石燈籠(前)


「玲さん、お昼行きませんか?」

「行きます」



 時計も見ずに即答した。十二時をとっくに過ぎているのだけはわかっていた。

 小松さんとは何かと趣味が合う。同じバンドが好きで一緒にカラオケも行くし美術館にも行く。好きなアニメもゲームも話が合う。合うというか、彼の守備範囲が広いというのが正しい。どんな話をしてもだいたいカバーしている。私の狭い世界なんて覆うことは容易いだろう。


 別の派閥―――と言っても食の好みだけの話であって仲が悪いわけではない―――は小鉢が色々載ってくる御膳が食べたいとか、何かとお上品なことを言う。外国人男子をカレー屋さんへ一緒にどうかと誘ったら「あんなものわざわざ食べに行くものではない」と不機嫌にさせてしまったこともある。あまつさえ「僕が軍隊にいた頃は」という驚きの過去まで暴くことになった。

 紆余曲折を経た結果、小松さんがちょうどいい。


 お上品なお店にだって誘ってもらえたら拒みはしないし食べたら美味しいと思うのだけれど。どちらかというと嬉しいのは小松さんからのランチの誘いだった。私も小松さんも定食や丼が好きということで一致している。残業中に抜け出してラーメンを食べに行くこともある。これは何人かで出かけることもある。ラーメンは皆好きだ。



「幸楽どうですか?」

「喜んで」



 幸楽というお店があるわけではない。会社から近くて、お昼時間を過ぎてからランチに出るのには程よい距離にある中華料理屋さんをそう呼んでいるだけだった。すぐに戻れるし途中にはカフェもコンビニもある。中華屋さんなのにドリンクバーが設けられていることも然り、何より接客が素晴らしい。いつも大変気持ちの良いおもてなしをしてくれる。中国人とおぼしきその店員さんが有名な女性芸人さんに激しく似ていることから我々はその店を幸楽と呼んで親しんでいた。



「私今日かつおぶし持って来たんです」

「いいねえ」



 テーブルは決して狭くない筈なのだが、私のラーメン半チャーハンセットと餃子と、小松さんのラーメン大盛と以下同じ物が所狭しと並んだので見兼ねた店員のハルナちゃん(仮)が隣のテーブルを付けてくれた。本当に気の利くいい子なのだ。



「ビールも頼まないといけないですかね?」

「それは夜にしておきましょう」



 フヒヒヒヒヒと二人で笑う。午後二時近い店内は私たちの他にはサラリーマン風の中年男性一人だけのようだ。カウンター席でマスターと話している。


 私たちは休憩を30分残して、いつものお寺へ出かけた。そのお寺は敷地が広くて猫がたくさんいる。何匹いるか把握できないくらいにはいる。閻魔様も奪衣婆さんもいる。



「和三盆は手強いっすねえ」

「缶詰に慣れちゃってるからねえ。お職みたいなもんだ」



 言い得て妙だと思った。和三盆は三毛猫だから女子であることは確定に近いだろう。キリっとした顔から高貴さを感じる彼女は、いつも建物の脇に積まれた丸太の周辺にいる。丸太の上に乗っていたり陰から覗いてきたりするが、警戒心が強く近寄って来てくれたことはない。木材置き場の前には閻魔様が立ちはだかっているし、立ち入り禁止のロープが張られているから私たちも近寄ることができなかった。



「和三盆太夫かあ」



 和三盆と呼ばれていることは理解しているのかもしれない。私が溜息混じりに言うと、こっちを向いてはくれたけれど鰹節を差し出しても歩み寄ってくれる様子は無かった。餌やりおばさんが何人かいるのも、彼女らが缶詰を与えているのを頻繁に見かける。こんな都心部に住んでいるのだからセレブなんだろう。飼っているわけでもない猫に毎日缶詰を差し出せるような人間になりたいものだ。私のような者には鰹節がせいぜいだった。



「弥七おいで」

「あ、食べた!」

「でも不服そう」



 弥七は物陰から顔を半分だけ覗かせてこっちの様子を伺っていることが多かった。警戒はしつつも呼べばおずおずと近づいてくるし、餌を載せておけば手の上で食べる。


 和三盆と弥七以外の子たちは正直申し上げて区別がつかない。ほとんどが茶トラで、茶部分が黄金のようにキラキラと明るく見えるのは日向ぼっこしている時間帯に見に来ることが多いからなのかもしれない。敷地の真ん中で日に当たっていた猫が起き上がり、小さな構えの建物へ向かって走って行った。どうやら石灯籠に入るつもりらしい。風物詩とも呼べるような、冬になると必ず見る光景だった。


 今日も石灯篭の中に丸まった猫がいる。二匹や三匹ではない。おしくらまんじゅうでもするみたいに密集している。この石灯篭は不思議な点がある。




「たくさん詰まっててあったかそう」

「あんなにたくさん入るんですね」

「猫って柔らかいから」

「ああ、なるほど」




 確かにぐにゃぐにゃしている。喋っている間にまた一匹飛び込んだ。小松さんと二人で声にならない息を飲む。また一匹。それにしても無限に入ってゆく。後ろから押し出されている子はいないかと心配になり回り込んで確認したが、そういうわけでもなさそうだ。そんなことを毎年やっている。

 何匹詰まっているのかは不明だが庭にはまだまだ猫がたくさんいる。それでも今日は少し猫の数が少なく見受けられた。燈篭に詰まっている数の方が多そうだ。




「一段と寒くなりましたからね」

「そうですね、皆そこに詰まってんでしょうね」




 お寺を出て、陽の当たる石段に座ってマフラーを顎まで下げる。雪が吹っ掛けそうな乾燥した風が吹いていた。



「新しく来たバイトさん達かわいそうですね」



 小松さんが煙草に火をけた。私もアメリカンスピリットを取り出した。 

 上層部は隠しているつもりのようだが、経営が大きく傾いているのは社員の誰もが気が付いている。半年ほど前から給与の振り込みがなんとなく遅い。以前までは日付が変われば入っていたのが、いつだったかを境に午後になってから振り込まれるようになり、翌日になり数日後という塩梅あんばいになった。賞与など勿論出ていない。



「ほんとですね」



 給与の状態がそんな風であるのにも関わらず年末に新しいアルバイトさんを十人近く採用して、それに対して一部の社員からは怒りを訴える声が上がった。一方で、会社は安泰なのだと安堵する声も聞こえてきた。上層部が思わせようと画策して、一時的にでも社員を安心させる為の採用だったのではないかと囁かれている。いつか会社を畳むとしても最後の瞬間まで働く社員はどうしても繫ぎ止めておく必要があるのだろう。それは後始末をした上で一緒に沈没する犠牲者のことだ。


 アルバイトの人達からしてもまったもんじゃない。週に五回の勤務と言われて志望したのに「今週は仕事が無いから出勤しなくて良いです」と告げられるのだ。担当者のズボラぶりを考えると恐らくは休みの連絡が入るのは直前か当日のことになる。「平等を喫して」のもとに出勤日数を減らされる古参のバイトさんが一番気の毒かもしれない。

 そんな不安定な状況でも会社には仕事が全く無いわけではない。皺寄せは当然、残された社員に回って来る。その仕事も着実に減ってきていた。




「俺ねえ、今月いっぱい出て、3月の15日で辞めるんですよ」



「あっ」


「さっき人事で言って来た」



 もう来月ではないか。ここのところ目まぐるしくて今日が何月何日かなんて考えもしていなかった。目先の忙しさと、その先の見えなさで。




「会社やってる友人から声かけてもらってて」


「あっ、そっか、なんだ」



 会社のやり方に腹を立てたからという意思表示をして退職する人が、ここのところ毎月何人かずついたが小松さんがそんなことをする人ではないことは少し考えればわかる。彼は優秀だから引き抜きたい人はいるに決まっている。その企業にとってはタイミングが良かったことだろう。




「よかったです。おめでとうございます」

「ありがとう」




 まだ残っている社員の多くが既に再就職先を探している。自分でもどうしようかと考えていないわけではない。春に母が膝の手術の為に入院するというから一時帰省は念頭にあるが、引っ越しまでは考えが及んでいないという状況だった。あんな田舎に帰って就職なんかできる筈がない。帰りたいとも思っていなかった。




「和三盆にも弥七にも会えなくなっちゃうなあ」

「寂しくなっちゃいますねえ」

「そうだねえ。・・・と言っても、こっちが一方的に慕ってるだけだからね」

「もっと仲良くなりたかったですね」

「ふふふ」




 私だってそう遠くないうちに此処へ来ることはなくなってしまうだろう。それは自分の意志とは関係なく、必ず訪れる未来だ。




「あっ」




 また猫が石燈篭へ飛び込んだのが見えた。


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