【新連載】エトゥールの魔導師 閑話集〜大災厄の後始末〜

阿樹弥生

報告書1 閑話:正しい猫の飼い方

第1話 閑話:正しい猫の飼い方①

 滞在している娼館しょうかんの支配人室に、アードゥルがを連れてきた時、ミオラスは思わず微笑んでしまった。

 彼は無愛想だし、それほど口数も多いタイプではない。どちらかというと人間嫌いだ。

 貴族として必須である社交の才は、欠落しているとミオラスも認めざるをえない。


 エルネストなど真逆のタイプで、エトゥール王を騙し

――そう表現すると猛烈に抗議されたが――辺境伯という地位を得て、エトゥールの貴族社会に完璧に溶けこんでいた。

 そのエルネストは、趣味である博物誌の編纂へんさんに関して、ほぼ『奴隷どれいのような腕のいい絵師』を得て、連日スケッチの旅に出ている。もちろんその『奴隷どれいのような腕のいい絵師』とは、エトゥールの妹姫の伴侶だ。


 最近、アードゥルはふらりと旅をする癖が消え失せていた。

 過去の不在率から考えると驚くほどマメにミオラスの元に帰宅するようになっていた。


 多分、あの不思議な移動できる陰陽陣おんみょうじんである『ぽーたる』とやらを多用しているのだろう、とミオラスは察した。

 出かけても、2〜3日で戻ってくるし、一週間以上不在の時は、必ずミオラスの身柄をエルネストに預けていた。過保護ともいえた。だが、大災厄後の治安の悪化から用心に越したことはない。それはミオラスにも理解できた。


 そして今また帰宅した彼の手には、純白の猫が抱かれていた。傷ついた小動物を拾ってくるのは、あまり周囲には知られていない彼の行動パターンだった。

 ミオラスも慣れたもので、すぐに添毛織布タオルで猫を受け取ろうとした。


「まあ、可愛い猫ですね」

「全然可愛くない」


 不思議なことにアードゥルはいつもと違い不機嫌で、猫に対するミオラスの言葉を全否定してきた。しかもなかなかミオラスに問題の猫を渡そうとしない。

 ミオラスは首を傾げた。


「野良猫ちゃんに、引っかかれでもしましたか?」

「その方が遥かにマシだ」

「……あの……アードゥル様?」


 ミオラスはアードゥルの態度に困惑した。

 アードゥルは大きなため息をついた。


「ミオラス、いくつか注意事項がある」

「はい?」


 野良猫に対する注意事項とはなんだろうか。


「コレを抱きしめたり、でたり絶対にしないでくれ」

「え?抱きしめてはダメなのですか?」


 そんな禁止令は初めてだった。

 猫はでるもの、という認識がミオラスにはあったので、釘をさされるとは思わなかった。いつも愛でているが、注意されたことはない。


「えっと……抱き上げるのは?」

「ダメだ」

「触れるのは?」

「まあ、致し方ない」

「撫でるのは?」

「ダメだ」


 撫でる行為は、でることと同義語らしい。


「理由をお聞きしても?」

「私が嫉妬しっとで気が狂う」

「………………はい?」

「怒りのあまり、窓から衝動しょうどう的にコレを放り出しかねない」

「あの……アードゥル様?」


 困惑は大きくなる一方だ。


「この猫の話ですよね?」

「まず、これは猫ではない。ウールヴェだ」

「え?!」


 ミオラスはアードゥルに抱かれている純白の猫を凝視ぎょうしした。確かに猫の尻尾しっぽ二股ふたまたに別れている。


 ウールヴェとは、精霊の御使みつかいとされる精霊獣だ。

 あの世界が滅亡する間際だった大災厄以降、ウールヴェは絶滅危惧種と言ってもいいほど数を減らした。彼等は世界を救うためにその身を犠牲にした。それを目撃したのは、地下の遺構いこうに避難していた大多数のエトゥールのたみだ。


 東国イストレのウールヴェの幼体を売っていた商人は軒並のきなみ廃業になったときいている。今はウールヴェを発見するのも困難であるらしい。


「まあまあまあ」


ミオラスの顔がほころんだ。

 思わずアードゥルが保護をした猫の頭を撫でようとすると、アードゥルは猫を高くかかげあげ、妨害をした。

 さすがに意地の悪い行為だった。


「まあ、アードゥル様、ひどい」

「私は注意事項を言ったはずだ」

「少しぐらいいいじゃないですか」

「私はすでに発狂寸前だ」

「…………はい?」

「言ったはずだ。窓から衝動的に放り投げたくなる、と」

「そんな殺生せっしょうなっ!」

「本気だとも、ミオラス」

「落ち着いてくださいまし」

「落ちつく状態を維持したいから、触れないでくれ」


 理不尽りふじんな要求だったので、ミオラスは少しねた。


果物くだもの――林檎りんごでも用意しましょうか」

「いや、酒だ」


 なぜだか、アードゥルは顔をしかめ、腕の中の猫を睨み、それからあきらめたように吐息をついた。


「米の発酵酒はあるだろうか――高級なものがいい。こめ米麹こめこうじと水だけで作られた精米せいまい歩合ぶあい50%以下で――おい、贅沢ぜいたくだな?!」

「アードゥル様?」


 アードゥルが条件を語りつつ、自己突っ込みをしたので、ミオラスはあっけにとられた。アードゥルの様子はあきらかに変だった。


「もういい。ミオラス、下の女達に一番安いこめの発酵酒をもらってきてくれ」


 にゃあにゃあにゃあにゃあ。

 アードゥルの言葉を理解しているかのように白猫は猛烈もうれつな抗議の鳴き声をあげだした。

 ぷっとミオラスは吹き出した。


「下で店一番の米の発酵酒を探してきますわ」





 ミオラスが階段を降りていったのを確認してから、アードゥルは抱いていた猫を乱暴にテーブルに向かって放った。これは八つ当たりの感情が多大に含まれていた。


 猫型のウールヴェはその蛮行ばんこうを読んでいたかのように、華麗に身体をひねりテーブルの上に着地する。

 満点だろうと着地の採点結果を待つように、胸を張って金の瞳でアードゥルを見つめていた。

 アードゥルはその悪びれない態度に頭が痛くなり、顳顬こめかみをおさえて言った。


「………………そのふざけた姿はなんだ?」

『ネコと言って、猫科猫属に分類される愛玩あいがん型家畜であり、その歴史については古代にさかのぼれば――』


 頭に念話が届く。その思念波は間違いなく、のものだった。人を煙に巻こうとしている癖も相変わらずで、であることを証明する一つになっていた。


「誰が猫の定義を語れって、言ったっ!」


 殺気をこめて、猫が鎮座ちんざしているテーブルを右手で思いっきり叩く。

 案の定、念動力サイコキネシスの抑制がきかず、食卓テーブルの分厚い木製天板にピシリと無惨なヒビが走った。


『…………もったいない……』


 猫は自分の真横に走った天板の亀裂きれつを見下ろし、おびえることなく論じた。


『これはもうなかなか入手できない古代杉の一枚板ではないか。この傷でかなり価値が下がったぞ?』

「論点はそこではないっ!」


 アードゥルは猫を見下ろし、睨みつけた。制御している思念波が放出先を求めてバチバチとプラズナの火花をアードゥルの身体の周囲に散らす。

ダメだ、娼館の建屋ごと破壊しかねない――アードゥルは深呼吸を数回繰り返し、制御を取り戻した。


『そうか、違ったか』

「ロニオス、いったい、何がどうして、今にいたるか説明してくれ」

『シャトルで恒星間天体に特攻とっこうをかけた。猫型のウールヴェになってた』


 ウールヴェはしれっと答えた。


「………………あいだ端折はしょりすぎだ……」

『むしろ、私の方が聞きたいぐらいだ。どうやって私を見つけたのだね?』

「カイル・リードの助言だ。貴方はきっと東国イストレの造り酒屋のどこかに潜んでいると。本来だったら死んでいた貴方の『時間』に干渉して、同調した世界の番人の力を使い未来の道を紡いだと彼は言っていた」

『…………なんだって……?』

「ディム・トゥーラが貴方の死に責任を感じ悔いているから、干渉したらしい」

『…………いろいろ突っ込みたい。いや突っ込ませてくれ』


 猫姿のロニオス・ブラッドフォードは、静かに問いかけた。


『大災厄時、恒星間天体の軌道はちゃんと変わったのだな?』

「貴方は見事に変え、地上にディム・トゥーラを無事送り届けている」

『おお、私もたいしたものだな』


 猫は自画自賛した。


『で、変な話を耳にしたのだが?』

「どんな?」

『エトゥールが人を寄せ付けない天空の城になっている、と。ずいぶんファンタジックな表現だが』

「事実だ」


 今度はロニオスの方が黙り込んだ。


『なぜ、エトゥールが残っているんだ?あの隕石衝突では軽減しても爆心地であるエトゥールは消滅しているはずだ』

「貴方の息子があまりにも非常識で規格外で考えなしだったからだ」


 再び二人の間に沈黙が流れた。

 好奇心に負けたのはロニオスの方だった。


『そこを詳しく』

「世界のほとんどのウールヴェに特攻をかけさせた」

『元々、私はそのつもりだった。カイル・リードがそんな非情な策を取れるとは驚きだ。だが、それでも王都は消滅するはずだ』

「残りの防御壁シールドを地下1000メートルまで王都周辺に展開させたんだ」


 再び長い沈黙が流れた。


『…………防御壁シールドを多重展開して、強度がこのくらいと仮定して…………ウールヴェが質量を削ったと仮定する変数で質量を想定し…………突入速度を減速させたとして…………いやいやいやいや』


 ロニオスのブツブツとつぶやくような思念が漏れ聞こえる。

 量子コンピューターもなしに、暗算しているのか――アードゥルはロニオスの規格外の非常識さにドン引きした。


『あの衝突エネルギーを吸収するには無理がある』

「まあ、そうだな。だから、『エトゥールの魔導師マナ・アイフェスの奇跡』なんて尾ひれがついてしまう」

『「エトゥールの魔導師マナ・アイフェス」?ははは、魔導師マナ・アイフェスか。おもしろいネーミングセンスだ』

「いや、笑いごとじゃないんだが?」

『いや、それよりエトゥールが残存している方がおかしいだろう?!計算値があわないっ!』


 はじめてロニオスが動揺したように吠えた。

 やはり情報は小出しで釣るのが一番か。エルネスト直伝の戦法をアードゥルは採用することにした。


「続きを聞きたいなら、私の質問にも答えてもらいたい。なぜ無事ならこちらに連絡しなかった?」

『連絡するも何も、この姿だぞ?てっきり猫に転生したと思うだろう?猫に転生したのなら、来世に望んでいた通りに、酒を飲んで一生を過ごしたいと思うのは当然じゃないか』


 ガツリ!

 アードゥルはウールヴェの頭を殴った。


『い、痛いっ!暴力反対っ!』

「ほう……ウールヴェには痛覚もあると……」


 アードゥルは手を組み、指をボキボキとならして準備運動をして悪鬼あっきのように笑った。

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