『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』1

 2018年は最悪だった。

 ちょうどその頃、二つ仕事を掛け持ちしていて、一つの方で、とんでもない中傷を受けていた。とある教育関係の現場で、生徒である中年女性が、僕のことをとことん嫌いだったらしく、なにからなにまで難癖をつけてきた。その主張はかなりの思い込みとプライドの高さからくるもので、いくら違いますと他の先生がいなしても、聞こうとしない。正直へとへとになっていた。

 ハラスメントを受けているのはこっちだよ、そもそも学びにきてないでしょ、あんたは褒められにきているんだろ。だから気に入らないことを年下の講師に言われ、難癖つけてるだけじゃないか。

 そう言ってやりたかったけれど、もちろん言えない。

 結局のちに、トップが変わったのをいいことに、辞職することにした。

 あの職場で学んだことの一つに、

「学ぶ・新しく始めるというのは素晴らしいが、それまで培ってきた思い込みから解放されることは難しい。むしろそれこそがもっとも取り組むべきことなのかもしれないっていうのに」

 ということがある。

 とにかく、いろんな譲らない人々を見てきた。老いも若きも、いまの自分でなんとか押し通そうとする。ありのまま(もちろん「書く」ことは飾ることから免れないけど)の自分の才能を肯定されたい。

 昔演劇をしていたときに、演出家に言われた言葉がある。

「もっとも重要なのは謙虚さ。そして柔軟性」

 つらつらとあの頃のことを思い出して、いま腹を立てて書いているけれど、多分自分だって、頑なで、謙虚でなくて、柔軟性に欠けている。

 もう一つの仕事は本屋で、教育現場のストレスをなんとか緩和させてくれた。やっぱり本屋が一番向いているのかもしれない、と思った。

 なんとなく、このままだと小説家になりますなんて大口を叩いていたけれど、叶いそうもない。どうもあたまがぼんやりとしていて、書き上げることができないと悩んでいた。

 何年か前に、某賞の最終選考に残って以来、短編じみたものを書いていたけれど、出来はよくなかった。いや、これがいいのか悪いのか、自分でも判断つきかねていた。そんなことを考えずにがんがん書けばいいのだけれど、その頃(いまもだけれど)、自分を信用できない、そもそも自分になにがしかの才能があるのかも疑わしい、と感じ始めていた。

 このまんま、本屋で働いて生きていこっかな、と思い始めていた。

 そんなとき、しばらく本屋で平積みになっていた本を整理するたびに手に取っていた。入り口近くの新刊コーナーにあったから、一日たつと軽くほこりが被ってしまう。

 いい表紙だった。男の子と女の子の描かれた表紙。タイトルも大変惹かれる。でも、ほこりを払っては元に戻す、を繰り返していた。

 新刊は毎日やってきて、小説だけでなく、漫画も雑誌も、読むものはたくさんある。なので、新しい作家の本を読み始めるには、なにか決め手がないとなかなか。

 毎日のように社販で本を買っていたのだけれど、その日は買うものがなかった。

「珍しい」

 なんて同僚に言われ、それなら、とずっと気になっていた本を買うことにした。

 正直、「カクヨムねえ」と、思っていた。

 読書好きの人間あるあるだけど、Web小説に対して非常に強い偏見を持っていた。

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浅原さんの小説(仮) キタハラ @kitahararara

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