石燈籠(後)

 小松さんの退職時には他にも五名ほどが辞めた。締め日が15日だから想定してはいたことだ。120名ほどいた社員は既に三分の一を下回る程度まで減っている。私は経理の手伝いにも入るようになり、なんとなく会社の状況も見て取れた。今は派遣会社への滞った支払いでいっぱいいっぱいというところだった。




「玲ちん、飲んで帰んない?」

「行こうか」




 経理で隣の席の絢乃ちゃんは私と同期で、入社した時から総務にいる。




「手伝ってくれてありがとう。助かってる」



 店内は薄暗くて、70インチのテレビでは真夏に催されたフェスの映像が流れている。私たちも参戦した祭だ。絢乃ちゃんと二人で飲むのは会社の隣駅にあるレゲエバーが多かった。二次会で渋谷のレゲエクラブに繰り出してしまうことが絶好調の頃にはしばしばあったが、絢乃ちゃんが人妻になってからは落ち着いた。




「ううん。やること無いもん」

「そうだよなあ」




 私が担当していたデザインも小松さんから引き継いだディレクション業務もほとんど片付いてしまっているのに新規の仕事は見込めていない。社長は雲隠れしてしまったと噂を聞いた。何人かがご自宅を訪問しているが、最初の方こそインターフォンに対して返事程度はあったものの3月に入ってからは応答すらも無いというものだ。最近では似たような職種の募集要項が印刷されて社内に貼り出されている。




「玲も就活しな」

「でも絢ちゃんは最後まで残るんでしょ?」




 総務の仕事はきっと最後の最後まである。取引先への振り込みやリース品の明け渡し、賃貸契約や清掃会社への解約手続きと、私が思い浮かぶだけでも。




「死ぬときは諸共さ」

「戦友よ」

 



 こんな風にバカみたいなことを言いながら二人で飲んだりする日は更に少なくなるのだろうな。そう考えると堪らなく寂しくなる。




 だから平日だというのに飲み過ぎてしまい、あわや終電の一歩手前になっていた。

 それでも電車を降りて十二時を過ぎたからってスーパーは開いているしコンビニは幾らでもある。まだ灯りは消えていない、田舎とは違うのだ。八時に眠る町に帰るなんて考えてはいけない。車の運転は苦手なんだ。


 商工会議所の入ったセンタービルの前に差し掛かって、一休みしようかと考えてみる。酸っぱい炭酸が飲みたい。駅からマンションまでは歩いて15分もかからなくて、ここは半分よりも手前というところだった。迷って立ち止まった足元を毛玉ねこが駆け抜けた。



「えっ、和三盆?」




 私の声に、見覚えのある三毛猫はこっちを見たけれど返事をしなかった。和三盆には毎日のように会っているし写真だって遠目にだけれど何枚も撮っている。見間違えではないと思ってはいるが、いかんせん酔っ払っているから自分がいささか信用できない。それはそれで正常であるようにも思う。




「どうしたの?どうやって来たの?」




 やっぱり何も言わずに猫はこっちをキッと見上げて来る。間違いない、それが和三盆だという証拠だ。いつもより距離が近いのは、もしかしたら彼女も見知らぬ土地で不安を感じているからのことなのか。



「大丈夫?明日一緒にアキバに帰る?」



 そうすると答えたならば今日はこっそり連れて帰ろう。マンションはペットは禁止だが一晩くらいならなんとかなるだろう。昔終電でおばあさんの背負ったリュックから顔を出している猫を見たことがあるのを思い出していた。どうも酔っ払って気が大きくなっている。


 私に背を向けて和三盆が歩き出した。こっちを振り返ってあくびをしたのかと思ったがサイレントニャーをしただけのようだ。後をついて行くとセンタービルの裏庭に出た。祠と池があって、座れるところも何か所か設けられている。だがさすがにこの時間帯のせいか座っている人はいない。いたら結構ヤバい。昼間はお散歩中の人が一休みしていたり、ビルで働いていると思しき人がお弁当を食べたりしていることが多い。私も以前に資格の試験を申し込みに来た時以来、帰り道の休憩スポットとして利用している。今もまさにそうしようかと考えていたところだった。




「どうしたの?」




 街灯の下で和三盆が人工池を覗き込んでいる。お寺の周りには水場が無いから珍しいのだろうか。こっちを振り向いて、またサイレントニャーをした。




「あ、和三盆」




 走り出した和三盆が目の前を通過して祠に飛び込んだ。飛び込んだ気がした。確認しようにも、さすがに祠の扉を開ける気にはならない。閉じた扉に衝突したようにも思えなかったが和三盆は姿を消していた。

 ダメだな、酔っ払っている。自覚があるうちに帰ろう。明日も仕事だ。明後日も仕事はある。いつまであるのかはわからないけれど。




「和三盆、帰るね」




 また明日ね、と話しかけたが返事は勿論、祠からは物音すらもしなかった。スーパーに寄り道して帰ろう。やっぱり炭酸が飲みたい。




 お風呂に入る前にスマートフォンを充電しようと手に取ってギョッとした。着信があった、大変な件数だ。


 私ってそんなに人気者だったっけ?と考えて虚しくなる。人数が多いのと十二時を回った時刻を考えて折り返しの連絡は明日することにした。それに半数くらいは会社に行けば顔を合わせる。何よりも激しい眠気に襲われていた。今日は久しぶりに楽しかったから、このまま気分よく眠ってしまいたかった。


 

********************



 翌朝は北枕で寝てしまっていたせいか、お侍さんが起こしてくれた。



「お侍さんありがとうございます」



 私が礼を述べるとお侍さんがスッと顎を引くのがわかった。顔が見えるわけではない。いつも微睡まどろみの中でしか出会うことは無かったし、私が寝転んでいるのもあり胸から上はよく見えない。今日みたいに北枕で寝ていたり、寝坊しかけた朝や休みの日に宅配便が届く前に肩を叩いて起こしてくれる。実際にお侍さんなのかはわからない。着流しというのだろうか、袴を履いていない落語家さんのような恰好をしている。一番起こして欲しい祝日のゴミの日に起こしてくれることはなかった。


 肩に触れられた感触を確かに感じながらムニャムニャ起き上がる。アラームが鳴ったのはいつもの時間だった。支度をして少しだけ早く家を出ると、いつもの通り道がトラテープで封鎖されているのが見える。しかも範囲が異常に広い。ヘルメットをかぶった警察官のような人が何人も見えた。遠回りを余儀なくされて、お侍さんが起こしてくれたのはこのせいかと悟った。お侍さんありがとうございます。

 


「玲!」



 エレベーターを降りて会社へ一歩入った途端に絢乃ちゃんが叫び、何人かが私の元へ駆け寄って来た。

 あれ、私ってやっぱり人気者だったっけ?




「ニュース見てないでしょ!?」

「見てないよ?」

 


 ご明察。うちにはテレビなんて無い。地デジに切り替わる時に購入はしたが、劇団員をやっている貧しい先輩が不憫だったので譲ってしまった。



「見ろバカタレ!」

「なん、イテエ!!」


 綾乃ちゃんのパンチが結構えげつない鋭さで肩に入る。


 良い持ってんじゃねえか。

 一緒に世界を狙わないか?などと軽口を叩けるような雰囲気ではなさそうだ。




「早く見ろ!ニュース!」




 言われた通りにネットニュースを開いてゾッとした。騒がれているトップニュースの現場は確かにうちの近所だ。他の通りに用事でも無ければ必ず通る道にある、なんとなく廃墟だと思っていたビルだ。それは今朝封鎖されていた通りにある。



 昨日の夜、駅前の飲食店でトラブルを起こした男が帰宅途中の女性を人質にして立て籠もるという事件が起きていたらしい。警察に追われて逃げている途中だったと報道されていた。人質は夜中のうちに無事に保護されたようだが犯人は刃物を所持していたそうだった。狂ったように暴れて建物内の電気の配線やガス管を切断したとある。



 お昼休みに小松さんにお詫びの電話をかけた。Lineでは無事をしらせてあったが、昨日の夜にやはり何度も電話を貰っていた。




「すいませんでした。絢ちゃんにメチャクチャ怒られました」

「そうでしょうね」




 なんならぶん殴られました、というのは黙っておく。新しい職場でお忙しいだろうに、これ以上くだらない心配をかけてはならない。小松さんの会社は隣の駅に引っ越しをして来るらしい。私はその頃もう此処にはいないのだろうな。




「良かったねえ、無事で」

「ありがとうございます。でも人質になった人は怖い思いをしたと思います」



 何も私の身代わりとまでは思わないが、私がそうなっていた可能性だってゼロではなかった筈なのだ。




「あ、それなんだけどさ。ちょっと興味深いんだよね」



 犯人は立てもってからそれほど時間を経ずに様子がおかしくなり、そのうち気が触れたようになってしまったのだと人質になった人が供述しているらしい。「何かに呼ばれたみたいに上を向いたかと思うと、悲鳴を上げ始めた」「そっちの方が怖かった」のだと。

 小松さんから聞いてネットニュースで読んだ。




「罰でも当たったんですかね?」

「怖くなって何か都合の悪い物でも見えてしまったのかもね」




 それはあるかもしれない。どんな形であっても因果応報は必ずあるものだ。悪意が自分に返ってくる人を今までに何度もこの目で見てきた。罰は当たるのだから人に悪意を持って接するのなんて自分で自分を攻撃するのと変わらないのに。




「和三盆ありがとうね。よかったら食べて」


 

 姐さんのお口に合うかわかりませんが。

 開けた缶詰を差し出すと、面倒そうではあったが歩み寄って来てくれるようだ。足元まで来た和三盆は少し頷いたように見えた。ササミの匂いを嗅ぐと顔を上げてサイレントニャーをする。声帯を取られているのではないかと小松さんと心配したことがあった。和三盆の声を聞いたことが無い。



 それでもさすが和三盆太夫、面倒見は良いのだな。きっと偶々たまたま居合わせただけなのだろうが助けてくれたことには違いない。小松さんに会った時に自慢しよう。終業後には缶詰のゴミを回収しに来なければ。丁寧に生きようと思うのになかなか上手くいかなくて、その罰が当たっているのだろうか。


 仕事はまたこの辺りで探そうと思う。さっき小松さんとの電話の終わりに、近況報告も兼ねて日曜日に上野の美術館に出かける約束をした。



「和三盆たちに会いに行きたいな」

「来てください、来てください」


「奪衣婆ネキにも、閻魔様にも」




 小松さんの言葉が引っ掛かった。猫が一匹、石燈籠に飛び込む。


  

 いつからだろう、どうして気が付かなかったんだろう。




「・・・小松さん、――—――閻魔様ご不在なんですけど、どう思いますか?」

「・・・はい?」




 特段傷んでいると思ったことは無いが修復でもするのだろうか。それとも移動したのだろうか。その割に台座は残っている。





「――—―—出張されてるのかもしれないね」




 そういうことにしておこうか。

 和三盆が空いた閻魔様の台座にピョンと飛び乗った。閻魔様の立っていた場所に鼻を寄せてこっちを見る。すぐに写真を撮って小松さんに送った。


 和三盆が「にゃあん」と初めて聞かせてくれた声は間延びしていて、呆れているような音色に聞こえた。









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揺蕩ふ 茅花 @chibana-s

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