終章:救われし贄と、掬う種

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 激烈な集中豪雨により集落が一つ丸まる水没するという未曾有の災害は、衝撃的な出来事としてどの媒体でも大きく報道された。


 元来瑞池という集落は隠れ里の如き共同体であり、独特の風習や運営形態だった事を面白おかしく取り上げる記事も少なくはなかった。心霊絡みの怪奇めいた噂が後を絶たない事も相まって、天災は呪いによるものだとか天罰が当たったのだとか書き立てるゴシップ記事も幾つか散見された。


 生還者はたったの二名。瑞池の中心的存在と言われている静宮家の娘、静宮詩雫【シズミヤ・シズク】と、その婚約者である鼎要【カナエ・カナメ】であった。二人はあの夜の事については多くを語らず、表向きの報道は沈静化したかに思われた。


 しかし翌月、『子供寮』と呼ばれる瑞池の子供達が暮らす施設で死亡事故が起こり、瑞池は再び世間の注目を集める事となる。


 災害後は何人かの子供が親戚へと引き取られたが、残る大半の孤児となった子供達は子供寮でそのまま生活を続けていた。その週の当番であった女性二名も同居しており、当面の資金もまだ蓄えがあった故に子供寮の運営は続けられていた。


 しかし十二月の某日、建物内に居た全員が死亡しているのが隣接する『柿峰医院』の医師、柿峰雅弘【カキミネ・マサヒロ】によって発見されたのだ。現場の状況から、死亡原因は栓の閉め忘れによるプロパンガス中毒として処理された。


 またその二日後、柿峰雅弘が医院の診察室で首を吊って死亡しているのが、当時医院に勤務していた看護婦によって発見された。どちらの事件も不審な点は無くそれぞれ事故と自殺であると断定されたものの、瑞池との関連がまことしやかに噂された。


 瑞池子供寮死亡事故の唯一の生き残りは、滝本洋子【タキモト・ヨウコ】という高校二年生の女子である。彼女は当日、学校から直接二つ隣の町にある進学塾へと通っていた為に事故を免れたのだ。洋子はその後、別の町に居住する親族に引き取られる事となった。


 この三つの事件を切っ掛けに、瑞池は地図上から姿を消した。


 しかし、瑞池を訪れる者は後を絶たない。呪いの地、天罰の下った集落として、肝試しや下世話な好奇心でこの地へと沢山の若者がやって来るようになったのだ。


 その者達は口々に言う。曰く、首の無い幽霊が出る、奇妙な赤子を見た、女の悲鳴を聞いた、水の中から大量の手が引き摺り込もうとする、などである。また、瑞池を訪れた後に体調を崩した等の体験談も散見された。


 多くの遺体が水と土砂と瓦礫に沈んだままであるが、それとは別にもっと古い骨が大量に見付かったとの噂も、おどろおどろしい伝説を彩るのに貢献しているのだろう。しかしその骨は過去に埋葬された墓内の骨が流出したものとされ、事件性は無いとして処理されている。


 様々な憶測がまことしやかな怪談として、語り継がれてゆく。


 瑞池はただ全てを孕んだ水を湛え、黙している。


  *


 翌年早々、カナメとシズクはアミダと共に瑞池を訪れた。


 瑞池の死者達を弔う鎮魂の儀と共に、湖の水神を鎮める儀式を執り行った。それは瑞池が拓かれてから丁度百年となる節目の儀式で在る。水神は怒りを静め、再び永き眠りに就く事となった。


 それから程無くしてカナメとシズクは入籍を果たし、晴れて正式な夫婦となった。


 春が訪れる頃、アミダの元に一通の葉書が届く。それは北海道への新婚旅行先でささやかな式を挙げたカナメとシズクからのものであった。肩に子狸を乗せてモーニングとウエディングドレス姿で幸せそうに寄り添う二人の指には、揃いの指輪が輝いていた。


「……これでお前さんも肩の荷が下りたじゃろうて。のう、『安田さん』よ」


 アミダが茶を啜りながら写真入りの葉書をそっと差し出した。目の前に座すのは、大柄な一匹の狸。


 狸はこくこくと何度も頷き、感慨深げに写真を見詰める。英知が垣間見えるその瞳には、優しげな光が湛えられていた。


  *


 その年の夏、一人の少女が赤子を出産した。少女の名は洋子。今はもう引き取られた先の名字を名乗ってはいたが、元の名は滝本という。瑞池の生き残りである、滝本洋子その人であった。


 産み落とされた子は女の子であった。洋子は子の父親が誰であるかを誰にも教えようとはしなかった。女の子には時江という名が与えられた。


 ──洋子はその日、瑞池へとやって来た。ゆっくりと山を下り、水の湛えられたその淵へと降り立つ。その腕には、しっかりと時江が抱えられている。


 柔らかな時江の髪は灰色を帯びており、その純粋な瞳もまた濃銀じみた灰色に輝いていた。


 不意に風が吹きざざ、と水面が波立つ。洋子のもう片方の手には、お札を貼られた小さな箱が握られていた。それは瑞池が雨に沈んだ翌朝、岸に流れ着いたのを見付けた洋子が拾い持ち帰った物だった。


 洋子の目はただ空を映す瑞池を眺め、その唇は微かに笑みを浮かべている。


 ──断たれたと思われた呪いの連鎖は、まだ、途切れてはいない。種は芽吹き、また時は──回り始める。


  *


【『溺るるは慟哭のヴィクティム』・了】

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溺るるは慟哭のヴィクティム 神宅真言(カミヤ マコト) @rebellion-diadem

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