と話している。キレたコメントをして、時たま世間に唾を吐いていた。俺の代弁をしてくれた。その仲間たちは今も活動している。でも、彼女がいなくたって何も変わらなかった。新しい後輩ができて、優しいエピソードで盛り上がっている。世間の人々を癒している。彼女に癒されていた人たちが、よその誰かに同じようなコメントをするようになったのには○意を抱いたが、まあ、そりゃそうかと思った。最寄りの自販機がなくなっても、喉が渇けば、少し遠い自販機を使うだけの話だ。


 そういうことを深く考えると○にたくなる。イライラしてきて、モヤがかかる。きっとそのモヤの先には俺の欲している答え、あるいは○刑宣告があるんだとは思っている。だから俺は本気を出さなかった十五年間、いや、生まれてからの半生すべてで避けてきた。高飛びした友人は「あらゆることに効く解決策は、相手にしないことさ」とのんきに言っていたっけ。「ちょっくらいってくるわ」と残したっきり音信不通になった。知りあいの被害者たちはどれも般若みたいな顔になってたけど、俺にとっちゃ面白い人くらいだったから現実味はなかった。


 寝っ転がる。濡れる。後でさぞベトベトするだろうと思ったが、もういい。全身汗でギットギトなのだ。自分の体臭も、袋から漏れる生ゴミ臭もある。うんざりするものまみれだ。別の季節になれば抜け出せるものでもない。

 目を閉じるしかないのだ。それだけだ。目を開けたって朝まで出来ることは何もない。どっちにせよ仕事がある。おそらく本気は出せないだろう。上司に叱られる。どういう名目で叱るのか。最近じゃ、それで食う昼飯を決めているくらいだ。まあ、平日はそんな感じだ。

 休日は自分で自分を叱るようになるだけで、内訳はそんなに変わらない。どちらにせよ本気にはなれない。推しの動画を何周するころに、俺の中の上司が叱りつけてくるか、そんなことばかり考える。


 しかし、本当に馴染まないなこの枕は。

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