第8話 事件の翌朝
誰かが僕を呼んでいる――。
ここは…あの暗い森の中?
僕の名前を呼ぶのは誰?
あぁ、ここは今日も、雨が降っている――。
***
「…ウォーレン!」
急に大きな声を出したマリスに驚いて、ベッドを整えていたソフィアがシーツを抱いたまま振り向いた。
マリスは慌てて誤魔化した。
「あぁ、ごめんなさい。昔のことを思い出して。」
驚かせないでくださいよ、と言いながらソフィアはベッドメイクを続けた。
ソファーで白昼夢でも見ていたのだろうか。
雨音と、おそらくシーツの匂いが、マリスに昔を思い出させたのかも知れない。
(カリカントゥスの匂い…)
マリスは、かつてウォーレンと暮らした深く冷たい森の中の小屋を思い出した。
カリカントゥス(
ウォーレンは、マリスを
そして同時に、たった一人、マリスが心を許した者でもあった。
400年以上も前のことなのであまり正確に思い出すことはできなかったが、楽しく暮らしていた森の中での日々と、業火の中でマリスに呪いをかけたウォーレンの姿は、マリスの中で消えることはなかった。
長めのソファーに敷き詰められたクッションに埋もれながら、マリスは窓の外の雨空を見続けた。
「そういえば、また昨夜も未遂事件が起こったそうですよ。」
片付けの手を止めることなく、ソフィアがマリスに話しかけた。
ソフィアは、半幽閉状態のマリスにとって、外界の貴重な情報となっていた。
ソフィア自身も、愛らしいマリスのことを気に入っていて、いつしか自分の孫を見るような目で見るようになっていた。もちろん、不死人であるということも知った上での愛情だった。
最初に出会った数十年前は、まだマリスを娘のように思っていたソフィアだった。
「未遂事件?」
「えぇ、何でも昨晩も夜道に男が現れて女を襲おうとしたらしいんですよ。」
昨夜、マリスたちの前にあの男が現れる直前に、確か悲鳴のようなものが聞こえていた。あれがきっと、その女のものだったのだろう。
マリスは思い出していた。
「ところが、その女が逃げ切って、代わりに男が近くで自分で首を切って死んでいた、って話ですよ。」
そう言いながら、ソフィアは速報誌をマリスのソファーの上に置いた。
マリスはそこに書かれた文字を目で追った。
昨夜の事件がもうニュースになり世間を騒がせている。
通り魔が、犯行後に自殺したと。
あれが通り魔だったのだろうか。
伯爵は彼の血を舐め、ヴァンパイアに操られた血の味がすると言っていた。
この通り魔事件の背景には、きっと、伯爵以外のヴァンパイアが絡んでいるはずだ。
だから、この自殺した人間は、真の犯人ではないのだが、と。
けだるそうなマリス。
伯爵はまだ寝ている。
雨の中を馬車の音が聞こえてきて、玄関のあたりで停まった。
「ドクターがお着きになったのかしら。」ソフィアが独り言のようにつぶやいた。
「昨晩、あんなに濡れて帰られて、マントも汚されて、何かあったのかしらね。旦那様がお呼びになったんですよ。」
そう言いながら掃除道具をかき集めるとソフィアは部屋を出ていった。
伯爵の正体も知る勘のいいソフィアのことだ、おそらく世間を騒がせるかの事件との関わりに気付いているに違いなかった。
マリスは上着を羽織り、ドクターが通されるであろう居間に向かった。
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