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特に何もない日

 こんばんは。柑月渚乃っていいます。

 今回は特に話すことがあるわけでもないですし、以前のような痛い身の上話をするわけでもないです。
 というか、話題もなく書き始めたので当然です。いつもの痛い文章には意外と手間がかかっているのです。

 でも意外とこういう突発的に書き始めた方が近況というのをリアルに書けるのかもしれません。
 ただ、暇だからこんなことをしてるってわけでもないです。本当は忙しくなくちゃいけないはずなのにこんなことをしています。

 暇と退屈ってちょっと違うんです。
 記憶と思い出って、日常と生活って、眠たいのと寝たいのってちょっと違うんです。

 暇じゃなくても退屈なときはあるし、誰もが日常的に生活できるわけじゃないし、眠たくないけど寝たいこともあるし、
 思い出は全部記憶しているけど記憶は全部は思い出せない。

 少しパクっているのバレているでしょうか。(森博嗣作『すべてがFになる』より一部)



 最近は『魂削って書いたので』という作品の修正をしています。
 ある方が丁寧に感想を下さったので私も丁寧に心が折れました。(皮肉の意味はないです)(とか言うとあるように思えるでしょうか。本当にないです)

 心が折れたのはただどこか慢心していた自分が悪いのです。とにかく今はより良い作品になるよう書き直しています。
(誤解されるかもしれないので言っておきますが、感想を下さった方は本当に優しい方でした。暴言を書かれたなどでは決して決してないです)

 私は、やはり不器用らしいのです。伝え方が。今まで伝えようと思っていたことの殆どが、伝わってなかったらしいとのことです。(小説の話です)



 例えば、そうですね。(伝えたいことが伝わってないということの例を言おうとしてます)

 日傘差す 日の光より 眩しくて

 という句を私が詠みます。ではここで問題。(別に答えなくてもいいタイプの問題です)
 Q.日の光より眩しいのは何?

 詠んだ私の答えとしては
 「A.日傘を差す君」です。

 確かにわからないですね。
 いや、わからないのでしょうか。一度納得してみたものの、それすらもわかりません。(ここで、確かに分からないと言った方が流れ的にきれいだけど、それは本心じゃないなって言ってます)

 日傘差す──ときたら大抵、人もしくは光が続くじゃないですか。続くのは傘を差す人の描写なのか、光が傘に差しているのかってことです。(そういう情景を想像するじゃないですか)(感覚としては掛詞・縁語にちょっと似てます)

 そういう聞く側の想像を用いた表現なのですが……いや、無理ですね。
 やっと納得しました。これは期待しすぎというか、流石に酔いすぎ・自己中心的、ですね。(ちゃんと本心でも納得しました)
 
 でも線引きが難しいです。私には。
 どこまでなら言わなくてもわかってくれますか?
 私のすべてを理解してくれる人じゃないと流石に厳しいでしょうか。でも、作者なんて作品より前に出るものじゃないし……

 やっぱり私には難しいです。修正頑張ります。(小説と性格と色々の)

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