第9話 ドクター

「やぁ、マリス、ご機嫌いかが。」


赤毛の不精髭を生やした男が、借りたタオルで濡れたカバンを拭きながら中身を取り出し並べている。


「伯爵はまだ寝てるよ。」


「らしいね。」


いつものことだと笑いながら、伯爵のための食事の準備をする。


色違いのラベルの貼られた小瓶が、二十本ほど並べられ、大きなテーブルの一画を埋めた。

全ての小瓶には均一に赤黒い液体が入っている。


手元の血液提供者リストと小瓶のラベルを一つ一つ確認していく。


ドクターと呼ばれる男は、ジャック・モールスという30前後の若い医者だった。


代々伯爵家に仕える医者の家系の次男に生まれたが、訳あって家業を継いで伯爵の専属医として時々こうして伯爵に食事を提供しに訪れる。


ロンドン市内でも割と有名な名医と慕われ、多くの患者を診る忙しい日々を送っているが、実はそれが仮の姿であり、その医療行為はすべて、伯爵への良質な血を多く集めるために行われているのだということを知る人は少ない。


何百年もの間、伯爵は食事の何割かをこうしたモールス家の医療現場から入手することで、情勢によらず安定した食料確保を実現してきていた。

モールス家も、伯爵の地位と財により代々守られてきたことに感謝し、伯爵に忠誠を誓っていた。


「最近、街中で警官がうろうろしていたから、伯爵もろくに食事ができてなかったんだろう。」


几帳面な性格のドクターらしく、全ての小瓶のラベルの向きが合うように微調整しながら自分が呼ばれたであろう理由をマリスにも伝えた。


確かに。とマリスは思い出した。


(昨日、伯爵は舞踏会の後で食事をすると言っていたのに、僕と帰ってきたものね。)


並べられた小瓶の中には、ドクターの独断と偏見、いや分析によって、選び抜かれた美女たちの血液が入っている。それぞれの小瓶には、番号のラベルが貼られており、手元のカルテには各番号の血液提供者の写真または似顔絵と詳細な情報が書き込まれていた。


「そうそう、これこれ」


そう言って、ドクターは3本の小瓶を手前に抜き出して置いた。


「連続殺人事件の被害者になった三人と今回の未遂事件を含めた4人のうち、3人の血がたまたまだけど、ここにあるんだよ。」


マリスはどう反応していいかわからず黙っていた。


「今回の事件が、もしヴァンパイアの仕業だとしたら、狙われた女性達はまさに、僕が選んだ伯爵への食事としての合格基準を満たしてた、ってことなのさ。」


他のヴァンパイアが好んだのであれば、この三人の血は極上の味であることはお墨付き、と言わんばかりの誇らしげな表情で、ドクターはマリスにウィンクを投げた。


「でも、心配ですわ。」


いつから居たのか、後ろからソフィアがドクターに話しかけた。


「以前、他のヴァンパイアが現れた時の旦那様の荒れようが凄まじかったこと。忘れられないほどですのに。」


「あぁ、その話は父から聞いています。20年ほど前でしたか。あれ以来、伯爵用の血液のストックは以前の3倍用意するようになったらしいですから、大変な事件だったようですね。」


目の前に並べられた小瓶以外に、どれだけの小瓶がドクターの血液保管庫にはあるのだろうか、とソフィアが考えていると、奥の扉が開き、不機嫌そうな伯爵が三人の前に現れた。

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