第5話 閑話:正しい猫の飼い方⑤
それはミオラスにとって忘れることができない友であるウールヴェの声だった。
「トゥーラ……?」
ミオラスは恐る恐る名前を呼んだ。
――うん 僕だよ
大災厄の日に悲しい別れをした白い狼のウールヴェが小さくなってそこにいた。
小さい。狼の子供の姿だ。
まるで生まれて1ヶ月程度しかないような大きさだった。
ミオラスは指摘された自分のミスに泣き笑いをした。
「そうよね……犬と間違えちゃダメなのよね……」
ウールヴェはなぜか犬扱いされることを嫌う。とても大事なことだ。
――うん、そこ大事 犬じゃない
「これは……子供の狼の姿ね?」
――うん、子供からやり直しているの
やり直している――なにか、気になるフレーズだったが、それより重要なことがある。ミオラスはアードゥルを求めて振り返ったが、意外なことに彼は微笑みを浮かべていた。
「……あ、アードゥル様……この子はその……」
「知っている。
「アードゥル様……あの……お願いしたいことが……」
「そのウールヴェは抱きしめていいぞ。なんだったら、愛でてもいい。好きなだけ甘やかすがいい」
見守っていたアードゥルがあっさりと望みの許可をだして、ミオラスの方が
「よろしいのですか?その……間違いなく愛でてしまいます」
「別にそれの中身はロニオスではない」
要点はそこなのだろうか?
ミオラスは許可と禁止の基準がわからず混乱した。
「でも……でも……他の方である時もあるのでは?」
「まあ、その可能性があるのは、この馬鹿くらいだが」
親指でエトゥールの妹姫の伴侶である青年を指さし、再び「馬鹿」扱いすることに、内心ミオラスは冷や汗をかいた。
「中身がこの馬鹿の時に、ミオラスがこのウールヴェを胸に抱きしめたら、こいつにとって別の意味での大災厄だろうな。それはそれで面白い」
「ちょっと、なんてことを言うの?!」
カイルの方が、アードゥルの言葉になぜか激しく動揺している。
いつの間にか、ファーレンシアがカイルの隣にたっており、アードゥルの言葉に対して、口に手をあて上品に笑った。
「まあ、面白い。その時は、やっぱりカイル様は胸の大きな女性が好きだった、と侍女ともども私が判断するだけですわ」
姫の目は笑ってなかった。
姫の反応にカイルの方は、凍り付いたかのように蒼白になっている。
「…………確かに大災厄以上の大災厄だな」
茶髪の男が、謎の言葉をつぶやいた。
ミオラスには、一連の会話の真の意味がわからなかったが、仔狼姿のウールヴェを見つめ、もう一度アードゥルに確認した。
「本当によろしいのですか?」
「抱きしめたいのだろう?お前がずっと待っていたウールヴェだ」
許可がでても、ミオラスはおそるおそる子狼の頭に触れることから始めた。
あの時のように消えてしまうのではないだろうか。
「もう……消えない?」
――消えないよ
「……本当に?」
――うん、
「ミオラス様達の話が一段落するまで、と引き止めておくのが大変でした。今日は朝から、はしゃぎっぱなしでしたのよ」
ファーレンシアが証言した。
それを肯定するかのように、仔狼の尻尾は喜びで大回転している。
トゥーラも再会を喜んでいる――ミオラスはほっとしたように思いっきり子狼を胸に抱きしめて、その存在を実感した。
友の帰還は、ミオラスの心を満たした。
「……お帰りなさい……お帰りなさい」
――ただいま
歌姫とウールヴェの再会は、順調になされたが、もう一匹とカイル・リードの交流は、はるかに脱線し難航していた。
『世界の番人に同調した点は、理解した。相手の同意があれば、可能と仮定しよう。だが、
「まさか、世界をこのまま放置するつもりだったの?まあ、そんな気がしたからアードゥルに探してもらったんだけどさ。貴方が酒を
『いや、そのことではない』
「時間って、過去から現在の直線で、
カイルが言った。
『私は時間研究の学者ではないが、ある程度の不可逆性は管理されているものだと考えている。その証拠に
「俗に言う空想小説上のタイム・パラドックスだね」
『私に対する干渉はそれに等しい』
「だから必ずしも不可逆性ではないんじゃない?時間が不可逆性なんて誰かが証明したわけじゃないでしょう?世界の番人が時間に干渉できる可能性をどうして見落としたの?」
『――』
ロニオスはカイルを見つめて論じたが、ディム・トゥーラの腕に抱き上げられた状態では、ディムの指摘通りいささか威厳と迫力に欠けていた。
事実、そのギャップの酷さに、必死に笑いをこらえているのは、旧知であるアードゥルとエルネストだった。
感慨深そうに腕を組み、しみじみと言ったのはエルネストだった。
「ロニオスを可愛いと思える日が来るとは、長生きをするものだな」
いつもと違いアードゥルもその意見に同意した。
「まったくだ」
「私でさえ、このウールヴェの
「ある意味凶悪さが増している。女性達は騙されて、絶対に抱き上げて可愛がる」
「究極の詐欺師の誕生だな」
『うるさいぞっ!!君達!!』
ロニオスが好き勝手に言ってる元同僚達に吠えたが、それはまるで白猫が尻尾を太くして怯え、シャ〜〜っと、かなわぬ敵に
ついに笑いに耐える沸点を超えた二人は、珍しく声をあげて笑った。
「ロニオス、弟子の言葉は正しいぞ。猫では威厳や迫力が皆無だ」
アードゥルが
『威厳や迫力が、この問題を解決してくれるのか?!』
さらに白猫もどきは、いきりたった。そのまま金髪の青年を
『カイル・リード、君はいったい私に何をした?!』
「さあ?僕がしたかもしれないし、世界の番人かもしれないし、他の何かかもしれない」
カイルは首をかしげた。
「僕もはっきりとした確信があるわけじゃないよ。僕は世界の番人と同調して過去と現在と未来をみた。
聞いていた全員が黙り込んだ。
「僕はその光の道を紡いだんだよ」
『…………どうやって?』
「ファーレンシアの侍女達って、すごく器用なんだよね」
『は?』
カイルの言葉が唐突に飛んで、皆が口をぽかんと開けた。
『エトゥールの姫の侍女がなんだって?』
「だから器用なんだよ」
『それとこれがどう関係するんだね?』
「すごく関係するよ。彼女達は、針と糸と当て布で、破れた布地を修復する技術に長けている。穴の空いたレース布も綺麗に修復するんだ。まるで穴がなかったように」
『だから、それがなんの関係が――』
言いかけたロニオスが何かに気づき黙り込んだ。
「僕はね、ロニオス、ファーレンシアのそばで、彼女や侍女達がいろいろなものを作り出し、なんの苦もなく、修復する姿を見ていたんだ。だから、当然、ロニオスの存在点も修復できると思ったんだ」
『………………認知か……』
「貴方がよく言っていた理論だよね?僕も認めるよ」
にっこりとカイルは笑った。
「素体を失ったなら、素体を与えればいい。これはクローンの原理となんら変わらないから、難しい認識ではなかったし。だから世界の番人にあなたがたくらむ引退を遅らせてもらったんだよ」
『遅らせるって――』
「言わなかったっけ?僕の主義って、『立っている者は、親でも使え』だから、ロニオスの負荷が多少増えても許されるよね?」
『――――』
「ロニオスをやり込める勇者の誕生だ」
ぼそりとエルネストが言った。
「素晴らしい。未来が明るいものに思える」
アードゥルは真顔で答えた。
『いや、まて、ではこの姿の理由はなんだ?』
「猫?ああ、それは僕にもわかんないなあ」
――――猫になりたいと言ったではないか
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
『……………………』
空耳のような言葉の降臨に、今度はカイルを含めて全員が黙り込んだ。
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