第25話

 どれぐらい経っただろうか、時間にして短いのかも知れないが長く感じられた。


 ハクの嗚咽のような悲鳴のような、その声にならない唸るような声だけがそこを支配していた。形容しがたい状態でテーブルに突っ伏して泣き、椅子とテーブルにめ込まれるようにそれらと一体化していた。私達は残されたパズルのピースのようなもの、ただそこに残された私達もハクと同様にパズルのように合致して混ざってしまうのではないか、ハクの様子を見てそう感じた。


 松葉が何も言わずハクを抱え込むように肩を掴んでは、片腕を持ち上げるようにして立たせ、離れた一本の木まで誘導するように運んでは木の根に背をもたれさせて座らせた。その場に居れば嫌でもが視界に入るだろうと考えた松葉なりの気遣いだろう。


 やはりこのゲームで人は死ぬ、ここは非現実的現実。


 夢を夢と認識した場合、幾らでも無茶はできるが、それを非現実と確定させた状態であるとそこが現実であった場合、その考えから脱却できずに現実を目の当たりにする。


 統合失調症や自閉症やLSDによる幻聴幻覚症状、これらはある一定の現実からその区別がつかなくなる。


 周りのイメージと自身のイメージのギャップが合わず、他者からすれば奇異であり、自身はそれが現実であるとして行動する、そうなれば必ず現実に影響を与えることになる訳だ。この状況だけが確定しているのだから、これが現実であり、そこを混同するように否定すればこの世界は嘘と自身で認識しては、それがこの場に影響され事実として残っていく。


 ハクは撃った、そして杉原は死んだ、これが事実。


「何なんだよこれ、どういうこと!?」


 ガクがパニックになるのも無理は無い、ハクが撃った事実と杉原が死んだ事実、その事実とこの世界における非現実が煮込まれたスープみたいに混ざって、その事実が現実であると認識できないのだろう。


「これ何かのいたずらとかじゃないの!?」


「うるせえ、静かにしろ、認めるしかない」


 先崎が誰を見るでも無く、メモを取りながらその本と会話をするようにしてガクをなだめる。


「認めるって何を?」


「ハクが撃った、そうして杉原が死んだ、これを認めろ」


「認めるって言ったって、まだわかんないじゃん、この人だって死んだフリしてるだけかも知んないし」


「なら確認しな」


 そう言って先崎は二本目だろうか、煙草に火をつけて口にし、くゆらせるようにして煙を吐いた。


「確認って…」


 ははっ、と先崎が笑い、椅子を引いて立ち上がると、くわえ煙草のまま杉原を「よっ」と声をあげながら腹から抱えあげた。


「こう、やるんだよっ」


 そう言って杉原を仰向けに投げるようにして寝かせた。


 は何やら泡立っていて、茶色ともいえない黄色ともいえない液体が血液と混ざりきらずに分離するかのようにべっとりと濡れている、その液体は髪にまで付着し、一束の形をつくっていた。


 先崎は手を合わせてから一呼吸つくと、脈拍、心拍、呼吸、ひとつひとつ確認する。


「こいつは死んでるよ、ガク、俺も認められねえなら、お前が自分で確認しな」


 厳しい物言いだが、先崎は理解している。


 今起きている事実から物事を考えなければならない、この世界を否定するのは自由でもこの事実を認めなければ死を招くことにもなりかねない、それは自死でもあり、他死でもある。それはこのよくわからない世界で行われているよくわからないゲーム、その敗北も意味し、それは全体の死でもある。


「…やだよ」


「そうか、ならこいつは死んでねえよ」


「え?」


「嘘だよ嘘、息もしてるし脈もある」


「どういうこと?」


「お前が確認しねえ限り、お前は何も知る事はできねえって事だ、今のお前ではな」


 今ガクには正常な判断が出来る状態ではない、ガクはパニックに陥っているのだから、その事実を知れよ、そう言いたいのだろう。かなりの荒療治だが最も時間をかけずに最も効率良く現状を知れる方法、先崎はこのような状況を何度も味わったのだろう、パニックに陥った者の対処に迷いが無い。


 ガクがゆっくりと死体に向かって歩いた。


 時折目を背けながら、顔中が真っ赤に染まった先程までモンスターだった杉原のそばまで着くと、忌み嫌っていた筈の杉原に対して先崎と同じように手を合わせた。


 屈んで手を取って脈を取る、胸に耳を当てて心音を確認、鼻付近まで耳を近づけて呼吸を確認。


 ガクは無言のまま立ち上がり、その場で動けなくなった。

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