三題噺 「豪雨」「帰宅」「困難」
甚殷
いるべき場所
私は、帰ってきた。
この季節は、いつもここに帰ってくる。
帰っておいで、という合図を目印に祖父母の家に行く。懐かしい香りがする。
祖父母が大好きだった私は、学校が終わると両親と住んでいる家ではなく祖父母の家に行った。祖父母は二人で住んでいる。
この広い家に、たった二人きり。
寂しくはないのかな? 子供ながらに心配していたが、二人は幸せそうだった。
祖父母と三人でいる時間が大好きでいた。
大したことは何もない。ただ、今日あったことを話し、それをにこやかに二人が聞いてくれる。
祖母が夕飯支度をしている間は、祖父の胡座の上に座り一緒にテレビを観る。いつも観るのは時代劇。いつの間にか、私も時代劇を好きになり祖父と一緒に観いるのだ。
「ねぇ、おじいちゃん。このテレビって今日で終わっちゃうんだよね?」
大好きな時代劇。いつも一緒に観ていた時代劇が終わってしまうのは寂しいのを感じとったのだろう。祖父は軽く笑って、私の頭を優しく撫でてくれた。
「次にやるテレビはなんだろうね?」
「うん!どんなだろ!」
そんな会話をしていると隣から祖母の声がする。
「はいはい、ご飯が出来ましたよ」
祖母のご飯は、お世辞にもオシャレとは言えない。家で食べるような彩りがない。それでも大好きな祖母のご飯。素朴な味で身体に染み渡る味付け。
ぬか漬けも味噌も祖母が一人で作っている。だから、祖母にしか作れない味だ。
一度だけ祖母にお願いして運動会のお弁当を作ってもらったことがある。お昼の時間になるまで前半の競技が終わるのが長く感じた。
お弁当の時間は、みんなで集まって食べる。この夏の炎天下は祖父母の体調には辛いという事で、致し方なく両親と弟の四人で食べることとなった。
祖母は、みんなで食べてね、とぬか漬けを少し多めに持たせてくれた。その気持ちも凄く嬉しかったし、みんなに祖母お手製のぬか漬けを自慢出来ることが嬉しかった。
両親もお弁当を用意していたが、そのお弁当は三人分。
私の分はなかった。
祖母のお弁当を持っていくことは伝えていない。
それなのに、三人分のお弁当。
その時、子供ながらに悟ってしまった。
私が、この家族の一人になるのは、もう困難であることを……。
それがきっかけだっただろうか。
いつからか家族の元へ本当の家へ寄り付かなくなっていった。
祖父母は何も聞かずに布団を与えてくれた。
それが毎日続くと、今度は部屋もあてがってくれた。
たまに両親の家に顔を見せに行くついでに、必要なものだけ祖父母の家に持って帰って来ていた。
中学にあがる時、制服は祖父母が買ってくれた。
もう本当に私の家族は祖父母だけになったのだと実感させられた。
恐らく淡くてもあの家族が私の帰宅を待っていてくれるだろうと期待していた。しかし、彼らは現実を私に叩きつけてきた。
歳があまり離れていない弟とは一年だけ同じ校舎を共にした。
私たちは、もう別家庭で生きている。
弟と遭遇することもあるが話すどころか、すれ違っても視線が合うことすらなかった。両親だけではなく弟までもか。
私は段々、大人しい性格になっていった。毎日しっかりと通学しているし成績も良かったためか、生徒会長にも任命された。
ある日、担任に呼び出された。注意れることは何ひとつしていない。いつも通り健全な生活を送っているし、この時は学校行事もない。なんなのだろう、と楽観的に職員室へと赴いた。
ーーガラッ
年季の入ったドアは滑りが悪く、大きな音がする。
「失礼します」
一礼し、職員室へと足を踏み入れた。そのまま、担任の所へ行き、声をかけた。
「どうやら、ずっと家に帰ってないらしいな。どんなに良い成績や実績があっても、それでは素行が良いとは言えない。このままでは、希望している高校への進学が困難だぞ」
「わかりました」
一言だけ返答し、また一礼して職員室から出た。
何も分かってない。何も知らない。赤の他人に何が分かるというのだろうか。
どのくらいぶりだろう。私は感情が抑えきれず、人目がない公園の遊具の裏で蹲って泣いた。
いつものように祖父の家に帰り、何事もなかったかのように振舞った。お願いだから気付かないでくれ、と必死に願いながら、いつもと同じ生活をした。
翌日は運良く土曜日。
後ろめたさがあったけれど、祖父母には、友達と遊ぶと行って、本来なら私がいなければならない家に来た。
両親とちゃんと話さなければならないことが沢山ある。
家の玄関の前に立ち、一瞬だけ目を閉じ、気を強く持つ。
私のことは、どうなってもいい。祖父母だけは守らなければならない。ここまで愛してくれて育ててくれたのは祖父母だ。この家の人達じゃない。
今のご時世、ありがたいことに色々な選択肢がある。
バイトして通信でもいいし、高卒認定でもいい。最悪、就職でもいい。祖父母に出来る限り迷惑はかけたくない。その為になら、なんでもすると誓ったのだ。
家のインターホンを押した。本当に他人の家に来たのと変わらない。
インターホンから聞こえてきたのは母親の声。
そして、その後ろから知らない男性が誰が来たのか、と問いかける声が聞こえた。
知らない男性が、この家にいる。誰が何をしにきているのか。それより、父親はこの事を知っているのだろうか。
私を待ち受けているのは良いことではないと察しはついた。
久しぶりに帰ってきた家には違和感しかなかった。
私が知っている空気じゃない。
出迎えた母親は、私の隣にいる。普通にリビングで見知らぬ男性と女の子と一緒に弟がいた。訳が分からず、振り返って母親の顔を見た。なにも動揺はしていない、当たり前だという動じた感じもしない。
「お母さん、この人達は誰?」
余計な言葉はいらない。私を見限った人だ。
「なんだ、知らなかったの」
弟が、なにも問題がありません、といったように言い放った。
知るもなにも、ここにいない上に連絡も取っていない家庭のことが分かるはずがない。私は少し苛ついた。
「この子が例の娘さん?」
男性が母親に問いかける。
この男性は、私のことを知っている。私が知らない男性が、私のこと知っている。その事が、とてつもなく気持ち悪く不快でしかなかった。
「そんな顔しないでくれる?」
「まぁ、初めましてだし、戸惑ってるだけだよ」
顔をしかめる母親を宥める男性。
言われるがままリビングへ行き、一方的に話をされた。
いつの間にか、私の知っている両親は離婚しており、母親は養育費などの代わりに、この家を貰ったらしい。
そして、今はこの男性と再婚し、母親、弟、男性、その男性の連れ子の女の子と暮らしていると……。
正気の沙汰ではない。これがまかり通っていいのであろうか?
実の娘を祖父母に押し付け、離婚した挙句、再婚までしている。
そんな大切なことを伝えてこない母親も父親も弟も、この男性も。常識を逸脱しすぎている。
体と同時に思考も止まっていた。
「それで、何しに来たの」
後から冷たい母親の声が突き刺さる。
もう我慢できない。こんな空間にいたくない。こんな人たちを見ていたくない。
私は、衝動的に踵を返し、家だった所から走り出た。
とにかく、もう嫌だった。
全てが嫌だった。
初めて知った嫌悪感と拒絶。
私が帰るのは、もう祖父母の所しかなかった。
しかし、この気持ちのまま会いたくない。大切な人だからこそ、こんな感情を抱いた私を見せたくない。
もしかしたら、祖父母にあたってしまいそうで怖くもあった。
私はそのまま途方もなく歩き、近くの川辺に蹲るしかなかった。段々と暗くなって肌寒くなってきたが動けない。もう本当に何もかも、どうでも良くなってきた。
そうしているうち、意識が朦朧としてきた。
その時、まるで天国へ連れてこられたような温かさを感じた。
ふわりと肩に掛けられたカーディガン。
顔を上げると心配そうに微笑んでいる祖父母。
祖父は、隣に座り、私の頭を包み込んでくれた。
そして、帰ろうか、と優しく微笑んだ、いつもの祖父母がいた。
私は祖父母と養子縁組をし、またいつもの生活が戻ってきた。
これで何も問題はない。
私は、働きながら単位制の高校への進学を希望した。
まさか、祖父母を働かすなんてのは論外であり、年金と少しの貯えで生活をさせてきて貰えた事だけでも有難いことなのだと気付いたからだ。
しかし、祖父母は全日制の高校への進学を望んだ。
私の学力と活動実績があれば、それなりに良い高校へ行けることを進路決定の三者面談の時に聞かされていたからだ。
その時、私は自分の意思をハッキリと伝えた。担任は黙りこくり、あとは家族で話しなさい、と言うと面談を終わらせた。
いつも私のわがままを受け入れてきてくれた祖父母であったが、今回は祖父母が食い下がらなかった。
アルバイトを許すことを条件に全日制にいくことにしてもらった。高校生のアルバイト程度で大した額は稼げないが、無いよりもマシであろう。
そうして、私は高校生になった。祖父母は将来の為に大学へも行かせたかったようだが、さすがに祖父母への負担が大きく、私は断固として就職することを譲らなかった。
私が社会人として働けば、生活ももっと余裕ができるだろうし、いつ祖父母に何が起こるか分からない。その時のためにも、お金が必要なのだ。
理解を示してくれた祖父は、涙を流してくれた。
ありがとう、ありがとう、と。
お礼を言うのは、一番感謝しなければならないのは、私なのにも関わらず。
私は、この人たちの孫、いや、子供で良かった。
そんな昔のことに思いを馳せていると、祖母が声を掛けてきた。
もう、私は行かなければならない。
毎年、あっという間だ。あと何回、祖父母と会えるのだろうか。
こうやって迎えてくれるのは、この祖父母だけだ。
テレビでは、明日は豪雨だといっている。それを聞いて、今日でなくて良かった、と祖母が呟いた。
そして、祖父が取り出したマッチの火を新聞紙につけた。
おじいちゃん、おばあちゃん。
ありがとう。
また呼んでください。
元気でね……
そう祈りながら、煙とともに私は本来いるべき場所、天国へ戻っていった。
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