青い蝶との約束

小野寺かける

青い蝶との約束

 スマホの画面と左右に立ち並ぶ東京のビル群へ交互に目を向け、美希みきは栗色の前髪の下で眉間にしわを寄せた。

「ど……どう行ったらええの……」

 吹き抜ける風がかすかな呟きをさらい、ひざ下丈のスカートを揺らす。

 ――しもたなあ。駅から十分くらいで着くて聞いたし楽勝やおもてたのに。意外と難しいんちゃうの、これ。

 鳶色の大きな瞳で辺りを見回す。目的地はこの先のどこかにあるはずだが、今のところ影も形も見えない。建物にさえぎられて陽の光も当たりにくいようで、四月も中旬を過ぎたというのに肌寒く感じ、心細さが募っていく。

 出発地点は東京駅だった。改札から外に出てすぐの頃は妙な自信があり、意気揚々と歩いていたものである。

 しかし、出発から五分も経たないうちにつまずいた。

「さっき前の方で木ィ茂っとったん、皇居やんな多分。そっち方向歩いてって、途中の交差点で右曲がったらええはず、なんやけど」

 スマホには東京駅から目的地までの地図を表示してあるが、いかんせんまともに使ったことがない機能のため見方がいまいち分からない。美希が歩けば画面上の矢印も動くけれど、進んでいる方向が合致していると信用しきっていいものか。

 思い切って誰かに助けを求めようにも平日の朝九時半にしてはなのか、むしろこの時間帯だからなのか、歩道を行く人の数は想像していたほど多くない。そのうえ誰もが足早に通り過ぎていくため話しかけにくく、勇気を出そうとしては引っこめるのをくり返した。

 手元ばかり見ていると目が疲れてくる。気分を切り替えがてら空を仰げば、普段見ているそれよりずいぶん狭い。

 ――地元やったらもっと広々しとって気持ちええのに。

 立ち止まってばかりでは時間の無駄だ。よし、と頬を軽く叩いて一歩踏み出してみる。

 目的地への行き方は、以前同じ場所へ足を運んだという友人に聞いてあった。東京駅の丸の内口から出て皇居方面へ進み、交差点で右に曲がってからしばらく直進すればいい、と。

「そのうち看板出てくるでそこで左曲がったらええて言うとったのに……全然出てこやへんやん、看板」

 ぼやいたところで状況は変わりそうになく、ここはいったん東京駅まで戻ってやり直すのが無難かもしれない。駅員に目的地を伝えれば行き方だって教えてもらえるはずだ。いや、行き方を教えてもらうだけなら交番かコンビニに立ち寄った方が早いか。

 そういう時に限って、交番もコンビニも目に映る範囲には無いのだが。

「地図ちゃんと見て歩くんが手っ取り早いやろけど……本当にうてんの、これ」

「ごめん、ちょっとええやろか」

 不意に背後から声をかけられ「うぉう」とみっともない悲鳴と共に肩が跳ねる。

 男の声だった。おっかなびっくり振り返って、真っ先に目に入ったのは群青色の髪だ。驚くべきはその長さで、ポニーテールの毛先が腰の位置で揺れている。半ばぎょっとしながら一歩引くと、美希より頭一つぶん高い位置から切れ長の目がこちらを見下ろしていた。

 歳は二十代前半ほどで美希とあまり変わらなさそうだ。整った顔立ちはどことなく狐っぽく、唇の右下に落ちた一点の黒子が目をひく。青い蝶が無数に描かれた柄物のシャツといい、手首や耳元で揺れる蝶を模ったアクセサリーといい、全体的に派手な印象が漂う。

 まじまじ見てしまってからハッと我に返り、美希は「すみません」と男の前から退いた。道幅に余裕があるとはいえ、なるべく通行の邪魔にならないよう端を進んでいたつもりだが、歩みが遅すぎて迷惑になっていたようだ。

「ああ、ちゃうちゃう」けれど男は美希の横を通り過ぎることなく、顔の前で手を振った。「なんか探してはるみたいやったで声かけさせてもろたんです。さっきからこの辺ずーっとうろうろしてはったやろ」

 美希がぱちぱちと目を瞬けば、彼は「当たっとった?」と朗らかに首を傾げる。

「もし迷惑ちゃうかったらお手伝いしましょか」

「はあ、いえ……」

 曖昧に答えつつ、男からじりじり距離を取る。過去に一人で歩いていた際に見知らぬ輩からナンパされた経験があったため、今回もそれを疑ったのだ。彼は一瞬だけ足元に目を落としたものの、にこやかな笑みを浮かべたまま動こうとしない。

 ――必要以上に近づかんようにしてくれとんのかな。あたしが明らかに警戒しとるから。

 彼の言葉から判断するに、どこからか美希の様子を数分ほど窺っていたのだろう。でなければいたとは分からないはずだ。

 なにかしら下心が潜んでいる可能性も捨てきれないが、行きたいところがあるのは事実であり、助けを欲していたところでもある。「一人でなんとかするので大丈夫です」と断ったとしても、なんとか出来るだけの自信はとうに折れていた。

「……えっと、じゃあ」数秒迷った末に、美希は〝やむなし〟の判断を下した。「お言葉に甘えても良いでしょうか。行きたいところがあるんですけど、どこにあるのかよく分からなくて」

 信用してもらえたのが嬉しかったのか、男は両手それぞれにOKサインを作って人懐っこく笑う。

「お手伝いしましょか言うたそばからアレやけど、僕が知らん場所やったら一緒に行き方調べるくらいしか出来ひんかも。けど僕が知っとるとこやったら、そこまで案内出来るに」

「それはありがたいですけど、お時間とか大丈夫なんですか」

「あんま遠いとこやったらよう送っていかれへんね。けど近いとこは仕事に間に合いそうなら平気。ほんで、どこ行こうとしてはったん?」

「平将門の首塚です」

 スマホの画面の一点を指さして答えれば、「ほお」と気の抜けた相槌が返ってきた。

「首塚やったらすぐそこやに。五分ちょっとくらいで着くと思う」

「本当ですか? 一応友だちから行き方は聞いてたんですけど、全然着かないから道間違えたんかな思てて」

 美希が友人から聞いていたルートを伝えると、男はなにやら納得したようにうなずく。

「歩いとる通りが一本ずれとるね」

「えっ、そうなんですか」

「曲がる交差点が一本早かったんちゃうかな。このまま真っすぐ行ったら国道出るで、とりあえず歩いてきましょか」

 こっちこっち、とひらひら手招きして男は颯爽と歩き出す。置いていかれないよう、美希は慌ててその背中を追いかけた。

 彼の後ろについているとコーヒーらしき香りがふわりと鼻をくすぐる。彼が奏でる鼻歌は曲こそ不明だが、軽快なリズムで楽しそうなのは確かだ。じゃっかん馴れ馴れしさは感じるけれど、過去に遭遇したナンパ男と違って挨拶もそこそこに名前や年齢、住まいを聞いてきたりしないし、思っているほど怪しい人物では無いのかもしれない。

 それに。

 ――この人さっきからめちゃくちゃ方言で喋っとったけど、なんか馴染みある感じすんねんな。関西の人なんは確かやろ。

 ――……もしかして。

 考え始めた直後、男がいきなり立ち止まった。危うく激突する寸前でそれに気づき、バランスを崩しかけたがどうにか踏みとどまる。

 急になんだ、と内心で苦情をこぼしながら顔を上げて、美希は目を丸くした。今まで歩いていた通りより明るいうえに、道幅が広く人の往来も多い。片側三車線の道路には乗用車のほかに観光バスが何台も並び、一気に賑やかさが増した。

「すごくつんでますね」

「ここ左曲がったとこの信号が赤なんやと思うよ。ほんで信号の先の方に緑見えるん分かるやろか。あそこが皇居ね」

「なんとなくそうかなあ、とは。良かった、それは合うとったんや……」

 大通りのそばに立つ案内標識には〝大手門〟〝日比谷通り〟など、これまでニュースや写真などでしか見たことのなかった名前がいくつも記されている。たったそれだけのことなのに、自分が今いる場所は東京なのだと改めて強く実感した。

 じゃあ次こっち、と男は皇居方面に向かって進んでいく。美希も歩きだした頃を見計らってか、彼は「そういえば」と軽く振り向いて隣に並んできた。

「迷惑ちゃうかったら聞きたいんやけど、なんで首塚行きたいん? 歴史好きなん」

「前々から興味あったんです。平将門って色んな伝説ありますし、この前小説読んでたらモチーフのキャラが登場したので、せっかくだから一回行ってみたくなって」

「そうなんや。東京来るんは初めてなん?」

「何回かあります。ミュージカルとかイベントでよく遠征するので」

 今日の本来の目的もそれなのだ。ミュージカルの開演時間が昼過ぎだったため、今回は少し早めに出発して午前中は東京駅周辺の観光スポットに足を延ばしてみようと考えたのである。

「でもいつも劇場の最寄り駅に直行しとったんで、東京駅の外に出たことなかったんです。意外と駅の近くに緑いっぱいなとこあるんやとか、ビルの数が名古屋より多い気ィするとか、色々びっくりしとったら、その……」

「ちょっと迷ってしもたんや。知らん場所やと余計に混乱するもんねぇ。僕も上京してすぐの頃はよう迷子んなったもん」

 懐かしそうに目を細めた男の横顔を見やり、美希の胸にくすぶっていた警戒心がほろほろと崩れていく。

 地図を片手に東京で迷子になるなど、今の自分はどう考えても〝お上りさん〟丸出しだ。けれど彼はそれを馬鹿にして笑ったりせず、自分が不審に思われていることを感知しながらも案内を続けてくれている。

 気安く話しかけてくるのも、緊張しているこちらをリラックスさせようとしてのことだと考えるのは都合が良すぎるだろうか。

 ――いやいや、安心したらあかん。全然違うとこ連れてかれた、みたいなことも無いわけちゃうやろし。

 油断するまいと唇を引き結んで、再び男の言葉に耳を傾けた。まろやかな声音はどこか川の流れに似て、声を張り上げているわけでもないのに喧騒にかき消されることなくよく通る。ゆったりした喋り方も落ち着いていて聞き心地が良い。

「僕がこっち来たんは中学の頃やったんやけど、何べんも迷った記憶あるわ。今でも新宿駅とか『あれ、出口どこや?』ってなるし」

「上京ってことは、イントネーション的に地元は関西ですか」

「関西っていうか東海っていうか。三重と愛知の境目らへんの生まれなんやわ」

「やっぱり。境目らへんって桑名とか長島あたり?」

 美希が挙げた地名に、男が右手の中指と親指を合わせて滑らせる仕草をした。恐らく音を鳴らしたかったのだろうが、残念ながら失敗したらしい。不満そうに唇を尖らせていたのが少しおかしかった。

「そうやよ。君もそのへんの出身なんかな。さっき名古屋よりビル多いとか、渋滞のこと〝つんどる〟て言うとったし。訛りもそっちっぽいもんね」

「え、訛り出てましたか」

「僕ほどちゃうけどちょこちょこ」

 地元の友人や家族相手ならともかく、仕事中など他人と接する場合はなるべく標準語で話せているつもりだったのに。照れくささに耳と頬が熱くなる。

「三重の北部の生まれなんです。桑名の水郷花火あるじゃないですか、あれの音が遠くから聞こえるくらいの範囲みたいな」

「分かりやすい表現やなあ。水郷花火って久々に聞いた気ィする、懐かしい。子どもん頃はよう行っとったけど、長いこと観てへんわ。毎年エラい人混みやったけど、今もそう?」

「どうでしょう。あたしも小さい時に一回連れてってもらったことあるんですけど、人が多すぎて帰るのに時間がかかってから行かなくなっちゃって。だから家で音だけ聞いて『あー花火やってるなー』って思うだけになりました。屋台の焼きそばとか食べに行きたいんですけどね。ああいう所で買うやつって美味しい気がするし」

「お祭りで売っとるもんてなんか特別感あるもんねぇ。僕も屋台で買ったもん食べるん好きやわ。あ、ここの通りで右曲がるよ。首塚はあっち側にあるで先に向こう渡っとこか」

 男は無意識なのか意図的なのか、横断歩道の白線だけをひょいひょいと踏んでいく。まるでダンスでリズムを刻んでいるようなテンポ感だ。

 よく見るとポニーテールの根元はゴムではなく、赤い紐でくくられていた。紐の先には房飾りがつき、長い髪と一緒に体の動きに合わせて左右にひらひら揺られ、シャツの柄の影響も相まって優雅に風に乗る蝶のイメージがちらつく。

 親のあとをついてまわる子どもみたく彼を追いかけ、向かいから来る人も避けていると、ふと視線を感じた。

 ――なんやろ、気のせいかな。

 だが横断歩道を渡り終え、次の信号が変わるのを待っている間にもその感覚は強くなる。

 街中でここまで注目されるのは初めてだ。妙な居心地の悪さを覚えて手に持ったままだったスマホを握りしめたが、さり気なく周囲に目を配ってすぐ悟った。

 ――見られとんのあたしちゃう。この人や。

 横から、後ろから、対面から、あるいは通りすがりに。全員とは言い切れないが、少なくとも半数近い人々が彼を見ていた。

 派手な外見は否応なしに目を引くのだろう。数分前の美希と違ってすぐに視線を逸らす者がほとんどだけれど、代わるがわる注がれる眼差しはちくちくと刺さっているはずだ。

「友だちから首塚の看板教えてもらたて言うとったよね。ここの道もうちょっと行ったとこにあるよ」

 けれど男は気にした様子もなく、信号が変わるとまた軽やかに歩き出す。すれ違う人々から明らかな二度見をされてもお構いなしだ。

「まあ『なんや今の人』ってびっくりするわな、普通」

「? なんか言うた?」

 思いがけず漏れた呟きがしっかり聞かれていた。なんでもないと誤魔化すのも不自然に思えて、美希は考えていたことを素直に白状した。

「ずっと思ってたんですけど、えーっと、お兄さんって……」

「そういえば名前言うてへんだね。僕、ヒゴロモっていうんよ。〝緋色〟の〝衣〟で〝緋衣〟。好きなように呼んでくれてええから」

「はあ、じゃあ――緋衣さんって結構周りの人たちから二度見されてますよね」

「されとるねぇ」

「分かってたんですか。てっきり気づいてないのかと」

「そらぁ髪の色こんなんやで目立っとる自覚あるよ」

 ふくく、と喉の奥で笑いながら、彼――緋衣は長い髪をひと房たぐり寄せて指先でさらさら梳く。目立つ原因は髪の色だけちゃうやろ、と反射的にツッコみそうになったのをどうにか堪えた。

「けど分かった上でこんな風に染めとるからね。仕事がら注目されるんも慣れとるし、二度見ついでに『あの人かっこええやん』って思てもらえたら嬉しいやん」

「んー、ちょっと気持ちは分からなくもないですけど」

「そうなん? モデルとかやっとるん?」

「時と場合によって、みたいな」

 具体的に言うなら美希の趣味はコスプレであり、東京遠征のたびに足を運んでいるイベントというのもそれに関するものだ。好きな作品のキャラに扮している時に賞賛されると高揚するため、緋衣の言葉に共感する部分もある。

 だからと言って初対面の相手にそこまで喋るほど打ち解けているわけでは無い。彼も「そっかあ」と答えただけで深く追及してこなかったし、美希からも〝注目される仕事〟とやらについて訊ねるのは控えた。

 ――あたしに「モデルとか」って聞いてきたんやし、緋衣さんの仕事も多分それ系なんやろな。

「あたしはプライベートでじろじろ見られるのあまり好きじゃないです。そっとしといてよって思てしまうんで」

「そうなんや。なんかごめんね」

「え? なにが?」

 心なしか緋衣から落ちこんだ雰囲気が醸し出され、美希は首を傾げた。表情を窺ってみると眉を八の字に下げて困ったように微笑んでいる。

「いや、僕ね。さっきまで歩いとった通りにあるお店で朝ごはん食べとったんやわ。外がよう見える席やったでぼーっと眺めとったら、道をなんべんも行ったり来たりしとる子ォが見えたでどうしたんかな思たんよ」

 確実に美希のことだ。そんなに何往復もしていた自覚は無かったけれど、少なくとも緋衣の関心を引く程度の時間はさ迷っていたのか。羞恥のあまり声にならない声で唸ってしまう。

「めっちゃ情けないとこ見られまくっとる……」

「そうは思てへんから大丈夫やに。困っとるなって直感はしたけど。外出てからも近いとこおったでさ」

「だからわざわざ声かけて下さったんですか」

「うん。でもよう考えたら嫌やったんちゃうかなって」

 ――あっ、なるほど。

 決して面白がっていたわけでは無いとしても、緋衣は朝食を食べ終えて外に出るまでの数分間、うろつき続ける美希を見ていたのだ。けれど美希が「じろじろ見られるのあまり好きじゃない」と明かしたから、己の行動が不快感を与えたのではと推察して謝罪を述べたのか。

「そんなことないです!」

 美希はいささか背伸びをして緋衣に目線の高さを近づけ、意識的に力強く笑いながら首を横に振った。

「確かにずっと見られてたのは恥ずかしいです。話しかけられてすぐはびっくりしたし、正直今もまだちょっと怪しんでます。親切に見せかけたナンパちゃうかとか、見当違いなとこ連れてかれるんちゃうかとか」

「お、おう」

「でもあたし、あれ以上迷ってたら『まあええか、別に絶対行かなあかん場所なわけちゃうし』って諦めとったはずです。でも緋衣さんが声かけて下さったおかげでそうならずに済んでます!」

 勢いよく言いきった美希に、緋衣はしばらく目を丸くしたままなにも応えない。

 驚いたのか、もしくは気分を悪くしたか。美希の台詞は彼の厚意を疑ってかかっていたと打ち明けたに等しく、不快さを覚えても無理はない。自分が同じことをされたら、懐疑的な態度に多少の予想はついていたとしても、いざはっきり口にされるのは切なく悲しい。

 そう思い至ったのは、無言の時間が一分近く続いた頃だった。

 ――ああもう、恥ずかしい。あたしずっと、自分のことばっかしか考えてへんだ。

 美希が視線をそらし、おずおずと地面に踵をつけるのとほぼ同時に、ふくく、と頭上から笑い声が降ってくる。

「僕、君にそんな風に思われとったん?」

「……嫌な気分にさせてしまってすみません」

 彼がどんな表情をしているのか、怖くて顔を上げられない。聞き心地の良かった声も今は冷たく耳を撫でていく。

 不意に、隣から淡く漂っていたはずのコーヒーの香りを前方から感じた。いつの間にか緋衣が美希より数歩前へ進み、こちらを向いて立ち止まっている。

「ね。これなんやと思う?」

 彼は黒いパンツの右ポケットに手を突っこむと、そこから取り出したものを美希の前に掲げた。

 なに、と聞かれても。

「ハンカチ、ですか?」

「正解」

 折りたたまれていたそれを広げ、緋衣が慣れた様子でウインクした。纏っているシャツと同じブランドなのか、手のひらより一回り大きな正方形の生地を埋めつくすように青い蝶が描かれている。

「パッと見ただのハンカチやろ。でもこうすると――」

 言うが早いか、緋衣はハンカチを高く放り上げた。美希は慌ててその行方を追ったけれど、宙を舞っていたのは正方形の布ではない。

「……蝶々?」

「紙で作ったニセモンやけどね」

 何匹もの青い蝶が、風にひるがえりながら美希と緋衣の周りにひらひら落ちてくる。そのうちの一つを器用に指で摘まみ、彼は楽しそうに口の端をほころばせていた。

 曇りのないその笑みには、天気雨の中で輝く虹さながらの眩しさがあった。

「はいこれ、あげる」

「ありがとうございます……いや、えっ、え? なに? 今なにが起こったんですか」

「びっくりしてくれたみたいで良かったわ。仕事で使えへんかなー思て後輩くんに教えてもろた手品なんやけど、うん、君の反応見たら自信出て来た。ありがとね」

「ど、どういたしまして?」

 訳が分からずにいる美希の耳に、なんだなんだと足を止めた周囲のざわつきが届く。緋衣が歩道のほぼど真ん中で突発的なパフォーマンスを披露したおかげで、なんらかの出し物と勘違いした人だかりが形成されつつあった。

「お騒がせしてごめんなさい。ちょっと落とし物してしもたんですよ、ご迷惑おかけしてます。気にせんといて下さい」

 かなり無理のある言い訳にどれだけの人が納得したのかは不明だ。緋衣は申し訳なさそうに頭を下げながら地面に膝をつき、落ちたままの蝶を手際よくかき集めて拾っていく。

「あっ、あたしも手伝います!」

「そう? ほんなら僕が拾ったもん預かっとってもらおかな」

 はい、と早速ひと固まりを差し出され、受け取るべく屈もうとしたところで「立ったまんまでええから」と制された。

「しゃがんだらスカートが下についてまう。せっかくお洒落しとんのに汚れたらあかんやろ」

「それ言うなら、緋衣さんも髪の毛思いっきりついてますけど」

「え、ほんま?」

 緋衣は背中を伝って地面に流れていた長い髪をマフラーよろしく首に巻きつけ、これでよしと言わんばかりに胸を張る。最後に無邪気なピースサインまで向けられて、つい吹き出してしまった。

 回収は二分程度で終わり、人だかりもすっかり消えていた。美希の手に残された一匹の蝶だけが、緋衣が魅せた一連の技が幻ではなかったことを語っている。

「ほんなら行こか」立ち上がった緋衣が大きく伸びをして、何事もなかったかのように歩き出す。「あんまのんびりしとったら君が予定に遅れてまうもんね」

「その前に!」

 腕や服を掴むわけにはいかず、美希は鋭い声で緋衣を引き止めた。

「怒ってないんですか。あたしさっき結構失礼なこと言うたのに」

「怒る理由あらへんもん。どっちか言うたら君の素直な意見聞けて嬉しいかな」

 歩くのを促すように、緋衣はポケットから蝶を一匹取り出してちょいちょいと振った。彼に言われた通り予定に遅れてしまうわけにはいかない。美希が小走りで隣に並べば、彼は指先で蝶を弄びながら言葉を続けた。

「一人で東京歩くん不安やったやろし、慣れへん場所で知らん奴に近づかれたら誰やって警戒する。それが正しい反応やよ。もし僕が君の立場やったら絶対に同じこと思とったやろね」

「じゃあ怪しまれるかもって分かった上で声かけて下さったんですか」

「だって困っとりそうな子ォが目の前におんのにっとけやんやん?」

 疑われたり訝しがられたり、迷惑がられて避けられる恐れがあったとしても、困っている人に手を差し伸べずにはいられない。緋衣はそういう性格なのだろう。

 飄々とした口調とは裏腹に、黒い瞳に灯る光はどこまでも真摯で温かだ。

「あの、やっぱりちゃんと謝らせてください」

 美希は手の中の蝶を潰してしまわないようやんわり拳を作り、緋衣に頭を下げた。

「怪しんだりしてすみませんでした」

「僕の方こそ。理由があったにしてもずっと見とったんは事実やから。ごめんね。これでお互いさまってことにしよ」

「……ですね」

 緋衣が微笑めば、美希の頬もつられて緩む。

 温度なんてはいはずなのに、紙の蝶がほわりと温もりを帯びた気がした。

「ていうかさっきのマジック、いきなりなんだったんですか。話しかけられた時よりびっくりしましたけど」

「よう出来とったやろ。あの蝶々、僕が一枚一枚切って作ったんやで」

「あんなにいっぱい? 大変そうですね……いや、あたしが聞きたいんはそういうことやなくて」

「そんな難しい話ちゃうよ」

 どきり、と。

 蝶を陽の光にかざした彼の横顔があまりに甘く幸せそうで、心臓が大きく跳ねた。

「暗い顔しとんの見るより、明るい顔しとんの見る方が嬉しい。そんだけ」

 ふ、と緋衣が蝶に息を吹きかける。まさか新たな手品――紙だったはずのそれが本物に代わったり、別の物体に変化したり――を披露するつもりか。

 いくつか見当をつけて目を凝らした美希の前で、紙の蝶は忽然と姿を消した。

 緋衣の視界には間違いなく、ぽかんと口を開けたまま固まる美希が映っているだろう。彼は蝶を摘まんでいた指で前方を差し、「見てみ」と短く囁いた。

「……あ」

 まず目に入ったのは歩行者用の信号機だった。赤い人影の下で、信号が変わるまでの時間を示す光が少しずつ減っていく。

 その左隣に〝将門首塚〟と書かれた看板が立っていた。

 看板は左に曲がるよう示している。二人は信号を渡ってそれに従い、残り百メートルもない距離を足早に進んだ。

 一階の大部分をガラス張りにされたビルの前を通り過ぎてすぐ、美希の身長より大きな石碑が二つ見えた。手前のものは緑がかった焦げ茶色で年代を感じさせ、奥のものは白色であまり古めかしさはない。

 どちらにも文字が記されているが、白色の石碑を見て無意識のうちに「おお」と感嘆の吐息がこぼれた。

「『都旧跡 将門塚』……てことは」

「お目当ての『平将門の首塚』に到着やね」

 異質な空間だった。周囲には高層ビルが立ち並んでいるのに、この一画だけぽっかり開けている。石碑と対になる位置には石灯篭が一基だけ建ち、短い階段を上った先には参詣者用の通路と白い玉砂利が敷かれていた。厳かな雰囲気に自然と背筋が伸びる。

 看板が出ていたくらいには定番の観光スポットらしく、敷地内には数人ほど先客がいた。彼らに倣って美希も通路を進んで間もなく、右手側に新たな石碑が姿を現した。

 ――これが首塚なんや。

 第一印象は「思てたより大きいな」だった。だいたい緋衣と同じくらいの高さだろうか。黒みがかった石碑の中央に文字が彫られているが、うねうねとかなり癖があって読みにくい。辛うじて読み取れた一部から察するに〝南無阿弥陀仏〟か。右には〝平将門〟の名も見て取れる。

 手前には墓前でよく見かける花立てなどが設置され、真新しい仏花がささやかに揺れている。参詣に訪れた人々は順に石碑の前で立ち止まり、手を合わせて静かに祈りを捧げていた。

 美希も九曜紋が施された賽銭箱に小銭を投げ入れ、目を閉じて合掌して頭を下げる。

 平安時代に関東を収め、〝新皇〟を名乗って朝廷に反逆した末に破れたのは歴史の授業で習った。京都で晒された首が空高く舞い上がってこの地まで戻り、怨霊と化した将門が人々に畏怖されている、と初めて教えてくれたのは小学生の頃に図書室で見かけた読み物だったか。

 当時は祟りの伝説に震えたけれど、実際にこの地を訪れてみると恐ろしい印象はない。足元から活力が湧きあがり、全身を巡って満たしてくれる感覚さえする。

 ――今もここの下に首が埋まっとんのかな。

 ――確かめようあらへんけど、埋まっとるて思た方がロマンあるんかも。

 安らかにお眠りください、と声を出さずに唱えて目を開ける。最後にもう一度だけ頭を下げて石碑の前から辞すると、一足先に用を済ませた緋衣が待ってくれていた。

「ちゃんとお参りできた?」

「おかげさまで! なんかパワーみたいなん貰えた気ィします。あ、あそこのパネルちょっと見てもいいですか」

「じっくり読んだらええよ。僕そのへんにおるから」

 石碑の後ろには将門塚の紹介や参詣にあたっての注意を記したパネルが設置されている。どちらにも目を通してから、美希は歩道に下りていた緋衣に駆け寄った。

「本当にありがとうございました。行きたかったところ来れたん、ほんまめちゃくちゃ嬉しいです!」

「力になれたんやったら良かったわ。こっからどうする? 他にも行きたいとこあるんやったら、まだ時間あるで案内出来るけど」

「行きたいとこ……桜田門ってここから近いんかな」

 頭をよぎったのは〝桜田門外の変〟だった。事件をテーマにしたミュージカルを観賞したことがあり、実際の現場がどこなのか、今ではどんな景色が広がっているのか見てみたかったのだ。

 早速スマホで桜田門を検索すれば、すぐに徒歩や車での移動ルートと所要時間が表示される。だいたい徒歩で二十分前後らしい。

「でもそろそろ劇場の方移動せなあかんかも……お昼ご飯も食べたいし……開場時間いつやったっけ」

「これってナビのアプリ?」ぶつぶつ呟いて思考を整理していると、緋衣が画面を指さしながら訊ねてきた。「最初に会うた時もこれ見とったよね」

「友だちに教えてもらったんです。目的地入力したらそこまでの行き方が表示されるで、案内開始ってやつ押したらええって。あたしが歩くんと一緒に動いたから、多分この赤い矢印が今立っとるとこのマークやと思うんです。でもこれが正しいて思てええんか分からんくて」

「……君、おもろい子ォやな」

 初めは控えめに、やがて堪えきれなくなったようにくつくつ肩を揺らして、緋衣が自身の口元を指で覆った。ふくく、とすっかり聞き慣れた特徴的な笑い声が隙間からこぼれている。

「僕みたいな見ず知らずの奴ならともかく、便利な機能まで疑ったらんでも。文明の利器くらいはもうちょい信用したってもええんちゃうかな」

「だ、だって今まであんま使ったことあらへんかったから! そんな笑わんでもええやないですか!」

 つんと唇を尖らせて美希は不満をあらわにしたけれど、決して嘲りを感じなかったことに加え、羞恥よりも清々しさが勝ったことによりいつしか唇に笑みを乗せていた。ひとしきり笑って目元の涙を指で拭ったあと、緋衣も「ごめんな」と謝ってくれたので良しとする。

「とりあえず今日はもう余裕無さそうなので、劇場まで行こうかと思います」

「そっか。そこまでは一人で行ける?」

「何回も行ってるとこなので大丈夫です! ルートはちゃんと頭に入ってます!」

「自信満々でなによりやわ。劇場ってこの近くなん?」

「電車乗って三十分くらいのとこです。だからいったん東京駅まで戻らなあかんくて」

「ほんなら僕の道案内もここまでかな」

 緋衣は近くにある駅から電車に乗って仕事場に行くそうだ。その駅の入り口までは地元の他愛ない話をしながら戻ったが、別れる場所に近づくにつれどちらからともなく歩みが遅くなる。

 ――もうちょっと話してみたいと思てんの、あたしだけちゃうんかな。

 不思議なものだ。出会ってから一時間も経っておらず、初めは猜疑心を抱いていたというのに。今はもっと彼を知ってみたくて、けれどそれをうまく口に出せずに喉が苦しい。

「じゃあ僕、ここで」

 緋衣が駅の入り口で音もなく足を止め、あっさり別れを口に出す。

 淡く甘酸っぱい想像が、シャボン玉のごとく弾けて消えた。歩みが遅かったのは美希一人で、彼はそれに歩幅を合わせてくれていただけだ。

「東京駅はこのまま真っすぐ歩いてったら、そのうち左側に見えてくるで。さすがに迷子にはならへんはずやよ」

「分かりました、ありがとうございます。多分ちゃんと着けます。あっお礼! 連れてきてもろたのに、あたしなんも返せてへん」

「そんなん構わへんよ。僕が好きでやったことやし。じゃあね、気ィつけて」

 道案内を始めた時と同じ気安さでひらひら手を振って、緋衣は入り口があるビルに足を進める。

 ――ええんかな。

 遠ざかる背中とポニーテールをただ見送ってしまっていいのか。彼の親切を受け取るだけ受けとって、なにも返せないまま。

「緋衣さん!」

 考えるより先に、口が彼を呼んでいた。

 緋衣はきょとんとした表情で振りむき、横断歩道を渡っていた際と似たようなリズム感で美希のそばに戻ってきてくれた。

「どうしたん、やっぱ迷子んなりそう?」

「ちゃいます。あの、えっと……」

 呼び止めたはいいものの、次の台詞を全く考えていなかった。

 ――どうしよう。「お礼にお茶でも奢らせてください」はあかんやろ。この辺にどんな店あるか知らへんし、そもそも時間もあらへん。

 ――「連絡先教えてくれませんか」とか? それはそれで逆ナンみたいで嫌ちゃうか。

「……も」

「〝も〟?」

「諸戸氏庭園って、知ってますか」

 美希が絞り出した一言に、緋衣はたいして迷う様子もなくうなずく。

「広いお庭やろ。昔住んどったんその近くやから知っとるよ」

「良かった。なら話は早いです」

〝諸戸氏庭園〟は国が指定した名勝であり、水郷花火の会場にもなる堤防のすぐ近くにある。明治時代に商人の諸戸清六が購入した敷地には歴史を感じさせる御殿や庵が建ち、草木や岩で囲まれた広い池は琵琶湖を模したとされている。

 花菖蒲が咲き誇るさまはまさに風流で、そのほか様々な花を愛でられる庭はリフレッシュにちょうど良く、美希も何度か訪れたことがあった。ただし公開時期が年に二回、春と秋の一ヵ月半ほどに限られているため、時期を逃して見学し損ねたことも多い。

 言いたいことを図りかねているらしく、緋衣がわずかに眉を寄せて目を細める。美希は小さく深呼吸をし、緊張を落ち着けてから口を開いた。

「あそこもうすぐ春の開園時期なんです。藤とかツツジも咲くし、その蜜吸うのに蝶々もたくさん飛んでくる気ィして。そん中に、えっと……」

 緋衣の目を真っすぐに見つめ、美希は意を決して告げた。

「青い蝶々がおったらなって、思うんです」

 かなり遠回しな伝え方をした自覚はある。しかし彼の察しの良さはこの短時間でじゅうぶん過ぎるほど知った。だからきっと、今の一言に含んだ真意にも気づいてくれる。

 ――花がたくさん咲いた庭園で、もう一度会えませんか。

「……そうやねぇ」

 緋衣が顎に手を添え、なにやら考える素振りで視線を美希から外した。表情がそこはかとなく浮かないように見えるのは、心配からくる幻覚であってほしいけれど。

「蝶々がいっぱい飛んどんのは綺麗やろね。アゲハとかモンシロチョウとか。そういうん眺めると癒されるし、僕も見たいと思うよ」

「!」

「けど僕、どっちかて言うたら紅葉ん中でひらひらしとんの見る方が好きかも。真っ赤な景色に青いの一匹おったら、めちゃくちゃ映えて綺麗やん?」

 一瞬だけ落胆して、すぐにハッとした。

 わざわざ紅葉を挙げたということは、つまり。

 ――春は難しいけど、秋やったらええてこと?

 美希に和やかな眼差しと笑みを向けたまま、緋衣が無言でゆっくりうなずいてくれた。途端、安堵と歓喜が胸に広がって肩のこわばりが抜けていく。

「んー、けど僕の連絡先教えるんはちょっとマズいやろし……行けそうな日ィ分かったら、僕から君に合図出すことにしよ」

「合図? ……どういう?」

「そん時になるまでのお楽しみってことで。絶対に見逃さんといてよ、約束やに」

 彼は右手の小指をぴんと伸ばし、くいくいと曲げてみせた。

「じゃあ、またね」

「いや待ってください、合図ってそれどこで見ろと?」

 美希の当惑に答えることなく、緋衣は楽しそうな足取りで今度こそ駅に消えていく。

 疑問点は残るが、ひとまず再会の約束を結べただけ良い。時間に余裕があるぶん、どうすれば今回受けた恩をしっかり返せるか考えるだけの猶予も出来た。

 問題は緋衣からの合図の確認方法だ。電話番号も知らないし、美希に至っては名前すら教えていない。どうやって彼の発信を受け取り、確認したと知らせればいいのか。

 東京駅へ戻る道すがらに色々考えてみたけれど、これといって案が浮かばない。辛うじて一つだけ思いついたのは、劇場に向かう電車に腰を落ち着けた頃だった。

 ――仮に緋衣さんがモデルの仕事しとるんやったら、SNSやってへんかな。

 ひらめくが早いか、美希はスマホの検索欄に〝緋衣 モデル SNS〟と打ちこむ。関連項目は一秒と経たずに表示され、一番上には予想通り、主に写真を発信するタイプのSNSのアカウントがあった。

「おぉ、大当たりやん」

 開かれたページには丸いアイコンとアカウント名、プロフィールなどが掲載されている。アイコンの顔写真は間違いなく数分前まで見ていた彼であり、アカウント名も〝緋衣青士〟と記してあった。ご丁寧に名前の横に「ひごろもせいじ」と読み方まで書いてあるあたり、「なんて読むんですか」と聞かれる頻度が高いのだろうか。

 本人を写したものが多い画像欄も一通りさかのぼり、緋衣であると確信を得てからプロフィールに目を移したところで、画面をスワイプしていた美希の指が止まった。

『三人組アーティスト・ランディエの一人です』

「……アーティスト?」

 それ以上は書かれていない。必要最低限とすら言えない、いくらなんでもシンプル過ぎる自己紹介だ。

 ――けどアーティストってことは、やっぱ芸能活動はしとるっぽい。

 検索結果のページに戻り、他に候補として挙がっていた別のSNSもタップした。そちらは「名字は赤くても名前は青! ランディエの緋衣青士です」と先ほどより自己紹介が長めだが、簡潔なことに変わりはない。

 筆まめなタイプなのか、どちらのSNSも投稿頻度が高かった。気安い口調からは想像もつかない、あくまで活動を宣伝するためのきっちりした印象の発信だけでなく、足を運んだ店の紹介などは気安い調子で綴られている。

「……ランディエってなんやろ」

 限られた情報から考えるに、緋衣が属しているグループの名前か。

 検索してトップに表示されたのは、想定外の一言だった。

『ランディエ 男性アイドルグループ』

「……アイドル……?」

 検索結果にはグループとしてのSNSも複数見受けられ、その中の一つを恐る恐るタップする。丸型のアイコンはグループ名のロゴと三匹の青い蝶で、ヘッダーには緋衣のほか若い男性二人が横並びになった画像が使用されていた。

 フォロワー数は三万人を超え、アイドルとしてのライブだけでなく個人でモデルや舞台など、幅広い分野での活躍が記録されている。最新の画像にはライブハウスのステージと思しき場所で歌って踊る様子が写され、会場のそこかしこで光るペンライトやうちわの数からも盛り上がりと人気ぶりがうかがえた。

 ――これは、もしかしなくても。

 美希はポケットにしまっていた紙の蝶を指先で摘まみ、訊ねるように呟いた。

「あたしエラい人とエラい約束してしもうた、んかな……?」

 胸の鼓動が早まるのは驚きゆえか、それとも。風邪を引いた時と同じくらい頬が熱い。

 ふくく、と答えるように蝶の翅がはためいた気がした。

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青い蝶との約束 小野寺かける @kake_hika

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