第8話 名前

 マンションの大きなユーレイがきえてから三日がたった。

 美景ちゃんは助け出された翌日は学校を休んだものの、二日目からは元気に登校してきた。みんな、ちゃんと美景ちゃんを覚えていたし、ロッカーの荷物も出席簿の名前も元どおりになっていた。

 私と都子ちゃんは一安心だ。

 雪乃さんも門吉さんもいつもどおり過ごしているし、マンション事件は一件落着と言える。

 授業がおわって部室でみんなとおしゃべりをして、私は家に帰ってきている。

 お父さんもお母さんもまだ仕事から帰ってないし、お姉ちゃんも大学。

『ピンポーン』

 のんびりとへやでひとりの時間をすごしていると、ふいにインターフォンがなった。

「だれかきたのかな。見に行かなきゃ」

 私がイスから立ち上がると、ふいにトッテさんが大きな音を立てた。

『トトトトトトッ』 『トトトトトトッ』

「わ、ビックリした! トッテさん、おどかさないで。ちょっと見てくるね」

『トトトトトトッ』

 なおも音を立てるトッテさん。私はかまわずインターフォンの画面がある居間まで出て行った。そしてげんかん前の映っている画面をのぞいてみる。

「あれ、だれもいない。イタズラかな?」

 インターフォンの画面にはげんかん前がキチンとうつし出されている。

 だから、背がひくくて見えないとかすみっこにいるからうつらないってことはない。

 首をひねっていると、ふたたびインターフォンがなった。

「どういうこと? だれもいないはずなのに」

 私はおかしいなぁと思いながら、げんかん前まで行く。

 げんかんのわきにあるすりガラスには、人影らしきものがうつっていた。

 私よりも背のひくい影だ。

「はーい、どなたですかー?」

 私が聞くと、小さな声が返ってきた。よわよわしい、しわがれたおばあちゃんのような声。

「田中さん……。田中さんはいますか?」

「え、田中さん? いえ、うちはちがいますけど」

「田中さん……。田中さんはいますか?」

「あのー、うちは田中ではありません」

 二度のといかけに答えるが、しわがれた声は一向に止まない。

 ふと、身体が妙に冷える気がする。

「田中さん……。田中さんはいますか?」

 返事がきこえていないのだろうか?

 ドアをあけて、おばあちゃんと思われる相手に説明するべきか。

 だけど知らないひとにドアをあけるのもイヤだし、なんだか首筋がザワザワする。

「うちは、田中では、ありません! 失礼します!」

 大きめの声で言うと、ドアの向こうで聞き取れない小さな声がして、影が消えた。

 私ははぁっと息をはいて、へやに戻った。

「へんなの。おばあちゃん、何かかんちがいしちゃってたのかな?」

『トッ』

 さっきはにぎやかだったトッテさんが、おちついたような感じでひとつ音をならした。


 翌日の土曜日。

 お父さんとお母さんは買い物に出かけ、お姉ちゃんはあそびに行っていた。

 私は学校もお休みで、とくに予定もなかったのでときどきスマートフォンを見ながらのんびり横になっていた。

 お昼寝は、私の少ないシュミのひとつ。

 取りつかれ体質の私にとって、ねむっている時間は大事ないやし。

 それに、オバケやユーレイも、夢の中までおいかけてくることは今までなかった。

『ピンポーン』

 ウトウトとしはじめたとき、またインターフォンがなった。

「うーん、ねむれそうだったのに。だれだろ? お姉ちゃんがカギわすれたのかな?」

『トトトトトトッ』 『トトトトトトッ』

 トッテさんがまたあらぶっていた。

 居間に出て、インターフォンの画面をかくにんする。

 また、だれもうつっていない。

「昨日と同じ? ……そういえばあのおばあちゃん、なんでインターフォンの画面にうつっていなかったんだろう?」

 私がおかしいな、と思っている間に、もう一度インターフォンがなった。

 画面を見る。やはり、だれもいない。

 首筋がザワつく。私のカンがイヤな気配をかぎとっている。

 けれど、なりつづけるインターフォンをむしするわけにもいかず、げんかん前に行く。

「鈴木さん……。鈴木さんはいますか?」

 昨日と同じ声。すりガラスの向こうに見える影も、昨日と同じくらいの大きさだ。

 ふたたび、おばあちゃんのようなしわがれた声が聞こえた。

「うちは鈴木ではありません」

「鈴木さん……。鈴木さんはいますか?」

「うちは鈴木でも田中でもありません! 帰ってください!」

 さすがに二日つづけてのナゾのお客さんに、私はちょっと強めに声を出した。

 ふんっと鼻息をひとつついて、私はへやに戻る。

「もう、せっかくの休日にいやになっちゃうな。でもやっぱり、画面にうつらないのはおかしい。よくないものなのかなぁ……」

 その夜、私は家族に奇妙なひとがインターフォンをならすことがないか聞いてみた。

 家族はみんな、知らないと首をふるだけだった。


 日曜日。

 お父さんとお母さん、それにお姉ちゃんがスーパーに出かけた。

 おととい、昨日のことがあったから私もついて行きたかったけど、お留守番をたのまれてしまった。

「ちぇ、なんか気になっちゃうからイヤなのになぁ。まぁあそこで買い物なら、すぐに帰ってくるよね」

 スーパーまではたいした距離はないし、お父さんが車を出している。

 一時間もしないで、三人は帰ってくるはずだ。

『ピンポーン』

 また、インターフォンがなる。これで、三回目。

 ――私がひとりのときをねらっている?

『トトトトトトッ』 『トトトトトトッ』

 やはりトッテさんが大きな音を立てる。

 居間に向かい、インターフォンの画面を見る。やはり、だれもうつっていない。

 けれど、ふたたびインターフォンがならされる。首筋の感覚もゾワッとした重い感じになっていた。

「良くないものかもしれない……。どうしよう? そうだ、お札!」

 私は一度へやに戻り、持ち歩きように晴人センパイがくれたお札を片手にげんかんの前に立った。あいかわらず、小さな人影がすりガラスの向こうにあった。

 私はお札を右手に持って、それをすりガラスに当てた。

「佐藤さん……。佐藤さんはいますか?」

「うちは、佐藤ではありません」

「佐藤さん……。佐藤さんはいますか?」

「おかえりください。ここには田中も鈴木も佐藤もいません!」

 ハッキリした口調で言った。やがて、人影がきえる。

 なんだったんだろう。田中に、鈴木に、佐藤?

「よくある名字を、てきとうに言っているのかな?」

 でも、そうだとしたらうちの名字である『月城』はけっこうめずらしい名前。

 あんなふうにやっても、いつまでも当たらない気もするけど。

「でも当たるまでつづくとか? それはイヤだなぁ。けど、当てられても怖いし」

 ため息をついてげんかん前をはなれた。

 右手の感覚がおかしいな、と感じてお札を見る。

「えっ、なにこれ!?」

 白い紙だったお札はほとんど真っ黒にそまり、ボロボロになっていた。

 そして、私が見ているうちに小さな破片になって、やぶれさっていく。

「マンションのオバケとたたかったときだって、こんなひどい形にはならなかったのに」

 やっぱり、あのおばあちゃんみたいな声の影はよくないものなんだ。

 晴人センパイに相談しなきゃ――。

 すぐにでもメッセージアプリで連絡を取りたかったけど、へやに戻ってスマートフォンを手にした私の指が止まった。

(もしもすごい強い何かだったら、どうしよう? 晴人センパイが心配してうちに来てくれたりしても、げんかん前であの影に出会っちゃうかも。かと言って、私が出て行くのもあぶない気がするし……。明日、部室で相談しよう)

 そう決めて、私はスマートフォンをおくと、家族が帰ってくるまで落ち着かないときをすごした。


 月曜日の放課後。

 私は心霊部の部室に行った。

 いつものように、晴人センパイが読書しながらすわっている。

「晴人センパイ! ちょっと聞いてください!」

 私はこの三日間でおきた奇妙なできごとについて、晴人センパイに説明した。

 私の話を聞くと、晴人センパイがむずかしい顔をする。

「オレはまだみじゅく者だとはいえ、ガラスごしに当てただけのお札が散り散りになるというのは……気になるな。良くないものかもしれない」

「でも、なんで田中に鈴木に佐藤なんでしょうね。よくある名字を言っているんだと思いますけど、それってなんか当てずっぽうというか、テキトーというか」

 私の言葉に、晴人センパイが首を左右にふった。

「いや、むしろそれがそうとうやっかいだ」

「なんでですか?」

「そのガラスの向こうの相手が、学習しているってことだ」

「学習と、言いますと?」

 センパイの言葉がよくわからないので、私はなやんでしまう。

「いいか、オレたち人間にとっては、たしかにありがちな名字を言っているだけに思える。だが、問題はそのお札をこわしてしまうほどの良くないものが、学習能力を持っているということだ。つまり、オバケが知恵をつけているんだ」

 言われて、私はハッとした。たしかにセンパイの言うとおりだ。

 私たち人間にとってはありがちな名字でも、オバケがそれを知るには人間の名前を学習しなくてはならない。あのオバケは、日本によくいる名前をすでに覚えているんだ。

「そうですよね、たしかに……。どうしたらいいでしょう?」

「ふーむ。灯里の名字に行きつくにはまだかなり時間がかかると思うが、万が一文字を読むことを覚えれば、郵便受けを見て学習してしまう可能性もあるな」

 あの声で名前を呼ばれたら――。考えるだけでゾッとしてしまう。

 でも、お札も通用しないし、そんなすごいオバケをセンパイにはらってくださいとおねがいするのも心配だし……。

「トッテさんが大きな音を立てたというのも気になる。トッテさんがおびえているか、または灯里に行くなと伝えていたのかも知れない。とにかく、見てみないことにはな」

 トッテさんも、様子がおかしかった。トッテさん、私を気にしてくれたのかな?

「でもセンパイ、ドアを開けないと見れませんよ。あぶなくないですか?」

「そこが問題だな。ついこの間手伝いをおねがいしたばかりだが、また門吉さんをたよるしかないか」

「なるほど、門吉さんならユーレイだからドアをあけなくても向こう側が見えますね!」

「そういうことだ。とにかく、学習能力のあるオバケに時間を与えたくない。今日のうちにそのインターフォンをならす何かの存在をたしかめたい。中央公園によって、灯里の家に行こう」

「はい!」

 早い方が良いというセンパイの判断で、私たちはすぐに部室を出て中央公園に向かった。遊歩道から木々を抜け、門吉さんのところに行く。

『よう、ガキに嬢ちゃんじゃないか。そんなにあわててどうした?』

「門吉さん、お願いしたいことがあって」

 私たちが事情を話すと、門吉さんはうなずいて『嬢ちゃんの身があぶないってんなら、そりゃあ手伝ってやるさぁ』と私に取りついて言った。

 門吉さんをつれて、私と晴人センパイは駅に急ぐ。なぜか、あのおばあちゃんオバケは私がひとりのときにしかやってこない。あんまりおそくなると、家族のだれかがかえってくる可能性が高い。

 電車にゆられ、駅から歩いてマンションについた。

 よくよく考えると、晴人センパイを家族に言わずに家にあげているのも気まずいけれど、今はそれも仕方ない。

「おじゃまします」

『おー、ここが嬢ちゃんの家かー。今の時代のやつはこんな場所に住んでるんだなぁ』

 私のへやにはトッテさんがいるので、門吉さんをつれていけない。

 晴人センパイに飲み物を出して、私たちは居間で待つことにした。

「センパイ、何やってるんですか?」

 晴人センパイは、自分の身体に符をあてがっている。

「灯里がひとりのときしか来ないって話だからな。こうして存在をかくしてるんだ」

「そんなこともできるんですね、センパイすごい!」

 晴人センパイと門吉さんがいるおかげか、ずいぶんも気持ちもラクだ。ふたりの存在はやっぱりとっても心強い。

 あまり音を立てない方が良いというセンパイの考えで、私たちはしずかに待っていた。家族が先にかえってきちゃうかな、と思ったそのとき――。

『ピンポーン』

 居間にインターフォンの音がこだました。

 晴人センパイが立ち上がり、インターフォンの画面を見る。

「たしかに、だれも映っていないな」

「ですよね、なんだか気味が悪くって」

 私たちは、できるだけ小声で話し合う。

「とにかく、門吉さんに見てきてもらおう。げんかん前まで行くぞ」

 私たちがげんかん前に立つと、やはりあの影がすりガラスの向こう側にいた。

「アレです。センパイ、門吉さん!」

「イヤな感じがする。少なくともひとではないな」

 左目の下に符をつけたセンパイが言う。ドアの向こうから、声が聞こえた。

「佐々木さん……。佐々木さんはいますか?」

 しわがれた声が、問いかけてくる。

「いつもこうなんです。何回も名前を呼んで」

 私が小さな声で言うと、晴人センパイがうなずいた。門吉さんに向けて手を伸ばし、ドアを指さす。センパイの動きに門吉さんがすぅっとドアの向こうに顔をのぞかせた。

「佐々木さん……。佐々木さんはいますか?」

 ドアの向こうに顔を入れていた門吉さんが、いきおいよく私のもとまで戻ってくる。

 そして、居間のほうへ行くように両手でサインを出す。

 門吉さんのもともと青白い顔が、さらに真っ青になっている。

 私と晴人センパイは門吉さんのジェスチャーに従い、居間に戻った。

『ありゃあ、ダメだ。とても手におえる相手じゃあねぇ、ダメだ。ダメだ』

 門吉さんがおびえたように何度もダメだとくりかえす。

 そんな――。あんなにすごい力で、悪霊もひょいひょいとほうり投げてた門吉さんがこんな風になっちゃうなんて。

 晴人センパイが、口元に手を当てて考える仕草をしてから言った。

「……門吉さんがそこまで言うのなら、今はどうしようもないな。オレも修行してもっとうでをみがこう」

「そ、その間私は、どうすればいいでしょうか!?」

「ムシしろ。てってい的にあいつをムシするんだ。インターフォンがなっても、画面にだれもうつらなかったらけっして応じるな。とにかく相手にしないことだ」

『それがいい、嬢ちゃん。ありゃあどっかからながれてきたモンだと思う。ムシしてりゃあ、またどっかに行っちまうだろう。それまであんなバケモノ、ムシするんだ』

 晴人センパイと門吉さんがそう言うのであれば、ムシするしかない。

 怖いけど、相手にしない。幸い、インターフォンの画面にうつるかどうかで、悪霊――門吉さんいわく、バケモノかどうかははんだんができる。

「わかりました、これからはぜんぶムシすることにします」

 しばらく居間で待ち、門吉さんがあらためてげんかん前をしらべた。何ごともないことをたしかめて、私たちは家を出た。

 門吉さんを中央公園に戻さなくてはいけない。

 中央公園に行くまでの間、私も晴人センパイも門吉さんも、あまりしゃべらなかった。

『じゃあな。嬢ちゃん、いいな。ムシだぞ。相手にしなければ良いんだ、気をつけてな』

「うん、門吉さん。怖い思いさせちゃってごめんね。ありがとう」

 門吉さんとわかれ、晴人センパイとともにふたたび駅から電車にのる。

 晴人センパイは家の前までおくってくれた。そして持っているだけのお札を全部私に持たせてくれる。

「いつかいなくなると思うが、それまでは持っていろ。何かおかしなことがあったら、何時でもかまわないから連絡しろよ。灯里はオレが守ってみせる」

「晴人センパイ、ありがとうございます。とにかく、相手にしないようにします」

 なんとか笑顔を作り、晴人センパイとわかれて家に入った。

 ひとりになると、ずっしりと重いものがのしかかったような気持ちになる。

 晴人センパイでも、門吉さんでもお手上げな『バケモノ』。

 そんなものに目をつけられてしまうなんて。

 へやに戻る。トッテさんが『トッ』と音をならしてくれた。

「お互い気をつけようね、トッテさん」

 自分でもわかるくらいつかれた声で、私は言った。

 ベッドに入り、まくらを思いきり抱きしめる。

 もしも。

 もしもあのドアの向こうの『バケモノ』に、呼ばれてしまったらどうしよう。

 もちろん、ムシをする。相手にしない。それは決めている。ぜったいムシだ。

 でも――。

 あのしわがれた声で「月城さん……。月城さんはいますか?」と言われてしまったら――。

 そう考えるだけで、私のむねは恐怖で痛いほどドクドク脈をうつ。

 首筋から背中にかけて、おおいかぶさるようにいやな予感がおそってくる。

 どうして、だれも帰ってこないのだろう。ひとりの時間があまりにもゆっくりながれていく。

 もうずっと、ひとりぼっちのままなんじゃないか。

 そんな怖い考えが頭の中をよぎっていく。そんなことはない。わかってる。でも――。

 怖いことばかりが頭にうかんで、お札を手に取ろうと身体を起こした。

 そのとき。


『ピンポーン』


 家の中に、インターフォンの音がなりひびいた――。



【了】

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