ほうき星になった君を、僕は永遠に探してる

蛙田アメコ

第1話 午後の電車ー再会ー

『やっぱり、死ぬなら夏がいいよ』


 彼女は言った。


 『縁起でも無いこと、言わないでよ』と、僕は言えなかった。

 

 百年に一度やってくるザネリ彗星。

 その、仄かな尾を見つめる彼女の横顔に、見とれていたから。


『きみは、星って呼ばれてるあれが、本当は何か知っている?』


 五年前の今日。


 彼女は、夜空のくらやみに悠々と横たわる光の帯を眺めながら、僕に問いかけた──彼女の名は、東条維麻とうじょういま

 僕と同い年で、僕の恩人で、よく笑う、少し強引なところがあって、おしゃれが好きで、しょっちゅう鼻唄を口ずさんでいて、アイスクリームが好きで、十五才で死んだ、女の子だ。

 彼女のさいごの日々、僕らは恋人だった。


 一緒に夜空を見上げたあの日は、今夜と同じ雨上がりの匂いがした。

 あの夜、彼女はたしかに生きていて、身体の内側から淡く発光するみたいに、いのちを燃やしていた。

 遠い星あかりを眺める維麻の横顔は、あまりに透き通っていて。

 本当に、つまらない答えしか返せなかった。


『星は星だろ。正確に言えば、恒星だよね。自分で燃えてる星の光』

『そうじゃなくてさ』


 静かに、けれども本当に嬉しそうに、どこかイタズラっぽく微笑む維麻が、今もまだ瞼の裏に焼き付いている。


 ソフトクリーム座とか、

 パンタグラフ座とか、

 やきそば座とか、丸メガネ座とか。


 夜空に光る星を集めて、素敵なものを作るのが得意な人だった。

 僕はじっと、維麻の次の言葉を待った。

 

 祈るように、歌うように。

 彼女は、自分で発した問いの答えを、おろかな僕に教えてくれた。

 

「あれは、本当はね──」




★☆★






「……うそ。もしかして、和也?」


 きみ、真木和也でしょ。

 僕は田舎のマイナーな路線の電車に揺られているときに、ふいに呼ばれて顔を上げた。

 五年前の五月。僕は──端から見たら、そうは見えなかっただろうが──中三のゴールデンウィークを満喫しているところだった。


「えっと……?」

「その声。やっぱり和也じゃん」


  学校の連中は「受験前さいごの」とか「受験生になる前に」とかいうもっともらしい言い訳をつけて、カラオケとか映画とか、あるいは千葉にある某テーマパークにはるばる出かけたりしているみたいだ。

 クラスのムードメーカーが気を利かせて「和也も行かね?」と誘ってくれたけれど、丁重にお断りした。

 僕にとっては、電車に乗っているほうがよっぽど楽しい。 

 

 いわゆる、乗り鉄というやつだ。

 さまざまな路線を始発から終点まで、各駅停車で制覇する──という、なんとも非生産的な行為を趣味にしていた。

 時刻表を眺めては計画を立て、その計画通りに旅程を遂行する。

 その滑らかさときたら、日本の鉄道の運行がいかに優秀かを教えてくれる。滑らかな旅程とガタゴト揺れる座席の揺れを噛みしめる瞬間が、僕のささやかな幸せだ。


 その日は、五月の大型連休にかこつけて少し遠出をして、県境にある短い路線を攻略しにやってきていた。


 走行にあわせて規則的に揺れるモハ1型車両の、控えめに軋む音。

 使い古されたシートの感触。

 ひび割れた車内アナウンス。

 のろのろと車窓を流れる風景。

 パンタグラフの擦れる微かな音。

 人のまばらな車内。


 そういうものを楽しんで、次はいよいよ終点だというタイミング。

 唐突に、話しかけられた。


「覚えてないの? 私だよ、私」

「……人違いじゃないですか」

「きみ、真木和也だよね?」


 僕のフルネームを呼んだのは、同じ年頃の女の子だった。

 長い黒髪が似合う色白の少女で、僕のクラスの誰よりもほっそりとしていて、きれいだと思った。

 白いブラウスには染みひとつなくて、空色のスカートにはたんぽぽみたいな黄色のストライプが走っている。関西で運行されていた京阪800系車両みたいな色合い。


 やっぱり知らない人だ。

 こんな美少女、知り合いにはいないはず。



「ごめんなさい、どなたですか?」

「嘘でしょ! 私だよ、イマだよ!」


 イマ。

 いま……維麻。


「……東条、維麻?」


 思い出した。

 というか、繋がった。

 東条維麻は、僕が小三のときに転校していってしまった幼馴染みだ。

 引っ込み思案で友達を作るのが下手くそだった──というか、中三になっても下手くそな──僕の手を握って、どこへだって連れ出してくれた恩人だ。

 僕たちは、維麻が急に転校してしまうまで、毎日一緒に過ごしていた。

 十才頃までの僕の記憶にある思い出は、彼女の横顔ばかりだ。

 記憶の中の維麻は、日に焼けて男の子みたいな姿だったはず。


「あの、維麻?」


 ぶわ、と全身の毛穴が開いたような気がした。

 妙に暑いのは、五月の気候のためばかりではない。

 白状しよう──東条維麻は、僕の初恋の人だった。

 彼女への気持ちが宙ぶらりんのまま、僕はここにいる。


「そう、私! 久しぶり……っていうか、なんでここに?」

「いや、こっちのセリフ!」


 思ったより大きな声が出てしまって、慌てて両手で口を塞ぐ。

 僕たちの乗っている車両には、幸い僕たちしかいなかった。


 というか。

 この路線には、連休中だというのにほとんど誰も乗っていない。

 観光名所らしい観光名所もなく、ただただ沿線住民の交通手段として走っている路線だ。「こんなところ」という言い方は失礼だけれど、まあ「こんなところ」そのものだ。

 とはいえ、目的と手段が転倒している僕のような乗り鉄がただこの電車に乗ることを目的にしてやってくることはあるのだろうけれど。

 ──こんなところに、どうして維麻が?



「維麻がなんで、ここに?」

「ん。このへんにある別荘に来てたとこ」


 維麻は、にっと笑ってピースした。

 その笑顔が記憶の中の日焼けした顔とやっと重なった。

 僕もつられて、頬を緩めてしまう。

 そういえば、こいつ。けっこうなお金持ちだったっけ。


「なるほどね。てっきり、アメリカにいるんだと思ってたけど」

「え?」

「アメリカに行くからって、あんなに急に転校したんだろ?」


 僕と維麻は小学校に入学したときに同じクラスに振り分けられて、席が隣同士だった。

 それから、活発な維麻にひっぱられて毎日を楽しく過ごして。

 維麻の転校によって、僕たちの関係は終わった。

 小三の二学期が始まってしばらく経った頃という、中途半端な時期の転校だった。

 珍しく維麻が僕の家を襲撃しに来なかった連休が明けると、クラスに維麻の姿がなかった。風邪でもひいたのか、珍しいこともあるもんだ。そう思っていたのだけれど。

 数日後。親の転勤だかなんだかで、維麻は急にアメリカに移住することになったのだと、先生からクラスに伝えられた。

 混乱したし、腹も立った。

 あんなに仲良くしていた僕にも何も教えてくれないなんて。


「あ、あー……そういうことになってたっけ」


 維麻が「しまった」という顔をした。


 そのとき。

 ギィッという音をたてて車両にブレーキがかかる。


 終点に、到着した。

 時刻表に記載された、予定時刻きっかりに。


 



 山の緑が濃い。

 昼過ぎともなると五月とはいえ汗ばむ陽気だ。

 維麻とともに車両を降りて、大きく深呼吸をした。

 終着駅の乗降客は、僕と維麻のほかには大きなお腹の妊婦さんがひとりいるだけだった。妊婦さんは改札をくぐって、迎えの家族が運転しているのであろう軽自動車に乗り込んでいく。


「維麻は、なんでこの電車に?」

「なんでって?」

「別荘からわざわざ出てきたんだよね」

 

 この駅には、めぼしい施設は何もないはずだ。


「何しに……うーん……」

「もしかして、無計画?」

「まあ、そんなとこ」


 相変わらずだ。

 記憶の中の維麻は、活発で好奇心旺盛で、じっとしているということはなかった。だからこそ、目の前にいる色白でほっそりとした美少女に育った彼女のことを、東条維麻だと認識できなかったわけだ。


「相変わらずって顔してる」

「まあね、無計画に乗るような路線じゃないからビックリしてる」

「べつに無計画でもいいじゃん、計画通りばっかじゃつまらんでしょ」

 

 維麻が、改札にICカードをかざしながら首をかしげる。

 こいつといると、いつもペースを乱される。

 でも、僕はそれが嫌いではなかった。


「あれ、自動改札、使わないの?」

「うん、ちょっと待ってて」

 

 僕は維麻にひとこと断ってから、窓口の駅員さんに声をかけた。始発駅で買った切符にスタンプを押してもらう。

 中学生になって、一人で電車に乗ってもよいとお墨付きをもらってから何度も繰り返した行動だ。

 電車の切符は、原則としては鉄道会社が回収することになっている。

 けれど、僕のような好事家や旅行の思い出の品にしたいという人のために、駅員さんがいる駅に限って、使用済みであることを証明するスタンプを押してもらい、持ち帰ることができる。

 この始発から終点までの駅名が刻印された切符を集めるのが、僕の趣味。


 たまに、「往復割引があるので」と駅員さんに声をかけられることがあるのだけれど、

 

「お待たせ」

「切符なんて買う人、いるんだ」


 維麻が大きな目を丸くする。

 こんな田舎駅にもICカード改札機は配備されている。


「いるんだよ。帰りの分も買うしね」

「え、待って待って。きみ、もう帰るの!?」

「うん。今乗ってきた電車に乗って帰る」

「ええ……?」

「そうしないと、次の電車は夜八時の終電だし」」

「えっ、それはマズいよ。私も乗らなきゃじゃん!」


 ころころと表情を変える維麻に、思わず吹き出した。

 そうだった。維麻はこういう人だ。

 あんな別れかたをしたのに、まるで先週まで一緒に遊んでいたみたいに感じる。


「っていうか、和也こそ、ユーは何しにこの駅へ!?」

「話はあと。発車時間まであと十二分だから、それまでにトイレを済ませたい」

「む、それは重要!」


 それぞれ身支度を済ませて、折り返し電車に乗り込む。

 止まるときとおなじ、のんびりした軋みをたてて茜色のモハ1系が動き出す。

 それから、僕たちは喋りに喋った。

 この偶然の出会いに、いかに驚いたか。

 僕の趣味である、始発から終点を制覇する乗り鉄のこと。

 維麻の着ている服は、彼女の手作り(!)だということ。

 最近ハマっている配信者のこと、読んだ小説のこと、Spotifyのシャッフル再生で聴いた古い音楽のこと。

 休日の午後を走る電車の、のんびりとした揺れに合わせて、時間が流れる。

 彼女の突然の転校とその後のお互いの生活という、本来であれば真っ先に話題にあがるべき事柄については、示し合わせたように触れなかった。



「ああ、もう。まだ喋り足りない」


 路線のなかほどで、維麻が駅名を気にし始めた。

 彼女の乗降駅が近づいてきているらしい。


「連絡先、交換する?」


 自分でも驚くほどスムーズに、その言葉が出た。

 中学でもこれくらい構えずに人と接することができていれば、現状よりは友人が多かったかもしれないし、そのことが高校受験の内申にどう影響を及ぼすかをチクチク心配せずに済んだかもしれないのに。


「いいの!?」

「別に、減るもんじゃないし」

「明るくなったねぇ、きみ」


 維麻は僕と同学年なのに、妙にお姉さんぶる。

 ちょっとだけムッとして、僕は反撃を試みる。


「連絡先くらい……その、アレに比べたら、なんでもない」


 アレ。

 僕の言葉に、維麻はぴたりと動きを止めた。

 じーっと、まっすぐに僕を見つめた。


「アレって、ラブレター?」

「なっ」

「嬉しかったよ、アレ」


 にしし、と笑う維麻。

 もう、身体が真夏みたいに火照っている。

 図星だった。

 かつて、僕が維麻に渡したラブレター。

 彼女が転校する、数日前のことだ。

 ついに帰って来なかった、小学生男子の書いた不格好な手紙だ。


「和也、顔真っ赤」

「う、うるさいな!」


 なんだよ。

 なんなんだよ。

 もうちょっと、態度ってもんがあるだろう。

 申し訳なさそうにするとか、バツが悪そうにするとか!


「いまさら返事とかいらないし、もう、そういうんじゃないから」


 別に捨ててもいいよ。

 自分の口調が思ったより早口で、嫌になってしまう。

 まったく、格好悪いったらない。


「……あっそ」


 維麻が少し不満そうに頬を膨らませたのが、少しだけ痛快だった。

 一矢報いたような気持ち。


 けれど。

 スマホを操作する維麻の横顔が、あまりに静かで。

 喉の奥に、魚の小骨が刺さったみたいな。

 ちくちくとした引っ掛かりを、感じた。


 

「よし、できた!」


  維麻のメッセージアプリのアイコンは満点の星空だった。

 彼女のことだから、それこそ派手に加工した自撮りとかだと思っていたので、ちょっと意外だ。


「これで、きみといつでも気軽に連絡とれるね!」

「気軽に連絡とりあうつもりだったの?」

「え、違うの?」


 維麻はスマホをポシェットにしまって座席を立ち、踊るように自動扉をくぐって、くるりと振り返る。

 そして、ご機嫌にこう言い放った。


「じゃあ、明日も同じ電車で!」

「……ええ!?」

 

 そんな、強引な。

 この路線が僕らがかつて住んでいた街から、片道二時間近くかかること、知ってるだろうに。

 だけど、僕は嬉しかった。

 維麻が昔と変わらず強引に、僕を誘ってくれたことが。

 今日の馬鹿話の続きをしようと、イタズラっぽく笑ってくれたことが。

 

 たぶん。奇跡みたいな偶然により再会した維麻があんまり綺麗な顔立ちをしていたから、僕は勝手に距離を感じて、身構えて、ふて腐れていたのかもしれない。




 浮かれたまま帰宅した僕は、ベッドに入ってスマホをひらく。


『ぜったい、遅刻しないように!』


 維麻からのメッセージに、手持ちのいくつかの中から吟味した、可愛すぎず、ありきたりすぎず、ウケを狙って逆にスベってる感じにもなっていないであろうスタンプで返信する。


 そのまま。

 ふと、思い立って、ブラウザの検索画面を開いた。

 とても楽しい一日だったはずなのに、妙な胸騒ぎがしていた。

 

 検索欄に、維麻の降りた駅名を入力する。

 とりたてて何もなさそうな、もしかしたら無人駅かもしれない駅。


 そこには、何もないわけではなかった。

 駅名で調べると、検索エンジンの一ページ目はすべて同じ施設のリンクが並んでいた。

 とても珍しい病気の、専門療養施設だ。

 ──その所在地が、あの駅だった。

 いわゆるホスピスとか、昔ならサナトリウムとか。

 助からない病を患った人が、さいごに過ごす施設が、そこにはあった。


「……まさか」


 僕はもやもやと湧き出てくる暗雲を振り払うようにして、布団をかぶった。

 維麻は「別荘がある」と言ってたじゃないか。

 あんなに元気そうな彼女が、まさか。


 突然の転校。

 真っ白い肌。

 細い手足。

 ──維麻の、寂しそうな横顔。

 

 そう自分に言い聞かせる。

 けれど、今日、隣に座っていた維麻のあまりに白い肌と長すぎるほどに長い絹の黒髪、ほっそりと痩せた手足が、瞼の裏からいつまでも消えなかった。


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