第2話 閑話:正しい猫の飼い方②

「アードゥル様、お酒はこのようなもので――」


 下の店から高級酒の壺瓶つぼびんを何本か、盆にのせて娼館の最上階に位置する支配人室に持ってきたミオラスは、息を飲んだ。

 咄嗟とっさに盆だけは、食卓テーブルの上に置いたのは、客が暴れた時に、割れやすいさかずきなどをさりげなく避難させるという娼婦の知恵だ。


 まさにアードゥルは、窓から白猫のウールヴェを放り出そうとしていた。


「いけませんっ!アードゥル様っ!」


 ミオラスは駆け寄るとアードゥルの手から問題の猫をひったくり、アードゥルの言いつけを無意識なうちに破ってしまった。

 つまりは、彼女の豊満な胸元に強く抱きしめるという行為をしたのだ。


 猫もアードゥルも思わぬ二次災害に硬直した。




『……………………ぬっ殺す……』

『待てっ!これは事故だっ!不可抗力だっ!落ちつけっ!』




 ミオラスは伴侶が本気でキレていることを感じた。

 ウールヴェを胸に抱き、全身でかばいつつ、アードゥルに取りなすつもりだった。

 彼女は火炎旋風ファイヤーストームに燃料満載の爆撃機シャトルを突っ込ませた事実に気づいていなかった。


「落ちついてくださいましっ!ウールヴェをここから放ったら、死んでしまいます。どうか、そんな残酷なことはおやめになってください」

「………………すでに私の忍耐にんたいが死んでいる……」

「アードゥル様?」

「………………頼むから、私にこの娼館を全壊ぜんかいさせないでくれ……」

「アードゥル様?」


『あ〜〜、東国イストレの名高い歌姫ディーヴァよ、私の忠告に耳を傾けてくれないかね。私の命はいろいろな意味で風前ふうぜんともしびだ』


 突然のアードゥル以外の男性のはっきりした声に、ミオラスはおどろいて、猫を抱く手の力が緩んだ。

 するりとウールヴェは、ミオラスの手から逃れると床に華麗かれいに着地した。

 猫姿にもかかわらず、ウールヴェはミオラスの前で優雅に頭を下げた。ウールヴェの瞳は、金色だった。


 ミオラスは金髪の長身の貴族の男が、姫に対しての最高級の礼をするまぼろしを見たような気がした。


『かばってくれたことに感謝をする。私はわけあってウールヴェの姿をしているが、そこのアードゥルと古くからえにしがあるものだ。名をロニオスという。解説すると、君の実に豊かな胸に伴侶の知人の男の頭をはさみ込んでいるために、アードゥルがこの建屋を崩壊しかねないほど嫉妬しっとしている――これが現在の状況である』


 ミオラスはぽかんとして、アードゥルを見たが、アードゥルは露骨ろこつに視線をさけた。


「……お初にお目にかかります…………?」

『正確に言うと初ではない。以前の私は狼に似たウールヴェの姿をしていた。覚えているかね?ああ、もちろん君が愛してやまない食欲しょくよく魔獣まじゅうおさのことではないぞ。昔、成り行きとはいえ、君の伴侶であるアードゥルの指を全骨折させた元凶でもある』

「あれは私の自業自得だ」


 思わずロニオスを庇う発言をして、アードゥルは口を押さえた。

 猫のウールヴェからは、にやにや笑う腹立たしい波動が伝わってくる。


『とりあえず酒の壺瓶つぼびんが無事で何よりだ。まあ、そんなわけで、アードゥルが言うように、今後私を抱きしめたり、愛でたりはしないでいただきたい。アードゥルが四ツ目を召喚しょうかんして、私を八つ裂きにしかねない。私も命が惜しい』

「…………そうか……その手があったな……」

『まてまてまてまて』


 物騒な同意にウールヴェは慌てた。

 

「だいたい転位テレポートをして逃れれば、いいだろうが。やはり故意にミオラスの胸に埋もれて――」

『私の能力が枯渇こかつしているという可能性をなぜ信じないっ!!』


 アードゥルは猫の首を摘まみ上げた。

 手近にあった網籠あみかごにそのまま乱暴に問題のウールヴェを突っ込むと、上から布をかぶせ、逃げないように麻縄あさなわでグルグルに巻きつける。

 会話に混乱して、ミオラスはその行為を止めることもできなかった。


「ミオラス、馬鹿達の巣エトゥールに行くぞ。すぐに着替えて準備をしてくれ」


 世界を救った導師が馬鹿集団扱いされている。いいのだろうか?おまけにアードゥルの同胞なのに――と、ミオラスは内心思ったが、アードゥルが網籠あみかごを叩きつぶすのも時間の問題だと賢明な判断をした。




 アードゥル達は、滞在先の東国イストレからエトゥールに移動しようとして、すぐに問題に気づいた。


 500年前に衛星軌道上の観測ステーションから地上探索のために設けられた研究施設は、『拠点』と呼ばれ、大陸各地に地下に密やかに設置されていた。

 ウールヴェと呼ばれる精霊獣は、なぜかこの科学地下施設に入ることが出来なかったのだ。


 アードゥル達の所持している娼館の移動装置ポータルは、大陸の片隅にある隠れ里ともいえる場所にあるアードゥル達の屋敷の花園につなげてあった。そのあとは、その屋敷の地下『拠点』に設置された移動装置ポータルで繋がっている各地の座標に向かって自由自在に飛べたが、今回その移動手段が使えないことになる。



 今回は問題のウールヴェロニオスをエトゥールに送り届けることが目的なのだから、ウールヴェを置いていくことは論外だった。



 だが、大災厄によって、東国イストレからエトゥールへの地上人が使う一般的な道は、巨大な衝突痕クレーターで断絶されていた。


東国イストレにあるリル様の移動装置ポータルを使いますか?元はクトリ様のものだったとか、なんとか」

「ああ、物資運搬を目的とした商売用の移動装置ポータルがあったな」


 賢者メレ・アイフェスの養い子で商人である少女リルが管理して使用している移動装置ポータルは、確かにエトゥール城の旧離宮に直接つながっていた。


「起動していればいいが……」

「私、『きどう』する権限とやらをもらっております。もちろんアードゥル様もです」

「は?」


 意外な告白にアードゥルはミオラスをまじまじと見つめた。


「いったい誰が私達にそんな権限を付与したのだ?」

「シルビア様です。私達が東国イストレに滞在している場合の、お茶会のための移動手段が必要だから、と」


 大災厄後の混乱の中でも、お茶菓子付きのお茶会だけは忘れない――シルビア・ラリムの甘味に対する執着は、カイルから警告を受けたことはあったが、それは冗談ではなかったらしい。

 甘味好きのまじめそうな銀髪の医療担当者は、エトゥール王であるセオディア・メレ・エトゥールの伴侶におさまっている。


 しかし彼女と友情を築き上げているミオラスはともかく、過去に敵対していたアードゥルにまで権限を与えるとは不用心にもほどがある、とアードゥルは思った。


「お人好しにも、ほどがある。私がエトゥールを破壊するとは思わないのか。全くあの甘ちゃん共め……」


 ミオラスは、アードゥルの言葉に、なぜかぷっと笑いを吹き出した。 


「ミオラス?」

「アードゥル様、今更ですわよ。エトゥールのあれだけ広い『地下拠点』に自由に出入りが可能なアードゥル様の移動をなぜ、警戒する必要があるというのです?復活したあの拠点から、それこそいくらでも侵入が可能ではありませんか。とっくの昔に、彼等はアードゥル様を信頼しているのです」

「――」


 伴侶の方が、賢明な知恵者メレ・アイフェスだった。





馬鹿ばか息子むすこはいるかっ?!」


 エトゥール城の聖堂の重いはずの扉が左右に勢いよく開く。

 聖堂の中にいた人々は、怒鳴りながら登場したアードゥルに一瞬驚いたものの、『馬鹿息子』に該当するであろう人物をいっせいにかえりみた。


 注目されたカイル・リードは、ディム・トゥーラとエルネストとともに、高級紙に描かれた精巧な絵の整理に追われているようだった。カイルはきょとんとしている。


 少し離れた場所には、エトゥールの姫であるファーレンシア・エル・エトゥールが床をまわっている赤子むすめの子守を侍女達とともにしていた。

 ファーレンシアの方がすぐに客人の来襲に対応した。


「まあ、アードゥル様、ミオラス様、いらっしゃいませ」


 ファーレンシアは立ち上がり、二人を迎えいれた。荘厳な聖堂内部は、改装され、いまや完全に居住区と化していた。


「先触れもなしに申し訳ございません」


 ミオラスは頭を下げた。しかも、アードゥルは姫の伴侶に対して『馬鹿息子』という暴言を吐いている。内心、ミオラスは冷や汗をかいていた。


「導師であるアードゥル様に先触れは不要です。もちろん、その伴侶であるミオラス様もです」


 ファーレンシアは、にこりと微笑んだ。


「それに先ぶれは、ありましたのよ?カイル様がお二人がいらっしゃることを先見しておりまして、朝から楽しみにしていましたの」

「カイル様が先見?」


 先見と呼ばれる予知能力は、エトゥールの姫巫女と称されるファーレンシアの加護のはずだった。


「アードゥル、今日の訪問はわかっていたけど、『馬鹿息子』呼ばわりは、予知できなかったな。なぜ?まだ、大災厄の件を怒っているの?」


 カイルがアードゥルに首をかしげて尋ねる。


「今回、特別に『どうしようもない馬鹿野郎の血縁者である気の毒な息子』にしてやってもいい」

「それ略しすぎだし、評価が真逆のような気がする」


 カイルの突っ込みに、アードゥルは抱えてきた網籠あみかごを彼に向かって雑に放った。


「土産だ。


 カイルはなんとか網籠をキャッチすると、すぐに中身を察した。


「よく見つけ出したね?」

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