夢を追いかけた先にある景色を、いつか

紫鳥コウ

夢を追いかけた先にある景色を、いつか

 ノートを強引にふたつ折にして床に投げつけた。地団太を踏んだ。奇声を上げた。泣いていたかと思ったら、急におかしくなって笑い転げた。騒音の苦情が来ようとも構わない。いまは、こうさせておいてほしい。


(バイトなんて行くかよ! いますぐにでも、死んでやる!)


 暴れているのも去年と一緒で、まったく同じことを思っている。朝には生真面目きまじめにバイトに行く支度をしているだろうに。


(ぼくは、もう三十歳だぞ!)


 今年の十月に二十代を卒業した。これだけは去年と違う。だからこそ、焦りも苛立ちも悔しさも、より際だってしまうのだ。

 夢を追うなんて、バカらしい。雨も降らない荒野にかれた種は芽吹かない。どうせプロの作家になんてなれない。もうバイト生活はやめて、正社員としてどこかの会社におさまるべきなのだろう。


 そもそも、会社勤めをしながらでも小説を書くことはできるじゃないか。それに、新人賞に受かったところで、安定した生活なんて望めないのだから、固定給を得られる環境にいるに越したことはない。

 バイトをしながら、プロの作家を目指すというのは、いささか能天気ではないか。


 と、助言をしてくれるひとたちは、強いひとだ。弱い者のことを、なにも分かっちゃいない。

 自分に見合った仕事を見つけることが叶わない。ひとつの仕事を長く続けることができない。一カ月のうちに、一週間は働けなくなるときがある。親からの仕送りを受けていることの罪悪感と恥ずかしさから、周りにはウソの職業を言いふらしている。

 そういうひとが、この世にいることを知ってほしい。


 そして、こうしたどうしようもなさを抱えて生きているひとたちを、わらわないでください。お願いします。ほんとうに辛いのです。

 なまけているのではありません。親不孝だというのは重々承知しています。だけど、どうしても、あなたにできることが、ぼくにはできないのです。


 ぼくの小説は、そういうことばかり書いている。だからダメなのだろう。成熟した人間が描く豊かな小説世界なんて、どうしようもないぼくに真似できるものではない。

 でも、小説を書くことを止めたら、ぼくは生きる意味をなくしてしまう。


 叩きつけた「創作ノート」と書かれたノートを手に取り、しわをのばしていく。もう戻りやしないのに。

 それでも、愛おしく抱きしめたい。このたくさんのアイデアがまとめられた一冊は、ずっと手元に残しておかなければならない。なにかもうひとつ、決定的な打撃が与えられれば、こいつと一緒に心中をするのだ。


     *     *     *


 クリスマスには、ブロックで宇宙船やお城を作る玩具おもちゃを、毎年買ってもらっていた。

 玄関のチャイムが鳴ったと思って走っていくと、玩具が置いてある。扉を開けて右に左に見回しても、だれもいない。それは、父さんの悪戯だった。いや、ぼくのための粋な計らいだった。


 しかしいまでは、こよみは氷の上のように滑らかで、一年のどこにも足が止まるような特別な日はない。

 今日だって、サンタクロースともケーキとも無縁な、昨日とも一昨日とも、明日とも明後日とも変わらない「クリスマス」だ。


 だから、メールなんてしなくていい。そう思いながらも、《メリークリスマス》と打ってしまう。

 だけど、「そんな暢気のんきなことを言っている場合か穀潰ごくつぶし」と返ってくるのが恐くて、デリートする。そんな風に罵られることがないと分かっていても、後ろめたさのようなものが募らせる猜疑心さいぎしんは抑えきれない。

 急に寂しくなって、机の上からリモコンを落としてテレビをつけた。


 首だけ右に向けて、チャンネルを変えることもなく、自分には縁もゆかりもない、一生関わることがないであろう有名人が起用されたCMをぼんやりと見つめていた。

 次第にいらいらしてきて、でたらめにボタンを押しまくった。


 すると、抱き合って涙を流す中年の男性ふたりの上を、金色の紙吹雪が舞って、後ろで大勢のひとが拍手をしている――そんな、びっくりする光景が目に映った。

 トロフィーが授与されたかと思うと、びっくりする額の賞金と、一年分のビールやカップ麺が贈呈された。


「ほんとうに……諦めなくて、よかったです」


 右手で両眼を押さえている。眼鏡はずり落ちそうで、もしそれが床を鳴らしてしまったとしたら、そのまま泣き崩れるのではないかと思われた。万雷の拍手は収まらず、彼らは嗚咽おえつしたままだ。

 MCが強引に締めて番組は終わった。


     *     *     *


 結成十五年以内の漫才コンビが出場できる、年末の漫才コンテスト。

 多くの漫才師はここで優勝するために、舞台から、ボケとツッコミを撒き散らす。


 調べたところ、このふたりの漫才師は、ぼくより十歳も年上で、十五年目にして初めて、決勝の舞台に立つことができたらしい。そして優勝した。


 翌日からテレビでよく見かけるようになった。

 彼らはいま、どのような景色を眺めているのだろうか。



 〈了〉

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