死ぬにはいい日だった

余命宣告を受けた時、何故か落ち着いていた。

きっと他の人なら泣いたり、落ち込んだり、何かしらリアクションをとっていたと思う。

でも私には現実味がなく、まるで他人事のように何も感じなかった。

そんな私の代わりなのか、余命宣告を伝えた医者とそれを隣で聞いている看護師の表情はひどく曇っていた。



自宅に帰ると彼が台所で料理をしていた。

時計を見れば12時30分。

「おかえり、お昼ご飯出来たよ」

食卓には私の好きなオムライスとサラダが並べられた。

「いただきます」

付き合ってもう5年だというのに、彼はずっとご飯を文句一つ言わず作ってくれている。

私は病弱だった上に、家事能力が皆無だった。そのため、彼に頼らなければ生きてはいけなかった。

そんな不甲斐無い彼女に対し、何も言わずに優しく世話を焼いてくれる彼。

本当、私にはもったいないくらいの人だ。

このまま一緒にいても彼を幸せにはできない。

でも彼が他の人と寄り添いあっているのは見たくない。

神様も呆れてしまうくらい、私は我儘な人間だった。



「ごちそうさまでした」

オムライスとサラダを食べ終えると、私は彼に医者から伝えられた余命宣告の話をした。

すると彼は顔色を変え、咄嗟に私を抱きしめてた。

力強く抱きしめられると同時に幸せな気持ちに包まれたが、彼のことを想うと心苦しかった。

「私を殺して食べて欲しい」

思わずぽろっと口に出してしまった。

「……そんなこと出来るわけがないだろ」

そういう彼からはすすり泣く声がした。

彼がどれだけ嫌がっていたとしても、ここで引くわけにはいかなかった。

「これが私の最期の願いでも?」

すると彼は私から腕を離すと、縋るような表情で私に言った。

「君は残酷だな」



それから彼とルールを決めた。

ひとつ目は私を殺すのは一週間先にすること。

ふたつ目は死にたくなくなったらすぐに言うこと。

みっつ目は最後の最期まで一緒にいること。



1日目は車で2時間は掛かる水族館と、プラネタリウムに行くことにした。

車内BGMには私の好きなドラマの主題歌や、アニメソングが流れてきた。

曲を聴きながら、車窓越しに風景を見るこの時間が好きだった。

つい、うとうとしてしまって次に目が覚めた時には水族館の駐車場だった。

「着いたよ」

水族館の中は家族連れやカップルで賑わっており、思わず迷子になりそうになったがその度に手を掴んで離さないでいてくれた。

お土産コーナーではお揃いのマグカップを購入し、割れないように丁寧に梱包してもらった。

プラネタリウムは、落ち着いた声のナレーションと満天の星々を堪能した。

彼の手を握ろうとし、そっと手を伸ばすと彼はそのまま私の手を掴んで離さなかった。



2日目は二人で街へと繰り出した。

テレビやネットで話題のカフェや雑貨店、行ける限り片っ端から足を運ぶことにした。

リニューアルオープンしたカフェでは、期間限定のパフェとミルクティーを頼み、彼はコーヒーとチーズケーキを頼んでいた。

花をモチーフにした雑貨屋では、アネモネ柄のティーポットが気になって即購入した。

可愛いティーポットが手に入ると、そのまま茶っ葉専門店にも入り、袋入りのダージリンのティーバッグを購入することにした。

その日の夜は、彼と一緒に温かいダージリンティーを飲んで眠りについた。



3日目は浜辺に出かけることにした。

私は体が弱かったから水着を着ることも泳ぐこともなかったけれど、裸足で砂浜を歩いて貝殻を集めることは昔から好きだった。

拾っている途中、黒猫が擦り寄ってきた。

黒猫は砂浜で寝転んでいたのか、毛には沢山の砂粒が絡み付いていた。そんな黒猫が可愛くて思わず撫でまわし抱っこした。

すると猫はジタバタして、私の腕から飛び降りるとまた何処かへ行ってしまった。

飲み物を買いに行っていた彼は、私の服が砂まみれになっているのを見つけると、驚いた表情を見せた。

彼と二人で歩いた夕暮れの砂浜は、思わず涙が出そうなくらい綺麗だった。



4日目は彼と一緒にお菓子作りをした。

いつも通り朝ごはんを食べ終わると、突然彼はクッキングシートや型抜き、牛乳や卵や小麦粉をテーブルに並べ始めた。きょとんとする私に対し、彼はチョコチップクッキーを作ろうと言ってきた。

料理は全て彼に任せてきたから、折角の機会なのでやってみたいと思えた。それにチョコチップクッキーは、私の好きなお菓子だ。

彼が器用に卵を割るのに対し、私は卵の殻が入ってしまい慌てて取り除くことになったり、焼き上げた生地が水っぽくなったりとハラハラすることも多かったが、彼とのお菓子作りは楽しかった。

完成したチョコチップクッキーは、はっきり言って食べられたものではなかったが、彼が同時に作っていたバタークッキーは美味しかった。



5日目は彼と一緒に断捨離をした。

昨年の12月はお互いに忙しく、年末の大掃除が出来ていなかったことを思い出したのが発端だった。

上司には病気のことを予め伝えており、仕事の引き継ぎは済ませてあるので一安心だ。

不必要になった書類をシュレッダーにかけていくが、いつまで経っても終わる気配がない。

元々リモートワークの会社にいたが、パソコンの液晶から資料を読むのが難しかったため、私はその都度印刷していたのが原因だった。

作業していても一向に減らないため、嫌気が差してし一度休憩することにした。

その際に彼の部屋を覗いてみると、彼はどこか気難しそうな顔をして写真を見ていた。

気付かれないように扉を閉めると、また自分の部屋へと戻った。



6日目は彼に写真館へと連れられた。彼と写真を撮るなんて、学生時代に覗いたゲームセンターのプリントシール機以来だった。彼との思い出は沢山あるが、一緒に写真を撮ることなんてほとんどなかったからだ。

「お待ちしておりました」

中に入った途端、スーツに身を包んだスタッフさん達に迎えられた。

そのままスタイリストさん達に何度もドレスを着替えの手伝いをしてもらったり、それが終わると次はヘアセットやメイクを施された。やっと完成すると、目の前にカーテンがある部屋に連れて行かれた。

開かれたカーテンの先には、私と同じようと仕上げられた彼が立っていた。

「やっぱり、君は綺麗だ」

この時の彼の幸せそうな顔は、一生忘れることはないだろう。



7日目は初デートで観に行った当時話題の映画を観ることにした。レンタルショップに行かなくても、今はサブスクリプションというサービスがあるから、本当に便利な世の中になったなと思う。

「この何回も別れたり、忘れようとしてもやっぱりこの人じゃないと駄目って感じが好きなんだよね」

エンドロールの最中、彼はぽつりと呟いた。

「奇遇ね、私もよ」

そういって私は彼の肩に頭を寄せた。

すると彼は私の肩に手を回してきた。

彼の温もりがじんわりと伝わってきて、思わず泣きそうになった。



とうとう8日目の朝がやってきた。

「おはよう、よく眠れた?」

起きてくると、彼は映画を観ていた。

それは昨日一緒に観ていたものと同じであった。

いつもの日常、いつもと変わらない朝。

でも、私にとっては最期の日だった。

「朝ごはん、用意してあるけど食べる?」

「いや、大丈夫。でも白湯だけ貰っていい?」

そう言うと彼は白湯の入ったマグカップを手渡してくれた。

1日目の水族館のお土産コーナーで購入したクラゲのマグカップ。

冷たいものが入ると水色になり、温かいものを入ると桃色に変わるのだとか。

買った時は何も思わなかったけれど、よくよく考えてみると面白い品だと思う。

「さてと、今日は何がしたい?」

彼は私を見て微笑んだ。

その笑顔がどこか現実から逃げたいようにも見えた。

でも今日が何日目かがわからないほど、私も馬鹿ではない。

「ねぇ私との約束、破るつもり?」

その途端、彼の笑顔は崩れて今にも泣き出しそうな表情になった。

そのままふらふらと私の方へと近づいてきた為、マグカップをテーブルに置くと強く抱きしめた。

「……っ!!どれだけ願っても、君の気持ちは変わらないのかな……?」

「ごめんね、もう決めていたことだから」


あれからどれだけの時が経ったのだろう。

時計を見ると12時30分となろうとしていた。

彼は睡眠薬や麻酔薬を差し出してきたが、私はそれを拒否した。

彼を苦しめる私が楽になっていいはずがないからだ。


リビングから台所へと移動すると、手入れされた包丁とまな板が置かれていた。

どの様にして、私を終わらせてくれるかとわかると少しほっとした。

彼は包丁を手に取ると、もう一度私を強く強く抱きしめた。


もっと彼のご飯が食べたかった。

もっと彼と色んな場所へ行きたかった。

もっと彼と……

「一緒にいたかった」


彼の悲鳴に近い泣き声が聴こえたと同時に、私の体に幸せな痛みが走った。

体の力が抜けて倒れ込みそうになると、彼は慌てて受け止めてそばへと座らせた。

まるでお姫様抱っこみたいだった。


彼はボロボロと涙を流しており、私は彼を抱きしめ続けた。

段々、周囲が赤黒い液体で汚れていく。

どんどん意識が遠のいてしまい、涙と共に彼の顔をよく見ることが出来なくなっていった。

幸せだった。本当に幸せだった。

この5年間が人生の中で最も幸せな瞬間だった。

我儘な私に付き合わせてしまって、ごめんね。

最期に私の願いを叶えてくれて、ありがとう。

「本当ごめんね……ありがとう」


視界が暗くなっていくと同時にふと思った。

死ぬにはいい日だったと。

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ある食人鬼の話 巴雪緒 @Tomoe_Yukio

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