第5話 それぞれの八月十五日 維麻



 八月十五日。

 日の入りの時間は十八時四十頃。

 登山鉄道の途中駅、天流駅のホームに向かう私の頬を冷たい雨粒が叩いた。


「……うそ」


 待ち合わせの時間まで、あと約一時間。

 少しでも体力を残すためにと、介護士さんに車椅子を押して貰っていた。

 介護士さんが「東条さん、大丈夫?」と気遣わしげに声をかけてきた。

 きっと、私が酷い顔をしていたのだろう。


 病院の人たちは、みんな優しい。

 けれど、それは私が病人だからだ。


 そんな気遣い、惨めになるだけだからやめてほしい。

 

「東条さん。雨、振ってきちゃったね」

「言われなくても、わかってます」

「戻りましょう、身体に毒ですよ」

「……別に、どうでもいいです」


 どうせ、すぐ死ぬんだから。

 感情を押し殺すのは、もう癖になっていた。

 そのぶん、つい、冷たい言い方をしてしまう。

 介護士さんは何も悪くないのに。


 スマホを慣れない左手で操作する。

 もどかしい。

 本当は和也に電話をかけたかったけれど、声を聴いたら泣いてしまいそうだから、意地になってメッセージを打った。


『こっち、すごい雨』

『晴れるの、待つ?』


 無理だよ、そんなの。

 もしも雨があがったとしても、病院が外出を許してくれないだろう。

 今日のためのワンピースも、左手で長い時間をかけて巻いた髪も、雨で台無しになってしまった。

 車椅子の振動に抵抗することもできずに揺られながら、返信する。


『もういいよ、明日で』


 この夏、和也をたくさん私に付き合わせた。

 それだけで十分、一生の思い出なんだ。本当は。

 心なりけり、心なりけり。


 スマホが断続的に震える。きっと、和也だ。

 そっと電源を切る。



「……あの手紙、ちゃんと返さないとね」



 小学校の頃。

 オテンバだった私と、いつも一緒にいてくれた和也のことを──私は、ずっと好きだった。

 私の知らないことをたくさん知っている和也が、眩しかった。

 だから、あの手紙をもらって……生まれて初めて、胸がどきどきして、このまま空だって飛べちゃうんじゃないかって。

 それくらいに、嬉しかった。



「ここまで、かな」



 もう和也には会わないでいよう。

 これから私はどんどん、弱っていく。

 和也の思い出のなかの私が、惨めな姿になるのだけは許せない。

 ずっと綺麗な私を覚えていてもらうために、もう私は和也には会わない。


 そう、決心した。

 この雨はきっと神様が諦めの悪い私に潮時を教えてくれたのだ。



 ……だから。

 その夜、スマホに表示されたメッセージに、私はひどく動揺した。

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