最終話

 白いキツネが神谷木警察署かみやぎけいさつしょの前でぴょんぴょこしていたのは、行方不明事件がぴたりと止まった次の日のこと。


 太陽が上がるとどこからともなくあらわれたその野生動物は、ツンとすました表情で警察署の入り口に座っている。まるで、自分が警察署を守ってるんだぞ、とばかりに。


 午前9時ごろになって、警察署から女性の警察官が出てきた。うらめしそうに太陽と、白いキツネとを見るその女性は礼谷由愛れいやゆあ。ゆうのお母さんだ。


「なんで、私がこんなことをしなくちゃいけないの……」


 そう言ったものの、由愛はキツネをつかまえるのが得意というわけじゃない。普通の警察官だ。


 由愛の手には、大きめのネットがあった。それで、キツネを森にかえしてあげなさい、と偉い人から命じられたのである。


 こんな大仕事、刑事で旦那だんなようにまかせようかと、ゆあはちょっと思った。


 でも、陽は行方不明事件のあとしまつでいそがしいと知っていたから、自分ですることにしたのだ


「そこから動くんじゃないわよ」


 ゆあは呟きながら、神社にあるキツネの像のように座っているキツネへ、そろりそろり近づいていく。


「捕まえたっ」


 こんしんの力で網を振りおろした由愛だったが、その中には何も入っていない。キツネはすんでのところで飛びあがり、避けたのだ。


 いきおいのまま、キツネはぴょいんと歩道へ出たかと思えば、由愛のことをじっと見つめている。


 ――ついてこれるじゃか。


 と、由愛のことを挑発しているかのように。


「やってやろうじゃない……!」


 そうして、腕まくりした警察官と白いキツネの追いかけっこがはじまった。






 頭上にのぼっていた太陽はどこへやら、気がつけばあたりは夕方になっていた。


 神谷木市にはいくつか空き地がある。持ち主がいなかったり連絡がとれなかったりして、放置されている土地だ。子どもたちからは遊び場とも呼ばれていたりする。


 その一つにキツネは入っていった。由愛もその後を追う。


「……なんでこんなことになったんだっけ」


 などと思いつつも、由愛が白いキツネを追いかけているのは、執念といっても差しつかえない。


 ここにいたるまでに、由愛は何度もネットをふるい、そのたびにキツネに笑われた。


 空き地には不思議ふしぎなことに雑草ざっそうが生えていなかった。赤茶色の土がパラパラと風に舞う、さびしげな場所。


 その中央に、でんとゴミ収集車がとまっている。いや、すてられている、と言った方が正しいかもしれない。

 運転席のガラスは割れていたし、タイヤはすっかりパンクしている。清掃会社の名前は、雨風によってかすれていた。


 その車の後ろの方に、キツネはいた。


「やっと追い詰めたわよ……!」


 そんな恨みつらみのこもった由愛の声にも、白いキツネは動じない。しっぽも動かさずに、由愛が近づいてくるのを見ていた。


 由愛はそっと網を構え、キツネめがけて振り下ろそうとした。


 そのとき、キツネがコーンと一鳴きする。そのかねを鳴らしたかのような音に、由愛はとびあがった。


「な、なによ。捕まえるなっていうの? でもねえ、上が命じたわけだし……」


 キツネは否定ひていするかのように、しっぽをフリフリ。それから、どすどすと車をけりはじめた。


「これがどうかしたの?」


 コーン。


「……まるで人の言葉がわかっているみたいなへんじをするじゃない、あなた」


 白いキツネは何も言わずに、由愛を見た。


「わかったわよ、こいつを調べればいいんでしょ」


 コーンと肯定するかのようにキツネが鳴いた。






 中を見てみたものの、運転席には何もなかった。


 となると、後ろを見なければいけない。だが、ゴミを入れるための開口部はさびついていた。貝のようにぴっちり閉じていて、なかなか開かない。


 しょうがないので、由愛は持っていた警棒けいぼうを突きさし、テコの原理を使って、こじ開けることにした。


器物損壊罪きぶつそんかいざいに問われませんように……!」


 ばきりと音が鳴る。


 サビついていた扉が、あたためられたハマグリのように自然と開いていく。


 てつくさいにおいと何かがくさったようなひどいにおいが飛びだしてくる。


「ひどいにおいね、何が入っているのかしら」


 ゆあはペンライトを取りだし、中を照らす。


 そこにひろがっていた光景に、由愛は身をのけぞらせずにはいられなかった。


「な、なによこれ……!?」


 そこにあったのは無数の骨だ。こどものものと思われる小さな人の骨が、山のように積みあがっていた。


 そのどれもが、こなごなでぐちゃぐちゃで、ひとつとして形をたもっているものはない。


 いや、ひとつだけきれいなかたちをたもっているものがあった。


 中に散らばった骨よりもずっとおおきな――大人の骨。


 古めかしいヘッドホンをつけたその骨は、カベにもたれかかるようにすわっていた。バンザイのままの両手は、なにかでカベに固定されているようであった。


「ひっ」


 この骨は、骨だらけのここに、閉じこめられていたのではないか――。


 由愛は扉を閉めた。


 悲鳴のような音とともに扉が閉まる。中にたまっていたひどいにおいもしなくなって、ゆあはおもいっきり深呼吸する。


 見上げると、キツネと目が合って、ゆあの心臓は飛びはねた。


「びっくりした……そういえば、あなたもいたんだったわね」


 キツネは返事をせずに、じっと由愛のことを見ていた。


「もしかして、案内してくれたの……?」


 キツネはやっぱり何も言わなかった。


 ――だけども、返事をしなかったわけではない。


 白いキツネは頭を一度下げたかとおもえば、ゴミ収集車の向こうへと走り去ってしまった。由愛が呼びとめるよりも早く。


 風みたいに消えていった白い背中を、由愛はあっけにとられて見ていたのだった。


 夏の熱がまださめない8月のことであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おキツネさまの言うとおり 藤原くう @erevestakiba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ