三題噺 「豪雨」「帰宅」「困難」

甚殷

冬季の憂い

 俺の心の中は一気に曇天が渦巻き豪雨が降り、目の前が真っ黒に染まった。


 年末の大仕事を抱え、家に帰っても仕事が待っている。

 なんとか最電に滑り込めた。これを逃すとタクシー頼りになり、交通費が馬鹿にならない。


 今日は珍しく風呂でもためて湯船に浸かろう。ここのところ、根をつめこみすぎていると思う。

 少し息抜きするくらいなら許されるだろう。

 疲れも気分も少しは軽くなり、仕事効率も良くなるはずだ。


 今年は例年より寒い。

 寒さのせいか、歳のせいか。去年より気が沈んでいる気がする。

 少し上を向き、ふぅっと一息つく。

 ジャケットの内ポケットに潜ませてある煙草に手をやる。


「降りたら、一服するか」


 そんな俺の僅かな希望を削ぎ落としていくかのように、電車は段々と速度を落としていった。

 今日はずっと晴天だったが、この地域は天候が崩れやすい。


「なんだ、雪でも降り始めたか?」


この路線はすぐに止まる。

 他の路線の電車は運行しているにも関わらず、この路線だけは僅かな雪や強目の雨でも止まってしまい、こういうことがよくある。

 俺の家と会社の通勤には、この路線を使うしかない。

 今度は、先程とは違った溜息が出た。

 こればかりは、どうにも出来ない。


「ったく、ついてない」


 悪態もつきたくなる。

 チラッと外を見てみたが、雪も雨も降っていない。


「なんだ?」


 少しして、車掌のアナウンスが流れた。


『現在、人身事故があったため~』


 あぁ?

 そりゃ、冬季鬱なんていう言葉があるように、こういう時期は情緒が乱れやすい。

 勿論、その為にこうやって人様に迷惑をかける輩がいるってのは、よく聞く話だ。

 けれど、実際に遭遇したのは初めてだ。


「おいおい、勘弁してくれよ」


 段々と怒りが込み上げてきた。


「何が I can fly だよ」


 お前は被害者面して路線に飛び込んで気が済むかもしれないが、本島の被害者は俺たちだぞ?

 なんで、お前の身勝手に付き合わされなきゃならないんだよ。


 クソッ……


 これでは、俺は無脳のレッテルを貼られてしまう上に、明日の大切な企画のプレゼンで使う企画書が間に合わない。

 俺は諦めてカバンからPCを取り出した。

 Bluetoothでスマホと連携させネット環境を作る。

 そして、謝罪の言葉と共にプレゼン内容の資料と企画書の指示を同僚に送り、有無を言わさず仕事を押し付けた。


 もう、社内でどんな風に言われてもいい。手柄だってくれてやる。どうしても逃してはならない会社存続をかけた企画だ。

『人身事故の為に、帰宅が遅れて何も出来ませんでした』なんてのが通用するような素晴らしい会社じゃない。

 特に、俺の会社は業界内ではブラック寄りだ。


「あー、これで俺の昇格も困難になったって訳か」


 こんな不運に見舞われるような行いはしてない。

 真っ当に社会生活を送り、税金やらなんやらだって多すぎるくらい納めてる。

 大学も遊びほうけてないで勉強もし、そこそこ名の通った企業にも入り、こんな堅実に生きてきた人間が、どうしてこんな不遇な人生を歩まなければならないのだ。


 仕事を同僚に押し付け何もやることのない俺は、家について久しぶりに冷えたビールを開けた。

 ビールは、いつだって美味い。


 ビールを飲み干した俺は、ベランダへ出て煙草の煙でバブルリングをつくりながら人身事故のことを思い出した。

 生きるのも死ぬのも否定はしない。

 それぞれ選ぶ権利はあるだろう。それぞれ事情もあるだろう。

 今日、飛びこんだ奴はどんな奴だったんだろう。

 未来を憂いた若者か、それとも俺みたいに社会に揉みくちゃにされて嫌気がさした奴か。

 どちらにせよ、あれは迷惑すぎる。

 俺も飛び降りにするが、あんな人様に迷惑をかけるようなやり方はしない。首吊りは窒息死するまでが辛いらしい。樹海なんぞでやった日には、見つけてもらえる前に首が伸びて人間ではなくなる。

 そんな馬鹿みたいなことを考えている自分に気付き、冷えきった指先に息を吐きかけながらベランダの窓を閉めた。

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