通り雨が過ぎても
時輪めぐる
通り雨が過ぎても
俺達には、大昔に結ばれた竜神様との約束がある。
竜神様は雨を司る神様だ。しかし、その守備範囲は広大であるので、各地域の詳細な状況が分からない。いつ、どこへ、どれだけ雨を降らせれば良いのか。それは、地に暮らす俺達が知っていることだ。俺達は歌声の強弱や自分達の所在でお知らせする。
竜神様は、それを参考に地上に雨を降らせる。俺達は、お知らせの見返りとして、生きて行く上で不可欠な水を恵みとして頂き、歌う事を許される。
俺の名は、雨野ケイ。若い衆の中で『一番の歌い手』と呼ばれている。悪い気はしない。長老や仲間達からの信望も厚いし、女の子にもモテる。
『一番の歌い手』は、皆をリードする役割がある。いつ、どこへ、どれだけ降らせれば良いのかを判断し、皆をその地に連れて行き、リードして一緒に歌う。責任は、とても重大だ。
管轄があり、遠方は遠方の歌い手が担当する。
歌声の強弱や位置取りを間違えると、とんでもない事になる。
乾き過ぎて干ばつになったり、降らせ過ぎて豪雨になったりする。失敗は、三回まで許されるが、それ以上失敗すると、『一番の歌い手』は竜神様に声を取り上げられてしまう。仏の顔も三度まで。何回も間違える奴に重要な事は任せられないという訳だ。
俺はまだ、失敗をしたことが無い。
前任の『一番の歌い手』は、歌の強弱を間違えて、干ばつを引き起こした。弱く歌い過ぎたようだ。それが三回目の失敗だったので、彼は声を失い、今は身を縮めて生活している。
俺は、失敗しないように常に管轄を視察する。いつ、どこへ、どれだけ降らせれば良いのかを把握するようにしている。アイツに出会ったのは、そんな視察の途中だった。
初夏のある日、俺は
視察を終え、農場の放牧地境の柵の所で休憩を取った。ウトウトしていたかもしれない。
「ねぇ、君は、だぁれ?」
突然声を掛けられて目を開くと、色白でややポッチャリした少年が、俺を見ていた。長い睫毛に縁どられたつぶらな瞳が俺を見詰めている。無垢な視線に、何故か胸がときめいた。
「……お、俺は、ケイ。お前は?」
「僕は、リコ」
「リコ? 女の子みたいな名前だな」
「うん。でも、僕は気に入っているんだ」
リコは、形の良い鼻をツンと上に向けた。
「お前は、此処の子なの?」
「僕のお父さんと、お母さんが、此処で働いているんだ。子供を増やすのがお仕事なんだ」
「子供を増やすのが仕事?」
「うん。農場主のおじさんは、僕達が生活に困らないように住む処も食べる物も整えてくれる。そのお返しに、お仕事をするんだって」
「ふーん。子供を増やしてどうするんだ? 此処に、そんなに沢山の子供が居るようには見えなかったが」
俺は、首を捻る。さっき、視察した時に建物の方も、ついでに見てきたのだが。何処か他所に居るのだろうか。
「新しい子供が、どんどん生まれて、お母さんは、おっぱいをやるのに大忙しさ」
「じゃあ、お前の兄弟は沢山いるんだな」
俺の言葉に、リコは悲しそうに俯いた。
「お母さんに聞いたのだけど、僕と一緒に生まれた兄弟は沢山いたらしい。けど、皆、幼い頃にいなくなったんだって」
「……そうか。悪い事を訊いちまったな。ごめんな」
「ううん。でも、お姉ちゃんと妹は、此処で働いている。新しい兄弟もどんどん生まれるしね。僕はね、もう少ししたら、お父さんの後を継ぐんだって」
「跡継ぎ息子か。それは頼もしいな」
「僕は、此処で生まれてから、一度も農場の外に出たことが無いんだ。お父さんとお母さんは、それで良いって言うけど、僕は外の世界を見て見たいなって思う。ケイは、他所から来たんでしょ?」
俺は、リコに自分達の仕事について語った。その為に視察しているのだと。
「へぇ、すごいなぁ。雨が降るのには、ケイ達の働きがあったんだね」
すごいや、すごいやと言われて、俺は柄にもなく照れてしまう。
「それ程でもないさ。竜神様との約束だからな」
「僕達の雇い主はおじさんだけど、ケイの雇い主は竜神様なんだね」
俺は女の子の扱いは慣れているつもりだが、年下の少年との出会いは新鮮だった。
あどけなさが残る瞳で真直ぐ俺を見て、話を聞く姿を可愛いと思った。コイツ、世間を何も知らないんだなと思いながら、その無知が愛おしい。
その日から、伊部農場に毎日通うようになった。リコのことが、気になって、気になって、仕方ないからだ。俺は、どうしちまったんだ。
「ケイ」
長老が俺を呼んだ。
「この頃、お前は伊部農場に通っておるようじゃな。何か、気になる事でもあるのか? 竜神様に、特にお伝えしなければならないような事があれば、我等にも報告して欲しい」
「い、いえ。特にお伝えすべき事はありません。土の湿り具合、草の育ち具合に問題はありません」
「ふむ。それでは、何故、毎日通っておるのじゃ? 我々の管轄は、伊部農場だけではない。他所もしっかり視察しなくては、竜神様がお困りになろう」
「……はい」
それは、俺自身、懸念していることだ。リコが気になって、視察が疎かになることは、許されない。分かっている。分かっているのだが。意識と行動が一致しない。
「お前、この頃、ボーッとしていることが多いと皆言っておったぞ。まるで恋しているみたいだ、とな」
見透かしたような長老の言葉は、俺の心にヒットした。
(恋、なのか?)
どうしようもなくリコが気になるのは。毎日、顔を見たい、言葉を交わしたい、側に居たいと思うのは――そうだったのか。
俺は、リコに恋していたのか。合点がいくのと同時に、
(おいおい、リコは、男の子だぞ)
しかし、改めてそう思っても、俺の気持ちは少しも揺るがなかった。だから、晴れやかな気持ちで答えた。
「はい。恋をしています」
「ほっほっほう! それは、それは。子供が増えるのう。だが、竜神様とのお約束も大切な仕事だ。気を引き締めて取り組むように」
「……はい」
子供は増えないだろうと思いながら、仕事への気持ちは引き締めなければと思った。
「ねぇ、僕、ケイが歌って、竜神様が雨を降らすところを見てみたいな」
「リコ、それは無理な相談だ。例え、大好きなお前の頼みでも聞けないな」
「ケチ」
リコは、可愛らしく口を尖らす。
「参ったなぁ。ケチと言われても、出来ない事は出来ないんだ。前も言っただろう、失敗すると声を取り上げられるって」
「失敗?」
「そうさ。必要ないところに、雨を降らせる歌を歌うのは失敗だろう」
「でも、ケイの歌を聴いてみたいんだ。いつか聴かせてね」
甘えて体を摺り寄せてくるリコの耳に、俺はキスをする。
「ああ、いつかな」
俺達は恋に落ち、甘やかな時を一緒に過ごすようになっていた。
しかし、幸せな時間に飽き足らず、リコは自由を切望するようになった。
「ケイ、僕はこの農場を出て行きたいんだ。外には、きっと素晴らしい世界が広がっていて、僕は自由に生きて行ける。ケイと一緒に、もっと幸せになれると思うんだ」
リコが焦っているのは、父親の引退が早まりそうな状況になっている所為もあった。
「お父さんが、毎日、毎日、同じ作業を繰り返しやらされるのを、ずっと、傍で見てきた。僕は、あんな生活嫌なんだ。一緒に逃げよう」
ケイの気持ちは,日に日に高まっていった。
俺は、大好きなコイツを救ってやりたい。
何とかしてやりたい。
自分の気持ちも抑えられなくなった。
「よし、分かった。俺に任せろ」
「本当? 嬉しい! ケイ、大好きだ」
以前、仲間が歌に失敗して、大雨を降らせたのを思い出した。その時、川の堤防が決壊して、大洪水になった。飼われていた鯉は言うに及ばず、牛も馬も豚も、泳げるものは皆、泳いで逃げ出した。人間と家畜が並んで泳いでいるのを目撃した。畑を見に行ったお爺さんが流されるのも見た。至るところ水が溢れ、世界は混乱していた。行方不明になるものが居ても、おかしくない状況だった。
あの状況なら、リコが逃げ出せるのではないかと思った。
「よし、決行は七夕だ」
リコと約束して村に戻ると、皆を集めて七夕に大雨を降らせる計画を話した。
「ケイ、その大雨は必要な事なのだな?」
長老は、何度も念を押した。
俺は、力強く頷いて見せた。
(済まない皆。俺は、故意に『失敗』する。アイツの為なら、何だってしてやる)
七夕になった。俺は、皆を引き連れて伊部農場にやって来た。じゃあ、始めよう。
「ザッコ、ザッコ、雨になれ!」
俺のリードに続いて、皆が合唱する。
「ザッコ、ザッコ、雨になれ!」
「ザッコ、ザッコ、雨になれ!」
リコが俺が歌うのを見ていた。
俺の歌に、いつもより力が入る。
「ザッコ、ザッコ、雨になれ!」
「ザッコ、ザッコ、雨になれ!」
空が見る見るうちに真っ黒な雲に覆われ、大粒の雨が滝のように降って来た。雷が轟き、強い風が吹き、何時止むと知れぬ豪雨が、伊部農場を中心に降り注いだ。
「ザッコ、ザッコ、雨になれ!」
「ザッコ、ザッコ、雨になれ!」
俺達の歌声は、近くの川が氾濫するまで続いた。濁流が、ドウドウ、ドドウ、ドウドウ、ドドウと農場を襲う。
「今だ!」
俺はリコに声を掛ける。
続けて皆にも。
「解散!」
皆は呆気にとられた顔で、リコと一緒に逃げる俺を見送った。
俺とリコは、濁流の中、泳いで、いや、流されて、農場を後にした。
「上手くいったね!」
「ああ」
俺はリコの耳と耳の間に座って、前方を見詰めた。バケツをひっくり返したような雨で、俺達の行く先は見えない。それでも、二人で居られるのなら、何も恐れるものは無いはずだ。
一晩、降り続いた雨が止み、溢れた水が引くのに数日掛かった。俺達は、農場から随分遠くまで流されてきていた。ぬかるみを進んでいたが、夏の太陽は泥を固く乾かしていく。
見るもの全てが珍しく、意気揚々と歩いていたリコだったが、足が、固まった泥から抜けなくなった。俺達は立ち往生した。
「暑いなぁ。綺麗なお水を飲みたいなぁ」
俺は、綺麗な水を探し、口に含むと、リコに口移しで与えた。
「もっと、ゴクゴク飲みたいよ。農場の水飲み場みたいに」
リコは、不平を漏らす。
「お腹が空いたよ。お父さんやお母さんは、今頃、美味しいご飯を食べているんだろうな」
俺は、辺りを探して、リコが食べられそうな物を見繕ってくるが、量が全然足りない。
「僕、農場に戻ろうかな」
日が西に傾く頃、リコが呟いた。
「えっ、折角自由になったのに?」
「まぁ、足が抜けないと、進むにも、戻るにも、どっちにしても困るんだけどね」
「……そうだな」
俺は、弱く歌う。此処だけに優しい雨が降るように。リコの足元の固まった泥を溶かしてくれるように。これで『失敗』は二回目だ。
「外に出てみて気付いたよ。農場での僕は、充分幸せだったってことにさ」
前足が抜けたリコが言う。
「自由を手に入れることよりも、幸せってことか?」
「自由って何だろう。僕、分からなくなっちゃった」
「農場に戻れば、お父さんと同じ仕事をすることになるんじゃないのか?」
「そうだね。安心して眠れる場所や、美味しいご飯を頂く為には、お仕事しなくちゃね」
「……そうだな」
リコの後ろ足も、固まった泥から抜けたので、俺は歌うのを止めた。
雨上がりの夕空に虹が架かった。
蛙の俺と豚のリコは、虹に向かって帰路を辿り始めた。
数日後のこと。
「おお! ケイが帰って来たぞ!」
『失敗』したにもかかわらず、 長老は俺の帰還を喜んでくれた。
「失敗は、誰にでもあることじゃ」
意気消沈する俺を慰めてくれたが、心は決まっている。
「『一番の歌い手』を降りさせてもらいます」
「いやいや、まだ失敗は一回じゃろ?」
「いいえ、もう二回『失敗』しました」
「そうか。だが、あと一回……」
「俺は、大切なお役目に私情を挟みました。だから、もう、『一番の歌い手』では居られません」
歌い手としての矜持。そして、せめてもの償いだ。
「……そうか」
「幸い、まだ声を奪われていませんから、合唱に加わることはできます」
「残念だな。お前は良い歌い手じゃった」
皆に挨拶すると、俺は伊部農場に向かった。農場手前で別れたリコがどうなったのか心配だった。
リコは、農場主に綺麗に洗われ、美味しい飯を提供されていた。幸せそうなアイツの顔を見て、俺は満足だった。
『一番の歌い手』ではなくなってしまったが、まだ歌える。手に有るものを大切にしようと思う。
長老が言った言葉を思い出す。
「恋は、通り雨の様なものじゃ」
そうなのか? 通り雨の様な俺達の脱走劇は終わったが、恋は続いて行く。
今も俺は、リコの元に通い続けている。いつか、別れが来るかもしれないが、リコが幸せであればいい。
通り雨が過ぎても 時輪めぐる @kanariesku
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