交差点の

壱単位

承前:カンチェンジュンガによる擦過傷

二番ホームに車両は滑り込んだ。小鳥が囀るような音が車両の外から響いてくる。少しがたりと揺れてから停車し、わずかな間をあけて、扉が左右に開く。温められた空気が出てゆき、代わりに二月の冷気が流れ込む。吊り革が掴める位置にいたから、扉を出るまでに二メートルほど移動を要し、その間に、背の高い大学生と思われる女性と、上着のポケットの覆いを右は出し、左は織り込んでいるサラリーマンと接触した。抵抗もせず、ゆらゆら歩いて車両を出る。入れ替わるようにたくさんの色を負ったひとたちが乗り込んでくる。背で扉を閉める音がする。車両が去ってゆくのを感じながら、やはり左右のひとたちに時折り肩をぶつけながら歩く。ホームは清潔だが、プラスチック製の丸みを帯びた椅子にはガムテープを剥がし損なった跡が残っている。階段に向かう。階段は濃い灰色で、縁の部分に滑り止めの黄色いモールが貼られている。左右の壁は薄い灰色だ。手すりは壁に鈍い銀色の部品で固定されており、天井からの病室のような白の照明を受けて影を作っている。中途の踊り場を含めて四十六段を上り、途中の太い柱を回避して右へ迂回すると左前方に改札が見えてくる。改札には電子決済の機能を備えた機械が五台設置されており、左から二番目と三番目が現在は入場用となっていた。右端の機械に携帯端末をかざして通過する。ホームと同じ色だが、よりくすんでおり、その淵に雨水などの不純物を流すための細い道筋をつけられた通路に出る。通路の左右の壁は、濃淡がつけられた青灰色のレンガ調のタイルが貼り付けられている。改札口の正面には掲示板があり、その路線の西端の駅付近に工場を持つ、有名な菓子業者の広告が三枚掲示されている。左右には新興住宅地の売り出しの広告と、警察の指名手配のポスターが並ぶ。左が新興住宅地のもので、それを右手に見ながら歩いてゆく。改札口付近より照明の数が減る。五十メートルほどの移動の間に、右手には無料の求人広告誌と賃貸不動産を紹介する冊子を挿した銀色の網のような棚があり、その直下、通路の隅には青い飲料の空き缶が放置されている。横に小さく握りつぶされた煙草の包装がある。空き缶の中に吸い殻があるかどうかは外観から判断ができない。通過するとやがて天井から黄色い札が下げられた場所に至る。六番出口と記載されており、その左手には別の通路の入り口が見える。その通路は人の背丈程度の狭いもので、入ればすぐに階段に向き合うことになる。階段の各段は十三センチほどの高さを持ち、地下鉄構内のものよりわずかに低い。段数は三十七段であり、その半ばを過ぎれば出口からの冷気を感じることになる。出口は公園の横に設置されており、折からの雪が吹き込んでいる。張り出した屋根も含めて四角い筒のような形に整備されたその出口は、すでに左右に人の背丈ほどの雪山を従えている。融雪装置は出口の内側までしかなく、その向こうは踏み固められた圧雪となっている。マフラーの隙間から零下六度ほどの大気が染み込む。正面と左右に公園の通路は伸びており、左が北、右が南となっている。南方向に踏み出し、夏であれば薔薇と浜防風が見られる花壇を横切って、繁華街の北端に出る。交差点の左右にはライラックと百日紅、正面の左右に商業ビル。前方は繁華街の中心部に伸びている。歩行者用の信号が青に変わるのを待ち、左側の歩道を歩き出す。除雪はされているが、左右の雪溜まりが歩行の妨げとなる。左手には観光客向けの飲食店が入る建物が多く、右にはコンビニエンスストアと服飾、美容関係の店舗が多い。中心部が近づくにつれて通行人の数が増えてゆくが、未だ酔客の姿はない。銀を基調として赤をあしらった外観の、大きなガラスを備えたビルが左手に現れる。一階はカフェで、低層階は居酒屋と雑貨屋、それ以上はマンションとなっている。その正面が広い交差点となっている。時差式信号機のため、すべての歩行者用信号が青になる場面があり、今がそれである。雪がほとんどを覆い隠す、ペイントの白と、アスファルトの黒。車道に右足を踏み出す。両手をコートから抜く。


その正面に、あなたは笑っていた。あなたが動くたび、ブーゲンビリアが揺れる。真っ赤な花弁が舞う。眩しい陽光があたしを拒む。交差点のすべてを埋めた赤のなかで、あなたは両手を大きく広げて、真っ青な空を抱いてみせた。肌を灼く風をかき分けるように、あたしはゆっくりとあなたに近づいて、手を持ち上げ、あなたの白く細い首に沿わせて、右と左の指先を組み合わせ、親指であなたの喉のあたりを抑えながら、力を加えていって、あなたは、ゆっくりと目を細めながら、最後に少しだけあたしに目を向けて、よかったね、って。


信号が変わり、車道に残っていたから複数の車のクラクションを受けることとなった。歩道に戻り、銀と赤のガラス張りのビルを右手に見ながら歩き出す。左手のコンビニから中学生くらいの女の子が出てきたときに、前を見ずに歩いていた大柄の男性とぶつかった。女の子は転倒したが、男性は少しだけ頭を下げ、そのまま立ち去った。居酒屋の看板に灯が入った。午後三時に点灯する仕掛けなのだろう。しばらくゆくと交差点にあたる。待っている間に一度、強い風が吹いた。顔をなかば埋めるように巻いていたマフラーの端が解けて、あたしの首についた指の跡が晒されることになった。マフラーは再び丁寧に巻きつけ、とんと跳んでコートの位置を直す。信号が青になり、雪に埋まった花壇を抜け、裸で零下に耐えているライラックを横目に見ながら、地下鉄の六番出口を目指した。出口の照明もすでに灯されている。インターロッキングの床にとんとんと靴底を叩きつけて雪を払い、階段を降りる。三十七段を下るとすぐ先で別の通路に突き当たる。そこを右に曲がると五十メートルほど先が地下鉄駅の改札である。左手に広告冊子が入った棚を見ながら歩く。通り抜けた後で、誰かが置いてあった空き缶を蹴った音を背中で聞いた。ポスターが貼られた掲示板が左に見えると、右が改札口となる。バッグから携帯端末を取り出してかざし、構内に入場する。右手に進んで柱を廻ると薄白い灯りに照らされた下り階段が見えてくる。四十六段を下り切って、椅子が並ぶホームに出る。車両を待つ人の数は十五人ほどで、その半数が手に持った携帯端末に目を落としている。天井には細いパイプが何本か走っていて、その隙間にスピーカーのようなものが設置されており、ざらざらとした音が間断なく漏れ出ている。故障しているものか、あるいは意図的に流されているものかの判断はつかない。プラスチックの椅子のひとつに、黄色い傘が立てかけられている。近くに人の姿がない。忘れ物と思われた。しばらく待っていると風を感じた。ゴムのような匂いを伴った風は、車両が細い経路を走ってくるために押し出された空気がホームに届くものであり、やや温かかった。風の直後に、小鳥が囀るような音。レールに車両のゴム製の車輪が接触する音だという。その囀りが大きくなり、やがて車両がホームに滑り込んできた。待っていた人たちが一番ホームの端に集まる。やがて車両は停止し、空気を吐くような音とともに扉が開いた。誰かに押されるように乗り込む。背中でゆっくり扉が閉まった。ごとんと揺れて走り出す。正面の扉のガラスに映ったあたしの目の、


<了>

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