君の命日、夏休み

瑠栄

あと100年

「あの、君」


「はい?」


 僕が声をかけると、彼女は振り向いた。


 漆黒の髪、黒曜石のような瞳。


 とても綺麗で、とても懐かしかった・・・・・・


「…何でしょう??」


 ボーッとしていた僕は、我に返り笑った。


「ちょっと話したいのですが、いいでしょうか?」


 彼女は首を傾げたが、やがて頷いてくれた。


「いいですよ」


 彼女を運転室の端にある席に座らせ、上からアナウンス用のマイクのような物を引っ張る。


「えー、こちらの電車は夏の駅・彼岸行き、彼岸行きでございます。ドアが閉まりますので、ご注意ください」


 ドアを閉めるレバーを引き、真横にある紐を引っ張った。


"ポッポー"


 この電車は、見る人によって変わる不思議な電車だ。


 今乗っている人達には、普通の電車に見えているのだろう。


 ちなみに、僕には明治時代の機関車にしか見えていない。


 この前(数十年前)に乗って来た女の子が、"機関車"を知らなくて代わりに"電車"と言った時から、今の人には電車の方が通じやすいのが分かり、それからはこの機関車に見えるものを電車と呼んでいる。


「綺麗ですね…」


 彼女は、外の景色に見惚れたのだろう。


 思わずといった感じに、独り言をつぶやいた。


「そうですね」


 雲一つない青空。


 下は湖になっているが、彼岸の方は夜で花火大会なのだろう。


 湖には、一面の藍色に色とりどりの大きな花火が映し出されている。


 余所見運転は許されないから、僕は前を見ながら彼女に問いかけた。


此岸あちらが、恋しいですか?」


「いいえ」


 間髪入れずに来た予想もしない返答に、僕は思わず振り向きそうになった。


(いかんいかん。またペナルティーをくらう所だった・・・)


 こういう時、大体の人は生前を思い返して泣いているものだ。


 正直、この返答は頭の片隅にもなかった。


「未練もなさそうですね」


「そうですね」


(まぁ、当たり前か)


 未練があれば、此岸に幽霊として残っているだろう。


 『うーむ』と頭を悩ませていると、彼女は突然口を開いた。


「あの」


「はい?」


「その…、名前をお伺いしても?」


 僕は自分がまだ名乗ってすらいないのに気づき、前を向きながらも、慌てて自分の頭から帽子を取った。


「これは、失礼。私は、"夏の駅員"と申します。何と呼んでいただいても、構いませんので。今は仕事上の関係で後ろを向けず、すみません」


「いえいえ、お気になさらず。私の名前は、小鈴こすずです」


「それでは、小鈴ちゃんでも?」


「"ちゃん"は要りませんよ。それでは、夏兄様なつにいさまでも良いですか?」


「な、夏兄・・・???」


「なんとなくです。深い意味はありません」


 コロコロと名の通り、鈴のように笑う少女に僕もつられてフッと笑った。


「構いませんよ。それでは、小鈴。短い時間ですが、どうぞよろしく」


「宜しくお願い致します、夏兄様」


 それから、僕達はかなりの時間話した。


 僕からは、僕の仕事仲間やこれから行く彼岸について。


 小鈴からは、今の"けーたい"という物や実際に見た花火の美しさについて。


 思ったよりも長く話し過ぎたのか、彼岸の灯りが見えて来た。


「あれが、小鈴が行く彼岸だよ」


「彼岸…」


 小鈴の声色が、少し暗くなった。


「どうした?」


(さすがに、彼岸が見えると怖いのか??)


 そう思ったら、小鈴はまたも予想だにしない事を言った。


「夏兄様は…、来ないの?」


「…言ったろう?僕は、仕事をやらなきゃいけない。と言っても、あと100年だけどね」


 何て事ないように笑うと、小鈴が急に抱き着いて来た。


「お、っと。危ないよ、小鈴。今は仕事」


「夏兄様も一緒に来て!!!」


 ずっと冷静で落ち着いていた小鈴が大声を出したのに、僕は驚き過ぎて目を見開いた。


「どうしたんだい、急に」


「夏兄様は…、夏兄様は何にも覚えてないから!!!!」


「え、何が」


「私の事も、前に死んだ時もこうやって話してくれたのも、生前の事も何一つ覚えてないから!!!!!」


 思わず、僕の喉がヒュッと鳴った。


「え…」


「何一つ覚えてなかった!!何一つ…、少し、も……」


 徐々に涙声になってきた小鈴の声に、僕は戸惑った。


 僕の事を抱きしめている小鈴の手に触れると、ギュウッと僕の服を掴んでいるからか小刻みに震えていた。


 …今日、小鈴に会ってから僕は確かな違和感を覚えていた。


 小鈴の姿に妙な懐かしさがあった事、"小鈴"呼びに何の抵抗もなかった事、夏兄様呼びにもすぐに馴染んだ事、転生して覚えていないはずの小鈴が僕の事を覚えていた事、仕事仲間達にも話していなかった好物を小鈴が次々と当てていった事。


「…小鈴、ゆっくり深呼吸してごらん」


 小鈴の手をポンポンと優しく叩きながら、僕は落ち着かせるように言った。


 小鈴は、僕の叩くリズムに合わせて深呼吸した。


「ふぅ…、ふぅ…」


「そう、上手だ」


 彼岸まで、あと数分といった所か。


「…小鈴、話してくれる?僕が忘れてる事」


 小鈴は、小さく頷いてから少しずつ話してくれた。


 小鈴と僕はこの電車の運転席で何度も話していたらしい。


 僕だけが忘れていたのは、彼岸と此岸が交われないように、僕と小鈴は交われる関係ではなかったからだろう。


 そして、もう一つ。



 僕と小鈴は――――、生前兄妹であった事。



 僕は、自殺した…正確には戦争中に小鈴を守って死んだらしい。


 それを自殺換算するのかよ…。


 神、許さん……。


"チリンチリン"


『彼岸、彼岸、彼岸でございます。お降りの方は、お忘れ物をしないよう…』


「…着いちゃったね」


 駅のアナウンスを聞きながら、僕は振り向いた。


 顔がグシャグシャになっている小鈴の顔を見て、フッと笑った。


「ほらぁ、せっかくの顔が台無しだぞぉ」


「だ、って、ひっく」


 また泣き出してしまった小鈴の手を引き、1回ホームに出る。


 これからまた数分後、夏の駅に戻らなければならない。


 正直、あまり時間が無い。


「ほら、もう泣くな~」


 ポケットから手拭いを出して、濡れた小鈴の顔を拭く。


 そして、手拭いをそのまま握らせる。


「これをやる」


「…いっ、いの、?」


 少しだけ思い出した。


 まだ完全じゃないけど。


 この手拭いは、両親の物だった。


 でも、また僕は忘れてしまうだろう。


「良いか、小鈴。あと100年。あと100年だけ、我慢してくれ。次は、一緒に彼岸の駅を越えてやるから」


「っほ、んとう?」


「ああ、本当」


 そういうと、僕は小鈴を抱きしめた。


「だから、次は100年後だ。絶対、それまで生きろよ」


「う、ん」


「その時は、また電車で話してやろうな」


「う、っん」


「よしっ」


 体を離し、頭をなでる。


「ほら、行きな」


 ポンッと小鈴の背中を押した。


 この彼岸の駅を出れば、すぐに転生だ。


 小鈴は駅を出る瞬間、少しだけ振り返ろうとしたけれど、頭を振って駅から1歩踏み出した。


 小鈴の体が、少しずつ消えていく。


「小鈴!!!!!」


 僕は、力一杯叫んだ。


 小鈴は、すぐに振り向いた。


 そして、また僕はフッと笑った。


「次は、あまり早く来ちゃダメだからな」


「っ…」


 小鈴は、一筋だけ涙を流して笑った。


「うん……っ!!!」


 小鈴が完全に消えるのを見届けて、僕は少しだけ小鈴が消えた場所を見つめていた。


 少しして、僕は決心したように電車の運転室に乗り込んだ。


『まもなく、彼岸の駅・夏の駅行き、夏の駅行きが出発いたします。ドアが閉まりますので、ご注意ください』


 ホームのアナウンスを聞き、僕はドアを閉めるレバーを引いた。


 此岸での花火大会は終わったらしく、上には青空と下には紺色の湖が広がっている。


 僕は、今までにないくらい勢い良く真横の紐を引いた。


"ポッポー!!"






 ――――――景気よく、汽笛の音が駅中に響いた。

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