day31:またね
喪主は母が務めた。
晩年の祖父は、ほとんど人の区別がつかない状態で施設で過ごしたこともあって、葬儀は内々に済ませるものだと思っていたけど、母は祖母のときもほとんど挨拶ができなかったからと言って、生前の祖父とそこそこの親交のあった人には声をかけた。
その中に、ハルが今在籍している税理士事務所の所長の名前もあって、ハルはその代理として葬儀に参列した。それが建前なのか、それとも本当でほかの理由はないのかは、僕にはわからないし、聞こうとも思わなかった。
祖父は一応、多少公的な役職も務めたことがあるからということで、母は通夜と葬儀を終えて数日後、新聞にも死亡広告を出した。遺族として名を連ねたのは母と僕。ただ僕については職務上の氏名のほうで出してもらった。いろんな理由で。
後見終了に伴う処理はつつがなく進んだ。その間、祖父と僕が血縁であることを知らなかった僕のお客さんから、そうだったんですねご愁傷様です、みたいな連絡も複数あった。田舎ではお客さんをハブに他士業どうしが繋がるなんてことは、よくある。
ご愁傷様です、に対する正しい返事ってなんなんだろうなと思いながら、僕はつまらない返事を繰り返した。お心遣いありがとうございます。生前はお世話になりました。
そういう電話に紛れて、大塚さんのところからの連絡もあった。祖父が事務所を開いていた物件の、管理会社の社長だ。社長と物件オーナーの井原さんは、僕が祖父の成年後見人に選任されたあと、賃貸借契約の満期まで、僕が自己満足なコーヒースタンドを開く、そのためのちょっとした改修を受け入れてくれた。社長も井原さんも、店子であった祖父とはそれなりに長い付き合いだったから、祖父が認知の問題を生じて賃料払いで揉め始め、最終的に閉業して縁が切れても、どうしているかなと気にはなっていたらしい。その節はお世話になりました、と僕はまた電話口で頭を下げた。
後見事務終了の報告書を家裁に出したその週末、僕はハルと一緒に、井原さん(オーナーの甥のほう)がやっている店を訪ねた。
まさに祖父が事務所を開いていたその場所は、今は若い人からご年配までいろんな人が寄るカフェになっている。壁の写真パネルが季節毎に入れ替わっているのに気がついたのは僕ではなくハルだった。
昼前の店内は結構お客さんが入っていて、僕が扉を開くとすぐ横の席には佐倉さんがいた。その隣に、大塚さんの娘さん。彼女は僕を見て、明らかに「やべっ」という顔をしたが、佐倉さんのほうは僕の後ろを見、それから僕を見て、もう一度後ろを見た。そういえば佐倉さんには、僕のパートナーが誰かは言った覚えがない。
ハルは佐倉さんたちに、こんにちは、と爽やかな挨拶をした。僕は笑いをかみ殺しながらカウンターに向かった。
レジの横に、見覚えのあるインスタントコーヒーの瓶がある。僕はケースの中のタルトを見、それから店主を見て、これは、と言いながらその瓶を指さした。店主は瓶の蓋に手をそっと置くと、目尻に皺を寄せながら「ちょっと、訳あって」と言った。
「佐倉さんからお伺いしまして。偲ぶならこれかなと。大神さんがお越しになるまでは置いておこうと思っていたんです」
「僕はインスタントは飲めないんですよ。眠れなくなるから」
「それも存じ上げてますよ。じゃ、いつものでいいですか」
僕は少し考え、「いや、」と答えた。
「こっちにしてください。粉の量は規定の五割増しくらいで」
「本当に? 眠れなくなるんでしょ?」
「一晩くらい寝ないで喪に服したほうがいいんです。僕は」
店主は笑って、頷いた。
ダサい名前の税理士事務所の卒業生などの話 藤井 環 @1_7_8
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