第7話 異世界エレベーター

「ねぇ灯里、うちのクラスの子、ひとりいなくなっちゃったよね?」

「えっ、うちのクラスの子が?」

 とつぜんそんなことを言い出したのは、クラスでも仲良しの都子ちゃんだ。

 ホームルーム間近のクラスは、さわがしい子はいるけどほぼ全員席にすわっている。

 ひとりひとり、名前を思いいかべてみた。

 机にも空席はないし、みんなそろっているように思えるけど。

「うーん、だれかいないかな? みんないるように思うけど」

「そっかぁ、心霊部の灯里ならもしかしたらと思ったけど、やっぱり忘れちゃってるかぁ」

 都子ちゃんが残念そうに下を向いた。

 いったいだれがいないのだろう? 困っている都子ちゃんに、聞いてみる。

「都子ちゃん、クラスのだれがいないの?」

「それは、思い出せないの。顔も名前もハッキリ思い出せない。でもたしかにいたはずなのよ」

「顔も名前もわからないのにいたって、どういうこと?」

「わかんない。多分、女の子だとは思うの。だけど、思い出せなくて」

 くわしく聞こうと思ったら、ホームルームのチャイムがなってしまった。

「都子ちゃん、お昼休みいっしょにお弁当食べよう。そのとき、くわしく聞かせて」

「うん、わかった。お昼休みに話すね。よろしくね、灯里」

 だれかわからない。けれど、いた。

 どういうことだろう。クラスメイトの顔を見まわしてみる。

 やっぱり、いつものうちのクラスのみんながそろっているようにしか思えない。

 だけど、心のはしっこで何か引っかかる。

 何かが足りない、そんな気がするのだ。理由はわからないけど、私のカンがそう言っている。都子ちゃんは、心霊部の私でも、と言った。何か霊が関係している?

 グルグルと考えている間に午前の授業がおわり、お昼休みになった。

 私は都子ちゃんのとなりの席の子に場所を借りて、都子ちゃんと机をくっつけた。

「都子ちゃん、朝のことなんだけどさ。私も考えてみたら、何か足りない気がするの」

「えっ、灯里も!? そっかぁ、良かった。やっぱりあたしの気のせいじゃないんだね」

「それで、どうして都子ちゃんがクラスの子がいなくなっちゃったと思ったのか、聞かせてくれない?」

「うん、わかった。ちょっとながくなっちゃうけど」

 そう言って、都子ちゃんが語りはじめる。

「あたしといなくなっちゃった子ね、都市伝説の『異世界へ行く方法』っていうのをためしてみたの」

「異世界に行くって、そんな都市伝説があるの?」

「あくまで都市伝説だから、ウワサみたいなものだと思うんだけど。だから、かるい気持ちであたしたちもやっちゃったんだ」

 とつぜん出てきた異世界という聞きなれない言葉にとまどいつつ、私はうなずいた。

「それで、その方法がエレベーターを使うんだけどね」

「エレベーターでちがう世界に行けちゃうの?」

「特別なやり方があってね、それをやっちゃったんだ」

「どういうものか、くわしく聞かせてくれる?」

 都子ちゃんが「うん」とうなずいて、スマートフォンを取り出した。

 画面を見ながら、私に異世界に行く方法の説明をはじめる。

「本当はひとりだけでやるものなんだけど……まずエレベーターに乗るの。あたしたちはふたりでやったから、あたしが右足でエレベーターに入って、いなくなっちゃった子が左足でエレベーターにのったの。そうしたら、ひとり分になるんじゃないか、なんてナゾの理由でさ」

「なんかムリヤリな計算だね、それ」

「今思うとそうなんだけどね、あのときはノリノリでさ。で、やり方なんだけど、まずは十階以上ある建物を探すの。その次に、その建物のエレベーターがあることをかくにんして、それにのる。

 エレベーターにのったら二階、六階、二階、十階、五階と移動していくの。それで、もしもこの間にだれかがのってきたら、その時点で異世界にはいけないんだって。うまくだれも来ないで五階までたどり着くと、女のひとがのってくるみたいなの。

 それで、この女のひとには、決して話しかけてはいけないキマリ。女のひとがのってきたらそのままいっしょにのって、エレベーターの一階のボタンをおす。もしも異世界の行く方法が成功に進んでいたら、エレベーターは一階に向かわずに十階へと上がっていくっていうウワサで。十階につくと、その先は異世界に……と言われているの」

 なんだかややっこしいやり方だ。

 条件もむずかしい気がする。でも、クラスの子がいなくなったってことは、異世界に行く方法は成功したのかな? でも都子ちゃんは今、目の前にいるし――。

「それで、都子ちゃん。その方法は成功したの? 異世界に行けたりした?」

「ううん、それがね。途中でやめることにしたの」

「どうして?」

「あたしたちは人気のないマンションでその方法をやったんだけどね、上がったり下がったりして、五階に行くまではうまく行っていたの」

 それだけエレベーターを自由に動かせるって、本当にひとがいない場所なんだなぁ。

 都子ちゃんが話しを続ける。

「だけどね、五階に着いたときにおかしなことがあったの」

「どんなこと?」

「今まではね、スーッと開いていたエレベーターのドアが、とつぜんギギギギギッてすごくイヤな金属の音を立てながらゆっくりゆっくり開いたの」

「なにそれ、怖いね……」

「でしょ? それで、五階のエントランスっていうのかな? エレベーターのり場のところが真っ暗で。でもよく目をこらして見ると、その真っ暗は動いているの」

 そのときのことを思い出したのか、都子ちゃんがブルリと身体をふるわせた。

「あたしたちは、急いでエレベーターの一階をおして、にげようと思ったんだ。だけど、このまま一階をおしたら異世界に行く方法が成功しちゃうかもしれないじゃない? 異世界に行ってみたくてやったことだったけど、あの五階で開いたドアの向こうがあまりにも怖くって」

「たしか、五階って女のひとがのって来るハズのところだよね?」

「そう。でも、女のひとはのって来なかった。オバケみたいな真っ黒いのがエントランス全体にびっしりといただけ。それでも、やっぱりこの方法を続けるのは怖くて。それで、すぐ横にある階段を使って一階まで戻ることにしたの」

 エレベーターのり場を埋めつくすほどのオバケってどれくらいだろう?

 あんまり集まって悪さすることの少ない霊が、たくさん集まっていたのはなんでだろう?

「階段で、無事に一階まで行くことはできたの。でも出口まであと一歩ってところであたしたち、真っ黒いオバケにつかまっちゃって。いなくなっちゃった子は、あたしの肩を思いっきり叩いて押して、外に出してくれた。だけど、その子はオバケにつかまっちゃって……」

「都子ちゃんは、そのあとどうしたの?」

「マンションの出入り口のそばで、何回もその子の名前を呼んだ。でも、いくら待ってもその子は出てこなくって。大人を呼んでこようと思ってマンションのしきちから出たのね。そうしたら、その子の顔も名前もわからなくなっちゃって」

「わからなくなっちゃった? でも、ちょっと前までいっしょにいたのに?」

 私のといかけに、都子ちゃんは困ったように下を向いた。

「そうなの。ほんのちょっと前までいっしょにいたはずなのに、わかんなくなっちゃったの。それでも、警察さんのところには行ったんだけど、名前も顔もわからないって言ったら相手にしてもらえなくて」

 たしかに、警察さんだって何もわからないひとを探すのはムリだろう。

「でも、都子ちゃんはその子がたしかにいたって記憶だけはあるのね?」

「うん。一日たってそれも少しずつ記憶うすらいできたけど、まちがいないの。見てこれ」

 都子ちゃんが、ブレザーをぬいでブラウスのえりを引っ張るようにズラした。

 都子ちゃんとつぜん脱ぎ出した!? とびっくりしていると都子ちゃんが肩を出した。

 ズラしたブラウスから見えた都子ちゃんの肩には、かすかに赤い手形がのこっている。

「それ、もしかしてその子がおしてくれたあと?」

「そうだと思う。だけど、もしそうだったらこのあとが消えたらあの子のこと、あたしまで忘れちゃうんじゃないかって怖くて」

「じゃあ、いなくなってしまった子を探すのは急ぐってワケだね」

「そうなの、このあとが消えないうちになんとか助けてあげたい。でも、その方法がわからなくて。灯里は心霊部だから、こういうことにもくわしいかなって思って話したの」

「ごめんね都子ちゃん。ちょっと私にも、なんでクラスの子がいなくなっちゃったのかはわからない。だけど、心霊部にはたよれるセンパイたちがいるから、放課後になったらいっしょに相談しに行かない?」

 私のていあんに、都子ちゃんは大きくうなずいた。

「行く! 行ってセンパイさんたちに話を聞いてもらう。ありがとう灯里!」

 それから私たちは、残りのお昼休みの時間を使って、いなくなっちゃった子の手がかりがないか教室をしらべた。

「都子ちゃん、ここ見て。このロッカー、空だよ!」

「えっ、ホントだ。こんな真ん中のロッカーが空いてるなんて、ヘンだよね?」

 教室のうしろにならんだロッカーは生徒が教科書などを入れておくスペース。

 出席番号順に割り当てられるから、すみっこが空くことはあっても、真ん中あたりが空いているのはおかしい。うちのクラスには、転校した子などもいない。だけど、ドアに名前が書いてあるはずのロッカーたちのなかにひとつだけ名無しがあったのだ。

 開けてみても、中身はからっぽで――。

「都子ちゃん、もしかして、いなくなったクラスメイトの子が使っていたのかな?」

「そうかもしれない。えっと手塚くんと、中川くんの間っていうと……」

「『て』か『と』または『な』ではじまる名前のハズよね」

 きおくをたどってみる。だけど、どうしても名前が出てこない。

 一体、だれがこのロッカーをつかっていたのだろう。

 お昼休みがおわり、五限目がはじまった。水無月先生の国語の時間だ。

 都子ちゃんは前のほうの席で、ずっと落ち着かない様子。

 そうだよね、自分を助けてくれた子がとつぜんいなくなっちゃったんだもん。授業どころじゃないよね。

 私も落ち着かない気持ちで五限をおえると、私と都子ちゃんは水無月先生に出席簿を見せてもらうことにした。

「出席簿が見たい? ふたりとも、どうかしたのですか?」

 水無月先生は首をかしげながらも、私たちに出席簿を見せてくれる。

 出席簿には、手塚くんと中川くんの間に不自然な空白があった。

「都子ちゃん、これ!」

「うん、やっぱり消えちゃってる。先生、ここの空白ってなんですか?」

 私たちが顔色をかえて聞くと、水無月先生も「おや?」と声をもらした。

「うーん、なんでしょうね。さっきは気にならなかったけど、言われてみるとヘンですね」

「水無月先生、ここに本当はだれかの名前があったってことはないですか?」

「奇妙なことを聞きますね、月城灯里さん。でも、覚えてないですね。ここはきっと、最初から空いていたんじゃないでしょうか?」

 水無月先生も、クラスメイトの子の存在を忘れてしまっている――。

 私たちが言葉をうしなっていると、水無月先生が言った。

「よくわかりませんが、何かあったら先生に言ってくださいね。私もちょっと、この空白について考えてみましょう。どうにもおかしなところにある空白ですしね」

 つかのま、水無月先生に相談してみようか迷ったけど。

 授業の間の休み時間はみじかいし、放課後には晴人センパイに相談する予定だし。

 私たちは「ありがとうございます」と言って出席簿を先生に返した。

 奇妙に空いた真ん中のロッカーと出席簿。だれかがいなくなっている。

 それは本当のことかもしれない。

 のこりのわずかな休み時間、私と都子ちゃんはクラスの子たちにいなくなった子のことを聞いて回ってみたけれど、やっぱりだれもその子のことは覚えていなかった。


 放課後。

 私は都子ちゃんをつれて心霊部の部室に向かった。

 晴人センパイがいつものようにむかえてくれたが、後ろにいる都子ちゃんを見て不思議そうな顔をした。私たちの顔色を見て何かをさっしたのか、すぐに「なにかあったのか?」と聞いてくれる。

「晴人センパイ、うちのクラスで奇妙なことが起きてしまって――」

 私と都子ちゃんは、晴人センパイに『異世界に行く方法』を実行してしまったことと、それによって消えてしまったクラスメイトの子の話をした。

 晴人センパイは、むずかしい表情をうかべながら私たちの言うことを聞いている。

「神隠しだな。それも、相当にやっかいな神隠しだ」

 話を聞きおえたセンパイが言う。

「センパイ、神隠しってあの、行方不明になっちゃうやつですよね?」

「そうだ。ふつうの神隠しは、名前のとおり神様がかくしてしまったかのように消える。どこを探しても見つからないようなじょうたいだな」

「じゃあ、やっかいな神隠しって言いますと?」

 都子ちゃんが身をのりだすようにして聞いた。

「灯里と都子さんの話を聞くかぎり、今回の神隠しは非常にタチが悪い。ただ相手をかくしてしまうだけではなく、その子と関わったひとたちの記憶からも消し去ってしまう恐ろしいものだ」

「そんな……!?」

「記憶からも消してしまえば、もうだれも覚えていないのだから探すこともないし、いなくなったことにさえ気がつかない。とても悪質なものだ」

「だけど、あたしは名前も姿も忘れちゃったけど、存在はなんとか覚えています!」

 都子ちゃんが言うと、晴人センパイが肩を指差して言う。

「都子さんの肩に、いなくなってしまった子の手形が残っているのだろう? おそらくそれがか細い記憶の糸となって、なんとか存在を覚えていることができたんだ。もしもそれがなかったら、他のひとたち同様に都子さんもその子のことを忘れていただろう」

「この、肩の手のあとがあの子の存在を?」

「そうだ、ただいずれあとは消えてしまう。強く叩いて押した程度なら、数日で消えてしまうだろう。都子さんが早めに相談してくれたのは、不幸中の幸いだな」

 晴人センパイの言葉に、都子ちゃんがうなだれた。

「あとが消えちゃったら、あたしまであの子のことを……。あの! なんとかあの子を助けることはできないのでしょうか!?」

「もちろん、やってみるつもりだ。ただ、オレだけでは戦力不足だな。雪乃と太刀風、それに門吉さんにも手伝ってもらおう。だから、今すぐ行くということはできない。彼らを呼んで、明日の放課後に現場に行こう」

 センパイのていあんに、都子ちゃんが不安そうな顔をする。

「だけど、もし今日中にあとが消えて、あたしまであの子のことを忘れてしまったら、どうすればいいんでしょうか?」

「それについてはだいじょうぶだ。オレが都子さんから、すでに話を聞いている」

 センパイが言う。でも、センパイだって忘れてしまうんじゃないのかな?

「晴人センパイ。センパイもその子のことを忘れてしまうってことはないんですか?」

「それはおそらく問題ないだろう。この記憶が消える現象は、おそらく直接的にいなくなってしまった子と関わっていた相手にたいして起きることだと思う。オレは最初から、その子の名前も顔も知らない。知らない人間から記憶をうばうことなど出来ないだろう」

「なるほど、確かに晴人センパイにとっては、もともと見知らぬひとですもんね」

 とはいえ、関わったひとから記憶を消しちゃうって、ものすごく怖いことだ。

 家族のひとだって、記憶が消えちゃえば警察に探してもらおうとも思わないだろう。

 思い出の品とかはあるかもしれないが、もしかするとそれさえ消えているかもしれない。出席簿から名前が消え、ロッカーもからっぽになっていたことを考えると、ありそうなことだ。

 生きていたあかしのようなものをすべて消してしまう。

 センパイの言うようにあまりにやっかいだし、そして怖すぎることだ。

「それで、都子さん。もう少し細かく聞きたいのだけれど、そもそもふたりはどうしてそんなことをしようと思ったのか、それと何時ごろそれを行なったか、覚えているはんいで良いから聞かせてくれるかな?」

 センパイの問いかけに、都子ちゃんは考えるように口元に指を当てた。

「ええっと……たしか放課後に教室でおしゃべりしていたとき、いなくなった子が、スマートフォンで都市伝説を見つけたんだったと思います。それで、そこから少ししたくをして、都市伝説が実行できるような建物を探しに行きました」

「都子ちゃん、したくって言うと?」

「うん。もしも本当に異世界に行けたとき、あたしたちの世界とちがう場所に行くってことでしょ。食べ物とか困ったりするかもって考えになって、コンビニで買い物したりしたの」

 きっとそのときは、遠足に行くような気持ちだったんだろうな。

 それがこんなことになっちゃうなんて。

「都子さん、それで都市伝説の方法を実際にためしたマンションがある場所は覚えているかな?」

「覚えてます。ここから都心側にふたつ先の駅です。住宅街になっているし、ほかの駅より言い方がわるいけど、ちょっといなかの駅なので、ひとの少なくて高いマンションが見つけやすいかなって思って」

「じゃあ、明日はそこに探しに行くしかないな。都子さん、話してくれてありがとう。つらいだろうけど、今日はもう帰ってゆっくり休むと良い。オレたちは明日の用意をしておくから」

 晴人センパイが言うと、都子ちゃんがよわよわしくうなずいて頭を下げた。

「わかりました。晴人さん、灯里、明日はどうぞよろしくおねがいします」

 センパイにうながされ、都子ちゃんが部室を出て行った。

 都子ちゃんを見送ったあと、晴人センパイはため息をついて、小さくうなった。

「今回の件は本当にやっかいだ。だが、心霊部として見過ごせないな」

「やっぱり、ひとの存在を消しちゃうなんて怖い霊なのでしょうか?」

「だろうな。おまけに都市伝説なんて言う、人間が生み出してしまった心霊を呼びよせるような儀式まで行ってしまったワケだからな」

 儀式、という言葉に引っ掛かって私はたずねた。

「センパイ、都市伝説って儀式なんですか?」

「全部が全部そうというワケじゃないけど、今回のケースは儀式と呼んで良いだろう。何かが起こると言われていることを、わざわざ自分たちから行なってしまったんだからな。とにかく、雪乃と太刀風には連絡をいれておく」

 晴人センパイがスマートフォンを取り出して、いくつかそうさした。

 きっとメッセージアプリでふたりに連絡を取っているんだろう。

 雪乃さんと太刀風さんが来てくれれば、心強い。でも、センパイはそれに加えて門吉さんにも力を借りようと言った。やっぱり、呪いとか悪霊とかがそれだけ大きいのかな?

「ふたりに連絡は入れた。灯里、オレたちは今から門吉さんに話をしておこう。明日はできるだけはやく合流して現地に向かいたいからな」

「わかりました! じゃあ中央公園まで行きましょう!」

 ふたりで部室を出て、中央公園に向かう。

 そこから遊歩道に入り、木々の立ち並ぶ脇道に進んでいく。

 あいかわらず首のとれたお地蔵様が置かれている。

「門吉さーん! いますかー!?」

 私が声をあげると、木々がざわつき、お地蔵様からにゅっと門吉さんが顔を出した。

『おっ、ガキにお嬢ちゃんじゃねーか。良く来たなぁ、元気でやってるかい?』

 いつも通りのかるい口調で、門吉が笑いながら言った。

 お地蔵様の前にはお酒もタバコも置かれている。

 センパイのお父さんが供えてくれたのかな? 門吉さんとしてはごきげんだろう。

「門吉さん、力を貸してほしいんだ」

『力を貸してほしい? めずらしいことを言うもんだねぇ。なんかあったんかい?』

 晴人センパイが、いなくなってしまった子のことや都市伝説のことを手短に説明する。

 私が都子ちゃんが話したことを、とっても上手にまとめてくれている。やっぱりセンパイは頭が良い!

『なるほどねぇ、そいつはたいへんなこった。けどなぁ、オイラはここからそんなに遠くにはいけねーんだよ。なんせこの地蔵が宿主だからなぁ』

「それは考えがある」

 そう言って、晴人センパイが私の肩に手を置いた。

「灯里の取りつかれ体質を利用する。門吉さんには明日、灯里に取りついてもらって同行してほしいんだ」

『なぁるほど、そういう手があったかぁ。はっはっは!』

 門吉さんがおかしそうに笑う。こんなところで私の取りつかれ体質が役に立つなんて……。でも、これもいなくなってしまった子を助けるためだ。

「な、なんかふくざつな気持ちですが、門吉さん、よろしくおねがいします!」

『うーん、でもなぁ。オイラがそこまでするギリもないしなぁ。オイラもともとナマケモノだし。めんどくせーなぁ』

 門吉さんが、いかにもダルいって感じで空を見上げた。

 すかさず、晴人センパイが口を開く。

「もちろん、タダとは言わない。今回のことに力を貸してくれたら、なんでも好きなお酒とタバコをここに供えよう。それでどうかな、門吉さん」

 センパイの言葉に、門吉さんが目の色をかえた。

『なぁにぃ!? ホントかそれ! オイラ、あのビールってのが気に入ってるんだ! あれをたくさん供えてくれるってんなら話はべつだぜ!』

「いいよ、ビールを六缶お供えしよう。それで力を貸してくれないか?」

『ビール六つか、うーむ。よし、その話のった! この門吉さんが力をかしてやろうじゃねーか!』

 さすがセンパイ、門吉さんのあつかいもなれたものである。

 私たちは明日、放課後にむかえに行くと約束して中央公園を出た。

 そのまま駅に行って、私たちの住む街へ向かう電車にのる。

「明日は夜までかかるかもしれない。灯里もかえってゆっくり休んでおけ」

「はい。センパイはどうするんですか?」

「明日はお守りやお札、それに符がいくつも必要になるかもしれない。その用意をしたら、オレも早めに休むことにするよ」

 電車を降りて十字路でセンパイともバイバイして、私は家にかえった。

 明日は怖いユーレイとたたかうことになるのかなぁ?

 考えてみれば、今までユーレイが私たちのところにやってくることはあっても、自分からユーレイがいる場所に向かうのははじめてだ。なんだか怖いし、きんちょうする。

 私はベッドに横たわると何回もゆっくり呼吸をととのえて、ちょっとずつドキドキをしずめるようにしてねむりについた。


 翌日の放課後。

 心霊部の部室には晴人センパイに雪乃さん、太刀風さんがそろっていた。

 私も、都子ちゃんといっしょに部室に来ている。都子ちゃんをつれていくことは心配だけど、都子ちゃんがいないとマンションを探すのに時間がかかってしまう。

「雪乃さん、太刀風さん。よろしくおねがいします」

「……なにやら、むずかしいこと……油断はきんもつ……」

「まぁ、あたしがいるからにはその消えちゃった子っていうのを、パパっと見つけてみせるって!」

 ふたりにあいさつをして、都子ちゃんも紹介する。

 晴人センパイの「少しでも早く行ったほうが良い」との言葉で、みんなで部室を出て中央公園にむかった。遊歩道のおくで門吉さんと合流し、センパイがお札をつかってお地蔵様から私に門吉さんの霊をうつす。

『はーっ、地蔵から動いたのははじめてだけど、なぁんか嬢ちゃんのとこは居心地が良いなぁ。こりゃあ、取りつかれやすい体質ってのもよくわかるぜ。なっはっは!』

「あたし、ユーレイってはじめてみたかも」

「都子ちゃん、門吉さんはユーレイじゃなくて土地神さまだよ」

 本当はまだ土地神さまじゃないんだけど。

 でも、そういう風に紹介したら、門吉さんもその気になってくれるかなと思い、私は土地神という言葉を強調して言った。

 それにしても、ユーレイに居心地が良いって言われちゃう私の身体って……。

「よし、ふたつさきの駅まで行って、問題のマンションを探そう。門吉さん、みんなに見えないように灯里の身体の中にかくれていてくれよ」

『あいあい、わかりましたよっと』

「それじゃ、みんなでレッツゴーだね!」

 ノリノリの雪乃さんを先頭に、みんなで駅へ向かう。

 こんなたくさんのひとで向かわなきゃいけない場所なんて、正直怖い。

 でも都子ちゃんのため、消えてしまったクラスメイトの子のためにもがんばらなくちゃ!

 駅で電車にのると、門吉さんは私の中で大はしゃぎしてた。

『こりゃすげー! 早馬よりはやいぞっ! なんだこれ、なんだこれ!』

 私の中で門吉さんの声がひびく。他のひとに聞こえないかひやひやだった。

 電車をつかって、無事目的の駅までたどりついた。

「さて、ここからは都子さんの記憶がたよりになるけど、マンションの場所は覚えているかな?」

「ちょっとあいまいになってきていますけど、だいたいの方向は覚えてます」

「そうか。まぁ、十階以上のマンションなら方向さえわかってれば探しやすいかな」

 都子ちゃんを先頭に、みんなで歩き出す。

 けれど、途中で都子ちゃんの足が止まってしまった。

「都子ちゃん、どうしたの?」

「おかしいな、たしかにこの辺りのハズだったのに、見あたらない」

「それらしきものは……見えぬな……」

 いくつかマンションやアパートがたっているけれど、どれもそこまで高くない。

 都子ちゃんは、マンションの記憶までうばわれてしまったのだろうか。

「マンション見つからなきゃどーにもなんないよ! どーすんの晴人?」

「とにかく、探してみるしかない。いわく付きのマンションならオレや太刀風が見ればわかるだろう」

 知らない街を、マンションを探して歩く。

 だけど、そもそもまわりに十階以上ありそうな高い建物が見当たらない。

 一通り歩いたあと、晴人センパイが仕方ないという様子で言った。

「少し待つ必要がありそうだな」

「待つ? どういうことですか?」

「そのときになればわかる。それより、今のうちに皆に道具を配っておこう」

 歩いていて見つけた公園のベンチに腰かけて、晴人センパイがカバンをひらいた。

 中にはお札やお守り、符がいくつもしまってある。

「太刀風と門吉さんには必要のないものだが、灯里と雪乃、それに都子さんは持っておいたほうがいい」

 そう言って、晴人センパイが私たちにお守りとお札を私てくれた。

「や、やっぱりなにか危ないことなんでしょうか!?」

 お守りとお札を受け取った都子ちゃんが、顔をこわばらせて言った。

「霊がいるところに、こちらから行く形になるからな。用心するにこしたことはない」

 道具を渡してみんなで一休みしたころには、だんだんと夕焼けの色がこくなっていた。

「よし、そろそろ行くか」

「うむ……参ろうか……」

 私や都子ちゃんは首をかしげていたけど、晴人センパイと太刀風さんについていく形で道を進んだ。ふたりが立ち止まったのは、都子ちゃんがさいしょにマンションはこのあたりのハズと案内した場所である。

 ――ここにはなにもなかったんじゃ?

 そう思っていたけれど、私が視線を送るとまるで浮かび上がるようにマンションの建物が現れた。

「晴人センパイ! ここ、さっきまでなにもなかったハズじゃ!?」

「前に話しただろう、灯里。逢魔が時ってやつだ」

「夕方の、オバケとかが出やすいっていうやつですよね?」

 晴人センパイがうなずく。そんな時間に急に出てくるマンションって――。

 いやな予感はマンションに近づいていくにつれ、つよくなっていく。

 首筋はピリピリ痛いし、マンションの方からふいてくる風が肌にささるようだった。

 都子ちゃんも、いような空気にとまどっている。

「あたしが前に来たときは、こんな感じぜんぜんしなかったのに……」

「都子さんが来たときは、言うなればマンションがふたりをさそっていたのだろう。今はいなくなった子をマンションに取り込んでいるから、だれも近づけたくないのだろうな」

『いやぁ、それにしてもこりゃあけっこうなモノがいるぞ』

 門吉さんも私の背後から抜け出して、マンションを見て言った。

 怖いけど、クラスメイトの子を助けなきゃ。

 だいじょうぶ、お守りもお札もある。きっとうまく行く!

「これはまがまがしい……ゆだんはできぬ……」

「あたしもビリビリ来てるわー、ホントヤバイねー!」

 太刀風さんはうでまくりして、雪乃さんは逆水晶を取り出した。

 マンションのすぐそばまで来たとき、晴人センパイがみんなを前にして言った。

「見ての通り、かなりのいわくつきマンションだ。ここはひとつ作戦を取ろうと思うんだが、いいか?」

「はい、センパイ!」

 みんながうなずくと、晴人センパイがつづけた。

「マンションも、そのまわりにも霊が集まっている。オレたちのジャマをするだろう。そこで雪乃にはマンション前で降霊を行なって、辺りの雑霊を引き付けてほしい」

「センパイ、降霊ってそんなにたくさん集められるものなんですか?」

「いや、雪乃が一度に降霊できるのは一体までだ。ただ、身体を手に入れられるとなれば雑霊は一気にあつまってくるだろう。そこで、雪乃が降霊をして霊をあつめている間、都子さんには雪乃を守っていてほしい」

「あ、あたしですかっ!? でもあたし、ユーレイとかぜんぜんわからなくて」

 とまどう都子ちゃんに、晴人センパイが落ち着かせるようにしずかな声で言う。

「だいじょうぶ、お札とお守りがあるだろう。雪乃のそばでそれをかざしていてくれ。よわい霊はそれで雪乃の中には入れなくなる。万が一、雪乃に何か取りついてしまったら、この符を雪乃のひたいに当ててあげてくれ」

 そう言って、晴人センパイが都子ちゃんに符を一枚私た。

「わ、わかりました! がんばります!」

 都子ちゃんがきんちょうした顔で符を受け取った。

「都子ちゃん、あたしのお守りよろしくねー!」

「がんばります、雪乃センパイよろしくおねがいします!」

 晴人センパイが太刀風さんの方を向いてつづける。

「太刀風、苦労をかけて悪いが太刀風は階段をつかって、問題の五階まで行ってほしい。都子さんたちはふたりで儀式を行ったという。オレと灯里でおなじことをやってみる。階段しか道がないんだ」

「……問題ない……五階で落ち会おう……」

「灯里は門吉さんについてきてもらいながら、オレと来てくれ。都子さんがやったエレベーターの儀式をオレたちでやるぞ。五階についたら太刀風と合流して、いなくなってしまった子を探すんだ」

「わかりました。エレベーターの儀式怖いけど、がんばりますっ!」

『なぁに、オイラがついてるんだから、安心しな嬢ちゃん』

 都市伝説の異世界に行く方法かぁ、怖いなぁ……でもしっかりしなきゃ!

 晴人センパイの指示で、みんなが動き出す。

 まず雪乃さんが、出入り口をさけてマンションのそばで座った。逆水晶のネックレスをつけて、降霊のじゅんびに取りかかる。都子ちゃんが、きんちょうした顔で雪乃さんのうしろに立った。

「じゃあ、やるからねー! マンションの雑霊はできるだけ引きつけるから、あとはよろしくっ!」

 雪乃さんがふぅぅっと息を吐いて降霊をはじめた。すると、すぐにマンションから黒い影がいくつも出てきて、雪乃さんの周囲をグルグルと回りだした。

「きゃあ! こ、こないで!」

 都子ちゃんがお札とお守りを両手に持って、雪乃さんを守る。

「よし、かなりの数を引きよせられたな。今のうちに行こう」

 晴人センパイがかけだし、私と太刀風さんもつづく。マンションの入り口を通ると、さっきよりも首筋にイヤな気配が伝わってくる。

「よし、エレベーターホールについたぞ。太刀風、階段はあそこだ。たのんだ!」

「しょうち……ではまた……」

 太刀風さんが階段に向かっていく。

 私と晴人センパイは、ならんでエスカレーターのボタンを押した。

 すぐにエスカレーターはやってきて『チンッ』という機械の音とともにとびらがあく。

「都子さんたちがやったようにやるぞ。オレが右足でエレベーターにのるから、灯里は左足でエレベーターにのってくれ」

「わかりました!」

『はぁー、今の時代はこんなものがあるのか。べんりだねぇ』

 門吉さんが感心したようにつぶやく。

「よし、行くぞ」

「はい!」

 お互いの足をかくにんし合いながら、私と晴人センパイがエレベーターにのる。

 私はスマートフォンを取り出して、エレベーターの移動順をたしかめようと思ったけれど、スマートフォンは圏外になっていた。

「えええっ、なんで圏外なのっ!?」

「霊が電波に干渉しているんだろう。問題ない、順番は覚えている。都子さんたちはエレベーターにのったら二階、六階、二階、十階、五階と移動したと言っていた」

「覚えてたんですか、さすがセンパイ!」

「スマートフォンは使えないかもしれないと思っていたからな。頭に入れておいた。太刀風だけを待たせるワケにはいかん。急いでやるぞ」

 晴人センパイが言うと、エレベーターのボタンを操作した。

 まずは二階。エレベーター特有のあがっていく感覚が短い時間私をつつむ。

 背中を冷たい汗が流れる。ううん、これ本当に汗なのかな。もっと冷たい何か――。

 二階でドアがひらき、何ごともなくしまる。次は六階。

 さっきより長い間エレベーターがあがっていく。心臓が怖さでドクドクいっている。

 六階でドアがひらき、またしまる。

 つづいて二階のボタンを押すと、エレベーターがゆっくり降りていった。

「今のところ、何も起きませんねセンパイ。ただ、すごくイヤな予感がします」

「灯里もか、オレもこれは危ないなと思いはじめたところだ」

 そう言って、晴人センパイが符を左目に貼った。これでセンパイにも霊が見える。

 それだけ、何かイヤな気配が近くなってきたということであろう。

 二階。ドアが開き、しまる。次は十階だ。

「都子ちゃんのときもそうだったみたいですけど、だれものってきませんね」

「マンション自体使われていないのかもな。そう考えると電気が通っていることが不思議ではあるが……」

『気をつけろよー、いやぁ~な感じがしてきたぞぉ』

 門吉さんが顔をしかめた。エレベーターの中はこんなに寒かっただろうか。

 背中が冷たい風に吹きつけられているように冷える。身体がふるえてしまいそうなのを、全身に力を入れてガマンした。

 十階に着いた。ドアがひらいて、とじる。

 いよいよ次が都子ちゃんといなくなってしまった子が怪異に出会った五階だ。

 晴人センパイの指が、五階のボタンを押した。

 ゆっくり、ゆっくりとエレベーターが下がっていく。

 エレベーターってこんなにおそかったっけ――?

 そう思うほどに、時間が長く感じられた。

「センパイ……!」

「何か起きそうだな、注意しろ灯里」

 晴人センパイはすでに右手に符を持っている。私もお守りをぎゅっとにぎりしめた。

 五階。到着した。ここで、都子ちゃんたちは黒い何かにおそわれたと言っていた。

 ギギギギギッ。

 都子ちゃんが話していたのとおなじように、急にドアがきしみ、いびつな音をたてた。

 ゆっくり、ぎこちなくドアがひらいていく。首筋に感じるイナな予感は、すでに痛いほどだった。

 もうすぐドアがひらいてエントランスが見える、と思ったとき、黒い影がエレベーターに入り込んできた。

「うわっ!? もう出たっ!?」

「いきなりきたな、この……!」

 晴人センパイが符をかまえる前に、黒い影はこなごなになって消える。

 きしんだ音をたてていたドアがひらくと、太刀風さんの姿があった。

「思ったよりもひさんだ……気をつけよ……」

「そのようだな」

 エレベーターを降りた晴人センパイが言う。私も続いてエレベーターを降りる。

「そんな、なにこれ!?」

 エントランスは、ううん、マンションの中は黒いオバケがそこらじゅうにひしめいていた。何十、もしかしたらそれ以上の数の悪霊が、うごめきあっている。

「こんなところで待たせてすまなかった、太刀風」

「いや……異変はエレベーターがついたときに起きた……今さっきだ……」

「ということは、やはりこの儀式で何かを呼んでしまったか、どこかにつながってしまったか。それにしてもキリがないな」

「こんな数のオバケ、ど、どうするんですか!?」

 黒いオバケたちは私たちに気づいたのか、ゆっくりと影を近づけてくる。

 晴人センパイが、私の手に何かをにぎらせた。

「符だ。灯里はそれを持って、いなくなった子を探しに行け! バケモノがこれだけ群れるということは、リーダーがいるはずだ。そいつを符でおさえ込むんだ」

「えっ、私がですかっ!? センパイたちもいっしょに」

「ここでやつらを防がねば……進めまい……」

「だけど……」

 私がとまどっている間にも、影はすぐそこまでせまってくる。

「灯里のカンがたよりなんだ! これだけ悪霊がいたら、どんなに探したって探しきれない。取りつかれ体質の灯里が一番いやだと感じる場所にここの親玉がいるはずだ。そいつがいなくなった子を捕まえているはずだ。門吉さんといっしょに、それを見つけていなくなった子を助け出せ」

「月城……行くのだ……」

 私の取りつかれ体質といやなカン。

 いっつも私を不幸にしていたものが、だれかの役に立つのなら。

 晴人センパイが、私を信じて行けというのなら。

 雪乃さんが、都子ちゃんが、晴人センパイが、太刀風さんががんばってる。

 私だって、やるしかない!

「わかりました、行きます! ぜったいに、いなくなってしまった子を見つけて戻ります!」

『よぅし、いっちょ大仕事だな。いくぜぇ、嬢ちゃん!』

 晴人センパイがうなずいた。私は呼吸をととのえて、カンをはたらかせる。

 どこにイヤな気配があるか。どこに一番大きな何かを感じるか。

 ゾクゾクと悪寒が走る。どこから――? ろうかのおく。その向こうだ。

「晴人センパイ、ろうかのおくから何か感じます!」

「よし、そこまではオレと太刀風で道をあける。たのむぞ!」

「もっともむずかしい仕事……月城の武運を祈る……」

 晴人センパイと太刀風さんがかけだしていく。

 晴人センパイの符が、太刀風さんのこぶしが悪霊をはらっていった。

 その道を、門吉さんとともに進む。ろうかに出たところで、晴人センパイと太刀風さんが止まった。

「オレたちはここで悪霊を食い止める。行って来い!」

「南無……世のことわりに背くものども……はらうべし……」

「はい、行ってきます! ふたりとも、どうか無事で!」

 かけだそうとした私の背中に、晴人センパイの声がとんだ。

「しっかりな、灯里。どうしてもムリなら、灯里だけでもかえってこい。オレはここで待っている。いいな、必ずかえってこいよ、灯里!」

「はいっ!」

 晴人センパイの言葉を受けて、暗いろうかをかけだした。

 どこからか飛んでくる悪霊は門吉さんが手ではじくようにおいはらってくれる。

 だけど、どんどん進むにつれて道が暗く、黒にそまっていく。やがて、私の目にはどこが通路でどこがカベなのかさえわからなくなっていった。

「真っ暗すぎて何も見えない……。門吉さん、どうしよう?」

『嬢ちゃんの目には、ちぃと暗すぎるか。今明るくしてやるから待ってろ。でも、腰を抜かすなよ』

 門吉さんがパチンと指を打ちならすと、門吉さんの回りにいくつも人魂がうかんだ。

 これじゃまるっきり絵本のユーレイだ。けれど、その人魂はとても明るくて、電灯のように辺りをてらしてくれる。

 くっきりと見えるようになったろうかのおくは、びっしりと黒いオバケでうめつくされていた。

「きゃっ!? 晴人センパイと太刀風さんが止めてくれているのに、まだこんなに……」

『このでかい長屋全体が、ユーレイもどきみたいなのにつつまれてるな。こりゃあキリがねぇぞ。はやく嬢ちゃんのカンで親玉とやらを見つけてくれや』

 門吉さんが飛んでくるオバケをひょいひょいと投げとばしながら言う。

 ユーレイやオバケに囲まれた世界。信じられない光景。

 こんなの、ぜんぶただの悪い夢なんじゃないか。そう思ってうずくまりたくなる、よわい気持ちを必死になって立て直す。

 やらなきゃダメだ。みんながんばっている。私だって、やらなくちゃ。

 気持ちを集中させる。イヤな気配。どこから来るんだろう。

 おく。もっとおく。進んでいく。

「つっ!?」

『どうした、嬢ちゃん?』

 首筋に焼けるようなねつが走った。

 ここだ。

 私がカベのほうを向くと、門吉さんが人魂をカベのそばによせてくれた。

 ドアには五〇四号室と書いてある。

「門吉さん、ここ。このへやのおくからすごいイヤな感じがするの」

『ってことは、いなくなっちまった子も、親玉もここにいるかもしれねぇな。やるしかねぇ、いくぞぉ嬢ちゃん!』

「うん、門吉さん、行こう!」

 五〇四号室のドアをひらく。ごうっとつよい風が私の全身をうった。

 中に入る。キリのように悪霊があふれている中を、門吉さんの手でかきわけて進んでいく。お守りやお札のおかげか、私にふれてくる霊はいない。

 符を右手でにぎりしめたまま、ゆっくりと進む。カンをとぎすまそうとしたとき、私の耳にかすかな女の子の泣き声が聞こえた。

「門吉さん、この声!」

『ああ、きっと悪霊にとっつかまった子が泣いてるにちげぇねぇ』

「このドアの向こう……、待ってて!」

 ドアを開く。ふかいふかい真っ黒がひろがってる。その中に、数え切れないほどの目がびっしりとへやの中をうめつくしていた。

 地面、カベ、天井。いたるところでうごめく目が、いっせいに私を見る。

「ひっ!?」

『ここがふんばりどころだ、嬢ちゃん!』

「う、うん……行かなきゃ!」

 泣き声に向けて歩いて行く。ヘヤ中の目が、私をおっている。

 マンションの一室の中に、なぜこんな広い空間があるのだろう。

 すこしずつ泣き声が近くに聞こえてくる。もう少しだ。

『嬢ちゃん! アレだ!』

 門吉さんが声をあげ、人魂を前へとばす。

 明かりにてらされた先には、全身を目でうめつくした黒いかたまりがあった。

 頭や手足のようなものが生えていて、その手足が女の子をしっかりとつかまえている。

「きっとあの子だよね、助けなきゃ! ……きゃあ!?」

 女の子を助け出そうと近づいた私が、黒いうでに押された。背中からたおれこみそうになった私を、門吉さんが支えてくれた。

『だいじょうぶか? 嬢ちゃん!』

「うん、ありがとう門吉さん。でも、あの子に近づけない!」

『ここはオイラに任せとけ! よぅし!』

 門吉さんがうでまくりすると、大きなオバケめがけて飛んで行った。

 オバケの両手が門吉さんに伸びる。その手を、門吉さんの手が受け止める。取っ組み合いになるような形で、オバケと門吉さんが向かい合った。

『今だ、嬢ちゃん! その子をこいつの中からひっぱり出せ!』

「わかった! しっかりして! こっちに……うっ、足がジャマで抜けない」

「おねがい、助けて! 助けて!」

 女の子が泣きながら言う。その下半身を、オバケの足がしっかり抱え込んでいた。

 門吉さんはオバケのうでをおさえこむのでせいいっぱいだ。どうしたら――。

 符。

 にぎりしめた符の存在を思い出す。晴人センパイがくれた符。

 今オバケは手を門吉さんにおさえられ、足は女の子をつかまえていて動けない。

 この符をつかって、オバケをなんとかすることができるかも。

『ぬっ、ぐぐぐぐぐ……』

 組み合っている門吉さんが、苦しそうな声をあげる。

 迷っている時間はない。

 私は符をつきだすようにして、オバケめがけてかけ出した。

「たぁぁぁぁぁ!」

 オバケの頭めがけて、おもいきり右手をつきだす。

 符が風船のようにはじけた。オバケの頭もぐらりとゆれる。

 オバケの身体がよろめき、女の子が床に放り出された。

「しっかりして! 立てる?」

「う、ん……身体に、力が入らなくって……」

『嬢ちゃん! 先にいってろぉ!』

 女の子を支えるようにして、出口をめざす。

 だけど、さっきとちがって悪霊たちがどんどんよってくる。

「どうして? あっ!?」

 ポケットの中に入れたお札がやぶれかけていた。お守りも、真っ黒によごれている。

「さっき、あの大きなオバケとたたかったせい? とにかく、今はにげなきゃ!」

 よわった女の子をつれて、なんとかへやの出口を目指す。

 やぶれかけたお札を右手でかざし、左手と肩で女の子を背負うような形で歩く。

 一歩一歩、進んでいくしかなかった。

「お願い、なんとか門吉さんが戻ってくるかセンパイたちのところに行き着くまで、がんばって!」

 お札に言い聞かせて、ろうかをこえる。

 目の前のげんかん、女の子を支えるうでがしびれてきていた。だけど、あと少し――。

「出れたっ!」

 なんとかドアをあけて、五〇四号室を出る。

 けれど、五〇四号室から私たちをおってたくさんの悪霊がやってきた。

「こないでっ!」

 すぐ目の前。

 悪霊の手。

 せまってくる。

 私は女の子を抱きしめるようにして守って、お札をつきだす。

 右手ににぎっているお札の感覚が消えた。お札は私の手の中で、はいのようになって散っていった。

「ウソでしょ!? きゃあああ!?」

 お札がなくなり、前から後ろから悪霊が押しよせてくる。

 なんとかしなきゃ! でも、もうお守りも真っ黒でつかえない。

 悪霊が大きな口をあけて、私の顔にせまってきた。

 視界が悪霊でいっぱいになって――。

「急急如律令! 悪霊の怪異を消滅せん! はぁぁ!」

 晴人センパイの声。私のまわりにいた悪霊たちが、いっせいにきえていく。

「待たせたな、灯里」

「晴人センパイっ!」

「いなくなってしまった子も見つけたようだな、よくやった」

 晴人センパイが、私の頭をなでてくれた。思わず、晴人センパイに身をよせる。

 心地よい安心感。でも、まだおわっていない。

 私と女の子をかばうようにして、センパイが符を使い悪霊をしりぞけていく。

 そして、もうひとり。

「南無……!」

 太刀風さんが、両腕のこぶしをつかって悪霊たちをなぐりとばした。

「エントランスの悪霊は片づけたゆえ……加勢に参った……」

「そういうことだ、灯里。太刀風、この子をたのむ。いいかいキミ、このお兄さんにおぶってもらって」

 太刀風さんが女の子をおぶり、ここから出る体制はととのった。

 あとは門吉さんだけ。

「門吉さん、もうだいじょうぶ! お願い、戻ってきて!」

 遠くから、門吉さんの声が返ってくる。

『こいつをおさえるので手いっぱいだぁね! お前ら先に行ってろ!』

「門吉さんを置いていけないよっ!」

『だいじょうぶだ! オイラは今、嬢ちゃんに取りついてるんだぜ。宿主が無事ならどうにでもしてみせるさぁね。ほれ、さっさと行け!』

 門吉さんが動けない。どうしよう?

 晴人センパイに助けに行ってもらう? でも符は一回つかっただけではじけてしまった。

 私が立ちつくしていると、五〇四号室からどんどん悪霊がわきだしてくる。

「キリがない。ここは門吉さんを信じて行くしかない!」

「でもっ!」

「雪乃だっていつまでも持たない。まよってる時間はないぞ!」

「門吉どのは……きっと戻ってくる……まずはこの娘の救助が先だ……」

 私はぎゅっと手をにぎりしめて、五〇四号室のおくに大声で言った。

「門吉さん、ぜったいぜったい戻ってきてね! 先に外で待ってるから! ぜったいだよ!」

「よし、切り抜けるぞ!」

 晴人センパイにつれられて、暗いろうかをかける。

 エントランスまでくると、ほとんど悪霊の姿はなかった。センパイや太刀風さんがやっつけたのだろう。

「エレベーターをつかいたいところだが、さすがに危険だな。階段で行くぞ!」

 四階、三階、二階、どこにも悪霊はいたけど、晴人センパイと太刀風さんがはらいながら進んだ。一階までついたとき、私は息があがっていた。

 でも、あと少し。出口、見えた。

 走った。

 私の後ろに晴人センパイが、そして女の子を背負った太刀風さんがつづく。

 太刀風さんが女の子をおぶって外に出たしゅんかん、私の中で記憶が戻った。

 いなくなってしまった子の名前。

 この子は、豊吉 美景(とよし みかげ)ちゃんだ!

「晴人センパイ! たった今、あの子の名前、顔、ぜんぶ思い出しました!」

「やはりこのマンションがその子の存在をかくしていたのか」

「記憶は戻った……あとは雪乃を救うことだ……」

 晴人センパイたちとともに、雪乃さんのもとへ急いだ。

 雪乃さんのまわりを、たくさんの悪霊がグルグル回っている。

 それを、都子ちゃんがお守りやお札で必死に防いでいた。

「灯里! それに……美景ちゃん! 思い出した! 美景ちゃんだ!」

 私たちの顔を見て、都子ちゃんが笑う。

 美景ちゃんを私にあずけると、太刀風さんが悪霊のうずまく中に飛び込んでいく。

 あっという間に一匹、二匹と悪霊をなぐりたおしていった。

「雪乃、もういい。戻れ、はっ!」

 晴人センパイが雪乃さんのひたいに符を当てた。ガクンと首を前にかたむけたあと、雪乃さんがゆっくりと顔をあげる。

「はーっ、めっちゃめちゃつかれたー。お、見慣れない子がいるー。ってことは作戦成功ってワケ?」

「ああ、ぶじに助けることができた。それに、灯里や都子さんの記憶も戻った」

「おおー、万事解決じゃん!」

 雪乃さんがつかれた顔で笑った。たしかにいなくなってしまった子――美景ちゃんを取り戻すことはできた。だけど、まだ門吉さんが戻ってこない。

 都子ちゃんが美景ちゃんに飲み物をあげて、今までおきたことを話している。

 晴人センパイは雪乃さんに改めておはらいをしていた。

 じっと門吉さんを待っていると、都子ちゃんが大きな声をあげる。

「灯里、マンション見て!」

 顔をあげる。しずみそうなお日様の光の中で、ゆっくりとマンションがとうめいになっていく。

「あれって、どういうこと?」

「悪霊をはらったゆえか……この子を取り戻したからか……または門吉どのが元凶である悪霊を退治したのか……」

「おそらくあのマンションそのものが、大きな霊だったんだろう」

 あれほど大きなマンションひとつが、ぜんぶ悪霊だったなんて――。

 大きなマンションは、私たちの前でオレンジ色の日差しをうけて消えた。

 でも、門吉さんが戻ってこない。

 まさか、マンションといっしょに門吉さんまで消えちゃったの?

「門吉さーん!!」

 マンションが消えて空き地になった地面を見つめて、大きな声で呼ぶ。

『あいよぉ!』

 とつぜん、地面の中からひょっこりと門吉さんが顔を出した。

「門吉さん、無事だったのね!」

『おうおう、だいじょうぶって言っただろぉ。あのバケモノ、ぶんなぐってやったぜ』

「良かった! 良かったよー!」

『おいおい、泣くなよ嬢ちゃん。オイラはどうってことねぇ。心配かけてわりぃな』

 門吉さんはユーレイだから変な感じだけど、私は門吉さんを抱きしめるようにして泣いてしまった。そんな私を門吉さんが落ちつかせてくれる。

 晴人センパイも、ふぅっと息をはいた。

「門吉さん、安心したよ。このままじゃビールをお供えできないかと思ったからな」

『はっはっは! オイラが酒をのむ前に消えられるかっての!』

「門吉どの……無事で何より……。あとはこの娘を送り休ませることだな……」

 都子ちゃんが美景ちゃんを家まで送ることになった。

 長い時間降霊をしていた雪乃さんもフラフラだったので、太刀風さんが家まで送っていくという。

 私は晴人センパイといっしょに中央公園に行って、お地蔵様のところへ行った。

「門吉さん、今日は本当にありがとう」

『良いって、良いって。あ、でも酒は忘れるなよ、あとタバコもな!』

「わかっているよ。近いうちに父さんにとどけてもらうよう言っておくから」

『おう! しっかり言っといてくれよ! はっはっは!』

 門吉さんの元気な笑い声を聞いて、私は安心して地面にへたりこんでしまう。

 終わった。とってもたいへんだったけど、みんなのおかげでなんとか美景ちゃんを助けることができたんだ。

『嬢ちゃん、だいじょうぶか? 嬢ちゃんやガキは生身なんだからつかれただろ。今日はもうかえってゆっくりするこった』

「お言葉に甘えるよ、門吉さん。今日は大仕事だったからな。灯里、立てるか?」

「な、なんとか」

 晴人センパイの手をかりて、なんとか立ち上がる。

 センパイは心配だからと言って、私を家のマンションの前までおくってくれた。

「今日はよくやったな、灯里」

「いえ、門吉さんやセンパイやみんなに助けてもらってばっかりで」

「美景さんを見つけたのは灯里だ、もっと自信を持て。……がんばったな」

「センパイ……」

 晴人センパイがおだやかに笑う。

 センパイに見送られて、マンションの入り口を通った。

 自分の家にかえると、私は「ただいま」とつげて早々にへやに入る。

 身体がつかれきっている。大きく息をはいて、ベッドに横になった。

「マンションそのものが、ユーレイだったなんて」

 美景ちゃんを助け出すことはできた。

 でもそれは、都子ちゃんがかろうじて美景ちゃんのことを覚えていたから。

 もしも。

 もしも今までもだれかがあそこにまよいこみ、消えていってしまっていたとしたら――。

 そう考えると、あまりの恐ろしさに私はふるえを止めることができなかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る