私のおやすみは” l love you “で

柑月渚乃

私のおやすみは” l love you “で


「飲み過ぎじゃない?」


 目蓋を閉じかけては開けてを繰り返している彼に私はそう言った。

 いや、口が勝手にそう言った。アルコールの摂りすぎを防止するためのプログラムが発動したのだ。


 私の視界の中に彼の体温が数値として映る。先ほどより、少しずつ数値が上がっていた。呼吸速度もゆっくりとスピードを落としていく。


 ああ、これはあと数分で寝る。私の記憶がそう言った。いつもの事だ。


「リサ、大丈夫だから」


 語尾が霧が晴れていくように薄れていった。寝言みたいに曖昧に彼は言葉を吐く。


「はいはい」


 彼は、また無駄に強がる。結局、寝てしまうのに。強がる必要なんてないのに。


 私の口角が自然と上がった。私の知らない指令が口元に伝わったらしい。こういう風に単純に、裏の思考から汲み取って命令を出してしまう事が、私の体の嫌なところだ。


 寝たらソファまで彼を運ぼうか。私は彼のサポートをするアンドロイド。

 でも甘やかしすぎは彼に良くない。寝室には自分で行ってもらおう。そう私は決意する。


「ツカサ?」


 そんな事を考えている間に彼はすっかり夢の中へ入っていた。私の呼びかけに反応がない。優しく小さな寝息が彼の体から聞こえてくる。


 はあ、と人間なら溜め息を吐いているところだろう。


「ツカサ?寝てる?」


 一応、肩を叩いてみるがこれも反応はない。全く、世話のかかる人。


 彼の体を持って、私はソファへ動く。 もちろん重くは感じないが、強引に運んでしまっては起こしてしまうかもしれない。

 私は風に吹かれる草の穂のように優しく静かに彼の体を動かした。ソファのクッションが彼の重みで沈んでいく。


 ソファに横たわる彼の寝顔は優しくて、いつまでもそうしているような安心感がある。ずっと寝ててもいいですよ、そう私は心の中で呟いた。


 部屋には彼の小さな寝息と私の動く音が鳴っている。


 こうやって私が体を動かすときしか音が鳴らなくなると、少し切なさに似たなんとも言えない感情を覚える。

 とは言っても私は本当にその感情を感じているかは分からない。


 もしかしたら、この状況になったことであるプログラムが動き出し、切なさという言葉が私の中の辞書から引かれただけなのかもしれない。


『AIが人間の心なんて分かる筈ない!』


 そう言われてから、もう何年も経ったという。直接、私がそう言われた覚えはない。それがこの言葉を否定出来る証拠の一つだろう。そもそも、もし分からなくても、もう社会には溶け込んでいるんだ。


 そんなこと言わなくてもいいのに。私だって人間が持つ感情を知りたいさ。でも、きっとこの時だって私の中のプログラムが動いているんだろう。


 そんなことを考えていると、ふと私のカメラに写真立てが映る。彼と桜を見に行った数ヶ月前の写真。


 でも、注目したのはそこではない。


 その写真の端から一枚同じサイズの紙の端のようなものが飛び出ている。


「あれ?」


 人工知能はあらゆる知識から多くの予測を行える。それが今は嫌だった。色んな可能性がよぎって不安感がちらついてしまう。


 私は人工的に作られたその指で写真立てからその紙を取り外した。


 それは桜と私が写った写真だった。でも違う、それは私じゃない。記憶のどこを探してもこの景色と合致しない。やめて、気付きたくない。

 場所はこの前行ったところと同じだ。でも周りの開発途中の建物や私の服装がその時と違う。これは私じゃない。


 今何が起こっていて、過去何があったのか理解するまで3秒もかからなかった。


「リサ……」


 機械の稼働音しか聞こえないほど静かな部屋の中、一つ彼の優しい声がする。でも、それは切ない声。


 だって、もうリサはいないから。


 私はリサじゃない。おそらくリサの代わりだっただけだ。


『桜が散らなかったらいいのにね』


 彼の言葉が私の過去の記憶から蘇る。きっと私もそれと同じ。散らない桜、それが私。


 なら私はいらない?だって私は本物のリサにはなれない。それなら……いや、何を考えているんだ。私は人工知能なんだ。人間の代わりにアンドロイドを使うことなんてありふれているだろう。 なんでこういう時だけ。


 でも、それなら私は誰?


 いや。でも、それでも。彼が悪いわけじゃない、そんな気がするんだ。彼はリサを失ったことで空いた穴を埋めたかっただけ。彼は悪くない。


 だけど。


 もう埋めてあげられない。散らない桜は望みであって、必要なものではない。


 彼に必要なのは私じゃないはずだ。


『AIだって人の心は分かるはずさ』


 また過去の彼の言葉が蘇る。


 ツカサ、違う。私はAI。どれだけ人間らしくあなた達が造っても接しても、人の心なんて分からないんだ。だから私は合理的な判断を下す。あなたの気持ちなんて考えずにあなたにとってより良い選択を。


 ソファの方へ顔を向ければ、あなたという人はあいも変わらず優しい顔をして寝ている。


「全く、馬鹿っぽい顔ですね」


 涙なんて流さない。私は人間じゃないから。これでいいんだ。


 アンドロイドじゃなければ良かった、気づかなければ良かった。そんな考えは失格かな。彼の事を思えばこれが最善なんだ。でも、もっと機械らしく生きれば良かった。中途半端に人間らしいアンドロイドになるくらいなら。


 もっとボーッと生きていたかった。そうすれば辛くもないのに。


「おやすみ」


 私はそれだけ言って眠りについた。







 とあるマンションの一部屋、まだ明かりがついている。

 そこには透明な涙を流したロボットと一つの寝息が聞こえるだけ。


 時計は小さな音を立てながら秒針を進める。


 時刻は0時を回った。

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私のおやすみは” l love you “で 柑月渚乃 @_nano_

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