戯雨
ジュンの言葉に、私はたしかに目を見開く。心臓がドクンと跳ねた。
「ふふ、驚いたって顔だね。でも、これは多分運命的なことなんだ。ずっと前から決まってた。私と君が、同じように作家を目指すこと」
急にジュンの言っていることの意味がわからなくなって私は思わず首を傾げてしまう。
「どういう意味……なの……?」
「私と君がこうして知り合ったのは、きっと今この時が君の運命の岐路だからなんだよ」
ジュンはただ穏やかに笑いながら言葉を紡ぐ。
「ずっと……ずっと後悔してた。本当の気持ちを言えないまま頷いてしまったこと。何もかも諦めた先に待っているのは、生の上に成り立つ死だった。私はね、本当はここにいるべきじゃないの」
「ジュン……何言ってるの」
ジュンは意味ありげに笑みを深めるだけだった。そっと席を立って窓際に移動し、長い黒髪を窓から吹き込む生ぬるい風に揺らす。
その姿はまるでお伽話を綴った絵本から飛び出してきたような幻想的かつ神秘的な光を纏っていた。
その瞬間にはもう、きっと私は心のどこかで気づいたのだ。彼女の正体に。
「それじゃあジュンは」
しーっ、ジュンは細長い人差し指を唇に当てて妖艶に微笑む。
「きっと、会えるのはもうこれで最後だから言うね。私はあの時本音を言えなくて、それからすごく後悔した。たまらなかった。苦しかった。胸が灼けるようだった」
彼女の声がかすかに揺れた。
「好きという感覚すら忘れて、感情が錆びついていくのをただ黙って眺めているような。そういう退廃的な毎日だった」
ルビーが彼女の瞳の中で強い光を放った。
「私は君に何もしてあげられないけど、君は君にしてあげられることがあるんだよ」
風に泳ぐ髪が教室を鮮烈に染め上げる太陽の光を浴びて、金糸の如く煌めいた。
「だからミヅキ。君は自分が今持っている気持ちを忘れないでね。君を救ってあげられるのは、君以外ないんだから」
瞬間。たった一瞬のそのうちに、ジュンの体がふあっと空気に溶けて見えなくなった。
「えっ……ジュン?」
私は慌てて目の前の虚空に手を伸ばすが、掴んだのはほんの少し暖かな空気だけだった。彼女の残滓はあっという間に失せた。
「……そう、か」
突然の別れに頭の理解は追いつかないけど、でも私は同時に感覚的なものでそのことを認識していた。
「君は、私に会いにきてくれたんだね。私がこの先の道で雨に降られてしまわないように。君は傘を持ってきてくれたんだ」
一筋、つうと雨が頬を流れた。だけど私の顔には不思議と穏やかな笑みが宿っていたと思う。通り雨を抜けた先に雨上がりの虹を見つけるように。
家に帰って、母のいるリビングへ顔を出した。
「ただいま。あのね、ちょっと話があるんだけど」
母は私を見てその言葉を聞くなり不思議そうな顔をしたけど、何も言わなかった。私には分かる。母は私の話を促してくれているのだ。親子揃って不器用だから、彼女はそのことを直接口にしたりはしないけれど。
私は覚悟を決めて、背負っていたリュックから一冊のノートを取り出す。あの時彼女がノートを持った手の優しい温度が、まだ残っている気がした。頑張れって、そっと背中を押すみたいに。
息を吸って、吐いて、私は手に持ったノートを母の前にまっすぐ差し出す。
「お母さん。私には夢があります」
私には夢がある。それは、もう願うだけでは足りないこと。
「それは、作家になることです」
君がいない 夜海ルネ @yoru_hoshizaki
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