シュルレアリスムとダダイスム;及び二人の詩人に就いて

色街アゲハ

シュルレアリスムとダダイスム;及び二人の詩人に就いて

シュルレアリスムにダダイスム。どちらも言葉だけなら知っている方も多いかと思います。しかし、具体的にそれ等はどの様なものかと聞かれると答えに困る場合が殆どと思います。自分も然程詳しいと云う訳でもありません。何度か本を読むなり、ネットで調べるなりしたのですが、どうにもこれと云った説明に行き当たる事が出来ませんでした。まあ、単にこれは自分の調べ方が悪かったのかも知れませんが。

 特にシュルレアリスム。超現実主義だの、略してシュールと云った風に、割と人口に膾炙した言葉であるにも拘らず、どうにもその正体に迫り切れないと云う、長い間こう、モヤッとしたもどかしさに悩まされた物でした。

 

 そんな中、巖谷 國士著「シュルレアリスムとは何か 」と云う著作に出合い、漸く渇を癒された様に感じたものです。あくまで感じただけで、本当に理解したのか、と問われると苦しい物がありますが。その著書の語るには、後に様々に展開して行くシュルレアリスムですが、その発端は極めて文学的な発想の下に生まれた、と云う事でした。二十世紀初頭フランスの詩人、アンドレ・ブルトンが仲間達と行ったある思考実験が、彼をして後に自著「シュルレアリスム宣言」を書かせるに至ったと。その思考実験とは、謂わば‶自動記述″とでも言うべきもので、あれを書こうこれを書こうと考えるより先に文章を綴って行く、というもの。思いつく限りの単語、文章を前後の順序、互いの関係性、全体としての辻褄、そう言った物をすべて無視して書き連ねて行く。文章にならない? そうでしょうね。自分も試しにやってみた事が有るのですが、凡そ人間の書いた物とは思えない、文章と呼ぶにもおこがましい代物でした。自分はそれきり止めてしまったのですが、ブルトン達はかなりの期間これを続けて行った様です。そうして徐々に文章を書くスピードを上げて行き、遂には考えるより先に手が動く様になる段階にまで持って行く。そんな実験を続けて行くに従って、やがて精神に異常を来す様になるに至ってこれを中止。現実と妄想の区別がつかなくなって行くのに、これ以上はまずいと判断したのだとか。

 この体験を元にブルトンは1924年に「シュルレアリスム宣言」を発表。その成果として、先の思考実験より抜粋した文章を収めた「溶ける魚」も発表しています。基本現実に即した内容でありながら、突然何の前触れも無くファンタジックな世界に移行する、中々に興味深く面白い内容の本です。興味のある方は是非ご一読を。

 こうして成ったシュルレアリスムと云う概念ですが、レアリスムは日本語で現実、シュルは超、即ち現実を越えた現実、と云う意味になるのでしょう。このシュルと云う言葉、ここでは二通りの意味を含んでいる様に自分には思えます。即ち、妄想と現実の境界の曖昧な、言い換えれば、外の世界である現実と、自己の内面世界とが区別なく結びついた状態、従来の認識である現実を‶超えた″謂わば夢の中の状態に極めて近い状態。今一つは、其処に至るまでの‶超″高速の言語記述、未知の領域に至らんとするがむしゃらな疾走状態、自身に纏い付く現実から脱却すべく疾走する強靭な意志。この二つを含んだ意味での超現実主義であると、自分は捉えています。

 同時にこの事は、人間が現実と関わる際に言語と云うフィルターを一旦通して行われる、と云う事を示している様に思います。言い換えれば、人間にとってある意味言葉こそが現実であるとも言える訳です。‶人間は本能の壊れた生き物である″とは、岸田秀が著書「ものぐさ精神分析」の中で述べていた事ですが、その原因として、この現実=言葉、と云う図式がある様に自分には思えてなりません。

 自分は別に、この事に関し肯否を問う者ではないし、この事に対して悲観的でも楽観的でもありません。ただ事実として、所謂現実と云う物は、言葉一つで如何様にも様変わりしてしまう、と云う事を述べたかったまでです。私達の言う現実と云う物は、案外脆い薄氷の上にある物なのかも知れません。


 この言葉の上での現実改変は、ダダイスムにも言える事です。むしろ、シュルレアリスムより幾分前に現われたこの運動は、その思想の過激さから、より鮮明に現実という言葉の壁を破壊する物として作用している様に思われます。1916年、トリスタン・ツァラと云う名の詩人により為された「ダダ宣言」。その概要は、既存の価値観の破壊、理性の否定、良識の無視、と云った、相当に刹那的な物でした。大体、‶ダダ″と云う言葉も端から意味など無く、辞書の中から適当に拾っただけ、という徹底ぶり。同時期に起きた第一次世界大戦、それまで信じられていた理性による社会発展の思想が脆くも崩壊した時期と相俟って、真に現実と云う物は存在せず、既存の価値観が次々と壊れて行く中、何を信じて良いのか分からなくなった時代であった様に思われます。大戦と云う、何よりも巨大な破壊の風が吹き荒れる中、ダダの様な価値観の破壊を目的とした運動など、今更に過ぎる事は、ツァラにとっても承知の事であったでしょう。その上でダダと云う思想、運動はその様な時代背景に対する逆説的な、世界の崩壊に対する決死の告発と云った面を持っていたと言えるのではないでしょうか。

 ツァラの行った文学的な手法もまた、その様な時代に対する怒り、絶望の感情の表れか、破天荒その物と云った物でした。新聞を単語、動詞ごとに細かく切り分け、それ等の断片を宙に放り投げ、無作為に組み合わせると云った、シュルレアリスムに見られる個人の内面と云った物すら無視した徹底的な破壊の発露。最早、この先にはどうあっても何物すら存在せしめまい、と云った強烈な意志をそこに感じます。話は少し外れますが、これより時代は下って1940年代アメリカで起こったジャズのムーヴメント、‶ビバップ″にも、同じ破壊への渇望を感じます。その中心人物であったチャーリー・パーカーの演奏も又、それまでジャズの持っていたムードを徹底的に破壊し、細切れにすると云う、正にダダの手法そのままと云った音世界を展開してみせたのでした。ジャズと云うジャンルに於いて、真の意味で革命的な存在としてチャーリー・パーカーの名を上げるのに反対する人は居ない、と云う位その存在は圧倒的な物ですが、その系譜を正しく継承するミュージシャンがほぼ存在しない、と云うのも、その先には何もあり得ない、と云うその在り方にあったのではないか、と自分は勝手に推測しています。

 ダダにおけるツァラの手法もまた同様に、その先の展開など端から頭に無い、と云った類の物であった様に感じます。そして、ブルトンのシュルレアリスムも又、その先の展開を期待するには余りに危険な領域にまで足を踏み込んでいると云う点に於いて、その活動は短命に終わる運命を負っていたように思います。勿論、シュルレアリスムもダダイスムも、その後絵画表現に於いて新たな展開を見せ、非常に興味深い作品を世に多く出すに至ったのではありますが、それ等は自分の見た所、やはり最初の発想からは一歩引いた、ある種別物として考えた方が良さそうに思えます。何より視覚表現と云う別の方向性に推移したと云う事は、文学上の、即ち言語的な立場からこれ以上先に進む事の如何に困難か、と云う事実を皮肉にも自ら証明してしまった様に自分には思えるのです。


 シュルレアリスムにダダイスム。これら二つの概念は、違っている様で何処か似通っている所がある。似ている様でやはり何処か違う。そんな印象を昔から感じていましたが、さあ、具体的にそれを述べてみよと言われて述べられるかと云うと、ウッと詰まったままその先に進めない、と云う、何とも言えないもどかしさに悩まされてきました。いや、別にそんなん分からんでも人生困らんダロ、と言われれば誠に以て仰る通り。ですが自分の性分として、一度気になった事には何らかの納得行くだけの答えが得られないと収まらないと云う、誠に困った習性が御座いまして。何で何で、どうしてどうして、と、称して‶何でどうして病″を不幸にも患ってしまった自分は、傍から見れば‶お前は一体何と戦っているんだ″と突っ込まれること請け合いの苦しみをその身に存分に味わっていた訳でありますが、或る時ふと、そう言えばこの二つの概念、数学上に於ける二つの概念と似通っている所がある、と気付いてから漸くその病から解放されるに至ったのでした。

 それは即ち、座標の世界とベクトルの世界。知っての通り、座標の世界はXとYの二つの軸を元に定点を求める、謂わば座標と云う世界地図の視点から自己の立ち位置を特定すると云う、始めに世界在りきの発想から出発している手法です。片やベクトルの方は、まず初めに自己在りき。自分の立っているこの場所こそが定点であり、そこからどちらに向けてどれだけ進むか、と云う極めて個の視点から世界を把握しようとする考え方です。こうして見るに、数学の世界と云うのは単に数を扱う手段としてだけではなく、その内に非常に哲学的な側面を持った分野であると言えるでしょう。

 そして、この二つの世界観が、そのままそっくりシュルレアリスムとダダイスムに当て嵌まる。事を起こすに当たって、先ず言葉と云う世界に目を向け、その細分化、および再構築と云う点に於いてダダイズムは座標の世界観に対応し、一方、自己の内面から出発し、外なる世界へと邁進しようとするその姿勢に於いて、シュルレアリスムはベクトルの世界観に重なる物がある、と自分は考えます。

 座標とベクトル、延いてはダダイスムとシュルレアリスム、二つの世界はその出発点からして、似ても似つかない物であると思われるでしょうが、実はたった一つの目的に於いて両者は共通している。即ち、自己の立ち位置及びその方向性。平たく言えば、‶私達は何処にいて、そして何処に向かおうとしているのか″と云う、ある種人間の根幹的な最も基本的な命題をその内に抱えている点で、両者は同じ発想の元生まれた物と言えるのです。もしかしたら、私達の抱える様々な世界観、その手段、それ等は自分達の考えるよりも至ってシンプルな物なのかも知れません。



 こうして、一時期世間を騒がせその存在を知らしめたダダイスム、シュルレアリスムはその内に秘めた、恐らくは人類史上最も基本的にして最も困難な命題を抱えるが故に、それ以上の進展が見られず、急速にその影響力を失い、歴史の中に埋没してしまったかの様に見えました。しかし、歴史は繰り返すの言葉通り、時を変え、場所を変え、二つの運動の精神は意外な所でその息を吹き返し、始めの発想からは思いも寄らなかった、言ってみれば‶その後の成果″を生み出すに至るのでした。

 ダダイスムの発祥の地より遠く離れた極東の国、日本に於いて、ダダイスムの示した方法論は、ある一人の詩人によって、全く新たな世界観を生み出しました。その詩人の名は中原中也。1923年(大正12年)に発表された高橋新吉の詩集、「ダダイスト新吉の詩」に、いち早く反応を示した中也は、忽ちの内にその手法を吸収、消化し、やがて彼独特の詩世界を構築するに至りました。自分の推察するに、中原中也という人物、相当に頭の回転が速かったのでしょう。自分の中で全く繋がる事の無い筈の複数の言葉が瞬時に頭に浮かび、それに対しどう処理すれば良いのか分からず、鬱屈した感情を長年抱えていた物と思われます。それが、ダダイスムに触れるにつけ、自身の問題に初めて賛同を得た様な気分になったのではないでしょうか。‶あ、これアリなんだ。やっちゃっても良いんだ″と云う風に何処か救われた気がしたのでしょう。それからの展開は早い物でした。試みに自分の好きな詩を一つ上げてみるとします。詩集「山羊の歌」収録の「逝く夏の歌」という詩です。



並木の梢が深く息を吸つて、

空は高く高く、それを見てゐた。

日の照る砂地に落ちてゐた硝子ガラスを、

歩み来た旅人は周章あわてて見付けた。


山の端は、澄んで澄んで、

金魚や娘の口の中を清くする。

飛んでくるあの飛行機には、

昨日私が昆虫の涙を塗つておいた。


風はリボンを空に送り、

私は嘗て陥落した海のことを 

その浪のことを語らうと思ふ。


騎兵聯隊や上肢の運動や、

下級官吏の赤靴のことや、

山沿ひの道を乗手もなく行く

自転車のことを語らうと思ふ。


(青空文庫より抜粋)



 ダダの手法の影響が露骨に出た初期の作品とは違って、既に自己の表現を物にした中也独自の詩世界が存分に表出しています。初めて中也の作品に触れる人の大抵がそうである様に、自分も始め戸惑った物です。一々言い出したら切りが無いですが、一見して首を傾げたくなる言葉の組み合わせ、それでも無関係と言い切れないイメージの連鎖が、一種独特の浮遊感を作り出しています。例えば飛行機と昆虫の涙。甲虫の光沢、或いは蜻蛉の光沢ある複眼、それを昆虫の涙と云う抒情溢れる言葉に集約し、恐らく遠く陽の光に煌めいているであろう飛行機にそのイメージを結び付ける。更に‶昨日私が″なる言葉も据えて、さながらこの世界の秘密を握っているのは自分だけ、と云う、密やかな自惚れを足しておく事も忘れない、という周到ぶり。こうして一つ一つ紐解いていくと納得いくでしょうが、それをせず、あくまで言葉の断片としてそのまま放り出して見せる。そうする事で、その背後にある‶夏″のイメージに更なる奥行きを与える事に成功している様に思われます。自身の内に存在する夏のイメージ。恐らくそれらは彼の幼少期に培われ、知らず蓄えられた物なのでしょうが、一つ一つでは単にバラバラでしかなかったそれらを、こうしてわざと違和感を覚える様配置し、結果全体としてぼんやりとした、さながら夜店で繰り広げられる走馬灯の様な、何処か遠い記憶の彼方から眺めている様なイメージを浮かび上がらせています。詩作に於いてはかなり意識的に行った節が見られますが、その元となるイメージの発端に関しては、恐らく無意識的にでしょう。中也の中で説明するより先に直感的に結び付く言葉、思考のショートカットを経て表出した言葉の羅列は、時や場所をも超えた、過去より出でてそのまま未来へと繋がる、未だその詳細の語られない、既に読んだ、或いはこれから読む事になるであろう読者に対して開かれ、紐解かれる事を待っている普遍的なイメージがそこにある様に思われてなりません。

 こうした試みの末、意識の扉を次々と開いて行った中也の詩作品は、やがて「一つのメルヘン」に集約される、彼の内面からするりと抜け出して来たかの様な、夢の様なイメージを表出するに至ります。そこには、最早ダダの影響はなく、先にも書いた様に、内から直接抜け出て来た様な、本来ならば現われると同時に儚くも消え失せてしまう様な純粋な詩世界が、非常に平明な言葉遣いで表されています。しかしながら、そこに至るまでに彼の中で出所を見い出せずに犇めいていた言葉の数々に道を示したのは紛れも無くダダの手法。通常の言語表現では遂に表し得なかった中也の詩世界に、外に出る為の扉を指し示したのは、他ならぬ言葉の壁自体を完膚なきまでに取り払うに至ったダダイスムの精神であったと言えるでしょう。こうして遠く異国の地に於いて、ダダイスムの文学的意義は一つの大きな精神的な子孫を生み出すに至ったと、自分にはそう思えてなりません。



 一方、シュルレアリスムは反対側のこれまた海を隔てた西の方、アメリカ大陸に於いて新たな展開を見せるに至ります。1960年代、既にフォークソングの分野で頭角を現していたボブ・ディランと云う人物が、ロックの世界に躍り出たその瞬間からその兆候が表れ出します。アメリカのみならず、遠くイギリスのミュージックシーンに於いてもその名を轟かせる事となったボブ・ディラン。殊に同時期に活動していたビートルズ、特にメンバーのジョン・レノンの傾倒ぶりは凄まじく、一時期その曲作りに於いて明らかにディランの影響下にある楽曲が頻発する様になります。当然、その忙しさもそれまでとは群を抜いていた事でしょう。それに加え、ディラン本人のテンションも上がっていた事も有るでしょう。歌詞を作る際、タイプライターでバチバチと凄まじい勢いで打ち込んでと伝えられています。考えると同時に、若しくは考えるより先に手が動いていた事の証拠です。これは明らかにシュルレアリスムの手法そのままであり、この事が影響したのかどうか分かりませんが、二枚組の大作「ブロンド・オン・ブロンド」を発表した後、過密に過ぎるスケジュールの中、ハイになった頭でバイクをかっ飛ばした挙句、事故を起こし、重傷を負ったディランは以後暫くの間公の場から姿を消してしまいます。少し勇み足に過ぎましたが、この時期ディランの描いた歌詞の世界は、ブルトンが「溶ける魚」に於いて見せた詩に共通する要素が多分に含まれている様に思われます。自分の見た所、その特徴が顕著に表れたのが、次にその一部を紹介する「Highway 61 Revisited (追憶のハイウェイ61)」だと思います。



Oh, God said to Abraham, “Kill me a son"

神、アブラハムに宣いき「オマエんとこのガキ、生贄に出せ」

Abe said, “Man, you must be puttin’ me on"

アブラハムが言った「旦那、冗談キツイですぜ」

God said, “No" Abe say, “What?"

神「ノォ」、アブラハム「ホワッ?」

God say, “You can do what you want, Abe, but

The next time you see me comin’, you better run"

神「好きにしろ、だが、次会った時は逃げるが良いぞ」

Well, Abe said, “Where do you want this killin’ done?"

で、アブラハムが言った「じゃあ、何処でバラしたら良いんですかい?」

God said, “Out on Highway 61"

神が言った「ハイウェイ61の外れで」


(意訳:色街アゲハ)



 ご存知の方もいると思いますが、旧約聖書の一節、神がその信徒であるアブラハムの信仰心を試そうと無理難題を吹っ掛ける場面です。ここではその結末は語られませんが、その後、実際にアブラハムが息子に手を掛けようとした正にその時、神が現われて、「もうエエわ、マジでヤるとかドン引きやで」的な事を言って、斯くてアブラハムの信仰心の誠なる事が証明されて、終わります。因みに昔自分がこの一説に触れた時には「大丈夫かこれ、息子トラウマになってやしないか?」という感想を抱いたものですが、次代は紀元前、神も人間も蛮族思考に染まり切っていた頃のお話、当時としてはこれが精一杯の表現だったのだろう、と無理やり自分を納得させた覚えがあります。まあ、それは兎も角、作中で登場するハイウェイ61は、実際にアメリカに存在する道路名で、ニューオリンズからルイジアナを経て、ミネソタまで通じる長い道です。その経路から、ブルースやジャズの伝播に大きな役割を担った重要な道でもあります。狙ってやったのか、それとも物の弾みか、ディランはここで神話と現実のアメリカとを結びつけてしまったと云う訳です。これ以降の歌詞は長くなるので省略しますが、この先もディランはハイウェイ61周りで起こる様々なエピソードを、過去現在、虚実織り交ぜつつ描いて見せます。この時点で、自分的に何かしら感じ入るものがあったのですが、先にも書いたアルバム「ブロンド・オン・ブロンド」収録の曲、「ジョアンナのヴィジョン」で描かれた詩世界に触れるにつけ、その思いは確信に変わりました。‶ああ、此れは世界を描いているんだな″と。無論ディラン自身にそんな意図はなかったかも知れませんが。そこで描写されるエピソードの数々、神話内の登場人物、王朝時代の人々、そして現代アメリカの名も無い一般人の織り成す、取り留めの無い、無秩序に混在する世界が、例によってディランの合っているんだか居ないんだか怪しい音程のしゃがれ声で語られて行きます。恐らく思い付くがままに書き綴って行ったのでしょうが、そこで描かれた世界は不思議と心の何処かで納得出来てしまう様な説得力を持っている様に思えます。神話や過去の王朝時代のエピソードが現在の人々のそれと同列に語られるこの無秩序な世界は、読む者の中で、神話の時代未だ終わらず、それ等は現在に於いても地続きに、そして未来に於いても再現され得る、と。そして、作中の無名の登場人物、それが名を失い特徴を失えば失う程、それは神話の域に接近して行き、遂には神話その物となってしまうと云う、言葉のマジック。アメリカンドリームと云う言葉がある様に、兎角成功者ばかりに目が行きがちな世ではありますが、その実世界を構成しているのは、普段顧みられる事の無い無名の人々、彼等の境遇、行動こそが現代における神話としての意味を持っている、と云う他では見られないディラン独自の世界観が此処に展開されている様に自分には思えるのです。そして、その世界観を生み出した切っ掛けが、古くはブルトンの開拓したシュルレアリスムの方法論であったと、そんな風に自分には思えてならないのです。




 話が長くなりましたね。この辺でそろそろ話を締めたいと思いますが、最後に一つだけ。今までに書いて来た様に、シュルレアリスム、ダダイスムの発祥から始まって、その精神的な意義、その後の成果などに就いて語って来た訳ですが、今までの話からお分かりの通り、これ等の運動によって開かれた扉は、およそ百年の時を経た今日であっても、その先は未だ踏み込まれていない、未踏の世界であると云う事。兎角普段より閉塞感に苛まれ、この先の展望が見えないと言われる今の世の中ですが、世界にはまだまだ冒険する、或いは遊ぶだけの余地が果てしなく広がっている、と云う事。その事に気付き、この先に続いて行くであろう道に少しでも希望らしきものを感じて頂けるなら、筆者としてこれ以上の喜びはありません。では、取り留めなく、取っ散らかったこの話に最後までお付き合いいただき、誠に有難う御座いました。何れまた別の場所でお会いできる事を願いまして、この文章を締めさせて頂きます。それでは、また。




                                 終 

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