ガーデニングと、骸骨くん。

西奈 りゆ

やっぱりあなたは向いてない。

骸骨がいこつがいた。落ちていたのではない。服を着て歩いていた。

『骸骨のような』顔、というような意味ではない。

出会いがしらふと見たら、顔が正真正銘の骸骨、そのまんまだったのだ。


八月某日。私は家と、生活を捨てた。

私の性格はぜんぜん明るくないうえに、美しくもないが、名前を明美あけみという。不相応なこの名前で、42年生きてきた。この名前で何回も、名前を呼ばれない職場を変えた。使い道のない貯金だけが、私がそこにいた証だった。


そしていろいろあって、昨日賃貸の家を出た。行く先は、決まっていなかった。

昼に年配の大家さんに挨拶して、鍵を返して家を出た。

「次はどこに引っ越されるんですか」とニコニコして訊かれたので、祖父の葬式のときにくらいしか会ったことのない親族のいる地方を、でたらめに答えた。もちろん、何の疑いも抱かれていない。「遠いところに。お仕事、大変ですね」という大家さんにべつに実害があるわけではないが、申し訳ないことをした。


悪意そのもののような日差しの中、安いファミレスで昼食をつついた。

そのとき漠然と、『湖がいい』と思った。

生まれたときからどうにもならない人生だった。だからか、したいことをしようと思った。

電車に乗った。普段乗らない沿線に乗って、適当な無人駅で降りた。差額を清算しようと思ったが、誰もいなかった。こんなところで湖も何もないんじゃないかと思ったが、運が良ければ海岸線くらいには出られるかもしれないと思った。


歩いていると、無人販売所でトマトときゅうりが売られていた。丸々と太ったトマトを、ひとつ買った。何の気なしに一口かじってみると、甘かった。汁がこぼれるのもかまわず、がつがつと食べてしまった。たった1個のトマトなのに、今までで一番まともなものを食べた気がした。


だからなのか、脚は自然と、森のほうに向かっていた。

そもそも人通りはないし、それでも不審に思われないよう、というのも無理がある気がするが、適当なところに生えている草花をあちこちスマホで撮影しながら歩いた。

こんなところで運が良いのか、どうやら誰にも干渉されずに済んだ。


夕闇が迫っていた。たどり着いたのは、湖どころか、池ですらない。沼だった。

底なし沼というやつだろうか。遠くに木片が刺さっているが、いまいち深さの指標にしづらい、中途半端な木片だった。沼はいやだなぁと、そう思った。

もっと嫌だなぁと思ったのは、斜め横の茂みから、何やら黒い服の色白の人影が現れたからだ。面倒な、と思って見たら、その顔が白っぽい骸骨だった、というわけだ。

ちなみに服は、普通の黒シャツに、これも黒のカーゴパンツだった。


「旅行ですか」


こちらも驚いたようだが、向こうも驚いたようだった。

それにしても、出会いがしらにずいぶんと見当違いなことをいう骸骨だ。

恐怖を感じても良かったのかもしれないが、まったくそういった感情は浮かんでこなかった。


「旅行に見えますか」


「ああ、いや・・・・・・。ええ、まあ、全然見えませんね・・・・・・」


そこでお互い黙ってしまった。これが異常事態なのは分かっているけれど、もともと現実感の薄い今の私には、どうでもよかった。それでもなんとなく気まずいので、こちらからも話題を提供することにした。


「あのう」


「はい?」


「いわゆるあなたは、死神というものですか?」


この状況ではそれなりにまっとうな質問にも思えたが、彼(?)は大げさに首を振って否定した。


「そのようなたいそうな者ではありません。少し奥の小屋の、住人です」


住人・・・・・・とつぶやくと、「でした・・・・・・」と、これも気まずそうに付け加えられた。不謹慎だが、一応亡くなってはいるらしい。


「お住まいはどちらですか」と、心にもないことであろうことを訊かれたので、「ありません」と言うと、「えっ!」と驚かれてしまった。まあ、金銭の類は持っていますがと付け加えても、当惑した様子だった。表情は変えようがないが。


「それは、その・・・・・・」


「湖を見に行きたかったんです」


遠慮がちに続けようとした骸骨の言葉を、私は遮った。

こんなところで湖も何もないでしょうとか言われるかと思ったが、無粋と思ったのか、骸骨は黙っていてくれた。

なんとなしに、その場に腰を下ろす。骸骨は少し距離を置いて、「お隣いいですか?」と訊いてくるので、どうぞと応える。律儀な性格らしい。


骸骨は、「天気がいいですね」とか、「明後日は雨が降るようですよ」とか、明らかに場をなんとか持たせようと口を開く。私のほうも最初こそは、「そうですか」とか、「少しは冷えますかね」と相槌を打っていたが、「ご出身は」「ご趣味は」などと一昔前のお見合いのような話をしているうちに、だんだん眠くなってきた。

そうして、話題が尽きた。骸骨はどうやら自分の趣味の話をしているらしかったが、そろそろ眠気にあらがえなくなってきた。生ぬるい風が吹いた。クマや野犬が出ないといいのだけれど、訊いてみようか・・・・・・。


そして、今度口を開いたのは骸骨のほうだった。


「あの・・・・・・」


「はい?」


「転職しようと思ってまして」


「はいっ!?」


さすがの私も、今度こそは仰天した。それはそうだろう。世界広しといえど、生身の(?)骸骨から転職相談をされたなんて話、どこの世界でも聞いたことがない。

しかし突き放すのもなんだし、ここまでの展開になると、好奇心しか湧きあがらない。が、努めて平静を装った。「失礼しました」などと言って、わざとらしい咳払いの後、私は尋ねた。


「その、どういった職業に・・・・・・?」


「死神です」


今度こそ、笑い死にしそうになった。すんでのところで馬鹿笑いは避けられたが、顔のけいれんと、腹がよじれそうになるのだけは止めようがなかった。

骸骨は、憮然としたようだった。


「そんなに向いていなさそうですか、僕」


「向いてない向いてない! あなた絶対向いてない!!」


こんな凄みも迫力の欠片もない、朴訥そのもののような骸骨が死神になっても、命ひとつろくに奪えないだろう。死神界のことは知らないが、即刻クビにされて黒シャツ姿で途方にくれる彼(男だった)の姿が、目に浮かぶようだった。


骸骨は勢いが止まらなくなって堪らず爆笑する私を、渋い顔(かは分からないが)で見ていた。そしてひとしきり私が笑い終わると、一言こう言った。


「あなたも、向いていませんよ」


何に、とは、お互い言わなかった。

手持無沙汰なのか、骸骨はこちらを見ずに、落ちていた小枝をいじり始めた。


「そうかも・・・・・・しれませんね」


笑いすぎて出た涙を拭いながらようやく言うと、骸骨はこちらに向かってこっくりと頷いた。そして小枝を捨て、沼を指さした。


「あの木片が刺さっている方向に進んでください。僕の家だった場所があります。今は叔父の名義になっていますが、店子も集まらない不良不動産になってしまっていて、余計な税金がかかるから、無料でもいいから誰か買ってほしいと嘆いています。ちなみにこの森を入ったところから左に行くと、民宿があります。がさつな婆さんがやっている場所ですが、根は世話好きなので追い返されることはないでしょう。まあ、少しは疑われるかもしれませんが、料金さえ多めに前払いしておけば、なんとかなるはずです」


「あの、それ、本気で言ってるんですか・・・・・・?」


急に饒舌になった骸骨に反応が追いついていけないでいると、かまわず骸骨はさらに続けた。


「それと、ここの村役場で臨時職員を募集しています。住所が決まったら、連絡してみてください。そして、叔父の名前は杉原すぎはら。電話番号は、×××の・・・・・・」


慌てて、骸骨に言われたことをスマホのメモ機能に書き留める。暗闇の中でいじるスマホからは、薄青い光が漏れていた。


「あの、メモしたんですが・・・・・・」


顔を上げると、骸骨もとい、杉原さんかもしれない彼は、いなくなっていた。


一晩立って連絡を入れると、杉原氏の喜びようといったらなかった。

長年の苦労から解放されるという、抑えようのない喜びが満ちみちていた。


数日村で唯一の民宿に泊まった後、杉原氏とも合流し、私は正式に彼の小屋の主となった。内見のため小屋に着いてまず驚いたのは、鉢植えの数だった。五十はあるだろうか。

けれどそのどれもが、枯れ果てていた。


「男のくせにね、ちっこい花なんか育ててばっかりだったんですよ」


地声の大きい杉原氏は、理解ができないというように首を振った。

「もともといい歳して、あっちこっちをぷらぷらしてる奴でしてね。やっと居ついたかと思えばこれですわ。俺たちもえらい迷惑で、住んでくださるってんならこんなありがたいことはねえです」


そのとき、私は思い出した。

あのぎこちない雑談の中、彼が話していたことを―――。


「それで、本当にこんなところでいいんですかい? なんだかこっちが申し訳ないくらいだけど」


「ええ。お願いします」


私は、まっすぐに前を見据えて答えた。

趣味はガーデニングなんですと、恥ずかしそうに話していた彼を、思い出しながら。











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ガーデニングと、骸骨くん。 西奈 りゆ @mizukase_riyu

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