顔も名前も知らねども
笹 慎
ブログ
学生時代は多少なりとも「友人」と呼べるような人がいた気もする。ただ、彼らのことを思い出そうとしても顔も名前もモヤがかかったように、全く思い出せなかった。当然、年賀状のやりとりもなく、住所はおろか携帯電話の連絡先さえも知らない。
水曜日。週の真ん中。二時間ほど残業をして、三十分ほど電車に揺られ最寄り駅に着いた。腹は減っていたが、カップ麵でさえ作るのが億劫だったので、駅前の全国チェーンの牛丼屋で簡単に済ませる。節約のために、生ビールの注文は控えた。
帰宅後、そのまま風呂場に直行しシャワーを浴び、冷蔵庫からすぐに酔えるのが売りのアルコール度数・九パーセントの缶酎ハイを取り出す。だいたい平日はこの夜九時から寝るまでの数時間が自由時間である。私は缶酎ハイを飲みながらノートパソコンを開いた。
惰性で十年ほど続けているブログサイト。残業時間や夕飯、読んだ本など、本当にどうでもいいことしか書いていないが、稀にコメントがつくこともある。コメントがつく時は、出張先で食べたご当地料理の写真をあげた時が多い。
長年続けているせいか、こんなブログでもいつも読んでくれ、記事に「イイね!」ボタンを押してくれる読者が三人ほどいる。生活時間帯が被っているのか、はたまた同年代なのか、全く知らない人たちであるが、こうも長い付き合いとなると、勝手に親近感がわいてくるものだ。
彼らもブログを書いてくれたら人となりを知れるのに、と感じていた時期もあったが、変に互いのことを知ってしまうよりもこの単純な発信者と受信者という関係性こそが、ある種「友情」なのではないかと思い至った。
私は「新規投稿」のボタンをクリックし、今日の記事を書き始める。
『本日の残業は二時間。三六協定は誰を守っているのやら。
夕食は牛丼屋にて。期間限定のキムチチーズ牛丼はスルーし、定番の牛丼を注文。なにやらアニメとコラボしていたようで、コースターをもらう。
姪が好きなアニメであることを思い出し、写真を撮って送ると、すぐに「ほしい」と返事が来た。帰省時に渡す予定だが、それまで彼女の作品への熱が続いていると良いが。
帰宅後の晩酌は、いつものウォッカベースの缶酎ハイ。ウォッカなのに「酎」でいいのかは謎。』
そして、「投稿」ボタンを押して、少々ネットサーフィンをしてからパソコンを閉じた。誰にあてたわけでもない私の些末な日記は、顔も名も知らぬ三人のために書き続けているといっても過言ではない。
だからその翌日から「イイね!」の数が三から二に減った時は、なんとも言えぬ落胆を覚えた。最初のうちは忙しいだけであろうと思っていたが、その人は一カ月経っても戻ってきてはくれなかった。
それから、しばらくは自分の何が良くなかったのだろうか、と非生産的な自問自答を続けた。十年にも及ぶ読者である。正直、諦めきれなかった。
いなくなってしまった彼または彼女のマイページに飛んでみるも、元より記事を書いていないユーザーである。ユーザー名も初期のランダムなローマ字と数字のままだ。私は自分でも驚くほどの喪失感を感じながら、ブラウザを閉じた。
彼または彼女が私のブログを読まなくなって、二カ月が経った頃だろうか。いつもの平日のなんでもない記事に、一つのコメントがついた。いなくなってしまったユーザーからであった。
『突然のコメント失礼いたします。このアカウントを使用しておりました者の娘です。かねてより闘病しておりました父ですが、先日永眠いたしました。
生前、こちらのブログを愛読させていただいていたそうで、急に読みに行けなくなってしまったことを謝っておいてほしいと、父が残した手紙に記されておりました。
ご連絡が遅くなってしまい申し訳ございません。
長年、父と仲良くしてくださって、ありがとうございました。』
私は口に手をあてて、じっとそのコメントをしばらく見入った。弔問に、と一瞬考えたが、おそらく四十九日の法要が済んでからご連絡をくださったのだろう。
その後も彼に向けた「弔いの言葉」の記事を書いては消した。結局、なにも公開はしなかった。
顔も名前も存じ上げませんが、貴方は確かに私の友人でした。
(了)
顔も名前も知らねども 笹 慎 @sasa_makoto_2022
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます