眠れぬ夜に貴女を想う

南村知深

 

 閉じていた目を開くと、薄暗い天井とぼんやりと白く浮かび上がる壁が見えた。

 なんだかいつもより部屋が少しだけ明るい……?

 そう思ってベッドに起き上がり、窓のほうを見る。


「ああ……」


 どうやらカーテンを閉め忘れていたらしい。窓の外から差し込む『白』がフローリングに反射して、それが壁を照らして明るく見えたようだ。

 それにしても、なぜこんなに明るいのだろう。私の部屋の窓は街灯が射し込むようなところにはないし、新しく設置されたなんて話も聞いていない。

 この『白』はどこから来ているのか。

 それを確かめようと窓の外を見上げて――ほう、と無意識にため息が漏れた。

 真っ白な半月が、真っ暗な夜空に浮かんでいた。雲一つない黒の中に、ぽっかりと。

 いつだったか、家族でキャンプに行ったときに見た満月がすごく明るくて、自分の足元に落ちる影の濃さに驚いたものだ。キャンプ場が真っ暗だったから、余計にそう思った。

 それに比べて、今見上げているのは半分しかない。

 それなのに、こんなに明るいものなのか。

 まるで紗耶さやの笑顔のようだ。

 そう思って見上げた月に、紗耶の顔が浮かぶ。


「……今、何をしているのかな……」


 紗耶のことを思うと、胸の奥がきゅっとなる。そばにいないことがとても寂しい。

 紗耶を抱き締めて、その体温を感じたい。声を聞きたい。

 そんな想いばかりがつのっていく。

 明日になれば紗耶に会えるのに、待ちきれなくて心がそわそわしている。

 二人でお出掛けしようって紗耶が誘ってくれて、とても嬉しかった。

 朝から二人で水族館に行って、紗耶が食べてみたいと言っていたパンケーキのお店に行って、そのあと買い物して。

 きっと、明日は楽しい一日になると思う。

 だから、今は眠らないといけない。ちゃんと寝て、紗耶との一日をめいっぱい楽しむ体力を蓄えておかないと。

 でも。

 目を閉じると、紗耶のことばかり考えてしまう。

 ぜんぜん眠れない。


「紗耶……」


 半月を見つめ、愛しいその名を呟く。


「……会いたい……声を聞きたい……」


 湧き上がる想いを抑えきれない。

 枕元にあるスマートフォンを手に取って、紗耶にメッセージを送る――


「…………」


 その寸前で、私の手が止まった。

 今は深夜の一時を過ぎている。メッセージを送ったりしたら、眠っている紗耶を起こすことになるだろう。それは嫌だ。私のわがままで紗耶を困らせたくない。

 私と同じように、紗耶も明日が楽しみで眠れない時間を過ごしている――なんて、私の勝手な願望だ。

 この想いは、半月に願うだけにしよう。

 それでもあふれる気持ちは――


「紗耶……紗耶……!」


 ベッドに伏せて、枕に顔を押し付けて、愛しい人の名を叫ぶ。

 会えない寂しさ、声を聞けないもどかしさを振り払うように。

 これで少しは落ち着いてくれるといいのだけれど、どうだろう。


 ……と他人ひとごとのように思っていると、唐突に私の部屋のドアが開いた。


「ちょっと、お姉ちゃん。うるさいんだけど」


 妹が不機嫌そうに言って、部屋に入ってきた。


「さっきから何なの?」

「ごめん……起こしちゃった?」

「いや、まあ、なんとなく目がえて、ぼけーっと月を見てたんだけど」


 謝る私に、きまり悪そうに呟く。

 妹も眠れなくて私と同じことをしていたらしい。

 さすがは姉妹だ、と思わず噴き出すと、照れ隠しなのかぺしっと肩を叩かれた。


「明日、朝からお出掛けするんでしょ? 早く寝ないと起きられないよ」

「うん。わかってる。でも、楽しみ過ぎて眠れなくて……」

「小学生か。……はぁ……しょうがないなぁ、お姉ちゃんは……」


 薄暗い中でも声音でわかる、あきれた表情。それが近づいてきて、鼻先の距離で私を見ている。

 やっぱり、あきれた顔をしていた。


「ほら、仰向けに寝て。ちゃんとして」

「…………」

「お姉ちゃんが寝付くまで、一緒に寝たげるから」

「いいの……?」

「いいよ。でないとお姉ちゃんが『紗耶ーっ!』って叫んでうるさいし、わたしも眠れないから」

「……ごめん。情けないお姉ちゃんで」

「知ってる」


 くすくすと笑いながら布団に入り、向き合って私を見つめる。

 窓から射す半月の明かりがちょうどその顔に当たっていて、穏やかに微笑んでいるのが見えた。


「お姉ちゃん」

「ん?」

「手、つないであげようか?」


 そんなことを言う。悪戯イタズラっぽい目をして。

 だから私も、同じように答える。


「ぜひ」

「うん」


 短く言葉を交わし、手のひらに触れた柔らかで少しひんやりとした感触をぐっと握る。一瞬驚いたように硬直した妹の指が、ゆっくりと私の指にからみつく。


「眠れそう?」

「……どうかな」


 そう言うと、妹はまたくすくすと笑った。


 ――不思議なものだった。

 あれほどたかぶっていた気持ちがすうっと落ち着いて、眠れそうな気がしてきた。

 まぶたがゆっくりと落ちていく。意識が微睡まどろむ。


「おやすみ、お姉ちゃん」


 その声を最後に、私の意識は穏やかで温かいところへ沈んでいった。



 夢の中で、半分の月明かりの下にたたずむ紗耶が笑っていた。

 この世のものとは思えないくらい、綺麗だった。

 それに見惚みとれていると、紗耶はゆっくりとこちらに歩いてきて、私の額にキスをした。

 そしてまた、綺麗に笑った。



 半月に願ったおかげなのか。

 紗耶に逢えた。

 すごく、嬉しい。



 翌朝。

 いい夢を見たおかげか、寝覚めは良かった。睡眠不足も感じない。

 ベッドに起き上がって枕元のスマートフォンの時計を見ると、アラームが鳴る二分前だった。それを手繰たぐりよせて二分待ち、けたたましく鳴りだしたアラームをすぐに止める――と、隣で眠っていた妹が目を覚ました。


「……おはよう、お姉ちゃん」

「おはよう。昨日はありがとね、おかげでよく眠れたよ」

「それはよかった。面倒な姉を持つと苦労するよ、まったく」


 そんな憎まれ口を笑顔で言って、「朝ごはん作らなきゃ……」と付け加えて部屋を出ていった。

 それを見送り、ベッドをおりてキッチンに向かう。

 妹を手伝って作る、いつも通りのトーストとコーヒー。何の変哲かわりもない朝食だ。

 けれど、これから紗耶と二人で出掛けるのだと思うと、それらすらも特別なものに見えてくるから不思議なもので。

 私にとって、今日一日のすべてが特別なのだろうと感じてしまう。


 朝食を済ませ、シャワーを浴び、着替え、髪型を整えて軽くメイクもして。

 紗耶の隣にいても恥ずかしくないようにして、出掛ける準備は万端オッケー

 玄関で靴を履いていると、開け放したドアの向こうから声をかけられた。


「お姉ちゃん、忘れ物はない?」

「大丈夫。水族館の入場券パスも持ったよ」

「そっか。じゃあ、行こっか」


 と、妹が手を差し伸べてくる。

 普段は飾り気のないシンプルな服装を好むのに、今日は随分気合いの入った可愛らしい服を着ていた。それに、いつもひっつめているだけの茶色の長い髪も、ハーフアップにして小さなリボンをつけていた。


「どうしたの、その服。髪型も。すごく可愛い」

「そりゃまあ、せっかくのお出掛けなのに、いつものラフな感じでお姉ちゃんの横を歩くのは嫌だし」

「私のためなの?」

「そうでなきゃこんな可愛い服着ないし、髪型もしないよ」


 そんなことを言うのだ。服や髪よりも言うことのほうがよほど可愛い。

 私は嬉しくなって、差し出された手をしっかりと握った。


「できた妹を持って、私はなんという幸せ者なのか」

「何それ? 何かのお芝居のセリフ?」

「ううん。私の本音」

「恥ずかしいからやめて」

「やめない。だって、紗耶あなたは私の一番だから。


 言って、紗耶いもうとの額にキスをする。


「ちょ、お姉ちゃん⁉ 何すんの⁉」

「夢のお返し」

「お返しって……ひょっとして起きてたの⁉」

「……何のこと?」

「――っ!」


 急に紗耶の様子がおかしくなった。顔を真っ赤にしてうつむいたきり、動かなくなる。

 夢の中で紗耶がキスしてくれたから、それにお返ししただけなのに。


「紗耶、さっきのはどういうこと?」

「何でもない! 何でもないよ!」

「……?」

「行くよ、お姉ちゃん! バス来ちゃうから!」


 ぷう、と可愛く頬をふくらませて、紗耶はつないだ私の手を引いて歩き出した。

 よくわからないけど……紗耶が可愛い顔を見せてくれたから、それでいいと思うことにした。




       完

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