めあて
鯵坂もっちょ
めあて
「調査官ン!!」
……気を失っていた!
背後から紙がこすれ合う音が近づいてくる。いいや、そんな生易しい表現で足りるものではない。何枚も何枚も折り重なった画用紙がこすれ合い、群れをなして飛ぶ巨鳥の群れのような異音が近づいてきていた。
体に力が入らない。……殴り飛ばされたのか。私は。
「それ」が目に入る。「優」「し」「が」「勉」「踊」の文字が視界をよぎる。
力を振り絞れ!
なんとか転がるように走り出すと、間一髪、振り下ろされた「腕」が元いた場所を粉々に破壊し、ひび割れた壁の隙間から夜空が覗いた。
衝撃によって、「それ」から引き離された画用紙が二枚、ひらひらと廊下に落ちる。それぞれ「給」「食」と書かれていた。
■
内閣府異常事案対策課調査官、
この肩書を拝命してからも長いが、ここまでの危機的状況は初めてだったし、ここまで説明が難しい状況もまた初めてだった。
廊下の角を曲がり、階段下のスペースに身を隠す。
テレビの砂嵐を音量最大にしたような、大音量のざわめきが坂詰の脇を通過していく。
少し、息を整えられそうだ。坂詰は思った。
ここまでのことを整理しようか。碌に整理できるとも思えないが。
いま巨大な怪異となって暴れまわり、
画用紙には一枚につき一文字ずつ文字が書かれており、注意深く見ると「お年寄りにやさしくしよう」「給食をしっかり食べよう」「何事もこつこつがんばろう」などの文言を読み取ることができる。
坂詰が襲われいてるのは、庭石小学校5年1組における、6月の「今月のめあて」であった。
一人の男が階段下に滑り込んできた。
「調査官! 調査官! ご無事でしたか、いや、は、肝を、肝を冷やし、オエエ」
「もう! こら! 大声を出さないで!
その5年1組の担任がこの男、谷添
「ハァ、ハァ、いやね、調査官が殴り飛ばされるのが見えましてね、私はもう駄目かと……。オ〜ェ」
「ちょっとだから静かにしてください。五十まわりの男が二人してぜーはーしてちゃ世話ないですよ」
「いや、すみません、私のせいでこんなことに……」
坂詰が臨場した時点で学校はすでにこの状況だったから、谷添からの聞き取りは断片的だったが、ことのあらましは大体聞いていた。「私のせい」は概ねそのとおりだ。言うなれば、この男の「マメさ」が、この事態を引き起こしたとも言える。
■
数日前。
谷添のクラスでは毎月一回、授業の1時間を潰して「今月のめあて」決めが行われる。毎月そうだが、今月も大変だった。
ひとクラス30人を6人ずつの5班に分け、まず班で話し合わせてから、それらを統合してひとつのクラス目標を決める。
1班が「お年寄りにやさしくしよう」。
2班が「こつこつがんばる1組」。
3班、「あいさつのできる1組」。
4班、「早起きをがんばろう」。
5班、「楽しくにぎやかなクラス」。
方向性がバラバラで、これを一つにまとめるのは大変だ、と思うのは素人考えだ。そこで谷添は勤続三十年で培ったテクニックを遺憾なく発揮した。
5年1組、6月のめあて。
〜お年寄にやさしくあいさつができ早起きをがんばってこつこつ取り組む楽しくにぎやかな1組〜
「いやね、やっぱり自分で考えた文言が入っている、っていうのは、違うんですよ。そうすることでみんな自分事として考えてくれるって言いますかね」
それだけならよかった。坂詰に言わせれば、谷添は常軌を逸してマメだった。いや、小学校の教師とはみんなそんなものなのかもしれないが……。
翌日の1組の黒板の上には、カラフルに飾り付けられた今月のめあてがあった。一文字一文字画用紙にレタリングされ、折り紙の花や鎖で飾り付けられている。谷添が一晩で仕上げたものだ。
その日の5時間目の授業が終わると、そこにはこうあった。
〜お年寄にやさしくあいさつができ早起きをがんばってこつこつ取り組み給食をしっかり食べる楽しくにぎやかな1組〜
その日の時点では、誰も気がついていなかったという。
翌日、最初に登校してきたクラス会長が目にしたのは次のものだった。
〜お年寄にやさしくあいさつができ先生の話をよく聞き自然を愛し早起きをがんばって読書をしてこつこつ取り組む笑顔をたやさない楽しくにぎやかな1組〜
増殖していたのだ。文字が。勝手に。
原因はわからない。長過ぎるめあてに呼応した文字たちが「そういうものなのだ」と学んで殖え始めたのかもしれないし、めあて自体が「長くありたい」という目的意識を持ってしまったのかもしれない。
まあいい。それは研究局の仕事で、坂詰のような実働部隊の仕事ではない。とりあえずやつの動きを止めるのが第一目標だ。
その日の授業を終えるまでには生徒全員がそのことに気づいていた。理由を求めるまでもない。めあてが黒板にまではみ出してきたからだ。
記録に残っている最後の状態はこうだ。
〜お年寄にやさしくあいさつができ先生の話をよく聞き忘れ物をしない整理整とんしてしっかり運動して自然を愛しチャレンジ精神をもち適度に休み目標に向かって努力でき困っている人を助け環境問題に取り組み助け合いの心を持ち早起きをがんばって読書をしてなにごともこつこつ取り組みごみを減らし清けつを保ち笑顔をたやさない楽しくにぎやかな1組〜
遠くのほうでめあてが動く音がする。
めあてはまだまだ殖え続けているらしかった。「勉」の文字はさっき初めて見たし、「踊」にいたってはどういう文言から出てきたのかわからない。めあて側もネタ切れに困っているということだろうか。
異形の塊と化しためあては、その触手を自由に操り、校舎内を駆けずり回りながら次の獲物を探している。
職員・生徒が全員避難した夜の暗い校内ではひそひそ声もやけによく響く。
「どうしたもんでしょうかね、あれ、いやはや、こんなことになってしまって、本当に」
「それを考えるのがこちらの仕事です……、とりあえず広いところ、校庭や体育館におびき寄せたいところですね」
「おびき寄せる……」
「何か心当たりはありませんか。その、毎月めあてを制定してきた先生としての目線から……」
「あー……」
谷添は数瞬、中空を見つめた。
「いやね。こんなことを自分で言うのもアレな話かもしれないんですが、好みはあるかもしれないです」
「好み?」
「なんと言いますか……。いや本当にね。こんなことを教師としての私が言うのもアレなアレなんですが……。その……。なんていうんですかね。綺麗事、っていうんですかね」
「ははあ」
「見目麗しい……って言葉選びが適切かはわかりませんが、ああ、『耳触りのいい』ですかね。とにかくそういう言葉が……好みかもしれないですね。おびき出せるかはともかく」
こんなにスラスラそのような言葉を表す表現が出てくるというのは、普段から少なからずそう思っていたということなのでは?
「耳触りというのは……。つまりどういうことですか?」
「いやあ、それこそ、早起きをしよう、とか、自然を守ろう、ですとか。小学生の学級目標にありがちな」
■
体育館につながる廊下には画用紙が連なっていた。
「貧」「困」「を」「な」「く」「そ」「う」「質」「の」「高」「い」「教」「育」「を」「み」「ん」「な」「に」
そんなにポンポンと「小学生の学級目標」みたいな言葉が浮かぶわけもないから、ググって出てきた適当なものを採用した。そもそも、めあて本人ですらネタに困って「踊」とか言い出していたほどである。
「これで来てくれますかね」
「わかりません……。少なくとも今までのものとは被っていないので、その点では興味を持ってくれるのではないでしょうか……」
廊下の端にある机の下に二人で身を潜める。今のめあては動くもの、音のするものに見境なく襲いかかっているようだった。それならば……。
カタン。
廊下に向かって、そのあたりに無造作に立てかけてあった箒を放り投げる。
その瞬間。
──ザザザザザザザザザ。
来た。
耳を劈くホワイトノイズがその音量を大きくする。
廊下の直前で音が止まった。
こちらは見つかっていないようだ。しかしこちらからもその姿は見ることができない。音と、空気の動きでめあての影を追わなければならない。
少しずつ、めあてが体育館に向かって歩を進めるのがわかる。カサ……。カサ……。
「食べてるみたいですね」
「いやよかった……んですかね。また一段と大きくなってますね」
「そういう化け物ってことなんでしょう。見てください。めあてが落としていった画用紙を」
「譁、縺、彁……? 何でしょうかねこれは」
「ネタ切れですよ。もう文字なら何でも良いってことなんでしょう。やつは大きくなりすぎた」
音が止まった。体育館の中に連れ込むことに成功したらしい。
「では、谷添先生」
「はい。調査官」
「打ち合わせ通りにお願いします」
■
めあてはステージ上にいた。そこには校歌の歌詞や、緞帳には「平成〇〇年 卒業生一同 寄贈」の文字がある。めあては文字を求めているようだった。
パンパンパンパン!
体育館の中央に陣取った坂詰が手を叩く。
めあての最上部がゆらり、と揺れたかと思うと、その部分を触腕のように変化させて高速の腕が坂詰に襲いかかる。
体育館の床に穴が開く。谷添は跳び箱の中にいた。箱に書かれた数字には目張りをしてある。めあての興味が跳び箱に向かないように。
「こっちだ!」
なんとかして跳び箱までおびき寄せる。十分に引き付けたところで、
「先生! お願いします!」
「は、はイィ!」
ガコン、と音を立てて跳び箱の中から谷添が飛び出した。
一か八かでしかない。だがめあてが「めあて」であることを考えると、奏功する確率は高いと思われた。
谷添が声を振り絞る。
「今月のォ!」
「早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く」
「1組のォ!」
「そういうのいいからそういうのいいからそういうのいいから」
「めあてはぁ!」
坂詰がめあての注意をそらす。こっちだ!こっちこっち!オイ!こっちを見ろ!
めあてはもう谷添の目の前にあった。
谷添が腹の底から声を出す。
「自主性!!!!!」
ガササ……という残響を残して、めあてが動きを止めた。その先端部は、谷添の鼻先まで迫っていた。
「私は間違っていました……。子どもの考えためあてを全部採用して、そうすることで子どもがめあてを自分事として考えてくれるようになり、自主性が育つと……。実際は逆でした。めあてが不必要に長いことにより、その内容を誰も気にしなくなってしまった」
それこそが、おそらくめあてが怪異化した原因そのものだったのだろう。一文や二文増えていても誰も気づかない。そこに怪異の付け入る隙があった。
「一か八かに賭けてよかった。なんだかんだ言っても、教室のルールを決めているのは担任の先生です。担任の鶴の一言で教室のルールはなんとでもなる。教室のルールから生まれた怪異なら、効くだろうと思った」
「ええ……。やはりシンプル・イズ・ベストでした、これからはそのことを肝に銘じてやっていこうと思います」
それまで形を保っていためあては崩れさり、あとには大量の紙束だけが残された。
■
「きのうはみなさん大変でしたね。学校に不審者が発生したということで、先生ともう一人、政府の方と対応にあたっていたんですが、危機は去りましたよ、ということで。それでですね。突然で申し訳ないんですが、今日から新しいめあてを掲げることにいたしました。こちらですね。『自主性を重んじる心』ということで、このめあてに則って、みなさんは自主性をもって、いろいろなことに挑戦していただければと思っています。はいでは授業を始めていきましょう──」
黒板の上には、画用紙に一文字ずつ「自主性を重んじ、育む心」の文字があった。
(了)
めあて 鯵坂もっちょ @motcho
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