Under the Storm
吉岡梅
疲れた時は肉を食え
「くまのんお疲れー。今週も私たちようやった」
「はい、頑張りました。井坂さんもお疲れでーす。かんぱーい」
金曜の夜、
湯舟に浸かり、サウナで蒸され、そして肉を食べてビールを飲むことで徐々に2人に人間としての感情がよみがえってくる。
「やっぱり肉だね」
「ですね」
「食べたまえ若者。遠慮はいらぬ。経費で落とすから」
「あざす。そのつもりでいただいてます!」
静奈は豪快に肉にかぶりつく。赤身のぎゅっとした食感にガーリックバターがたまらない。これが食べられるのなら忙しい日々も悪くない。存分に噛んで噛んで噛んだあとに、ビールで喉へと流し込む。最高では?
「いやー、でも今週は本当にヤバかったね。ありがとねくまのん」
「いえー、忙しい方がその後のお肉とビールがおいしいですから!」
「それはあるね。でもくまのんはなんていうか、タフで本当に助かってるよ。やっぱ東京の時もこんな感じで忙しかった?」
「んー。どうでしょう。忙しいには忙しかったですけど、種類が違うというか」
「種類?」
「はい。肉体的にもキツかったですけど、それより精神的にキツかったというか」
「あー、そういうところあるかもね、東京」
静奈は肉を頬張ったまま頷く。高校を卒業してから3年、静奈はカメラマンになる事を夢見て上京し、アシスタントをしながらバイトをしていた。が、思い描いていた世界とあまりにも違う、過酷で納得のできない世界に嫌気がさして地元へと出戻ってきていた。
率直な所を言ってしまえば、夢が破れて地元に逃げ帰ってきたのだ。
とはいえ、それはそれとして仕事を探さねば生きていけない。どうしようかと困っていた静奈に声をかけてくれたのが、地元・静岡県東部の富士市で地域のミニコミ誌の出版している井坂だった。
まだまだ拙いながらも写真の撮れる静奈を、カメラマン兼ライターとして雇ってくれてから半年になる。 日々、なんやかんやで仕事やらお手伝いやらで飛び回り、毎日は慌ただしく過ぎ去っていく。ありがたいことだが、せわしない日々だった。
「私、体育会系だったんで、なまじ体力あったのがマズかったかもしれないですね。辛くてもガッツだ。理不尽な事だってあるのが普通だし、そこから逃げるなんて根性が足りないって感じで続けてたら、しんどくなってしまって」
「なるほどねえ。動けなくなるまで動いてしまうタイプだったわけね。もう無理しないでよ。くまのんいなくなったら私も困るからね」
「大丈夫です! 忙しいですけど楽しくやらせてもらってるんで、全然楽です。ああなる前に『肉食べたいです!』って言いますから」
「うむ。食え食え」
井坂は笑ってメニューを手渡してくる。
「東京かあ。あ、そう言えばさ、くまのんって珍しい読みの苗字じゃん?」
「あ、はい。『熊野』って書いて『ゆや』ですね。なんか
「だよね。でもさ、最近流行ってるアーティストが同じ苗字なんだよね。ひょっとして親戚とか?」
「ええ? 知ってる限り親戚にアーティストいないですけど」
「そうなんだ。えーっと……、これこれ。はい、熊野ミカドって人」
井坂は静奈のステーキ皿の横にスマホを置いた。その中では、熊野ミカドがアコギを弾きながら切々とバラードを歌い上げていた。
「……いやー、知らないですね。これ、流行ってるんですか?」
「うん。東京に出てきて一緒に夢を追いかけていた彼女と別れた、って感じの曲なんだけどね、最近よく聞くよー。くまのんと同じ苗字だから気になってるってのもあるのかもしれないけど」
「へー、今度聞いてみます。あ、おかわりいいですか?」
「おっ! いけるじゃないか若者。食え食え。300gいっとく?」
「いや、流石にそれは……」
なぜ年長者は皆、食べ物をたくさん食べさせたがるのだろう。静奈は苦笑して断ろうとしたが、思い直した。
「いえ、やっぱ行ってみます。サーロイン300gをガーリックバターで。あと、ビールをもう1杯お願いします」
「よっしゃ。すいませーん!」
嬉々として店員を呼ぶ井坂。静奈はお腹をそっと撫でて心の中で呟いた。このお腹のムカつき、食わねばやってられない。
東京に出てきて一緒に夢を追いかけていた彼女と別れた、って感じの曲? よくもまあそんな曲を恥ずかしげもなく。コタローめ、あいつ何してくれてんだ。
静奈は、スマホの中で眉根を寄せて熱唱する元カレをにらみつつ、ステーキにフォークを突き立てて口に運んだ。
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井坂と別れてアパートに帰って来ると、静奈は速攻で熊野ミカドの動画を検索した。動画は既にいくつかYoutubeに上がっている。軒並み10万単位の再生数になっているところを見ると、確かに売れかけてるようだ。
「何が熊野ミカドよ。コタローのくせに」
熊野ミカド。本名は
東京で夢を叶えるために上京してきたという事で意気投合し、なんやかんやで2年間同棲していた。供に暮らす同志であり恋人、というと聞こえがいいが、実際はただのヒモだった。
コタローは全く働こうとせず、かといって音楽に打ち込むでもなく、適当にダラダラしてはたまにバンド活動をするくらいだった。 カッコつけで、だらしなく、夢だけは大きく、聞こえのいいことを言うものの、全然動かない。
それに文句を言うと、「今は雌伏の時だから」とかなんとか言って誤魔化して、それだけならまだしも拗ねるといいうか怒る。非常にめんどくさい奴だった。
そもそも「
ただ、どこかしら憎めない愛嬌があり、小さなことを盛って盛って大げさに話すのがうまかったので、仲間内には好かれていた。そこだけ見れば、いい奴と言えなくもなかった。
画面の中のコタローは歌う
『嵐の夜 高架下 泣き顔のまま君は ありがとうとほほ笑んだ
僕と別れて仕事を辞め 新幹線に乗って浜松に帰った』
静奈の頭がカッと熱くなる。あのやろう。間違いなくこれは私との別れのシーンを歌ってやがる。しかもあの日は全然嵐なんかじゃない。ちょっとした曇り空だった。ちょうど梅雨の時期で洗濯物が乾かなくて、2人してコインランドリーに行った帰り道だったはずだ。何が嵐の夜だ。めっちゃ盛ってきてる。
しかも泣いてたのは私では無くてコタローの方だし、私はありがとうなんて言ってない。私の言ったセリフは「もう無理。しんどい。別れる」だ。それを聞いて声を上げて泣き出したのはお前の方だろ。なんで私が泣いたことになってんだ。
さらに言うなら、私が帰った場所は浜松ではなく富士だ。新幹線ならこだまに乗って新富士駅だ。たぶんコタローはこだまで新富士だとちょっと弱いとか考えて、ひかりで浜松にしたんだろう。そこまで見栄を張るかあの野郎。いや、そういう奴だった。のぞみで名古屋まで行かされずに済んでまだマシだったまである。
曲が終わり、なぜかコタローはステージ上で傘をさす。なんだそれお前。それはあれか、お前に愛想をつかす原因になった、にわか雨が降った日に勝手に持ってきたビニール傘か。普通に窃盗だからなあれ。しかも柄のとこにちゃんと目印のシール貼ってあったのに、それを無視してナチュラルに使うお前が怖いわ。
そんなコタローを見て、観客の女の子は目に涙を浮かべている。まじですか。動画のコメント欄にも「名曲」「東京って感じ」「雨が降るたびに思い出しちゃうんだよね」「せつない」「ありがとう」「夢が叶うといいですね」なんて言葉が躍っている。目を覚ませお前ら。東京を誤解するな。
物憂げな熊野ミカド(※コタロー)の横顔がだんだんと真っ黒な画面へとフェードアウトし、そこに掠れた白いフォントで曲のタイトルが表示される。
― Under the Strom ―
「Under th Stormじゃねーよ。嵐が吹き荒れてるのはこっちの方だっての」
思わず言葉が口をつく。なんて奴だ。バンドマンと別れると曲にされるという噂は本当だった。しかも、バンドマン目線で盛りに盛られて。あの杉並の銭湯帰りの曇り空が嵐? 怖いわ。
でもまあ、今にしてみれば嵐のような2年間だったと言えなくもない。あの時は気づかなかったけど。
私は、私たちは嵐の中にいて、そこから抜け出すには歩くしかなかった。とても自分たちだけでは進むこともままならない程吹き荒れる風の中、手を差し伸べようとしてくれる人は、皆、自分たちも嵐に巻き込まれている人ばかりだった。
嵐に巻き込まれてる人が、嵐に巻き込まれている人を助けられるはずもない。それでも、嵐に巻き込まれている人の気持ちが分かってしまう分、手を差し伸べたくなるのだろう。無理なのに。あるいは、無理と分かっていながらも。私たちは、そういう場所を歩いてた。
「良くやってたのかもな。私」
静奈はスマホをタップする。画面では見飽きた顔が真面目くさってあらぬ方向を見つめている。
「面白い顔しやがってコイツ本当に……」
その曲をかけっぱなしにしたまま、静奈はパジャマに着替え始めた。時々ちょっと鼻歌交じりで。
Under the Storm 吉岡梅 @uomasa
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