第18話

「――ゆうくん?」


 またしてもやってきた声にハッと我に返る。

 隣を見れば、視界いっぱいにあおちゃんの顔があって、ぼくをおどいた。


 心臓がドキドキしている。たとえるなら、今にも発射しそうなミサイルみたいだ。


 おちつけ、おちつけぼく。ただ、あおちゃんのきれいな顔が近づいていただけじゃないか。


 深呼吸深呼吸……。


「どうかした?」


「な、なんでも」


 ぼくはかろうじてそう返事をして、椅子に座りなおす。


 あおちゃんはにこりと笑っていた。ひまわりのようなはじける笑顔に、ぼくの心まで弾けるよう。はじけるどころか、ホップステップジャンプだ。


「それよりも、なにかよう? 宿題を写させてほしいとか……」


「そんな、ゆうくんじゃないんだから」


「だよねー。あ、じゃあ、本をしてほしいとか」


「ううん、そうじゃなくて」


 あおちゃんは、少し考えるようなそぶりを見せて、ぼくに顔を近づけてきた。


 ――ももも、もしかしてっキス。


 頭の中に、本で読んだ光景が浮かんでくる。そんなわけあるかと思いつつ、そうであってほしいとも思っている。


 でもやっぱりそうではなくて。


「ひそひそ話がしたいの」


 あおちゃんはちいさい声で、ぼくと話をする。大事な話がしたいみたいだ。


 耳を近づけると、あおちゃんの吐息といきがかかってくすぐったい。


「わたしを助けてくれたのって、ゆうくんだよね?」


「え!?」


 ぼくはおどろいて声をあげてしまった。かなり大きな声だったらしく、教室にいたみんなが、そろってこっちを見た。なんでもないと頭を下げる。


 それから、あおちゃんの方をむきなおる。


「ど、どうしてわかったの」


「見てたから。キツネのお姉ちゃんといっしょにいるところ」


「あ、てんこちゃんといるときか」


 どうやら、怪異かいいと対面したときのことを見られていたらしい。そういえば、怪異と人影の距離はそれほどなかったわけだし、みられていてもおかしくないよね。


「あの人、てんこちゃんっていうんだ」


「うん。女の子なんだけど神様で、あおちゃんを探してもらうのを手伝ってもらったんだ」


 ぼくがそう言うと、あおちゃんはふくざつそうな顔をしていた。怒っているような喜んでいるような……。


 どんな気持ちなんだろうと、まじまじ見ていると、


「ありがとうね」


「な、なにが?」


「私を助けてくれて」


 あおちゃんはちいさく頭を下げた。ぼくはあわてて「気にしないで」と言う。


「だって、と、とっと、友達じゃん」


「だからって助けにきてくれるのはそんなにいないよ。ゆうくんだけだったし」


 そう言われると、ぼくとしてもうれしくて、頭がかゆくなってきた。


「あ、あははっ。でも、ぼくがいっしょに遊んでいれば、あんな化け物に連れさられることにもならなかったのにね」


 照れかくしそう言ったら、あおちゃんが顔をそむけた。


「ううん。まきこまれに行ったのは私の方だから……」


「えと……どういうこと?」


 しばらくのあいだ、あおちゃんは口を閉ざしていた。


「私は行方不明になっている子たちのことが気になって調べてたの」


「なっ……」



「それで、行き止まりにいったら、くらってして。そしたら、もうあの世界にいて」


 あおちゃんが静かに話してくれたことは、あの赤の世界に入った、ぼくにしかわからないことだった。


 似ているのに人のいない世界。その世界を走り、逃げまどう子どもたちを追いかけるゴミ収集車。


「私は隠れてたんだけど、一人の男の子が捕まりそうになってたから」


 あおちゃんは、その男の子を守るためにあえておとりになった。


「それで追いかけられてたんだ……」


「だから、ゆうくんは命の恩人」


 ありがとね、とあおちゃんがふたたび言った。


「ぜんっぜん、ぼくはなにもしてないよ。お礼なら……てんこちゃんに言ってほしいな」


「てんこちゃんって、いっしょにいた女の子だよね。あの子って、見たことないけど」


「それが……」


 てんこちゃんが姿を消したのは、さっきも言ったとおり。


 なぜとか、どこに行くとか何も言わず、まるで雪がとけるようにフッといなくなってしまった。


 あいさつくらいしてくれたらよかったのに。


 それに――ぼくだって「ありがとう」って言いたかった。


「あはは……ぼくも教えてほしいよ。どこにいるのか」


「そっか、でも神様ってことはまたどこかで会えるかも」


「神様とそこらへんで会えるのも、怖いけどね」


「ううん」とあおちゃんは首を振った。「意外とそこら辺にいるんだよ?」


 笑いながら言ったあおちゃんは、それこそ神様みたいだ。


 そんな友達と話をしていたら、先生がやってくる。もう、朝の会の時間らしい。


 朝の会の最初に、先生がコホンとせきをした。


「あー、今日は新しくこのクラスにやってきた生徒を紹介します」


 どうぞ、と先生が言ったとき、ぼくはなんだかイヤな予感がした。なんでかはわからない。お父さんがよく言う刑事のカンってやつなのかも。ぼくは刑事じゃないけど、その血は受けついでいる。


 ソワソワしているうちに、ガラガラと扉が開いて、ちいさな女の子が入ってくる。


「あっ」


 教室に入ってきたのは、見たことのありすぎる女の子。ぼくたちと同じような服を着た彼女は、黒板に近づくと背を伸ばし、チョークで名前を書いていく。


 そして、こっちをむいて。


「転校してきた葛乃葉くずのはてんこと言います」


 そういって頭を下げ、ほかでもないてんこちゃんだった。


 あわあわしているぼくの前で、先生が、ぼくの隣の席を――あおちゃんとは反対の方だ――を指さした。


 ざわざわとするクラスメイトの間を、てんこちゃんがゆっくりゆっくりとぼくの方までやってくる。


 席に座って、


「これからも、よろしくたのむよ」


 ――ゆうくん?


 そう神様はささやいた。

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