第7話 遭遇

雨の魔女が来る。


激しくなる雨音に対し、街は静けさに沈む。


閉じられた雨戸、濡れた街頭、その光を反射する石畳にできた水たまり。


暗闇よりも恐ろしいのは、人の心の闇。


それよりもなお恐ろしいのは、魔女の心の闇――。


今宵は血に飢えた、赤い目の魔物も街を彷徨うならば、

全てを闇に覆い隠すために、この街には雨が降る。



***



マリスは濡れながら歩いた。


今夜は傘を持って来なかった。

これでは雨の魔女と呼ばれても仕方がないな、と自虐的な笑いを浮かべて街を歩き続けた。


小さな広場に差し掛かった時、後ろから声が聞こえた。


「やはりお前か。」


振り向くと伯爵がマントを翻して宙に浮かんだまま、呆れ顔でマリスを見下ろしている。


「見つかってしまったか。」


とつまらなそうな顔をするマリスに、


「お前の血は、離れていても甘美な香りがするからな。」と軽く笑い、


「お前は不死なだけで、力が強い訳でも特殊な能力がある訳でもないのだ。魔女の血は私が探すから、お前は家で大人しくしていればいい。それなのになぜ、いつも一人で出歩くのだ。」


数十年前にマリスは組織的な人身売買に捕まり、箱に詰められ逃げることもできないまま遠くの地まで運ばれてしまったことがある。その際、伯爵に大いなる迷惑をかけたマリスに反論の余地はなかった。


「しかも、近頃、この界隈では連続殺人事件が起こっているらしい。何かあったらどうする。」


と保護者面して心配する素振りを見せる伯爵に、

「僕はアンデッドだから、死にはしないよ」と寂しそうにマリスは呟く。


「殺されたのに死なない、というのも、世間に知れると、それはそれで面倒になるだろう。」


と伯爵は笑う。


「その浮いている姿を見られる方が困ると思うけど。」


とマリスが返したその時。

近くで小さな悲鳴が聞こえ、伯爵の後ろの路地から目の赤く光る男が飛び出してきた。


「おっとこれはタイミングが悪い。」


どちらにとって悪いのか…マリスは思わず考えた。


男は宙に浮いた伯爵の姿を見てもたじろぎもせず、刃物を振り回して襲い掛かった。


伯爵が男の方へ手をかざすと、見えない力で男の動きはぴたりと抑え込まれる。


それでもなお伯爵を襲おうともがく男。

伯爵が男の持つナイフを注視して目を見開く。


次の瞬間、男の持っていたナイフが手から離れ、宙を舞って男の首と体を真っ二つに切り裂いた。

大量の血しぶきが飛ぶ。

伯爵は優雅に黒いマントを翻して、血しぶきから自分とマリスを守った。


ドシャり。


男の頭部と体が濡れた石畳に倒れ、周囲の水たまりを赤黒く染めた。

見開いた男の目の中の、赤い光はゆっくりと消えていった。


マリスは男に向き直る伯爵の後ろ姿を目で追い、血しぶきで汚れたであろう黒いマントを見たが、どこに血が付いたのかよく分からなかった。


「ご自慢のマントが汚れちゃったよ。」


死体に近づき、その血を指にとって味を確かめながら伯爵が言った。


「そのために私のマントは黒いのだよ。」


誰にも見られてないことを確認した伯爵は、小さな声で言った。


「確かに、ドラキュラに操られていた人間の血の味がする。」


いつの間にか、雨は少し小降りになっていた。


「さぁ、早く帰ってソフィアにマントを洗ってもらうとしようか。」


そう言って、ふわりとマリスを抱き上げ、伯爵は空へ舞い上がった。


伯爵の腕の中でマリスはさっきの男を思い出していた。


あの男は伯爵を見ても動揺すらしなかった。明らかに正気を失っていた。

そして何より。


「…赤く光る眼」


「何か言ったか?」


「・・・べつに。」


市街地から少し離れた丘の上に立つ伯爵の城までは、馬車で20分以上かかるが、伯爵の飛行であれば数分の距離に過ぎない。


闇夜に紛れて空を飛んでも目立たない、というのも、マントが黒い理由ではないか。

マリスはぼんやりと考えていた。

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