第4話 閑話:正しい猫の飼い方④

「ロニオス、つく酒屋ざかやの危機だ。大災厄より問題だろう?」

「…………………どういう起こし方だ……」


 ディム・トゥーラはカイルの言葉に呆れたが、さらに呆れることに効果は絶大だった。


『それは大問題だっ!』


 まさに飛び起きるという表現が正しいように、猫のウールヴェは身体を痙攣けいれんさせて、意識を取り戻した。


「………………」 

「………………」

「………………」

「………………」


 ウールヴェはきょろきょろと周囲を見渡し、ようやく弟子でしの腕の中にいるという状況に気づいたらしく、シャトルで別れたきりのディム・トゥーラを認識したようだった。


『……………………やあ、おはよう、ディム・トゥーラ』


 蘇生そせい直後のカイルのようなふざけた挨拶あいさつに、これは遺伝か、とディム・トゥーラは眉をひそめた。

 ディムは抱いている猫に擬態ぎたいしている生物を観察した。


『それにしてもアードゥル。私はか弱い生物だから、もう少し丁寧ていねいに運搬してもらえないか?』


 ウールヴェは、そばにアードゥルを認めると、不満たらたらに文句を言った。


「能力が枯渇こかつしているというから試しただけだ」

『そうか。あのシェイク運搬は歌姫のむね占拠せんきょした八つ当たりじゃなかったんだな。誤解してすまなかった』

「…………やはり窓から放り出すか、バケツの水に顔をつけっぱなしにするべきだったな」

「アードゥル、ここに四つ目を召喚するのはやめてね」


 やんわりとカイルが、一人と一匹の間の不穏ふおんな空気に釘をさした。

 ディム・トゥーラも二人の思念会話を拾っていたが、まだ手元の猫の正体を受け入れることができなかった。

 ディムは恐る恐る尋ねた。


「…………本当にロニオスなのか?」

『私以外の候補名があるなら、ぜひ聞かせてもらおうか』

「…………飲んだくれの古狸ふるだぬき

「私はきつね派だと何度言わせる?!エド・アシュルと一緒にしないでくれ!」


 まごうことなきロニオス・ブラッドフォードだった。


 ディム・トゥーラはしばし猫姿のウールヴェを見つめてから、意外にも安堵あんどしたようにウールヴェを強く抱きしめた。珍しい感情的な行動だ、と見守っていたカイルは思った。


『ディム・トゥーラ?』

「俺のせいで後始末あとしまつ尻拭しりぬぐいをさせ、貴方を死なせてしまったと思っていた……生きていてくれてよかった……」

『……………………』


 それはディム・トゥーラの本音だった。

 ロニオスはその言葉に衝撃を受けていたようだった。

 自分の死が一個人にこんなにも影響を与えていたという事実を突きつけられたからだ。

 師弟してい関係は、カイルと地上を救うという利害関係から生まれた淡泊なものと思い込んでいたロニオスには、困惑する事例だった。


『……………………ディム・トゥーラ……』

「本当によかった……」

『……………………』


 ロニオスが言葉を探している間に、ディム・トゥーラは顔をあげた。


「それにしても――」


 ディム・トゥーラはウールヴェを軽々と視線が会う位置まで持ち上げ、しみじみと言った。


「この似合わない愛玩動物ペットの姿になったのはどういうわけです?昔の狼の方が、はるかに威厳いげんがあったというのに、今の姿は残念すぎる」

『………………今、君は全世界のネコ愛好家を敵に回したぞ……?』

威厳いげんがないことの方が問題です。だいたい貴方に可愛いは似合わない」


 ディム・トゥーラはきっぱりと言った。


「いったいどういうことです?大災厄後に、再生しているなら、すぐに俺達に連絡を取るべきでしょう?貴方、酒につられて、あわよくば、東国イストレつく酒屋ざかやで長期滞在を決め込むつもりでしたね?大災厄の後始末が面倒めんどうになったんじゃないですか?この件はジェニ・ロウに報告しますからね」

『や、やめてくれ』


 猫はその宣言に尻尾を太くして怯えた。


「いえ、報告します」


 ディム・トゥーラは容赦ようしゃなかった。


「それに貴方は、カイルに対して、自分の口から言うべきことがあるでしょう?カイルには、俺から言ったし、カイルは知っていたと言うし、仕切り直しは必要だ。それによっては、ジェニ・ロウにとりなしてあげてもいいですが」


 それはほとんど逃れようのない恐喝きょうかつだった。


『………………思い出した。君はカイル至上しじょう主義のツンデレ属性だったな……』

「………………酒を禁じますよ?」


 二人の会話は通常営業に戻っていた。





 ミオラスは、メレ・アイフェス達のふざけているような会話を聞いていた。


 異国の言葉のはずの音声の意味は、すんなりと頭に入ってきた。おまけに純白の猫のウールヴェは

 加護を持たない人間には聞こえない『心の言葉』で周囲のメレ・アイフェスに、この猫のウールヴェは話しかけていた。

 それをミオラスも聞くことができた。


 この『加護』は、メレ・アイフェス達と交流できることについては、この上なく便利だったが、日常だとなかなかやっかいだった。

 問題は理解ができても、その言語をしゃべることや書くことができない点だった。



 そういう特殊な能力を『精霊の加護』と人は呼ぶ。

 王族や貴族がもつ能力とされている。ウールヴェを使役する単純なものから、未来を読む『先見』という貴重な能力まで、様々なものがあるらしい。


 ミオラスは歌と『心の言葉』を聞くことができる加護を持っている。


 ただ、エルネストとアードゥルは、これを別の名称でよんでいることを教えてくれた。心の声を聞いたり、話したりすることを『てれぱしー』といい、彼等の世界では珍しくない一般的な能力だという。


 「ミオラスの場合、それが歌と強く結びついている」と解説したのはアードゥルとエルネストだった。


 最初の頃は、彼等の説明がミオラスには理解出来なかった。


 歌は娼婦しょうふのミオラスにとっての身体同様の商売道具で、必須な武器だった。

 それに対して、エルネストが半分道楽に近い形で、ミオラスに楽譜の読み方、声の出し方、腹式呼吸の仕方、声量の鍛え方などを伝授して、ミオラスがなんなくその知識と技術を吸収した。場末の歌い手が、「東国イストレ歌姫ディーヴァ」に化けた原因でもあった。

 

 鍛えられてしまった絶対的な歌唱力に『精霊の加護』が加わったのは、彼等も計算外だったのだろう。

 事実、彼等は困惑し、慌てていたことをミオラスは知っている。



 『加護』に目覚めたことの自覚がなかった頃は、相手が口に出した言葉か、心の本音を読み取ったものなのか区別がつかないことがあった。

 当時、アードゥルとエルネストが『遮蔽しゃへい』という訓練をしてくれなければ、当の昔に発狂していたか、『魔女』や『魔物憑き』として迫害されていただろう。


 アードゥルはミオラスが言語の壁を超えられるのは、持っている能力のせいだと説明してくれた。

 一方、導師メレ・アイフェス達は独自の『言語習得』という特技を持っていて、異国の人間と交流する能力に長けていた。


 それはうらやましい能力だった。


 彼等なら大陸のどこへ行っても、生きていけるに違いない。

 ミオラスは異人である相手の言うことを加護の力で理解できても、しゃべることは難しい。意志の疎通は相手も加護を持っていることが条件だった。

 読み書きも一から学ぶ必要がある。エトゥールの言語を学ぶには、アードゥルやエルネストから絵本などを借りた。


 彼等はそういう努力とは一切無縁だった。


 ただ知識を吸収することに関しては底知れぬほど貪欲どんよくだった。

 暇さえあれば、書を入手し、それを読んでいた。


 アドリー辺境伯に化けていたエルネストなど、所蔵する書が尋常じゃない量になったため、そちらの収集家としてエトゥール国内で有名になっていた。


 その書を提供していたのは当時、風来坊だったアードゥルだったらしい。たまにアドリーの館に泊まる「宿泊料」だ、と言ってその「10倍」はする価格の書を数冊おいていくのが常だったという。


「彼は律儀りちぎなんだよ。昔から私に対して素直じゃないが、そういうところは律儀りちぎだ」

 

 エルネストは笑いながら、ミオラスに言ったものだった。




 確かにアードゥルは律儀りちぎだ。

 金髪の賢者カイルに頼まれて、この猫姿のウールヴェになっている人物を東国イストレの造り酒屋から探し出したのだから。

 猫姿とはいえ、このウールヴェを抱きしめてしまったことを、ミオラスは深く反省した。反省しながらも、アードゥルが嫉妬しっとしてくれたことをミオラスは密やかに喜んでしまって、さらに反省の材料を増やしてしまっている。


 メレ・アイフェス達の再会の会合を、微笑みながら見守るミオラスのドレスの裾が、何かにひっぱられた。


「?」


足元に白い子犬がいた。子犬は前足でドレスの裾を器用に引っ張り、ミオラスの注意をひこうとしていた。


――犬じゃない


 懐かしい声を聞いて、ミオラスは驚きに目を見開いた。

 思わず、はしたなくも床にしゃがみこみ、子犬の正体を見極めようとした。


 ダメだ。期待してはダメだ。


 そう自分に言い聞かせながらも、子犬と視線をあわせる位置に顔をさげた。子犬は金色の瞳を持っていた。


――だから、犬じゃないってば


 懐かしすぎる声だった。


「嘘……本当に……?」


 ミオラスは声をつまらせた。

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